第五話 抑えられない衝動
レンディナ=レッドサラマンダーはレッドサラマンダー公爵家が長女である。表面上はどうであれ、その身に流れる血は尋常ならざる才を秘めたものであった。
ならば、だ。
レンディナそれ自体は漆黒の無能であっても、その血を受け継ぐ『子』には尋常ならざる才が発現する可能性は高い。
同じ血を持つレッドサラマンダー公爵家の人間にとっては無能の役立たずであっても、それ以外の人間にとっては喉から手が出るほど欲しい血なのだ。
「今日も今日とてお退屈なお仕事のお時間ですよっと」
赤銀の髪に同じく赤銀の瞳。純粋な赤に銀という不純物を混ぜた──すなわち魔力の純度は高くない──十代後半の少女はくすくると身の丈以上の長さを誇り、すらりとした自身の胴体よりも太い大剣を斜めに回しながら森の中を歩いていた。
メリー=ピースセンス。
冒険者として生計を立てながら、非正規の依頼を多くこなす少女であった。
冒険者ギルドが管理する正規の依頼は仲介料を取られる代わりに依頼者の身元や依頼内容を精査している。それだけ『安全』であるということであり──非正規の依頼はもちろん冒険者ギルドを介さないため高額の成功報酬を得られる代わりに『危険』が伴うことが多い。
ここでいう『危険』とは依頼の難度ではなく、依頼内容そのものにある。犯罪の片棒を知らず知らずのうちに担がされた、なんてことも珍しくない。
とはいえ、だ。
メリー=ピースセンスは十代後半と冒険者の中では若輩ながら上から二つ目のランクA冒険者。依頼者や依頼内容の本質を見抜けないわけがなく、知らず知らずのうちに犯罪に手を染めるなんてことはあり得ない。
そもそも、知っていても犯罪に手を染めるのがメリー=ピースセンスである。
彼女の行動原理の根底にあるのは金。より高額の報酬を示したほうにつくという単純明快なものだ。
ゆえにメリー=ピースセンスは非正規の依頼を達するために行動する。捨てられたレンディナ=レッドサラマンダーを回収、依頼主へと送り届けるために。
ーーー☆ーーー
早速だが、ドラゴンである。
「……ひあ?」
あまりといえばあまりな光景に絶叫になりかけた何かが喉から滑り出た。レンディナ=レッドサラマンダーに一般常識が欠如(というか学ぶ機会が極端に少なかった)とはいえ、迸る敵意や脅威は存分に伝わってくる。
ドラゴンの生態を知らずとも、目の前の生物が襲いかかってきたならばどうなるかくらいは容易に想像がつく。
ぶあさっ!! とレッドサラマンダー公爵家が本邸を踏み潰せるほどに巨大な赤黒い体躯を支える対の翼が羽ばたく。その度に大気を拡散され、炸裂する余波がレンディナの華奢な身体を地面に薙ぎ倒す。
辺り一面に敷き詰められた青い薔薇の花びらが舞う。
赤黒い鱗で体表を覆った巨大な四足歩行の怪物がゆっくりと、だが着実に降下していき──ついに、その四の脚でもって降臨する。
ズズン……ッ!! と降り立つ動作そのものだけで地面が不気味に揺れる。鮮血が澱み腐ったような赤黒い瞳がジロリとレンディナ=レッドサラマンダーを見据えていた。
「ひあ、ひゃわわーっ!?」
記憶は曖昧だが、『何か』あったようで再度気絶したレンディナが目覚め、先の闘争にてスカイ=フォトンフィールドと名乗っていた金髪碧眼の美女と自己紹介を終えたその時であった。
存在自体が死を連想させる、巨大な怪物が出現、降り立ち、レンディナたちを睥睨しているのだ。良い意味では決してないが、ある意味箱入り娘当然だったレンディナが感じたことのない圧に完全に腰が抜けていた。
妹のそれと違い、ボロ布同然の薄汚れた純白『だった』ドレスが噴き出た脂汗に濡れる。あのランディ=レッドサラマンダーから逃げられたのだという歓喜や命の恩人に対する感謝が吹き飛ぶほどに。
そして、だ。
ズザンッッッ!!!! と。
巨大なその体躯が縦に真っ二つとなった。
断面から勢い良く鮮血が噴き出す。
何がどうなってあれだけ巨大な生物が両断されたのかレンディナには全くもって理解できなかった。
それでいて。
そんなこと、疑問に思ってすらいなかった。
赤黒いドラゴンが両断された理由よりも、赤黒いドラゴンが両断された結果に意識が集中していたからだ。
どろり、と。
噴き出し、地面に広がるおびただしい量の鮮血の色に目を奪われ、鉄錆くさいニオイに鼻が震え、魂の底から飢えが噴出したのだ。
欲しい、と。
レンディナ=レッドサラマンダーの表在意識の奥、本能というべきものが飢えを思い出し、そして、
ズザンッッッ!!!! と。
傍らに立っていたスカイ=フォトンフィールドの上半身と下半身とが切り分けられた。
ドン、だん、とずり落ちた上半身が地面を跳ねる。遅れて、後を追うように下半身が倒れる。
びちゃっ! と噴き出した鮮血がレンディナ=レッドサラマンダーの左半身を赤く染める。傷が消えようとも、昔にランディから刻まれた火傷の痕は消えておらず──その痕を金髪碧眼の美女の色で上塗りされた。
その事実に言いようのない感情を発し、思わず口元を押さえて何かを堪える。その間にも事態は進行する。
トン、と軽やかな音と共に赤銀の髪と瞳を持つ少女が真正面に(瞬間移動としか思えないほどに瞬時に)出現したのだ。
分厚い赤と銀の鎧を纏う少女はそれなり以上に重量がありそうな鎧を身につけているとは感じさせないほど軽やかに歩を進める。
その手に握った身の丈以上の大剣は赤黒い液体に塗れていた。それが何よりの証明であった。そう、先のドラゴンも命の恩人ある金髪碧眼の美女も彼女が斬り捨てたのだ。
だから。
なのに。
「お気味悪いですねっと。目の前でこれだけ凄惨なお惨殺があったというのに、なんでお笑っているですよっと」
「……っ」
指摘されるまでもなかった。ゆえにこそ、レンディナ=レッドサラマンダーは口を押さえて、不謹慎にも浮かぶそれを封殺しようとしていたのだから。
押さえつけようにも、隠そうにも、滲み出る。
あれだけ巨大な怪物を瞬殺してみせた力を畏怖するのでもなく、命の恩人を斬り捨てたことに悲しんだり怒ったりすることもなく、ただただ甘い衝動が止まらない。
欲しい、と。
飢えが、止まらないのだ。
「わたし、なんで、おかしくなって、違う、欲しくなんて、そんな、だって!!」
「まあなんでもいいですよっと。お前がどんなお奴であれ、お依頼主の所までお届けすればお依頼達成なんですからっと」
そして。
そして。
そして、だ。
赤銀の少女が何かする、その前に──我慢なんてもの、吹き飛んだ。
駄目だと叱責するように、その指はぴくぴくと痙攣していた。痙攣したまま、左の頬まで持っていき、飛びついた鮮血をすくい、その赤を目にした瞬間、むしゃぶりついていた。
礼儀作法なんてどこにもない。何日も何十日も食べ物を食べてこなかった人間が山盛りの肉を目の当たりにしたような気分だった。もう我慢なんて吹き飛ぶに決まっていた。
じゅる、じゅるるっ!! と。
指を食らう勢いですすったその瞬間、レンディナ=レッドサラマンダーは内から溢れる快感に意識を塗り潰され、そして、
ドグシャアッッッ!!!! と。
迸った何かが赤銀の少女を薙ぎ払った。