表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

「一緒に暮らそう、リサ」

 それから三日が経った。


「おいトッド、おまえフランツさまと知り合いだったのか?」


 星祭りの飾りを屋敷の門扉に取り付けながら、商店の主が首を傾げた。

 上の方からかかった声にふと顔を向ければ、先日の吹雪が嘘のように空が青い。

 店主が乗った梯子を下で支えながら、トッドは「まあな」と呟いた。


「こないだ知り合ったばかりだけどな」

「何日経っても荷物はうちに置きっぱなしだしよ、どうしたのかと思ってたんだぜ」

「そういえばそうだった」

「ここで厄介になってると知ってりゃ、ついでに持ってきてやったのに。いつまでも店の奥に転がしとくわけにもいかん。場所取りでしょうがない」

「そいつは悪かった。あとで取りに行くよ」

「ところでおまえ、逃げた内儀(かみ)さんはどうなった」


 ちらりと上に視線をやる。

 話すべきか。話さざるべきか。

 だがまあ、隠す必要もないだろう。正直に教えておこう。


「あいにくだが、あいつは内儀(かみ)さんなんかじゃないよ」

「あんな真っ青になって探してたのにか」

「寒かったからな。顔色も悪くなる」

「ふーん。で、結局どうなった。見つかったのかい?」


 ああ、とトッドは頷いた。


「おかげさまで」


 もちろん、それが鉄格子の内側だとは思わなかったが。


「良かったじゃないか。カッチコチに凍ってなかったかい?」

「凍ってた。釘が打てるくらいには」

「溶けたのか?」

「ああ、どうにか」


 心の方もな。


 呟いた声は、店主には聞こえなかったらしい。

 おい裏門もやるから手伝ってくれ──そう言ってえっちらおっちら荷物を抱えていく。トッドも梯子を担いで後に続いた。


 庭ではヨセフとリサが雪で人形を作って遊んでいる。はしゃぐ声につられて視線を向けると、リサと目が合った。


「トッドさん」


 頬を上気させて駆け寄ってくれば、上下にはずむ乳房が意識せずとも目に入る──なるほど、これはシシィが劣等感を抱くわけだ。

 思わず苦笑いするが、リサは気づいていない。

 ここにあいつがいれば、即座に見咎めて口を尖らせるだろうに。


「シシィはどうしてる」

「落ち着いています。今はばあやさんが見てくれてるの」

「そうか」

「あの、色々とありがとうございました」


 そう言ってぺこりと頭を下げる。


「あなたがあの子を助けて下さったのだわ。本当にありがとうございました。私ではなんの御礼もできないけれど……」

「礼なんか。あいつが自力で生き延びたんだ。俺は何もしていない」

「いえ、『黒い森』でのことです。あなたがあの子を見つけてくれなかったら」

「それだって、あいつが俺に見つけさせたんだ」


 それよりも、と言葉を繋げる。


「あいつが動けるようになったら、あんたはどうするんだい」


 リサの表情が引き締まった。

 シシィと同じ黒い瞳が、まっすぐにトッドを見据える。


「私は、ここに残ります」


 しばしの沈黙があった。

 絡みあった視線はそのままに、トッドは静かに訊ねた。


「だったら、あいつは俺が貰って行っていいんだな」


 リサの瞳がじわり、と揺らいだ。

 赤い唇から紡いだ言葉もかすかに揺れるようだったのは──気のせいではないだろう。


「……そうして下さるのですか」

「あんたのためじゃない。俺のためだ」

「トッドさん。私、何と申し上げればいいのか……」


 どんなに思い合っていても、どんなに互いが大切でも、離れた方が上手く行くことだってあるだろう。リサとシシィが正にそれだ。

 だが、そんな建前はどうだっていい。

 俺があいつを連れて帰ると決めた。それだけだ。


 早く来いよ、と向こうの方から声がする。梯子を担ぎ直し、「じゃあな」と言って歩きだす。

 リサはゆっくりと頭を下げた。


 建物の角を曲がる時に横目で見ると、まだ、頭を下げていた。





 * * *





 浅い眠りと短い目覚めを、どのくらい繰り返しただろう。


 ふっと目を開け、シシィは自分がまだ生きていることを思い出した。

 体が強張っている。自分のものではないみたいに。

 ずっと横になっていたせいだ。


 ひとつ瞬きをして視線を巡らすと、枕元ににこにこと笑う老女がいる──誰だろう。悪い相手ではなさそうだけど。


「具合はどう?」


 と訊ねられ、シシィは「だいじょうぶ」と唇を動かした。喉が渇いて上手く声が出ない。

 軋む体でどうにか起き上がると、老女が白湯のはいったカップを口許に運んでくれた。手渡しでは受け取れなかっただろう。指が強張って、動かないから。


「……ありがとう」

「いいえ、いいのよ」


 のんびりした口調で、老女は語りかける。


 なんでも言ってちょうだいね。体に元気が戻るまで、ゆっくりしてお行き。旦那様もそう言ってるわ。あとでスープを持ってきましょう。皆にも知らせてあげないと、とても心配していたから。


 ──皆って、誰だろう。


「ねぇ……」


 遠慮がちに問いかけて、シシィは口をつぐんだ。少し前なら、まちがいなく「リサは?」と訊いていただろう。

 だけど、なぜなんだろう。

 胸が詰まって、その先が続かない。


「大丈夫よ」


 老女はそう言ってまた笑う。


「誰もあなたを嫌ったりなんかしやしないわ。仲間はずれでもないし、置いてきぼりにもならない。だいじょうぶ」

「……私、まだ何も言ってない……」

「一人ぼっちで『神の家』に帰らなくてもだいじょうぶ。時代は変わるわ。女たちの生き方も」


 戸惑うシシィをよそに、老女は立ち上がって窓際に向かった。カーテンを開けると、午後の強い光が差し込んだ。

 眩しさに目を細めていると、光の中で老女が問いかけた。


「シシィ。あなた、歳は幾つ?」


 唐突に訊ねられ、口ごもる。「十六」と小さく答えると、老女は窓を開けながら尚も訊ねた。


「背は、まだ伸びてるの?」

「……なんで急にそんなことを」

「私は十三で伸びなくなったわ。リサもそのくらいだったそうよ。赤ちゃんを産める体になったのもその頃で、お乳がどんどん大きくなり始めたのも同じくらい」

「なんの話……?」

「星神様のお声を初めて聞いたのも、その頃だったかしらね」


 はっとして、シシィは息を飲んだ。


「わ……わたし、背、伸びてない。秋までは伸びてたの。だけど冬になってからは伸びてない。靴の大きさも変わってない」

「そう。だったらもうじきよ」

「赤ちゃん、産めるようになる?」

「なりますよ、女なんだから」

「おっぱい大きくなるかな? リサみたいになれるかな?」

「心配しなくても、平たいままじゃないから安心おし。くよくよするのをやめて、たくさん食べてたくさん眠ること」

「うん」

「それから、たくさんお喋りするの。恋をするのも素敵なことよ。そうしてるうちに体はちゃんと育っていくし、自然とお乳も膨らむわ」


 うん、とシシィは頷いた。体も心もカラカラに乾いているはずなのに、ゆらり、と涙で景色が揺れた。

 どこから溢れてくるんだろう。

 あんなに冷え切っていたはずなのに、頬が温かく濡れるのは、どうして。


「それにね、あなたの樵さんは、あなたがどんなでも構わないって言うはずよ」


 涙が頬を伝い、窓から入る風がひんやりと冷やしていく。

 新しい空気が部屋中に満ちて、シシィはその中で泣いた。

 生まれたての赤子のように、声を上げて。





 * * *





「いやーまいったまいった」


 そう言って館の主が帰ってきたのは、昼下がりのことだった。


「ほら一応さ、シシィは牢破りをしたわけだろ? まさかうちに脱獄囚がいる、なんて言えるわけがないからさ」

「とかなんとか言っちゃって、隊長さんにカマかけられて結局白状しちゃったんですよね、お館様は」


 まあな、とフランツは苦笑して見せる。

 まったくお館様らしいや──胸中で呟きながら、ヨセフは“光の快速号”の飼葉桶に干し草を足していく。

 先日はその名にふさわしい走りを見せてくれた領主家の老馬は、今は静かに草を食むばかりだ。


「さすがに御咎めなしというわけには行かなくてな。あいつの立場もあるわけだし。

 保釈金を多目に納めてきたよ。うちが身元引受人として、正規の手続きにのっとって保釈されたってことにしてもらった」

「じゃあそっちはもう心配いらないんだ」

「ああ、そうだ。いやー肩の荷が一つ降りたよ」


 そう言って大きく伸びをする。一仕事こなして満足げな主を横目に、ヨセフは“光の快速号”の背にブラシをかけ始めた。


「あ、そういえばシシィ起きたって。おばあちゃんが言ってたよ」

「おおそうか! だったらあとで見舞いに行くか」

「僕らは明日か明後日だって。一度にたくさん会うと疲れちゃうから」


 祖母に言われたとおりに伝えると、なるほど、とフランツは素直に頷いた。

 目覚めたとは言え、凍死寸前だったのだ。身の回りの世話を焼くゾフィによって面会は制限されている。


「だってリサもまだ会ってないんだよ。僕らの順番は一番最後だってさ」

「それはずいぶん徹底しているな」

「でもね、トッドさんはさっき会ったって」


 えっ、と主は目を丸くする。

 顎に手をあて、そうか、そうなんだ、と一人でぶつぶつ呟きながら厩舎を後にして──くるっと振り返った。


「なあヨセフ」

「なんですか」

「あー……えーと、ありがとな。あの時、馬で追っかけてくれて」


 そう言って、照れくさそうに頭を掻きながら出て行った。


 ヨセフはしばらくぽかんとしていたが──“光の快速号”が催促するように尻尾を動かしたので、ハッと我に返った。

 改めて礼を言われると、妙にこそばゆい。

 恥ずかしいわけではないが、面はゆい。


 思わずブラシをかける手に力が入ってしまう。だが悪いことではないだろう。

 その証拠にほら、“光の快速号”は満足そうだ。





 * * *





 それからまた幾日か経ち、シシィは少しずつ回復していった。


 立って動けるようになり、炊事や掃除を手伝えるようになった。

 初めは険しい顔をして涙ぐむこともあったが、やがて笑顔が増えてきた。

 リサやゾフィとくすくす笑っていることもあったし、ヨセフと軽口を交わしあうこともあった。


 星祭りの日までいればいい──フランツからそう提案された時だけ、静かに首を横に振った。


「ありがと、フランツさん」


 手負いの獣のようだった娘が、変われば変わるものだ。

 暖かくしてご飯を食べさせてぐっすり寝かせてやれば、きっと落ち着いて話し合える──ばあやの言うとおり。亀の甲より年の功。


「私たち、やっと本当の姉妹になれたような気がします」


 リサはそう言って微笑んだ。


「今までは何かに縛られていたような気がします。目の前が曇って、よく見えていなかったように思います。あの子のことも、私のことも」

「そうだろうねぇ」


 暖炉の前の揺り椅子に腰かけ、いつ終わるともしれぬ編み物を続けながら、ゾフィも微笑んだ。


「『神の家』は、昔は女たちを守る砦だったけど、今はそうではないからね。神仕えで有り続ける必要は無いし、皆がそれぞれに生きていければそれが一番。『家』が砦から牢獄に変わる前に、外に出て色んな幸せを探しましょう──星神様も、そうお考えだもの」

「ばあや、ずいぶんはっきり言い切るね」

「言い切りますとも。私が十三の時に、頂いたお言葉です」


 リサが目を丸くしている。フランツも半分開いた口をぱくぱくさせた。


 うちのばあやは、『神の家』の女だったのか。

 なぜ今まで知らなかったんだろう。こちらが聞かなかったせいだろうか。それともあまりに昔のことすぎて、話す必要がなかったからか。

 そういえば、ばあやも立派なおっぱいの持ち主だ。若い頃はリサ以上の迫力だったかもしれん。いやいやそんなことはどうだって宜しい、それにしても何て水臭い──


「ばあやさん」


 フランツの思考を中断したのはリサの声だった。それが少し震えていたものだから、フランツはすっかり口出しの機会を失った。


「今でも、星神様のお声は聞こえますか」


 ばあやはにっこりと微笑んだ。


「そうね……本当に、本当に、時々ね」





 * * *





 星祭りを明日に控えたその朝──シシィとトッドは夜が明ける前に出立した。


 フランツが馬を貸そうかと言うと、寡黙な樵は意外なほど素直にその申し出を受け入れた。

 新年に向けた品々と、領主家からの大量の餞別を荷台に積みこむ。最後は病み上がりのシシィだが、別れを惜しむように抱き合ったリサがなかなか離れない。


「元気でね、シシィ」

「うん」

「手紙書いてね」

「うん。でも郵便屋さんが来ないよ、森の奥だから」

「じゃあ時々会いに来てくれる?」

「トッドがいいって言ってくれたら」

「……ふた月に一度だな」

「待ってるわ。私、待ってるわ」

「うん。リサに会いに行く。必ず」


 そんなやりとりを二度三度と繰り返す女たちの横で、フランツはトッドと顔を見合わせ、肩をすくめた。

 ほらあ早くしないと今日中に帰れないよ、また雪の中で野宿することになっちゃうよ──ヨセフが後ろからそう言うので、リサはようやくシシィを解放した。


「世話になったな」

「こちらこそ」


 差し出された右手を握ると、ちょっとびっくりするくらい男らしく力強い。

 ああなんだこの樵、よくよく見れば結構ないい男じゃないか。シシィを受け入れるくらいだから懐もおそろしく広いんだろうし、これはちょっとやそっとじゃ太刀打ちできないぞ──

 そんな考えが一瞬よぎったが、務めて顔には出さないようにする。横でにこにこしているゾフィにはたぶんばれてるが──気にしない、気にしない。

 自分は自分。

 他の誰かと比べるのではなく、過去のおのれと比べるべきだ。


 視線を少し動かすと、隣では女たちがまだ名残惜しげに見つめ合っていた。


「リサ」

「なあに」

「ありがとう……大好きだよ」


 私もよ。


 リサが涙混じりに答え、“光の快速号”は荷台を曳いて動き出した。

 どんどん遠くなる二人に、リサは大きく手を振った。


 やがて豆粒のように離れて見えなくなるまで、ずっと。


「……行っちゃったね」

「ヨセフ。ばあやと中に戻って、明日の準備を始めておいてくれるかい」


 ヨセフは素直にはーいと答える。ばあやの手を引いて屋敷に入るのを見届けて、フランツはぽんとリサの肩に手を置いた。


「リサ」


 ぐすっ、とリサは鼻を鳴らした。シシィたちが帰っていった森の方を、いつまでもいつまでも見つめている。

 日の出はもうすぐだ。

 徐々に明けていく薄明の空には、明けの明星が輝いている。


「リサ、明日は忙しいぞ」


 リサはきょとんとしてフランツを見上げた。

 朝の色と夜の色、どちらにも染まった空の下、フランツの胸中で一つの決意が固まった。


「星祭りの日は、領主としての仕事始めだ。姉たちも家族連れで遊びにくるし、そちらの相手もしなきゃならん」


 リサは神妙な様子で聞いている。目じりが赤くなっているのも、また不思議と可愛らしい──が、見とれているような時ではない。

 あのとき最後まで言えなかったことを、今度こそ伝えなくては。

 濁すのではなく、正直に、はっきりと。この家の使用人になる気満々のリサに、きちんと伝えるのだ。


「その席でだな、えーと、おまえのことを、そのー……家族に紹介しよう、と思っているんだ」


 ここが正念場だ。がんばれフランツ、男を見せろ!


「おまえをだな、そのー……私の妻になる女だと、紹介しようと思っている!」


 ひゅっ、と変てこな音がした。


 リサが息を飲んだのだと気づくと同時に、彼女の頬から耳がパーッと朱く染まる。

 驚いたように手を口元に添え、「フランツさま……!」と声を絞る。


「本当に? 本当ですか? わ、私を……私を、その、あの」


 そして胸元を手で押さえ、すーはーと呼吸を整えて叫ぶように、訊いた。


「あなたさまの、妻にして下さるのですかッ!?」

「そうだよ」

「ほ、本当に……?」

「うん」


 万感の思いを込めて、フランツは頷いた。


「一緒に暮らそう、リサ」


 涙混じりの笑顔で、はい、とリサも頷いた。


 そのとき、東の地平に朝日が昇った。


 御来光が二人を照らしだす。

 長い夜が明け、朝がやってくる。

 リサとフランツは並んでそれを眺めていたが──やがてどちらからともなく、手を繋いだ。


 さあ、新しい年がやって来る。屋敷に戻って準備をしなければ。


「ようし」


 やらなければならないことは山積みだ。

 だが、気分は最高だ。

 なんて清々しいのだろう。


「忙しくなるぞー!」


 フランツはこの上なく幸せだった。

 隣の美しい婦人も、同じ気持ちでいてくれる。

 微笑みを交わし、手を取り合う。


 東の空にはまだ明けの明星の姿があった。

 慈しむような光はこれからも、彼らとともに輝くだろう。





『リサ、その乳房にまつわる物語』


 ** 完 **

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ