21.ここぞというときのお約束
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のだけれど。
あれ、あれ? あれれ?
あれれのれぇ?
おっかしいなあ。
紙はある。A四判のコピー用紙。
だけど、うん。そう。
ペンがない。
筆入れ忘れて来ちゃったみたい。
なんたる失策。
何やっとんねん。
ウチは、黙ってこっちを見ていた江ノ島君を恐る恐る見やった。
「あの」
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ペン、持ってませんか……?」
江ノ島君は無言で万年筆を差し出してくれた。
その無言が、どんな言葉よりも身にしみた。
情けないことこの上ない。
凄く恥ずかしい。
ただ、江ノ島君の貸してくれたその万年筆を目にしたとき、それまでずっと何も言わずにウチの隣に座っていた古崎さんが、そこで初めて小さく声を上げた。
あっ、と。
何か、古崎さんに縁のあるものなのだろうか。
かなり使い込まれている。でも扱いがいいのか、まだまだ現役、という印象を受けた。
高そうだし。
――さて。
ちょっとここで、ちょっとした自己贔屓、というか自慢話をさせてもらおう。
一番大事なペンを忘れてしまったことの恥ずかしさをはぐらかすためだ。
というわけで、ちょっと聞いてほしい。
書く、ということに関して、ウチはウチにしては割と大きな自信を密かに抱いている。
まあまあどうでもいいような小技を結構持っているのだ。
例えば、そうだな。
図形がかなり綺麗に書ける。
製図の訓練なんかは全く受けていないのだけれど、直線や円をフリーハンドで我ながらもの凄く美麗に書ける。
数学の時間なんかは大活躍だった。
高校の頃などは、数学の先生をして「答えはさっぱり合ってないのに図だけはやたらに綺麗だな」と言わしめた。
文系ですから、と言い訳をさせてもらおう。
それから、もう一つ。
字を書く、ということに関して。
字列を、罫線がなくてもまっすぐに書ける。字自体はまあむにゃむにゃなんだけれど、字の大きさと列が揃っていると結構綺麗に見えるものだ。
でもそんなのは基本さっ。
左から右へ読む文を、右から左へすらすら書ける。あるいは縦書きの文を下から上へ。つまり文末から文頭へ向かって遡って書ける。
また、手元を見なくてもまっすぐに書ける。これは板書量の多い授業で大いに役立った。
そして、もう一つ。
向かい合った相手に対して正対の文を書ける。
つまりは、自分にとっては反対側から覗き込む文を書けるわけだ。
学校の先生にこれがちょっと上手な先生がいて、ちょっとカッコいいなと思って練習した。
と言っても、もちろんこういうスキルが普段の生活の中で役立つことなんてことはまずない。
最後のスキルなんかは、それこそ先生みたいな職でもなければまあないだろう。
しかぁし。
いよいよこのちょい技が日の目を見る日がやってきた。
さあ披露してやるぞ。
と、いうわけで。
ウチは江ノ島君の正面に紙を置き、江ノ島君には多分聞こえないだろう小声で、古崎さんに声をかける。
「――それじゃあ、いい? 古崎さん」
「…………」
「古崎さん?」
「あっ、はい。すいません」
古崎さんは、どこかぼうっとした目でウチが江ノ島君から借り受けた万年筆を見つめていた。
「……はい。お願いします」
古崎さんの声には、力が戻っていた。
そして顔を上げて、江ノ島君をまっすぐに見る。
「お願いします」
そうして、古崎さんは語り始めた。
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