第十話「その名を呼ぶ距離」
呼び出しは、日が落ちたあとだった。
「女王陛下がお呼びだ」
短い伝達。
それだけで、空気が変わる。
王城は静かだった。
昼とは違う、重い静けさ。
足音だけが、やけに響く。
(……なんで俺なんだ)
理由は、分かっている。
あの戦闘。
あの敵。
扉の前で止まる。
「どうぞ」
中から声。
扉を開ける。
赤が、目に入る。
女王は、窓際に立っていた。
夕闇の中で、その髪だけがはっきりと浮かんでいる。
「来たわね」
振り返る。
視線が、真っ直ぐに向けられる。
(……近いな)
前に見たときより、距離が近く感じる。
年も、そう離れていない。
それなのに。
背負っているものが、違いすぎる。
「座りなさい」
女王が席に座るのを待ってから、俺は言われるままに腰を下ろす。
少しの沈黙。
「報告は受けているわ」
淡々とした声。
「損害、敵の動き、あなたの行動も含めて」
視線が、まっすぐ向く。
「その上で聞くわ」
「あなた自身は、どう感じた?」
(……見てたわけじゃない)
でも。
すべてを把握している。
それだけで、十分だった。
「……勝てないと思いました」
正直に答える。
「理由は?」
「隙がなかったです」
「迷いも」
言葉を探す。
「……完成していた」
女王は、わずかに頷いた。
「報告通りね」
「ヴァルター・アイゼンヴァルト」
「ゼフィラ帝国の将であり、神を呼ぶ我々、王国を憎んでいる」
「彼は、そういう男よ」
名前が、重く落ちる。
「知っているのですか」
「ええ」
短い肯定。
「彼は、神を否定している」
やはり、そうかと思う。
少しの沈黙。
やがて。
「クロノス」
名前を呼ばれる。
「はい」
「あなたは、どう思う?」
問い。
「神を呼ぶこと」
答えは、簡単じゃない。
戦争は終わるかもしれない。
でも。
(空は……)
あの男の言葉が、頭に残る。
「……分かりません」
それしか言えなかった。
女王は、否定しない。
「それでいい」
どこかで聞いた言葉。
「迷いがあるうちは、まだ選んでいない」
「選ぶとは、片方を捨てることだから」
静かな声。
重い言葉。
「私は、選ぶわ」
はっきりと。
「この国を守るために」
迷いはない。
「そのために、神を呼ぶ」
まっすぐな覚悟。
(……強い)
そのとき。
ふと、目が合う。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
その表情が、揺らいだ気がした。
すぐに戻る。
「あなたは、まだ選ばなくていい」
「ただ」
「逃げないで」
以前言われた言葉と同じ言葉だった。
ただ、今は少し違って聞えた。
「……はい」
俺が頷くのを見てから、女王は話を続けた。
「これから先、あなたには“鍵”に関わってもらう」
空気が少し変わる。
「この話は、機密よ」
「竜騎兵団以外の者に聞かせるつもりはない」
座ったまま、前のめりになった。
「だから」
少しだけ間を置いて。
「ここでは形式はいらない」
視線が、真っ直ぐ向く。
「レグナと呼びなさい」
一瞬、言葉に詰まる。
「……それは」
「命令よ」
即答。
逃げ道はない。
でも。
「その方が、動きやすいでしょう」
わずかに、声が柔らかくなる。
「……分かりました」
「レグナ、陛下」
一瞬だけ。
女王の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「それでいいわ」




