第一話「嘘を嫌う俺は、嘘を見抜くワイバーンに拒まれた」
――その日、俺は初めて“空から落とされた”。
地面に叩きつけられた衝撃で、肺の中の空気が全部吐き出される。
「……っ、は……はぁ……」
息を吸うたびに胸が痛む。けれど、それ以上に痛いのは――
「またかよ」
上から聞こえてきた、呆れた声だった。
見上げれば、訓練用の飛行場の上空。
他の騎兵たちが、当たり前のように竜を駆って旋回している。
その中で、俺だけが地面にいる。
「なんで竜騎兵団に来たんだ?あいつ まあ、いい奴なんだけどなぁ」
「“いい奴”じゃ竜は飛ばねえよ」
聞こえないふりをして、俺はゆっくりと起き上がる。
土埃を払って、何事もなかったように笑う。
「大丈夫です。もう一回、お願いします」
教官が、少しだけ眉をひそめた。
「……本当に大丈夫か?」
「はい。問題ありません」
――嘘だ。
本当は、怖い。
さっき落とされたとき、ほんの一瞬だけ思った。
このまま死ぬかもしれないって。
でも、そんなこと言えるわけがない。
心配なんて、かけたくないし。
何より――
(ここで逃げたら、また一人になる)
だから俺は、いつも通り笑う。
大丈夫だと、言い切る。
それが“正しい”と思っていた。
再び鞍に手をかける。
今日の相手は、訓練用のワイバーン。
特別強いわけでも、気難しいわけでもない。
――普通の奴だ。
なのに。
「……なんでだよ」
俺が跨がった瞬間、ワイバーンは低く唸った。
次の瞬間。
翼が大きくはためき、体が持ち上がる。
――飛べる。
そう思った、その直後。
視界が反転した。
「うわっ――!?」
何もできないまま、俺は空から投げ出される。
さっきと同じ。いや、それ以上にあっさりと。
地面が迫る。
(ああ、またか)
諦めに似た感情が、頭をよぎった。
――そのときだった。
風が、変わった。
落下する俺のすぐ横を、何かが掠める。
速い。
今まで見たどのワイバーンよりも、圧倒的に。
気づいたときには、もう遅い。
“それ”は、俺の目の前にいた。
白色の鱗。
細く鋭い翼。
そして、空気を切り裂くような速度の余韻。
見たことがない個体だった。
――いや。
見たことはある。
ただ、誰も乗れなかっただけだ。
「……あいつ、か」
訓練場の隅で鎖に繋がれていた、問題児。
誰が乗っても落とす、扱い不能のワイバーン。
そいつが、なぜか今――
落ちていく俺を、じっと見ていた。
目が合う。
その瞬間。
言葉なんて、なかったはずなのに。
なぜか、はっきりと理解した。
――お前、嘘つきだな。
次の瞬間、俺の体は再び地面に叩きつけられた。
地面に叩きつけられた衝撃で、しばらく動けなかった。
視界が揺れる。
でも、それ以上に――さっきの感覚が頭から離れない。
(……嘘つき、って)
そんなはずはない。
俺は、嘘なんてついてない。
ただ、誰かに心配をかけないようにしてるだけで――
「……それを嘘って言うのかよ」
誰に向けたわけでもなく、呟く。
返事はない。
あるはずもない。
さっきのは、ただの気のせいだ。
そう思い込もうとした、そのときだった。
風が鳴る。
反射的に顔を上げた瞬間、影が落ちた。
――あのワイバーンだ。
白色の翼がゆっくりと空気を叩き、俺の目の前に降り立つ。
鎖は、ついていない。
「おい……なんで外に出てるんだよ」
誰かが叫ぶ。
ざわめきが広がる。
教官たちが慌てて距離を取る中で、そいつだけが動かなかった。
真っ直ぐに、俺を見ている。
逃げろ、と本能が言っていた。
さっき落とされたばかりだ。
普通なら、近づく理由なんて一つもない。
なのに。
足が、勝手に前に出る。
「……なんだよ」
気づけば、目の前まで来ていた。
灰色の瞳が、俺を射抜く。
試されているような、そんな感覚。
喉が乾く。
それでも、いつものように言おうとする。
「大丈――」
言葉が、止まった。
その瞬間、ワイバーンの翼がわずかに動いた。
――拒絶。
さっきと同じだ。
(……違う)
違う、と分かった。
これは“言葉”に反応している。
いや。
(本音じゃないと、ダメなのか)
心臓がうるさい。
こんなの、初めてだった。
誰かに本音を見透かされるなんて。
怖い。
正直に言えば、全部崩れる気がする。
いい奴でいられなくなる。
それでも。
目の前のこいつからは、逃げられないと思った。
だから――
「……怖い」
声が震えた。
情けないくらいに。
「俺は落ちるのが怖い。蔑まされるのも嫌だ」
喉の奥に詰まっていたものが、少しずつほどけていく。
「でも――」
顔を上げる。
灰色の瞳は、まだ俺を見ている。
「それでも、飛びたい」
今度は、止まらなかった。
「逃げたくない。置いていかれたくないんだ」
静寂。
誰も声を出さない。
風だけが、俺たちの間を通り抜ける。
次の瞬間。
ワイバーンが、ゆっくりと頭を下げた。
「……え?」
信じられない光景だった。
あの、誰も乗せなかった個体が。
まるで――
“許した”みたいに。
「……来いってことかよ」
恐る恐る、手を伸ばす。
鱗は冷たくて、硬い。
でも、不思議と拒絶は感じなかった。
深く息を吸う。
そして、背にまたがる。
誰も、止めなかった。
止められなかったのかもしれない。
「行くぞ」
言った瞬間、翼が大きく広がる。
地面が遠ざかる。
――落ちない。
風が、体を叩く。
いや、違う。
押し上げてくる。
今までとは、まるで違う。
(……速い)
次の瞬間には、訓練場の上空を抜けていた。
他のワイバーンなんて、比べものにならない。
世界が、線みたいに流れていく。
「っ……はは……!」
笑いが、勝手にこぼれた。
こんな感覚、初めてだった。
怖いのに、楽しい。
不安なのに、自由だ。
そのとき、不意に思った。
(……こいつとなら)
言いかけて、やめた。
また、嘘になる気がしたから。
代わりに、ぽつりと呟く。
「……名前、あるのか?」
風の中で、返事なんて聞こえるはずもない。
けれど。
ほんの一瞬だけ、翼の動きが変わった気がした。
――ヴェントラ。
なぜか、その名前が頭に浮かんだ。
「……ヴェントラ、か」
口に出す。
不思議と、しっくりきた。
その瞬間、ワイバーンがわずかに高度を上げる。
まるで、肯定するみたいに。
「――見つけたわ」
低く、よく通る声が空気を切った。
振り返る。
いつの間にか、同じ高度にもう一騎。
白銀の装甲をまとった赤いワイバーン。
その背にいたのは、一人の女性だった。
長い赤髪が風になびく。
ただそこにいるだけで、空気が変わる。
誰もが知っている存在。
この国の頂点。
「……女王、陛下」
思わず、声が漏れた。
彼女は俺をまっすぐ見て、わずかに目を細める。
「その子に乗れたのね」
視線が、俺からヴェントラへと移る。
そして、静かに言った。
「なら、あなたが“鍵”になる」
「……鍵?」
意味が分からない。
けれど、次に続いた言葉は、はっきり聞き取れた。
「この国を救うための、ね」
風が止まったような気がした。
嫌な予感が、胸の奥に広がる。
理由は分からない。
でも、直感だけが告げていた。
――降ってきた機会を失うなよ、と。




