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杜子冬  作者: 久米 貴明
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 隼人はもうなんでもできる気がした。実際身だしなみを整えた彼はそれなりに魅力のある若者であった。そうして財布にはあるはずのなかった金がまだたんまり入っているし、なんといっても俺には仏像の加護があると思った。


 万能感に酔いしれたまま、さらに当て続けるつもりで、隼人はパチンコ台のハンドルを握った。100回あるチャンスのうち、60回、70回と外れ続けても、彼は当たりを確信していた。けれども、80回、90回と消化しても当たりがこない。おかしい、こんなはずじゃないんだが、と不安が募ったのも束の間、とうとう最後の1回が外れて、確率変動は終わってしまった。夢から覚めたばかりの人のように、ぼんやりした気分で画面に映し出される当たりのリザルト画面、いくら儲かったかのデータを眺める。賭け事で一番重要なのは引き際だ。今日はもう帰ろう、と隼人は思った。


「わあ、すごい当たりましたね」


 不意に左側から飛んできた女性の声に、夢から引き戻された形で隼人は振り向いた。見ると、いつの間にか左隣の男性客は帰っていて、代わりに、実に隼人の好みにあった顔立ちの女性が、短いスカートに胸元の空いた服という煽情的な服装をして座っていた。隼人はまた別の夢に引きずり込まれたように、ぼんやりと眼前の光景を眺めた。すると、本人も気づかないうちに、彼の口は勝手に開いた。


「ねえキミ、その台打つの?」


 隣に座った女性は「え?」という感じで頭の上にはてなマークを浮かべたまま隼人の顔を見た。隼人自身も、吃驚して呆気にとられた。今起きたことが信じられなかった。全く言葉が頭に浮かんだ自覚もなく、本当に勝手に声が出たのだ。しかし、女性は相変わらずよくわからないといった表情で、隼人の言葉の続きを待っている。何か言葉を継がないわけにはいかない。ここにきて隼人の脳はようやく回転し出した。考えてみれば、時刻はもう夕方を過ぎている。彼は言葉を継いだ。


「いや、隣がこれだけ出てるから当たるかなと思ってさ。……お姉さんすごい綺麗だし、今日すごい当たったから、もしよかったら、美味しいごはんでもご馳走するけど、どうかな?」


 女性は暫し思案するように隼人の恰好を眺めた。


 翌日、隼人はアパートの一室で自分のスマホのアラームに起こされた。起きたとたん、頭が割れるように痛んだ。有頂天だった昨日の記憶を辿ると、寝る前にいつになくたくさん酒を飲んだことを覚えていた。よろよろとテーブルの上に置いてあった財布の中身を確認すると、現金は殆ど残っていなかった。一瞬、くっそーと思ったが、昨日はとても幸せだったし、しょうがないか、とも思った。文字通り、夢のような一日だったのだ。


 そうして一夜明けて、彼はこれから仕事に行かなければいけない。また今日から連勤が始まるのだ。流し台で水を飲みながらやれやれ、とため息をつき、歯を磨き、顔を洗ってから部屋を出た。鍵はかけれなかった。


 徒歩で駅へ行き、電車に乗ってなんとか座席へ座った。車内の座席は殆ど埋まっていた。そうしてスマートフォンを弄るためにロック画面を解除すると、見慣れない画面が表示された。


(なんだこれ……?)


 画面には見たことのない呪文のような文字列が並んでいる。スクロールしてページの上部を表示すると、どうやら検索サイトの質問板が開かれているようだった。


 隼人はその検索サイトをいつも使っていたが、質問板など開いたこともないし、開くような場面に陥った記憶もなかった。しかし隼人のスマートフォンは、まぎれもなく質問板の、ある質問とそのアンサーが表示されたページを開いていた。隼人はわけがわからなかった。


 ページを閉じよう、と思った。しかしタブを閉じる寸前、少し身に覚えのある文字列が目に留まって指が止まった。~~というOSがエラーで起動しなくなったのですがどうすればいいでしょうか?という質問の、~~という部分が、たしか会社で使っているOSと同じだった気がする。まあ一応、すごく間接的にではあるが、仕事に関わる知識だし、読んでおいてもいいかなと隼人は思った。そうして回答を確認すると、内容は至ってシンプルだった。まずコマンド入力画面の開き方が載っていて、次に、打ち込むコマンドが載っていた。隼人が最初に見て呪文のように見えたのはそのコマンドだったのだ。それを入力して、エンターキーを押せば直るときは直る、という話だった。


 ちょうどそこまで読んだ時、電車が職場の最寄り駅に到着した。隼人は席を立ちながら、事務所のパソコン、同じように壊れたりしてねえかなあ、そしたら俺、今なら直せるが、と頭の中で呟いた。


 駅から徒歩で事務所に着いて、工場へ向かう前に今どき手渡しの給料を受け取るためオフィスへ入ると、パソコンの前で社員たちが集まって深刻な顔をしていた。


 アルバイトの隼人は、「どうしたんですか?」と訊ける立場ではない。少し離れたところに立ってどうしたものかと様子を伺っていると、同じ工場の担当社員がやってきて、「おはよう、おつかれさん。いや参ったよ。勤怠切ろうにも、パソコンがエラーかなんかで起動しないんだ。直そうにも、本社はまだ営業時刻じゃないからよお」と言って呆れた顔をした。隼人の心臓は直接握りしめられたように震えた。職場で評価を上げるチャンス。それが本当にこんな形で巡ってくるとは。


 彼は毅然とした声と顔で、柏崎という名の社員に向かって、「自分それ、対処法知ってます」と言った。


「は?お前それ、本当か?パソコン詳しいのかお前?」


 ここで少しでも怯むと信用してもらえない。さらに毅然とした態度で、「はい。~~ってOSですよね?」と応える。


 柏崎はその顔を見て、パソコンの前に集まっている他の社員の所へ行き、小声で話し始めた。それが、ずいぶん長い話だった。社員たちは話しながら、時折ちらちらと隼人の方を睨むように見た。所長までがそうしたので、隼人は生きた心地がしなかった。


 10分ほど経ってから、柏崎がまた隼人の方にやってきて、説明した。


「待たせたな。あのさ、直せるって言う隼人の言葉を疑うわけじゃないけど、一応あれも会社の備品だから、直そうとして、万一のことがあったら責任がとれないんだよ。いや、所長が言うには、仮に直ったとしても、勝手に手順にない操作をする時点でアウトだからさ。まあそうだよな。手順にないことを勝手にやっていいわけがない。ただな――」


 そう言って柏崎は一度言葉を切り、隼人の肩をたたいて紙とボールペンを差し出した。


「隼人がパソコン詳しいってのを俺知らなかったからさ、せっかく申し出てくれたってのもあるし、仮に、隼人があれを直すとして、どう直すかって言うのを、ちょっとここに書いてみてくれるか?まあ答え合わせじゃないけどさ(そう言って社員は声を上げて笑った)本社の情シスが出社してきたら、どんなもんか聞いてみるからさ」


 若い隼人はエラーを直せなかったことを内心残念に思いながら、素直についさっき見たばかりの内容の手順を紙に書きだした。わからないところは、都度スマートフォンを開いて確認したが、柏崎は何も言わなかった。書き終えると、柏崎は「ありがとう」と言って紙を受け取り、給料を渡してくれた。


 その日の昼休み、工場で働いていた隼人はその柏崎から呼び出された。いつもにこやかな柏崎は、いつになく深刻な顔をしていた。隼人がその様子を見て怯えながら立っていると、柏崎はまた隼人の肩を叩いて言った。


「隼人、お前本社で働いてみる気はないか?契約社員になって」

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