『天秤座の魔女』ファルザン・リブラ
さて、ファルザンは俺に話があるようだ……が、あいにく今日は忙しい。
最初のドライヤーのお客さんの次に来たのは、エアコン修理の依頼。その次は自転車の修理に、ミスト噴霧器の修理なども来た。
それだけじゃなく、ただ雑談しに来る近所の爺さん、婆さんなんかもいる。
ファルザンは、掃除をしたりお客さんにお茶を淹れてくれたりと、なかなか役に立った。
そして、そんなファルザンを見ながら、近所の爺さんが言う。
「ほほう、ゲントク……嫁さんか?」
「違うっての。暇な手伝い人。気にしなくていい……ん? おいアラド爺さん、顎に血ぃついてるぞ」
「んん? ああ、今朝ちぃと剃刀でやっちまってな」
「髭か……俺も剃刀でやってるけど、シェーバーとかあれば便利かな」
魔導シェーバー……うん、作れそうな気がする。
爺さんが帰ったあと、俺は作業場のデスクに座って図面を起こす。
「魔導シェーバー……俺が使ってたのは振動式だな。毎日使ってたし、形状は何となくわかる。今ある材料でできるかな」
「ほほう、新しい魔道具かの。どんなのじゃ?」
「女のあんたにはわかんねぇモンだ。男のための魔道具さ」
「どれどれ……って、なんじゃこりゃ?」
俺の背後から顔を出すファルザン……というか、背中に密着しないでほしい。控えめな膨らみが肩のあたりに当たるんですけど!!
「ふむ。刃を振動させ、髭を剃る魔道具か……刃を振動って、危険ではないかの?」
「さすがに、直に当てると皮膚がズタズタになる。だから、小さな穴を開けた金属製のネットで覆って、髭だけを切る仕組みだ。刃は、よく切れるエッジマンティスの鎌を加工して、金属板はメタルオークの骨を加工するか。魔石は『振動』でいいかな」
「しんどう……言葉の意味はわかるが、魔導文字はあるのかの?」
「あるよ。魔導文字図鑑に書いてないか?」
「書いておらん。最新版の魔導文字は全て暗記しておるが、『しんどう』の文字はまだない」
ファルザンが首を傾げる。
なるほどな。俺は『振動』ってわかるけど……この世界の人はまだ見つけてないのか。
まあ、特に問題はないな。
「台座部分は適当に、プラティックトータスの外殻で作って……エッジマンティスの刃を加工して、往復刃を作って……魔導回路は、魔石と直結するように彫る……よし」
有り合わせの素材で、とりあえず簡易的に作ってみた。
「……ゲントク、おぬし、何属性の魔法を使うんじゃ? まさか、全属性……?」
「まあ、そんなところだ。あ、誰にも言うなよ。めんどくさくなるからな」
「うむ。そういえばアツコも全属性適性があったの……高齢で、魔法を使えるような身体ではなかったが」
やっぱ異世界人ってチートなのかねえ。
俺は、魔法を使って素材を加工し、二つ星の魔石に『振動』と彫り、台座にセット。
往復刃も簡易的だが、日本で俺が使っていたような刃に加工できた。金属板で覆い、髭が入るように穴を開けて……と。
「完成、試作一号機、魔導シェーバーだ」
「おお、この短時間で、新たな魔道具を作るとはの」
スイッチを入れると、ビュイイイイイイン!! と、高速で刃が振動する。
思った通り、魔石の等級が低いから揺れがそこまでじゃない。もし十ツ星とかの魔石だったら、とんでもない振動で手じゃ支えられないかも。それかガワが破裂して、刃が吹っ飛んでいたかもしれん。
まあ、少し強い振動の、俺が知る電気シェーバーってところ……だが。
「実験、ちょっと怖えな……」
現在、俺に髭は少しだけ生えている。スイッチを入れずに皮膚に当ててみる。
「……怖えな」
「やらんのか?」
「いや、皮膚とか巻き込んだらどうすっかなーって」
「ふむ。ようは、髭があればいいのかの?」
「そうだけど……もしかしてファルザン、髭生えるのか?」
「ワシは女じゃ!! まったく……」
と、ファルザンは指をクルクル回す……指先に魔力が集中しているのに俺は気付いた。
それから一分ほどすると、ガタイのいい髭面の男、ローブを着た女性が現れた。
「「お呼びでしょうか、ファルザン様」」
「うむ。ダンゲン、お前の髭を実験に使わせてくれ。フィアナはダンゲンが流血した場合、速やかに治療をせよ」
「「かしこまりました。ファルザン様」」
「おいおいおい、誰だよこの人たち」
「ワシの商会の従業員じゃ。まあ、気にするでない」
ファルザンは、魔導シェーバーを俺からひったくり、ダンゲンと呼ばれた男性へ。
スイッチを入れ、顎に当てると……ジュイイイイイン!! と音がした。
「……おお、ツルツルになりましたな」
「実験成功じゃな。ゲントク、どうじゃ?」
「あ、ああ……」
ダンゲンさんの顎髭は綺麗に剃れた。と、気付いた。
「しまった。金属板、取り外し式にしないと手入れできねえじゃん」
「よくわからんが……ダンゲン、その髭全部剃ってしまえ。ゲントク、ダンゲンを見て問題点をあぶり出すがよい。それとフィアナ、魔法でダンゲンの髭は生やせるかの?」
「す、すみませんファルザン様。さすがにそこまでは」
まあ、いいか。
とりあえず、ダンゲンさんに少しずつ髭を剃ってもらい、俺は問題点をメモするのだった。
◇◇◇◇◇◇
二人が帰り、俺とファルザンだけになった。
時間はもう夕方。魔導シェーバーの問題点も確認できたし、お客さんも来なかったのでそのまま問題点を修正……試作機が完成した。
仕様書のチェックをしつつ、ファルザンに言う。
「いやー助かったぜ。最初邪険にしたけど、お前のおかげでいい仕事ができた」
「うむ、ワシもなかなか楽しかった。感謝するぞ」
掃除をし、一階のシャッターを閉めて店じまい。
事務所でお茶を出して一服する。
「まあ、手伝いしてもらったし、お前の話を聞くよ。でも、あまり面倒なのはなしな」
「うむ。まずは……これじゃな」
と、ファルザンは一冊のカバー本を出す。
「アツコの遺品じゃ。魔導文字が大量に書かれておっての、ポワソンが持っている本とは違い、こちらはアツコの直筆なんじゃ。これが何か教えてほしい」
「どれ……」
古い革の本だ。けっこうぶ厚く、紙は少し傷んでいる。
さっそく開いてみて……それを見て、俺はすぐに本を閉じた。
「ゲントク? どうした、何が書かれておる?」
「……悪いな。これは俺には読めない」
「なに? 魔導文字じゃぞ? アツコと同郷のお前なら」
「読めるけど、読めない。こいつは……アツコさんの『日記帳』だ。故人でも、他人の日記帳を読むことは俺にはできない」
「日記……アツコの」
日記……俺のいたところでは、ネット上で日記をつけるなんて当たり前だった。でも……こういう手書きの日記は、爺ちゃん世代でしか見たことがない。
少なくとも、俺はない。爺ちゃんは日記を付けていたけど、親父が読んで、爺ちゃんの棺桶に入れて一緒に火葬してしまった……俺も見たかったけど、親父の泣いているところを見て、見ちゃいけない物だと思った。
なので、これは読めない。アツコさんの身内でもなければ、顔も知らないし、二千年前の人の日記なんて見るもんじゃない。
「……日記、か。アツコがこれに何かを書いているのを見たが、内容は秘密じゃった……ふふ、ワシは必死に解読しようとしたが……馬鹿なことをしたものじゃ」
「……確認した時、少しだけ文章が見えた」
「……なんと書かれていたんじゃ?」
アツコさん、ごめんなさい……でも、これくらいはいいよね。
「『十二人の娘たち』……これだけは見えた」
「……………………そうか」
ファルザンは、日記を胸に抱き、静かに目を閉じた。
「……アツコ」
俺は何も言わず、煙草の煙を吐きだした。
◇◇◇◇◇◇
さて、数分ほどしんみりし、ファルザンは日記をカバンに入れる。
「さて、ゲントク。一つ目の用事は終わった。もう一つなんじゃが」
と、ここでいきなり外のドアが開き、サンドローネが入って来た。
「邪魔するわ。ゲントク、話が……」
「サンドローネか。ふむ、おぬし淑女なのだから、ドアをノックぐらいせんか」
「ふぁ……ファルザン様!? もも、申し訳ございません!!」
登場するなり、ファルザンに怒られるサンドローネだった。なんかこういう姿を見るの久しぶりだ。