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37「コイツのこと」

 胸を貫かれて背中から腕を生やしているレンレンが、嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに(わら)いながらくり抜いたアマトの左眼をその指に摘んでいる。


 心臓の位置を穿たれているのに、興奮で痛覚が麻痺しているのだろうか、彼女の歪んだ表情から読み取ることはできない。

 そもそも心臓を貫かれて、なぜ平然としていられるのか。


「綺麗……食べちゃいたい♡」


 ベロリ──と、滑らかな舌で艶かしく眼球を舐めとる。

 極上の甘味を舌に乗せたかのようにうっとりと目尻を下げ、頬を上気させた。


「おっとと……本当に食べるところだった」


 うっかりうっかり☆ と舌先を出してから右手を天にかざすと、鳥が試験管のような容器を落とし、その中に宝物をしまいこむように丁寧に眼球を入れた。そして天高く放り投げると鳥が上手くキャッチし、何処(いずこ)かへと飛び去ってしまう。


「ウガァァァァっ!!!!」


 取られた左目に激情し、仕返しとばかりアマトも顔面を狙い拳を繰り出す。


 空気の破裂する音を響かせて、レンレンは避けずに受け止めていた(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)

 ドラゴンの血に呑まれかけて暴走しているアマトの拳を、ただの人間が、だ。


 突き抜ける衝撃波が周りの動物たちを容赦なく蹂躙し、雲は千々に千切れ、それだけで屋上は静かになる。


 受け止めた拳をしっかりと握り締め、アマトの耳元に口を寄せる。


「なんで生きてるのか不思議? 言ったでしょ、『正確な意味でわたしはわたしじゃない』って。自分で自分の体を改造したんだよ。あの村の連中はその礎になってもらったってわけ」


 ファウストリ村の人々は彼女にとってただの実験材料で、人体改造の練習台にされたのだ。

 つまり、アマトが探し求めていた村人たちは、すでにもう──


「ウ、る、ガ、ァ……——」


 その事実に気づき、アマトの暴走は深刻化する。


 体温が止めどなく上昇し、伽藍堂(がらんどう)となった左目からは治癒の湯気ではなく灼熱の炎が溢れ出す。


「だから、今のわたしを殺すのは至難の技ってや──あつっ?!」


 得意げだった表情が、苦痛に歪む。


 貫かれたままの胸が、拳を掴んだ手が、発火点に到達しそうなほどに熱い。


 たまらずレンレンは飛び退る。風穴の開いた胸からの出血はなく、アマトに触れていた部分は黒く炭化していた。


 薄く笑いながら距離を取ったレンレンはアマトと視線を交わす。

 そして、驚きに口をあんぐりと開けた。


「ちょっと待って……なぁにその左目(﹅﹅)!」


 プテギノドンに腕を飛ばされてもどういう訳か生えてきた。ならば眼球も無くなったとてすぐ復活するだろうとは思っていたが、レンレンの予想を超えていた。


 ──アマトの左目が金色に輝いていたのだ。


 太陽の輝きを凝縮したかのような煌めきに、人々は(おそ)(おのの)くだろう。


 明らかに人のものではない眼光に嬉しさで身震いするレンレン。


 左目の輝きが徐々に、徐々に、強まっていく。全てを焼き焦がす灼熱のエネルギーが収束していく。


「その目もわたしにくれるの?! やっぱりアマトきゅん最こ


 最後まで言い切ることなく、目が眩むほどの光量に包まれてレンレンの胸から上が丸くくり抜かれるように蒸発。


 アマトの左目から発せられた一条の閃光がレンレンの身体の一部を消滅させたのだ。


 軽い音を立てて残ったレンレンの下半身が倒れる。


「ウウウウウウアアアガガガガガッガ!!!!!!!」


 人間のものとは思えない咆哮が天を貫いた。




   ***




 とてつもない力の波動を感じ、チトセは空を振り仰ぐ。


「っ?! あの光は?!」


 どこまでも伸びていく光の筋が空を切り裂くように横切っている。根本まで辿っていけば、それはセンカンダル闘技場の屋上から伸びていた。


「アマト、なのか……? だがあれは……」


 チトセには見覚えのある光の筋。それはすでにこの世に存在しないはずの、かつての同胞(ドラゴン)が放っていたものと酷似している。

 それも、チトセにとって特別な同胞の。


 そのとき、センカンダル全体に変化が現れた。

 暴れ回っていた動物たちが急に大人しくなったのだ。


 夢から醒めたようにキョトンとした表情を浮かべている動物や、隅で怯えて丸くなっている動物など、その反応は様々だ。


「今なら……!」


 これを好機と見たチトセは全身から爆発的な殺気を(ほとばし)らせる。殺気に当てられた動物たちは命の危機を感じて、脱兎の如くチトセから逃げていく。これで大半の動物はセンカンダルから去っていくはずだ。


 この状況はきっとアマトが作ってくれた。チトセには根拠のない確信があった。


 しかし──


「力の波動が収まらんぞ……これはまずいな」


 センカンダル闘技場の屋上を見て呟く。


 リィチとの戦いでも、アマトはドラゴンの血に呑まれかけていた。そのときは強烈な一撃によって正気に戻ったが、落ち着く様子がない。


 今すぐ助けに行きたいが、双子のことも心配なチトセは判断に迷う。


 きっとどらちも危機的状況に身を置いているに違いない。これも根拠はないが確信があった。

 女の勘、というやつかもしれない。

 それもただの女の勘ではない、ドラゴンの勘だ。とびきり強力だろう。


 ──夫を助けに向かうか、愛娘を助けに向かうか。


 合理的に考えればアマトを助けに向かったほうがいい。双子と違い確実に危機的状況だとわかるからだ。

 だが心は双子に向いている。心配で心配で(たま)らない。今にも心と身体が分離してしまいそうだ。


 チトセにしては珍しく逡巡(しゅんじゅん)していると、何者かが降り立つ軽やかな着地音が耳を打つ。

 その何者か──タイピンは爽やかな声と笑顔をチトセに向けた。


「や」

「お主は、英雄の……タイピンと申したか。──ヨウ、リョク?!」

「「ママー!」」


 タイピンの両脇には、元気そうな双子が抱き抱えられていた。


 双子は体当たりをする勢いでチトセに抱きつき、数日ぶりの母親に全力で甘える。


「余計なことしてしまったかな?」

「いや、お手柄だ。『英雄』の名は伊達ではないな」

「そんなものはハリボテさ」


 チトセの言葉に自嘲混じりの苦笑いを浮かべ、肩を竦めるタイピン。


 ともあれ、彼のお陰で心配していた片方が無事に戻ってきてくれた。ならば残された心配の種を排除するために行動するのみ。


「我は闘技場の屋上へ向かう。お主はどうする?」

「屋上……さっきのあれはなんなんだい?」


 タイピンも天を切り裂く一条の光を目の当たりにしたのだろう。チトセと視線を同じくして首を傾げる。


「お主らは知らんほうが身のためだ。故に我が行く」

「そう言われると気になっちゃうけど──」

「知らぬが仏。触らぬ神に祟りなし、という言葉を知っておるか」

「『ホトケ』がなにかは知らないけど、意味はなんとなく察したよ。僕は動物の残党狩りと避難誘導を続けることにするさ」

「そうしろ。では我は先を急ぐ。手短ですまんが子らのこと感謝する」


 それだけ早口に伝えると、チトセと双子は地を蹴り、屋上へ向けて駆け出す。


「首は……突っ込まないほうがいいんだろうな」


 あっという間に遠ざかっていく三人の小さな背中を見つめながら、英雄は冷静に身を引いた。

 爽やかな表情に冷や汗を浮かべながら、胸にたまった緊張を吐き出す。


「あんな殺気を放てるなんて……人間じゃない」




   ***




 チトセたちが息を切らせながら屋上へ到着すると、そこにはもがき苦しむアマトと、胸から上が消滅した人間が倒れていた。恐らくあれが「レンレン」と名乗っていたこの騒動の犯人だろう。


 状況から察するに、アマトがレンレンを殺したから支配下にあった動物が解放されたのだろうが、彼自身の状況は(かんば)しくなかった。


 口から覗く歯は尖り、手の爪も鋭く伸びていて肌には鱗状の模様が浮かび、徐々に体を蝕むように今も鱗が全身へ広がり続けている。

 左目からも激しく炎が立ち上り、悶え苦しんでいた。


「やはり血に呑まれかけておる! アマト! 己を見失うなと何度言わせるつもりだ?!」

「「パパー!」」


 呼び掛けると、三人の声は聞こえているようだが、届いてはいないようだった。


 ゆっくりと三人へ視線を移すアマトの瞳に、正気の光は宿っていない。ドラゴンの闘争本能の部分だけが表面化している。


 この様子では誰が誰か、認識していないだろう。


「怒りを鎮めんか! 戻れなくなるぞ!」

「パパー!」

「おこらないでー!」


 必死に訴える三人の言葉に耳を貸さず、アマトは牙を剥き出してチトセに飛びかかる。


 姿が掻き消えるほどの俊敏さで爪を振るうが、チトセは冷静に手首を打ち払い、腹に掌底を見舞う。


「厄介な……っ!」


 唇を噛み、眉間にシワを寄せる。


 修行をしていたときのように風穴を開けるつもりで放った掌底。当たりはしたが、ダメージを与えるどころかまともに吹き飛びさえしなかった。上手く衝撃を分散されてしまったのだ。普段のアマトにこんな技術はないはずなのに。


 肉薄し、睨み合うアマトとチトセ。


「っ! その瞳、やはり……!」


 左目の燃え上がる炎の先に、金色に輝く瞳が覗く。

 もう二度と見ることは叶わないと思っていた──愛しき(つがい)の、美しき瞳を。


 無意識にチトセの頬を涙が伝い、それを拭うように左目の炎が蒸発させる。


「お主なんだな──リク(﹅﹅)よ! 我だ、チトセだ! 忘れたとは言わせんぞ!」


 でたらめに、がむしゃらに、めちゃくちゃに、理性を失ったアマトは暴れ回る。


 チトセはとにかくそれを力技で抑えつけた。


「くっ! ヨウ、リョク! 手を貸せ!」


 脚を払い、チトセが馬乗りになると双子は腕と脚にしがみ付く。

 純粋な力比べでは負けてしまうので、〝奇跡〟を使って植物で縛り、風圧で抑えつけた。


「聞けリク、子らは健やかに育っておるぞ。ヨウとリョクだ、よく顔を見よ。どうだ? なかなかに我そっくりであろう?」


 我が子を自慢げに語るチトセの目からは止めどなく涙が溢れ、アマトの炎で消えていく。息は荒く、声は震え、まるで見た目通りの少女のように、その背中は小さく見えた。


 しかし彼女の声は届いていないのか、なおもアマトは暴れ続ける。


「なぁリクよ……お主は何故死んでしまったのだ……。会いたい……会いたいよ!!」


 チトセの心からの叫び。


 自らの顔が焼けていくのも構わずに、額と額を合わせて願う。


 かつての幸せを、もう一度。

 夢でいい、一瞬でいい。

 どうか……聞き届けてくれ。


 願いの染み込んだ涙の雫はついにアマトの頬を僅かに濡らす。


「────」


 ──そのとき、奇跡は起きた。


 ドラゴンが起こす〝奇跡〟ではない、紛れもない本物の奇跡が。


 アマトの暴れる力が緩み、弱々しくゆっくりと、口を開いたのだ。その目には、理性の光が宿っていた。

「……ち……とせ?」

「っ?! リク?! リクなの?!」


 彼の口から出た言葉は、最近聞き慣れたアマトのものではなく、それとは別の男性の声だった。長年に渡って聞いてきた、心安らぐ声音。


 悲しさと嬉しさの涙で顔を歪ませるチトセの顔を見てから、ゆっくりと首を動かして、必死に身体を固定している双子を見る。


「……オレの子か?」

「可愛いでしょ?」

「……あまりオレに似なくて安心した」


 薄らと笑みを浮かべ、チトセと視線を交わす。


 彼の表情は安らかで、それを見ただけでチトセは察してしまう。


コイツ(﹅﹅﹅)のこと、よろしく頼むな……」


 その言葉は、チトセに言ったのか、体の主に言ったのか、はたまたその両方か。


「待って、もう少し──」


 それ以上、言葉を続けることはできなかった。


 暴走は鳴りを潜め、左の目の炎は収まり、抜け殻のように気絶したアマトがぐったりと横たわる。


 静けさの中に、すすり泣くチトセの声だけが悲しく風に攫われていくのだった。

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