38「竜の転生」
──なにもない。
そこにあるのは飲み込まれそうな暗闇と、蒼く輝く己の魂の揺らめきのみ。
自分の精神の世界だと理解して、それでも理解できない部分があった。
目の前にとある映像が浮かび上がっては消えていく。数年。数十年。数百年と時が流れていく、そんな光景が。
──知らない。
隣には必ず同じ姿があった。
──知らない。
寄り添うようにずっと一緒だった。
──知らない、はずなのに。
一緒に空を飛び、世界を見て回っては語らった。
──どうして覚えているんだ。
笑い声も、怒った顔も、美しい翼も、尻尾を振って歩く姿も。
──見たことないはずなのに、見たことがある。
それは、アマトの前世──チトセの夫『リク』の魂に刻まれた記憶であった。
***
目が覚めると、そこは暗闇の空間ではなく知らない部屋。
頑丈な石造りの空間にカーテンで仕切られたベッドが等間隔に置いてある。その一つに、アマトは横になっていた。
「ここは……?」
ぼんやりとする頭でゆっくりと思い出す。
確かレンレンとの戦いの最中、衝撃の事実を聞かされて我を見失い、ドラゴンの血に呑まれて意識を失ったところまでは覚えている。
そのあとは──よく覚えていない。
ただ、夢を見た。
チトセと世界を回る、大昔の夢を。
それだけは鮮明に覚えていた。
「──っ」
身を起こすと頭の中を稲妻が乱反射するような頭痛に襲われ──すぐに胸の辺りを誰かに押さえられて寝かされた。
ベッドの横で土色の長髪を弄んで暇を潰していたチトセが、小さな手で力強くアマトを寝台に寝かせたのだ。
そのせいで頭痛が響き、アマトは右手で額を抑え顔を顰める。反対側から覗く瞳は、金色に輝いていた。
「無理するでない。大人しく寝ておれ」
「っ。なにがどうなったんだ……? レンレンは……?」
アマトが寝かされ、チトセが看病しているという状況から察するに、一連の騒動は意識を失っている間に収まったのだろう。
激戦の直後ゆえに、彼には静かな時間が不安に思えた。
「パパおきたー!」
「パパだいじょうぶー?」
「……ああ、平気だよ」
左右から覗き込むように、ヨウとリョクが顔を近づけてくる。
小麦色の肌と緑色の瞳がよく見えて、垂れてくる赤茶けた髪が顔を撫でてくすぐったい。
少しの間離れ離れだったが、双子は元気そうな笑顔を振りまいている。大量の動物が街を襲ったが、特に怪我らしい怪我はしていないようで安心した。
あのレンレンのことだ、なにかふざけたような動物でも嗾けているんじゃないかと疑ったが、子どもでもやはりドラゴンはドラゴンであった。余計な心配だったようだ。
──と、思うアマトであったが、実際にふざけたような動物を嗾けられていたことを彼はまだ知らない。
「これ子らよ、パパは起きたばかりだ。大人しくしていなさい」
「「はーい」」
優しく言い聞かせるチトセに、大人しく身を引いて椅子に腰を下ろす双子。
ンンッ! と咳払いして、アマトの最初の質問に答える。
「なにがどうなったか、であったな。動物の脅威は皆の協力もあって去っていった」
「そうか……レンレンは?」
「屋上に倒れていたのがレンレンならば、死んでおったよ。そのお陰もあってか、動物が逃げていったのであろう」
「ああ、奴もそう言ってた。『わたしを殺せば街を襲ってる動物たちのほとんどは逃げていくと思うよ』ってな」
「ふむ、やはりそうであったか」
顎に手を添え、頷くチトセ。
レンレンからその言葉を聞いたときは信じられなかったが、事実だったらしい。
もし『嘘はつかない』というあの言葉も本当ならば、戦いの最中に語っていた『ファウストリ村の人たちを実験材料にした』という話も真実ということになる。
もう村の人たちを救うことはできないのか、まだ実験材料にはされておらず、生き残りがいるのかはわからない。
せめてそれだけでも聞き出せればよかったのだが、時すでに遅し。レンレンの口からは一生聞き出せない情報となってしまった。
顎に手を添えたままチトセは「と、いうことは」となにかに思い至った。
「これまでの動物被害もレンレンの仕業と見て良いのか?」
「そうらしい。お前の考えで合ってたよ」
動物の目に水晶を埋め込み、その景色を盗み見つつ操るという魔法。今回の騒動では相当数の動物を同時に操っていたようだし、アマトと戦いながらでもあった。
それを思うと、とんでもない人物だった。あらゆることを同時にこなしながら、ドラゴンの血を持つアマトと渡り合うほどの力を発揮していたのだから。
「……我からも、聞きたいことがある」
簡単にアマトの質問に答えたチトセが、今度はこちらの番だと青い瞳を向ける。
「なんだ? 改まって」
「お主は…………アマトか?」
そう問いかけるチトセの表情に、冗談の影は一切差していない。
真意を図りかねたアマトは眉根を寄せる。
「……どういう意味だ」
「そのままの意味だ。お主はアマトか、否か。答えよ」
「それは…………」
そしてどういうわけか、こんなわかり切った問いに、アマトは即答できなかった。
ついさっき見ていた夢が脳裏を過ったのだ。
他人の記憶を追体験したかのような、いや、そんなものでは収まらない。まるで実際に体験したことがあるかのような、そんなあまりにも現実的な夢を。
「俺は……アマト。そう、アマト……のはずだ」
自分に言い聞かせるように呟くアマト。自分は確かにアマトのはずなのに、どうしてか自信が持ち切れなかった。
夢に自分を侵食されてしまったかのような、そんな不安に蝕まれている。
彼の自己暗示にも似た呟きを耳にしてチトセは、
「……そうか」
安堵と落胆が綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべて、チトセは肺に溜まった重い空気を吐き出した。
「ではアマトよ、大事な話がある。お主の話だ」
「俺の……?」
チトセの言葉に心臓の鼓動が跳ね上がる。
「お主の魂には……リクの魂が宿っておる。あるいは……リクの魂が転生した姿。それがアマト、お主だ」
「リク……? それって誰のこ──っつ?!」
その名前を聞いた途端、心臓が大きく脈打ち、落ち着いていた激しい頭痛が再来する。
夢の内容が脳裏を反響し、映像が浮かんでは沈み、落ちては流され、現れては消えていく。
その全てにドラゴンの姿のチトセがいて、そして目線を合わせる自分がいる。
チトセの言葉でより記憶が、過去が、思い出が、鮮明になる。
──自分はかつて、ドラゴンだったのだと。
チトセと愛し合い、契りを結んだドラゴンだったのだと。
「我とお主が出会ったのは、やはり運命だったのだ。紛れもない本当の夫婦だったのだ!」
気持ちが昂り、声に嬉しさのような明るさが混ざる。
死に別れたと思っていた夫が転生し、会いに来てくれた。チトセからすればそのように映っているのだろう。
だが、アマトからしたらそうではない。
「し、信じられるかよ、そんなこと……」
信じられるわけがない。
突然『あなたはドラゴンの生まれ変わりです』と言われてもピンと来ないし、『前世で夫婦でした』と言われても悪い冗談にしか聞こえない。
「そう言える証拠でもあるのかよ?」
チトセの言葉だけでは信用できないとアマトは言うが、その言葉を待ってましたとばかりに差し出されたのは手鏡であった。
それを受け取り、覗き込む。なんてことないただの手鏡に映り込む自分の顔。その瞳の片方が、金色に輝いていた。
「なんだこれ?!」
「リクの瞳は金色だった。そして全てを焼き貫く閃光一閃は、リクの十八番だ」
「せんこういっせん……?」
「覚えておらんか? 血が暴走していたから無理もないか。レンレンを屠った光線だ。お主がそれを放ったのだ」
結構派手な技なので目撃者も沢山いる、とチトセは語る。レンレンの死骸は閃光一閃に貫かれていたし、動物が大人しくなったタイミングとも一致する。
暴走によってドラゴンの血が活性化し、魂の奥底に眠っていた記憶が呼び起こされたのだと。
これが、アマトのことをリクだと言うチトセの根拠。
荒唐無稽な話だが、夢の内容やタイミングとも一致する。
「だったら俺は……どっちなんだ?」
記憶喪失に近い状態のリクなのか、正真正銘のアマトなのか。
わからない。
自信がない。
己が己であると言い切る自信が。
「パパはパパだよ。ねー?」
「うん。パパはパパだよー!」
頭を抱え、悩むアマトにかけられた言葉は、純粋無垢そのものの声で、まるで福音のようにアマトの心を救った。
「ヨウ、リョク……」
天真爛漫な笑顔を浮かべる双子の頭を撫でてやる。気持ち良さそうに目を細める双子に抱く気持ちは親愛で、それはリクの魂を宿しているからではない。
双子は〝アマト〟に甘えている。ならばそれに応えるべくは〝アマト〟でなければ意味がない。
双子はリクを知らないのだから。
双子にとっての父親は紛れもなく〝アマト〟なのだ。
アマトは、見失いかけていた己を取り戻す。
幾分かスッキリしたような表情で、相棒に宣言する。
「おい」
「チトセと呼ばんか。なんだ?」
「俺はアマト。ファウストリ村で生まれた、アマトだ」
今度は迷わなかった。ハッキリと、言い切った。
彼の言葉を聞いたチトセは、ふ、と小さく笑う。
「……ま、お主ならそう言うと思っておったよ。あのときリクにも言われた。『コイツのことよろしく頼む』とな」
その言葉があったからこそ、チトセはアマトとリクの間に一線を引くことができた。
アマトにはそのときの記憶はないが、なんとなく、リクならそう言いそうだと思った。
「コイツって、お前のことか?」
「そんなわけなかろう」
お主のことに決まっておろうが、とチトセは食い気味に否定した。
「リクは我のことをちゃんと名で呼ぶ。ならば『コイツ』とはアマトのことであろう」
夢で見たリクも、確かにチトセのことをちゃんと名前で呼んでいた。
やはりアマトはアマト。リクはリクなのだ。
お互いに気持ちの折り合いはついて、張り詰めていた真剣な空気は払拭された。
次に折り合いをつけるべきはこれからの話だ。
本来であればセンカンダル闘技大会に参加することもなかったはずなのに、参加するどころか大惨事に巻き込まれてしまった。
が、それ故に大きな収穫も得られた。
ファウストリ村の人たちを攫っていったのはレンレンだった。そのレンレンを殺すことができたのだから、目的の一つであるアマトの復讐を果たすことはできた。
だが滅ぼされたファウストリ村にはバドラギ王国の国旗が突き立てられていたことを忘れてはならない。
実行犯がレンレンというだけで、そのようにバドラギ王国からの命令を受けていたと考えられる。
ならばバドラギ王国に復讐をするという二人の大きな目標は依然変わらない。
「ならば早速発つか?」
「すぐにでも。と言いたいとこだが、その前にやることがあるから、そいつを片付けてからだな」
「やること? なにかあったかの?」
「誰にも一言もなく行くつもりか? ドラゴンってのは意外と薄情なんだな」
大会で鎬を削りあったリィチやスピル。本選で当たったテランや、その類稀なる力で街を救うのに一番尽力してくれたであろうタイピンなど、今回の一件で知り合った人は多い。
特にタイピンには双子を助けてもらった恩もある。これは親として一言ちゃんとお礼を言うくらいはしなければならないだろう。
アマトの言葉に目を吊り上げ、耳を赤くするチトセ。
「なっ?! 心外だぞ、訂正せよ! ドラゴンほど崇高な生き物はいないのだからな?!」
「ほーん?」
「あーその顔! さてはお主、我のことを信じておらんな?!」
目を細めて、慌てふためくチトセの姿を見てアマトは楽しんでいる。
と、油断していたアマトに針で刺すような頭痛が不意を打つ。
「ってて……」
「どうした?!」
「ああ、大丈夫大丈夫」
慌てて身を寄せるチトセに軽く手を振って問題ないと主張する。チトセは椅子に腰を下ろし、安心の吐息を漏らした。
「いずれにせよ、体調が完全に戻ったら、であるな」
「……そうだな、そうさせてもらうわ」
とにかく色々なことがありすぎて心も体も疲れが出てしまった。ほんのひと時の安らぎを得るくらい、誰も文句は言うまい。
なにを隠そう、彼こそがレンレンを打ち倒し、センカンダルを救った英雄とも呼べる功績を残したのだから。
──誰もが夢にも思わないだろう。
彼らが最終的に成し遂げようとしていることは、英雄とは真逆の、魔王になることだと。




