「こりゃ、ちとマズイな。最悪、魔人の力に頼るか……」
『緊急警報発令!! 緊急警報発令!! ベネル区のみなさん、至急フィア区へ避難してください!! 繰り返します――』
広場の噴水に中年の男の姿が映し出され、避難警報が発せられている。
その声を聞きながら、俺は呆然と考え込んでいた。
水龍だと……!?
大海の主の配下であり、人からも魔族からも恐れられている存在。
普段は大海原に生息しているはずの水龍が、なぜこんな沿岸部の街に……?
いや、大体の事情は既にわかっているではないか。
この街には水龍の卵が運び込まれているのだ。貧弱なセブンス小僧の栄養剤としてな。
この事が水龍の突然の襲来に無関係なはずがない。
だとしたら、あの歌は何なのだろう?
遠い海から響くような歌。しかも、この街の伝承の通り海の怪物が襲ってきたわけだが……。
まぁ、それは後だ。
卵の取引実行役のスローンはどこだろう?
慌てふためく人々を眺め回すが、ヤツの姿は見当たらない。
落ち着け、俺。
ヤツは襲撃前には円形のテーブルに腰掛けていた。
それが今はいない。
単純に逃げ出しただけなのか? それとも取引場所であろう大ベネルに向かったのか?
とにかく、俺も大ベネルに向かってみよう。
水龍の出現のせいで色々と台無しだが、卵の行方は把握しておきたい。
「アル! さっきの聞いたか!? 水龍がベネルフィア湾にって!!」
ルシアンが捲し立ててくる。どうやらパニックを起こしているようだ。
「まぁ、落ち着けや、アンルチ」
と、声を掛けてみたのだが、
「落ち着けるわけないだろ!! こんなッ――」
「冷静になれ、ルシアン! 仮にも見習い伐士だろうが」
冷静さを欠いていたルシアンだが、"伐士"という言葉にハッとする。さすが、偉大なる伐士団長フォースを心酔する男だ。
落ち着きを取り戻したルシアンは周りを見回しながら俺に問い掛ける。
「で、どうするよ?」
広場にはまだ人が溢れかえっている。
避難はあまり上手く進んでいないのは明らかだ。みなパニックになっているし、水龍襲来の影響で一部の建物は崩壊しているし、広場を取り囲む水路の水嵩が増して石畳に溢れてきているなど、原因は様々だ。
「そりゃ、さっき指示された通りフィア区に避難するしかないだろう。とにかく、ベネルフィア湾からは離れるべきだ」
そして俺は、フィア区から大ベネルへと向かうつもりだ。
俺の提案にルシアンは賛成してくれた。てか、それしか考えられないわけだけど。
「よし……みんな動けるか?」
ルシアンが周り者たちに問い掛ける。
「あぁ、そんな、ルシアン! エステルさんが!」
とクリスが悲痛な声を上げる。
見れば、エステルは左足を押さえている。その手の間からは血が流れていた。
彼女は痛みに顔を歪めつつ、弱々しく微笑んだ。
「さっき揺れた時に、ガラスか何かで切っちゃったみたい……」
見た様子だと、歩くのも苦痛だろう。
「あたしが手を貸すよ!」
と、言ったのはソニエ。
「ぼ、僕も!」
と、ダルも。
2人は両脇からエステルに手を貸して立たせる。
「ジーンは?……大丈夫そうだな」
そう、ジーンキララは平然と立ち尽くしており、何やら水路の方を眺めている。
俺は彼女の元へと近寄った。それは彼女の身を心配しての事ではない。彼女は魔人、油断のならない相手なのだ。
「どうしたんだい、ジーンちゃん?」
「……水路」
「え?」
「水路、嫌な感じしない?」
水路?
俺も彼女の目線の先の水路に目を向ける。
いつものような澄み切った水ではなく、濁って底が見えていない。オマケに増水しており、まるで街を侵略しているかのように次から次に溢れ出してくる。
そんな水路の様子を見ながら、先程の事を思い返す。
俺はさっき、水龍の襲来を感じ取っていた。
だがそれだけだっただろうか?
もっとこう、大勢の悪意を感じ取っていたような……。
「おいアル! ジーン! 早く行こうぜ!」
ルシアンが急かしてくる。
そうだ。とにかく今はフィア区に行かなければな。
だが、事はさらに深刻となる。
「きゃあああああああああ!!」
女性の悲鳴が響き渡ったかと思えば、広場のアチラコチラで人々が悲鳴を上げる。
「な、なんだ?」
突然の急転に驚く俺たち。
その俺たちの真ん前の水路からヤツらは飛び出して来た。
「ギョア! ギョア!」
甲高い耳障りな鳴き声を発する3匹の怪物ども。
その体は滑りとした青紫色の鱗で覆われており、目は大きくギョロリとしている。歯はギザギザで、人でいう耳の下辺りに当たる場所にはエラのようなモノがあり、小刻みにヒクヒクしている。
現数力を使わなくてもわかる。
こいつらは魚人だ。
魚人がこの広場にいる人々を襲っているのだ。
「ギョアアア!!」
「――!?」
魚人の1匹がルシアンとクリスに向かって襲い掛かる。
ルシアンはクリスを庇うようにして立ち、勇敢にも魚人に殴り掛かろうとしている。だけど、
あのバカ、奴ウ力も使わず生身で迎え撃とうとしてやがる!
俺は舌打ちすると、
拳を思い切り石畳に叩きつけた。
≪覇威土≫!!
拳から石畳に奴力が流れ込む。
流れ込んだ奴力はルシアンたちの元まで伸びて行き、彼と魚人の間に石畳が変質した拳がせり上がる。魚人は不意の攻撃に避ける事ができない。
石畳の硬拳を操作してヤツを思い切り殴り飛ばす。
「ギョッ!」
魚人は短い悲鳴を上げながら水路へ吹っ飛んで行った。
それを見ていた他の魚人2匹は、標的をエステルたちに変えたようだ。
彼らに向かって襲い掛かる。
俺はすぐさま魚人たちへと突進し、その内の1匹に狙いを定めると、
≪打・衝≫!!
掌打をソイツの腹に打ち込んだ。
「ギョア!」
魚人は口から青い体液を吐き出した。内臓に結構ダメージを与えているはずだ。
この無奴ウの奴ウ力は自身の体に奴力を流し込んで超人的な力を発揮するからな。ましてや、今の俺は魔鬼理≪鬼流≫で身体能力を底上げしているのだ。威力はより大きい。
さて、あともう1匹だが――
俺の後ろ髪スレスレをジーンキララが通り過ぎる。
彼女はもう1匹の魚人の首元を、外した仮面で切り裂いた。
魚人は悲鳴を上げる事もなく石畳に崩れ落ちる。
仮面を振って魚人の血を払うジーンキララ。
「今のって、無奴ウ≪斬・慧≫だよね? 仮面でとか、無茶やるね」
すると、彼女は肩を竦める。
「だって、鋭い得物はコレしか無かったんだもん」
そう言われると、そうだけど。
「……アル」
ルシアンが呆然と俺の名を呼ぶ。
「おい、さっきも言ったが、お前は見習い伐士だろうが。奴ウ力使えよルチルチ」
「あ、すまん」
すっかり失念してやがったな、コイツ。
ま、俺もついつい魔手羅を使って戦いたくなるから人の事は言えない。
「とにかく、水路から離れよう」
見れば、広場の他の人々も水路から離れ、中央まで後退して行っている。
「ギョアアアアアア!!!!」
再び魚人たちが水路から飛び出して来た。
今度は6匹。
「早く離れろ!!」
俺とジーンキララがルシアンたちを庇うようにして立つ。
にしても、使える奴ウ力が制限されるのは痛いな。
あぁ、伐士帯さえあれば……。
「どう、キララちゃん? やれそう?」
「もう、その呼び方は止めてって言っているのに!」
キッと俺を睨み据える彼女は、無造作に自分のドレスの裾を掴むと、思いっきり引き裂いた。
長かったドレスはミニスカートのようになり、彼女の引き締まった太腿を露わにしている。きゃっ! セクスィ〜!
「動きにくいからね。でも、そんな露骨に見られると恥ずかしいなぁ」
「おっと失礼」
パブロフの犬の如く、条件反射で涎が垂れそうになる。紳士にあるまじき醜態である。
「ギョアアアア!!」
お前らなにイチャイチャやってんねん! こちとら人魚の娘からは相手にされない寂しい暮らしやねんぞ! 張り倒したろかッ!! と言いたげな形相(ごめん、ウソ)でヤツらは襲いかかってきた。
俺たちも一斉に動く。
ジーンキララがまず《覇威土》でヤツらに攻撃を仕掛ける。
で、俺は各個撃破に回るわけよ。
んじゃ、ジーンキララを見習って、
≪斬・慧≫!!
外した仮面で魚人の首を掻っ切る。
「ギョアアア!」
別の魚人が手刀のように手を振り回し始めた。すると、ヤツの腕から水の刃が手裏剣のように飛んできた。
「ッ!」
その内の1つが俺の腕を掠る。
≪水刃≫
と、頭の中に響く。
さらに水の刃を放つ魚人。
俺は右に左に避けながら一気に間合いを詰め、
≪打・衝≫!!
腹に一撃をくれてやった。
「ギョアア!」
「おお!?」
攻撃している隙を突いて別の魚人が俺に背後から抱き着いてきた。
「こいつッ!」
逃れようとするのだが、結構力が強いんだな。
あぁ、魔手羅さえ使えれば……。
「ギョア、ギョア」
魚人は俺を水路の方へと引き摺りこもうとしているらしい。自分のホームで嬲り殺そうって算段か。
そうは行くかいな!
≪回・転≫!!
抱き着いている魚人ごと、俺の体は高速回転する。
魚人は最初、俺に必死にしがみついていたものの、さらなる遠心力によって吹っ飛ぶ。
その先にはジーンキララがおり、彼女の掌打をモロに喰らった。
イエーイ! 初めての共同作業だぜ、と彼女に手を振ろうとしたのだが、
「ギョアアア!」
背後から魚人の叫び声。油断しちゃった。テヘッ!
「アル!」
ルシアンの叫び声と共に石畳の拳が魚人を殴り飛ばした。
どうやら彼が奴ウ力で助けてくれたらしい。
「これでさっきの借りは返したぜ」
「いや、別に自分でどうにか出来たし、ゴニョゴニョ…………ぁりがとぅ」
まぁ、魚人自体は別に強くはないな。だけど、
「ギョアアアアア!」
「ギョア! ギョア!」
「ギョ! ギョ!」
次から次へと魚人どもは水路から飛び出してくる。
さらに、
街中に轟く咆哮。そして大きく石畳が揺れる。
そう、魚人だけでなく、この襲撃主犯格の水龍もいやがるのだ。
俺たちや他の人々は広場の中央まで後退していた。
魚人はどんどんその数を増やしていく。
こりゃ、ちとマズイな。
最悪、魔人の力に頼るか……。
「あ! 上を!!」
誰かが上を指し示す。
俺もその方向に視線を向けると、暗い空にいくつもの物体が宙に浮いているではないか。
目を凝らす。感覚が研ぎ澄まされているので、その正体を突き止める事ができた。アレは……。
その時、魚人の一群が俺たちに向かって突進してきた。
周りの人々は恐怖の悲鳴を上げている。
ヒュン、と空気を切り裂く音と共に、魚人の一群に何かが落ちてきた。
押しつぶされて圧死する魚人が多数。
そして運良く生き残った魚人の頭をその何かがむんずと掴むと力を込めて握りつぶしてしまった。
それを合図とするかのように、空中から次々と落ちてくる。
硬いモノ同士がぶつかり合う音がこんなに頼もしいとはね。
そいつらはゆっくりとした動きで立ち上がり、魚人どもと対峙する。
無機物の兵士たち。
その顔にはヲイドの紋章が彫り込まれている。
「アレは……」
ルシアンの言葉に俺は頷く。
「あぁ、ゴーレム兵たちだ。伐士隊が助けに来てくれたんだ」




