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神々の針(ステラ・ニードル)  作者: 山口遊子


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第3話 殺戮の算術


沿岸同盟の指揮所――冷気と電子音が充満する地下コンテナの中では、死のような沈黙が引き伸ばされていた。


卓上の赤い通信端末が、無機質なビープ音を鳴らして切断を示した。中央統合体の指導者層へ向けた最終通告のラインが、相手側によって一方的に破棄されたことを告げる合図だった。


「交渉ライン、完全に遮断されました。相手方の回答は……変更なしです」


オペレーターの女性が、キーボードを叩く手を止めることなく、感情を押し殺した声で報告する。


司令官は、手の中の空になったコーヒーカップをゆっくりと置いた。壁のスクリーンには、刻一刻と刻まれるカウントダウンが映し出されている。


「[00:00:00]か」


彼は呟いた。言葉に悲壮感はなかった。ただ、幾重にも重ねられた物理計算の答えを確かめるような、冷たい諦観だけがあった。


統合体は自らの「力」を過信していた。地下数百メートルの超重力耐性コンクリート、あらゆる飛翔体を焼き尽くす高エネルギーレーザー、大気圏外まで展開された高密度ミサイル防衛網。彼らの都市「天都」は、地球上で最も強固な要塞であり、彼ら自身が作った「不落」という神話の囚人だった。


しかし、その圧倒的な防御システムはすべて、「大気を通って襲い来る実体のある兵器」を迎撃するために最適化されていた。速度にしてマッハ10から30程度の弾道ミサイル、あるいはレーザーのように射線上の障害物に阻まれる光線兵器。それが彼らの知る「戦争」の限界だった。


「司令官、承認コードを」


オペレーターがキーボードから手を離し、司令官を振り返った。その瞳には微かな震えがあった。自分たちがこれから引き金を引き、宇宙空間から地表へ放とうとしているものが何であるか、彼女は理解していた。


「発射ではない」と司令官は心の中で静かに訂正した。


これはミサイルの発射でも、爆撃機の出撃でもない。ただ軌道上に存在する12個の「死のコンデンサ」のうち、最も絶妙な位置に配置された1機の回路を閉じ、内部の核反応を物理法則に従って解放するだけの、機械的な処理に過ぎない。


司令官はポケットから取り出した暗号鍵(量子認証デバイス)を取り出し、操作卓の右端にあるスロットへ滑り込ませた。


『認証確認。ターゲット:天都中央統治エリア「深層回廊」。攻撃単位:プロメテウス-07。着弾予定時刻、現時刻より4.2秒後』


画面上のコンソールが、血のような赤から、静かな漆黒へと表示を変えた。


「プロメテウス-07へ起動信号を送信」


司令官の命令は、極めて短いものだった。


高度1,200キロメートル。無音の宇宙空間。


太陽光を反射して仄かに輝く小型衛星「プロメテウス-07」の内部で、超電導スイッチが一閃した。


ミリ秒単位の物理現象が開始される。


衛星の中心部に据え付けられた爆縮型インプロージョンの微小核起爆装置が作動。周囲を囲む高性能爆薬がマイクロ秒の誤差もなく同時に炸裂し、中心の核物質を一気に高密度へと圧縮した。臨界。爆発的な核分裂反応が発生し、中心温度は数億度、圧力は数百万気圧へ跳ね上がる。


通常の核兵器であれば、この巨大なエネルギーは全方位へ球状に拡散し、熱線と放射線、爆風となって宇宙の闇に散っていくだけだ。


だが、プロメテウス-07の構造は「球」ではなかった。


爆発エネルギーの全周を包み込むのは、極めて比重の重い超硬質特殊合金のハウジング。そして唯一、1,200キロ下の「天都」へ向けられた開口部には、高精度に切削された円錐コーン状の劣化ウランライナーが収められていた。


四方八方に逃げ場を失った核爆発の強大な熱と圧力は、幾何学的な反射と収束を繰り返し、すべてが劣化ウランのコーンの底面へと集中する。


ノイマン効果――成形炸薬の原理。


核爆発の持つ膨大なエネルギーの「数十パーセント」というケタ外れの物理量が、たった一つのベクトルへ強制的に叩き込まれた。


劣化ウランの円錐は瞬時に超高圧の力学的応力を受けて破砕・流体化し、極めて細く、恐ろしいほど高密度な「超極超音速プラズマジェット」へと変貌を遂げた。


宇宙の暗闇の中で、一瞬の閃光が弾けた。


太陽の表面すら凌駕する超高輝度の核光線が、プロメテウス-07の開口部から一筋の「極太の光の柱」として噴出する。衛星自体の筐体は、その強烈な反作用と漏れ出た熱によって数ミリ秒で蒸発し、宇宙のチリと化した。


しかし、その自壊と引き換えに放たれたのは、秒速数百キロメートルを超える速度で繰り出された、重金属ウランの「針」であった。


その「針」が大気圏に突入した瞬間、地表と宇宙の境目で、自然界ではあり得ない光景が現出した。


超高密度のウラン・プラズマジェットは、大気圏の上層(高度100キロ付近)の稀薄な空気に衝突した瞬間、そのあまりの速度と熱量によって、通過経路の空気を一瞬で完全なプラズマへと変化させた。


超高度の大気が一直線に電離し、巨大な「導電性の空気の柱」が形成される。


そこへ、大気圏外の超高空電位と、核爆発に伴って発生した強烈な電磁パルス(EMP)が流れ込んだ。


バリバリバリッ――!!!!


天都の上空、高度数十キロメートルから地表へ向けて、天と地を太い稲妻が繋ぐような、桁違いの超高圧・巨大放電(アーク放電)が叩きつけられた。


空が、紫と青白の閃光で完全に塗りつぶされる。


大気を引き裂くプラズマジェットの「針」は、それ自体が自発光する極細の光柱となり、同時にその周囲で数メガアンペア級の落雷が連鎖的に発生して空間を焦がす。


ソニックブームや爆音は、まだ到達しない。プラズマジェットの飛翔速度は音速の数百倍。空気を圧縮して衝撃波を生成する暇すら与えず、大気の分子を力ずくで押し開けて切り裂いていく。


地上の警戒レーダーや熱センサーは、何が起きたのかを認識することすらできなかった。


「大気圏上層で突発的な電離異常……不連続な高エネルギー反応!」


天都の防衛司令部でアラートが鳴り響いたのは、すでにプラズマジェットが首都の直上にまで到達していた、そのコンマ数秒前のことだった。


「迎撃レーザー、照射不可能です! ターゲットの形状を捕捉できません! 単一の飛翔体ではなく……流体、あるいは荷電粒子線!? 速度、計測不能――」


オペレーターの悲鳴が上がりきる前に、その「針」は天都の天頂に突き刺さった。


沿岸同盟の地下コンテナ。


モニターに表示されていた「プロメテウス-07」のテレメトリー信号が突然途絶し、同時に衛星写真データ上に、天都の座標を中心とした巨大な熱放射と、高層大気の電離を示す異常な光のリングが描かれた。


「プロメテウス-07、自壊を確認。……着弾」


オペレーターの声は小さく、乾いていた。


司令官は黙ってスクリーンの熱感センサーデータを見つめた。


そこには、ミサイルが着弾したような広範囲の爆発孔は映っていなかった。ただ、天都の中心部――最高指導者たちが誇っていた要塞「深層回廊」の真上の地表に、直径わずか数メートル、しかし深さの測れない、白熱する熱の「点」が穿たれたことだけが示されていた。


核の全エネルギーの数割が、針となって地殻を貫いたのだ。


「攻撃成功です」オペレーターが言った。「天都からの外部通信反応、すべて停止。……敵防衛システムは、一度も作動しませんでした」


「そうだろうな」


司令官は静かに呟き、操作卓のスロットに挿しっぱなしになっていた暗号鍵を引き抜いた。


「自分たちが撃たれたことすら、向こうの死者たちは理解できていないはずだ」


大気圏を穿ったプラズマの光柱は、すでに宇宙の闇の中へと消え去っていた。残されたのは、地表に深く打ち込まれた一本の針の痕跡と、遅れて天都の全土を揺らし始める、大気を破砕した超音速の轟音だけだった。


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