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へたれショートとつんつんセカンド  作者: 夏を待つ人
六章 春の全国高等学校女子硬式野球選抜大会
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吉川陽子の話

 春は別れの季節ということを、この春、すごく実感した。この春、吉川陽子は三年間通った千庄高校を去る。


 三月初旬、今日は卒業式だった。絶対に泣かないと思ってはいたけど、やっぱり式の途中で泣いてしまった。


「嫌です先輩、卒業しないで……」


 そしてまた、陽子は涙を堪えている。目の前で陽子の肩を揺すり、顔を歪めて泣いているのは、弓削むげ日菜子。女子野球部の主将キャプテンだった陽子が、次の世代の主将に指名した後輩である。


「そんなこと言われても……ねえ」


「寂しいです」


 一番多くの時間を過ごした後輩が日菜子だった。部活でもプライベートでも仲良くさせてもらった。


 彼女は一見、頼りない。それでも主将に指名した理由は、彼女の人柄に依るものが大きい。持ち前の温和な性格でチームを包み、みんなに慕われる主将になれると思ったから、彼女を選んだのだ。


「もう、あなたはキャプテンなんだから。シャキッとしなさい」


「そんなこと言われても、私なんて、キャプテンに向いてないし……」


「あなたは充分キャプテンの役目を果たしていると思うわ。じゃなければ、選抜出場なんて出来なかったじゃないの?」


「……」


 日菜子は、自らのことを見誤っている。


「あなたは自分が思うよりずっと強いわ。だからもっと自信を持つの」


 そう言ってやると、日菜子はまた声を上げて泣いてしまった。まるで赤ちゃんがぐずるかのよう。でも、ちゃんと泣き止むと、陽子をしっかりと見つめ、


「……頑張ります。私、先輩みたいに立派なキャプテンになります」


「“私みたい”は余計だけど、あなたならできるわ。私が、私たちが成し遂げられなかったことも」


「はい!」


 強く、芯の通った日菜子の声が響いた。両者が黙ってしまい、不自然に沈黙が起きる。


 卒業式の後の光景が広がる。三年の門出を祝うかのように空は晴れやかだ。中庭に集まった女子野球部の部員たちは、先輩として、後輩として、それぞれの想いをぶつけている。涙声で惜しむ者、からっとして爽やかに別れを告げる者、いろんな別れがある。


「ちなみになんだけど……あなた、次のキャプテンについて考えている?」


「なんで急に?」


「だって、気になるもの」


 自分が日菜子に主将のバトンを渡したように、日菜子もまた、後輩へと役目を引き継がなければならない。決して楽な選択ではなかった。芹沢先生や仲間たちにも相談した結果が、日菜子だ。


「あんまり考えてなかったですけど……たぶん、あっちゃ――関長さんです」


 だろうな、と思った。


「青見ちゃんじゃないのね」


「だって、関長さんの方が人として頼もしいですもの。ご不満ですか?」


「いや、別に。日菜子らしいかなって」


 きっと、日菜子もまた、引退が近づくと自分と同じように悩むのだろう。陽子は桜希の方がいいとも思ってはいたけど、あえて本心はいわなかった。自分の考えを聞けば、日菜子の選択に影響を与えるかもしれない。


 夏が終わった後の、彼女が二人のどちらにバトンを渡すか、陽子が、密かに楽しみにしているところでもある。


◇◇◇◇


「ご卒業、おめでとうございます」


 これまた意外な人物がやってきた。目の前で丁寧に頭を下げるのは関長明日葉という一年生で、彼女は誰と連れ添うわけでもなく一人でやってきた。


「ありがと」


「先輩にはとても感謝しています。あのとき、夏の県大会決勝でわたしをセカンドに抜擢してもらえて、嬉しかったです」


「別にそんな恩義感じるほどのことじゃないって。私はただ、チームにとって一番良いと思ったことをやっただけよ」


 明日葉は、用意していたかのような感謝の言葉を淡々と述べていく。関係性がそんなに濃かったわけではなかったから仕方ないけど、もう少し感情を入れてくれてもいいのに。


「それで……先輩に聞きたいことがあるんです」


 ただそれでも、こうやって一人でやってきたということは、何か用事があるに違いない。


「なに?」


「えっと……」

 

 あからさまに言葉を詰まらせた彼女からやっと出てきたのは、意外な言葉だった。


「その……先輩は、思い悩んだり、緊張したりして眠れない日とか、どういう風に対処してるんですか?」


 今そんなこと聞く!? とは思ったが、とりあえず答えてやった。


「そうねえ、私は波の音を聞くかな。浜辺にゆったりとリズミカルに打ち寄せる波の音を聞いていると落ち着くから」


「はあ」


 せっかく答えてやったのに、彼女の反応は薄く、興味のなさが丸出しだった。


「ホントにそんなこと聞きたかったの? もっと聞きたいこと、あるんでしょ?」


「……」


 明日葉は一瞬、瞳を閉じた。


 入部当初の彼女は、表情が無機的な、気難しい子だと感じた。でも、それは陽子の勘違いだった。あちらは取り繕っているつもりかもしれないけど、慣れてきたらとても読みやすい表情をする子だ。


 そして彼女はちょっと気難しいところもあるのかもしれないけど、とっても優しく、魅力的な子だ。もっと早くにそれを知れていれば、彼女との関係性も変わっていただろうに、と思う。


 そして彼女は視界を開き、陽子を強く見つめる。予想外の質問ではあったけど、意外に冷静に答えれた。


「じゃあ聞きます。先輩は、桜希のことが好きだったんですか?」


「うーん、“好きだった”というか好きだよ、今でも」


「……それは、どういう“好き”ですか?」


 これには返答も困った。明日葉の瞳はまじり気無く、純粋だ。要するに彼女は、自分の桜希への“好き”が恋愛的なものかどうか聞きたいのだろう。


「私の“好き”はあなたの“好き”と一緒。あなたが青見ちゃんを想う気持ちと一緒」


「へ?」


「そして、青見ちゃんがあなたを想う気持ちとも一緒だと思う」


「そんなこと……!」


 彼女の頬はゆでられたタコみたいに真っ赤だった。ほらやっぱり、わかりやすい。


「変なこと、言わないでください……」


「あなたが言い出したんでしょ」


「桜希がわたしを想う気持ちも一緒とか言われても……先輩、わたしともう会うことないからって適当なこと言わないでください」


「適当じゃない。青見ちゃんはホントにあなたを――」


 そこでひょっこり顔を出してきた人物がいた。


「私がどうかしました?」


「わっ!」


 噂の人物、青見桜希だった。


「急に脅かさないでよ!」


「だって、陽子先輩と明日葉が二人で喋ってるの、珍しいから。で、私がなにか?」


「何にもないから! もう黙って!」


「えーなんで」


 二人の会話を聞いていると、なんだか微笑ましい。


「あっ。先輩、えっと――」


 桜希は改めて陽子に向き直ると、


「入部当初、凄い優しくしてくれて、ホントやりやすかったです。ありがとうございました。大学でも頑張ってください。陰ながら応援してます」


「キャプテンとして、当然の真似をしたまで。あなたたちももうすぐ先輩になるんだから。後輩には優しくしてあげてね」


「はい!」


「それに私こそ、青見ちゃんのおかげで楽しかった。それに関長ちゃんも、ありがと。あなたたちのおかげで、最後の最後、ずっと目標にしてたけどいけなかった全国にも行けたし……うん、ホント、うん……」


 やっぱり駄目だった。涙が勝手にこぼれてしまう。


「先輩……」


 二人が私に寄り添ってくれた。本音を言うと、二人とはもっといろんな話をしてみたかった。もっといろんな時間を過ごしたかった。二人がこれから歩む軌跡に寄り添ってみたかった。


「頑張ってね、二人とも。あなたたちなら、きっと、どこまでも遠くまでいけるだろうから。ホントに、陰ながらずっと応援してる」


 陽子は二人を抱きしめた。二人はされるがまま陽子を受け止める。ずっとそうしていたかった。でも、陽子は自分から抱擁を解いた。名残惜しいけど、この暖かさと安らぎは、ここにおいていかないといけない。


◇◇◇◇


「ねえ光」


「なに?」


「後悔とか、ある?」


 喧噪は過ぎ去った。後輩たちもいない。同級生もほとんど帰ってしまった。ただ陽子はなんとなく帰りたくなくて、その場で周りには一人しかいない。中学のころからずっとチームメイトだった光だけ。


「あるといえばあるけど、ないといえばない」


「なによそれ」


「小さな後悔はあるけど、もうどうでもいいかなって感じ。とにかく、楽しかった。陽子は?」


「私は……後悔だらけかな。でも、今日で救われたような気がする」


 ああしていればよかった、みたいなことは無数にある。でもそれが人生なんだろうとも思う。


 視界の先に静かにたたずむ校舎には、“女子硬式女子野球部、選抜大会出場”と書かれた大きな垂れ幕がかかっている。


 女子野球部は昨夏の選手権に続き、春の選抜出場を決めている。一年生たちは既に二回の全国出場を果たしているのに対し、私たちは三年間、一回しか全国に行けなかった。その一回も、二人の一年生の多大な貢献によって果たされたものだ。


 負け惜しみかもしれないけど、桜希と明日葉がいただけだと陽子は思う。あの二人がもう一学年上ならば、もう一回ぐらい全国に行けた気もするから、日菜子はずるい。でも、人生は、時のいたずらな巡り合わせで出来ている。


「さて、そろそろ帰るか」


 光はこんな日にも結構爽やかだ。彼女は東京の大学に進む。進学先が神戸である陽子とは、めったに会えなくなるだろう。


 すたすたと、光は校門へと続く坂を下りていく。追わず、陽子は校舎を見る。当たり前のように近くにあった学校も、もう遠くへ行ってしまう。


「ありがとうございました……」


 陽子は深く頭を下げた。この場所は、酸いも甘いも、何もかもを味わせてくれた。


「ちょっと何してんのー」


「今行くから!」

 

 三年間の想い出が浮かんでは消えて、涙腺を緩くしていく。でも、もう泣かない。ちょっと悲しくて、嬉しくて、楽しい三年間だった。


 でも、今日ですべてが報われた気がする。後輩と同級生と先生と、たくさんの人が自分を囲んでくれた。それが、吉川陽子の、三年間のすべてだ。たくさんの想い出を背負って、これからの人生を歩んでいく。さようなら、千庄高校。

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