69話 決勝戦 神戸海稜VS大阪桐葉②
選抜決勝は1-0と、神戸海稜が大阪桐葉をリードしたまま五回裏へと移っていく。桐葉の監督は先発の藤堂さんをあきらめ、背番号1、巻島さんを送った。
巻島さんに押し出されるようにライトへポジションを移った藤堂さんは、初回に一点こそ失っている。でも一回以降は完璧といっていいし、尻上がりに調子を上げているかのように見えた。
昨日の準決勝では藤堂さん、巻島さん、ダブルエースはともに温存され、登板機会が無かった。だから、桐葉としては今日の試合、二人とも投げさせる予定だったのは確か。ここでの登場は、巻島さんに流れを変えて欲しいとの意図だろう。
「ここで乃梨子さんですね」
そこで私は気づいた。沙音璃と巻島さんはチームメイトだった。
「ねえ。あなたは沙音璃とおんなじチームに?」
「はい、乃梨子さんとも一緒でした」
「そう……ちょっと聞きたいんだけど、なんであの二人仲悪いの?」
「仲悪いというか、姉が一方的に嫌っているだけでしょう。昔は姉の方が乃梨子さんになついてて、仲もよく見えましたけど。ただ、なにかあって嫌いになったみたいです。詳しくは知りません、すみません」
「いや、いいのいいの。でも仲良かったんだ。なんか全然波長が合わなそうだったけど、仲が良かったんだ」
あの二人、出会いからして普通じゃない。野球素人の巻島さんは、沙音璃にいきなり道場破りをしかけにいった。しかも初めてその素人は、当時から有名だった沙音璃の投球をバットに当てた。初めがこんなので、しかも癖が強い二人だから、ずっと仲が悪いと思っていた。
「姉は極端ですからね。9割9分の人間にはまったく興味を示さなくて、残りの一分のうち、0.9分ぐらいの人間はとにかく嫌いで、0.1分の人間にはめちゃくちゃ好意を示します。桜希さんはその0.1分に入ってて、乃梨子さんと、それと明日葉さんは0.9に入ってると思います」
「ふーん」
その巻島さんは、いきなり二人ランナーを出した。ヒットと四球で、ノーアウトランナー一二塁、打席には八番を迎える。上位打線へと返っていく危険な打順である。
ただそこは桐葉のエース、八番が送りバントを試みるもさせずワンアウト、九番一番をどちらも三球三振で、ピンチをあっさりくぐり抜ける。決め球はどちらも縦に落ちるスライダーだった。
「なんか、ランナー二人出してから急にギアが上がったような……」
「たぶん表の姉を真似したんでしょう。遊びが好きですからね。あの人は」
『九番ピッチャー、巻島さん』
六回表の桐葉の攻撃は巻島さんからだった。彼女は沙音璃のキレキレな投球に全部付いていく。ファウルが続き、気づけば、一二球目、長い勝負となった。しかし最後は割と甘めのストレートを見逃し、三振に終わった。
「一番甘い球だったのに、相変わらず、よくわかんない人ですね」
「あの人って昔から変だったの? ほら、“僕”って言ったり、“わたし”って言ったり」
「なにそれ?」
しばらく黙っていた明日葉も、さすがに話に入ってきた。巻島さんの一人称が気分によって“僕”と“私”で変化することを教えてやると、明日葉は「きっも」と言った。
「私が思うに、乃梨子さんが自分のことを“僕”と言うときは変人の皮を被っている、演技しているときです。“わたし”のときは割と本音を言ってると思います。一部の人に、しかもまれにしか“わたし”にはならないみたいですけど」
「意味分かんない人ね」
「そう、意味わからない人です。姉よりずっと。でも、意味わからないぐらい凄い人でもあります。まさか、藤堂香織からエースナンバーを奪うとは思いませんでした」
藤堂さんは去年の桐葉の背番号1、つまり春夏連覇を果たしたときのエースだ。一学年上の日本一と言うべき投手からエースナンバーを奪うなんて、普通じゃ考えられない。
沙音璃は一番二番も打ち取り、この回も0で守りを終えた。彼女に残された守りは七回表のみ、あと三つアウトを取れば、日本一は神戸海稜だ。
いつのまにかぐっしょり汗をかいていた。もの凄い投手戦、決勝にふさわしい、胸が熱くなる。しかし同時に胸騒ぎもする。桐葉が、このまま終わるとは思えない。
◇◇◇◇
六回裏の海稜の攻撃は二番から、巻島さんはサードゴロに打ち取った。
『三番ピッチャー、上橋さん』
今度は巻島さんがピッチャーで、沙音璃がバッターで、二人は相まみえる。初球、体に近いところをストレートが襲った。結構危ない球だったが、沙音璃は避けようとしなかった。二球目、内に食い込んでくるシュートをレフト前に運び、ワンアウト一塁となる。
続く四番の打席、沙音璃は走った。日本一肩の強い恩田さんの送球をかいくぐり、盗塁を成功させた。
海稜はリードしていて、なおかつ沙音璃は最終回マウンドに上がらないといけない投手である。怪我とかのリスクを考えると走らないでもいい場面だけど、沙音璃は次の塁を狙いに、つまり二点目を必死に狙いにいった。その貪欲な姿勢は、胸に打つものがあった。
しかしその勇姿をあざわらうかのよう、巻島さんは冷静に打者を料理していく。四番、五番を三振と、ファーストフライに打ち取った。
「走り損でしたね」
詩音璃はそうつぶやいた。確かに無駄に走ってスタミナを減らしたことは、最後の最後に響くかもしれない。点差は変わらず、最終回の攻防へと至っていく。
沙音璃はベンチ前で海稜部員が持ってきてくれた水分を口に含んだ。なにやらこっちの方、たぶん私たちの方を見て、右手でピース――Vサインを送ってきた。
マウンドに上がると、万雷の拍手が球場を包んでいく。ゆっくりと間を取りながら、投球練習を行う。
「さて、桜希の予想が当たるまであとアウト三つだ」
「やめてよ。そういうの口に出すの」
あと三つ、だけど、ここから沙音璃が対するのは、日本一手強いクリーンナップだ。
『三番ファースト、近藤さん』
まずは一人目、近藤さんが左打席に入る。初球、外角いっぱいにストレートが決まった。
「ストライーク!」
球審のコールも気合いが入っていた。二球目、今度はドロリと落ちるカーブ――タイミングを見事に外し、二つ目のストライクを奪う。
「追い込んだ……」
三球目、近藤さんの胸元をストレートが厳しく突く。そして四球目、低めへの速いストレート、バッターは軽く流すように、レフトへ持って行った。
レフト前ヒット、ノーアウトで同点のランナーが出塁する。桐葉の応援団が息を吹き返す。
『四番キャッチャー、恩田さん』
現女子高校野球界最強のバッターが右打者に陣取る。だけど、初球、沙音璃が投球モーションに移行した瞬間、恩田さんはバントの構えをした。
セーフティバント――バットは投球の勢いを殺した。ボールがピッチャーとサードの間を転がる。沙音璃はサードへ任せた。サードが一塁に送球し、バッターランナーはギリギリのタイミングで一塁アウトとなった。
球場はざわついていた。ここで主砲の恩田さんがバントを試みた。その意味を、みんなが計りかねていた。おそらく恩田さんは、自分が打つ可能性と、バントでランナーを進め、自分も出塁できる可能性を天秤にかけた結果の行為だろう。
「さっきの打球、前までの姉なら強引にボールを取りに入って、サードと激突するか、無理な体勢で暴投していたと思います。去年の夏、千庄に負けて姉は成長しました。周りが見えるようになって、仲間を信じることを覚えました」
『五番レフト、梶田さん』
結果的には送りバントの形となり、ワンアウト二塁、怖いバッターが続く。右打席に入った梶田さんは先ほどの打席でヒットを放っている。
初球、スライダーが少し外へと外れた。なんてことはない球だったが、捕手のミットからボールがこぼれた。パスボール――キャッチャーのミスでランナーが三塁へと進む。
「ああもう何してんの!」
知らずして、私は海稜を、沙音璃を応援していることに気づいた。痛恨のミスを犯しキャッチャーは沙音璃に謝る仕草を見せた。確かキャッチャーは三年生だったような気がするが、沙音璃は“気にしないで”と手を振って答えた。そして、再びバッターに向き合い、
「ストライク! バッターアウト!」
先輩のミスを庇うかのよう、五番を三振に仕留める。これで、14個目の三振。
あと一つ。ずっと高い熱を保っていた球場が、さらに一段階高い熱を帯びていく。沙音璃はあとどれぐらい余力があるのだろう。昨日も五イニング投げている。今日の投球も100球に近づいてきている。ただの100球じゃない、王者相手に細心の注意を配り、全力全開で投じた球数だ。たくさんの声が渦巻く中、私は自分の声を届けたくなった。
「頑張れー! あと一つだよ!」
「ちょっと、何応援してるの?」
「だって、こんなもの見せられたら応援するしかないじゃない」
一球ごとに歓声が湧く。桐葉の応援に来た人以外はみんなが沙音璃を応援している感じ。球場中が沙音璃を後押ししている。
「……まあ今は、わたしも海稜に勝って欲しいかも。見に来て良かった。めっちゃ興奮している。やっぱり、ここで野球がしたかった。決勝行きたかった」
「うん」
打席には六番の安達さん、二球ストレートを続け、追い込んだ。どこかから“あと一球”って声が聞こえる。一球スライダーが外へと逃げた。ツーストライクワンボールからの四球目。
コーン――渾身のストレートで、完全に押し勝っていた。だけど、ふらふらと上がった打球の行方は、野球の神様の気まぐれだろうか、ショートが全力で下がっても、センターが全力で前に来ても届かない場所に落ちた。
三塁ランナーは、大はしゃぎで生還した。同点、土壇場で試合は振り出しに戻る。
桐葉ベンチはお祭り騒ぎだった。準決勝までは、淡々と機械のようにプレーしてきた彼女たちが、ここまで喜んでいる。苦しい試合で、ホントに喉から手が出るほど欲しかった一点だったのだろう。
「沙音璃……」
沙音璃はしばらく呆然としていたが、やがてチームメイトにも声を掛け、マウンドに戻る。プレーが再開した。七番をセカンドゴロに打ち取り、攻撃を切った。七回表は終わる。大きな一点が刻まれた回だった。
「ここで崩れなかったのは、姉の成長の証でもありますけど。でも相当厳しくなりましたね。桐葉は乃梨子さんもまだまだ元気ですし、藤堂さんもまだライトにいるから、また投げさせることもできる。
対して海稜は、疲れ切った姉に頼るしかない。同点ですが、どっちが有利なのかは明白です」
詩音璃の分析通り、あとの展開は一方的だった。
巻島さんが七回裏を簡単に三人で抑え、延長戦に突入する。八回表、ワンアウトで打席に立った巻島さんが二塁打を放った。
続く一番もレフト前ヒット、これでワンアウト一三塁。ここで二番打者がスクイズを決め、桐葉に二点目、勝ち越し点が入る。
絶望的な点だったが、沙音璃は気持ちを切らさなかった。三番の近藤さんを空振り三振、スリーアウトとなる。本日15個目の三振を決めた、最後の空振りを取ったストレートは、球威の衰えはあれども、今日一の素晴らしい、美しい球だったと思う。
そして八回裏海稜の攻撃、九番からの攻撃だった。代打で出た一人目こそ三振に終わったが、ワンアウトから一番がセカンドへの内野安打で出塁する。続きたい二番は、粘ったが見逃し三振、ツーアウトとなる。
『三番ピッチャー、上橋さん』
桐葉が勝ち越しを決めて以降、少ししらけていた球場だったけど、再び歓声が高まってきた。一塁ランナーが還れば同点、ホームランが出れば逆転サヨナラ。でも、
「ああっ……」
誰かのため息交じりの声が聞こえた。初球の縦のスライダーを打った沙音璃の打球は、力無くショートの前に転がった。余裕を持って捌かれ、一塁へ送球される。沙音璃は頭から一塁へ飛び込んだが、及ばない。
一塁審の右腕が上がる。緊迫の試合は2-1で幕を閉じた。喜ぶ桐葉ナイン、ベンチから選手たちが飛び出し、マウンド近くに集まっていく。その華やかな光景の裏、一塁にヘッドスライディングを敢行した沙音璃は、地面に突っ伏したまま、未だ立ち上がれない。
桐葉のお祝いムードだった球場も、沙音璃の異変に気づき、静かになった。チームメイトに肩を貸され起き上がった沙音璃は、遠目でもわかるぐらい顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
観客たちはみな立ち上がり、拍手をし始めた。私と明日葉も立ち上がって手を叩いた。桐葉応援団も含め、みんなが沙音璃を称えていた。
「姉が泣いたのを見たのは、二回目です」
ただ私の横、詩音璃だけは立ち上がるだけで、拍手はしてなかった。
「沙音璃は、頑張ったわ」
私が言うと、詩音璃は「そうですね」と頷いた。ずっと姉の姿を追ったまま、
「お姉ちゃんはずるい。勝っても負けてもかっこいいから」
沙音璃が肩を支えられたまま、両チームは整列する。「ありがとうございました!」の声を交わし、スタンドの応援団へと向かっていく。その足取りは対照的で、桐葉は軽く、海稜は重かった。大阪桐葉はこれで去年の春夏に続く優勝となり、史上初の三季連続優勝、三連覇を達成した。




