52話 青見ドクダミ
時は少し遡り、近畿大会の決勝、神戸海稜と大阪桐葉が対戦した試合は、4対1で桐葉が勝利した。桐葉のエース藤堂香織さんが海稜打線を沙音璃のタイムリーの一点だけに抑え、試合のペースを渡さなかった。
私は試合を直接見ていない。この内容は、沙音璃から聞いたものだ。
「あたしが投げれば勝ってたけどね」
その日の夜、沙音璃から電話がかかってきた。海稜は後の対戦を見据え、沙音璃を温存したらしい。それでも二番手以降のピッチャーで桐葉を四点に抑えたわけだから、さすがの選手層である。
「ところで、再来週の土曜日、そっちに遊びに行くから」
「えっ?」
話の脈絡が無く、突然の宣言だった。
「その日オフらしいから、桜希に会いたいなあって思ったからさ。それで、その日空いてるかな?」
「……まずこっちの予定聞いてから、行くかどうか決めるもんじゃないの?」
沙音璃は私の疑問をスルーした。仕方なく再来週の土曜日の予定を確認すると、午後からの練習が入っていた。それを伝えると、
「じゃあ朝からじゃあね。good night」
「ちょ……待って」
私の意向を確認する間も無く、沙音璃からの通話は途切れた。
◇◇◇◇
「っていうわけで、土曜日、沙音璃が来ることになったから」
“その日”まであと数日となった。学校に着きホームルームの前の時間、私は乃愛と明日葉にその事実を伝えた。
ホントに来るのかな、と疑っていた私だけど、昨日の夜、“九時すぎに駅に着くから”なんてメッセージがやってきた。どうやら、あっちは本気のようだった。
「へー」
「なんで?」
適当に頷く乃愛とは対照的に、明日葉はあからさまに眉をひそめた。
「なんでって言われても、あっちが来たいって言ったから」
「なんで断んないの?」
「断る理由ないし」
「あいつは敵よ。 いつからそんな仲良くなったのよ?」
「なんか、あっちが話しかけてきて、いつのまにか。ていうかそんなに仲良くないと思うけど」
「……大体、別にわたしに報告しなくてもいいじゃないの。黙って二人で遊んどけばいいのに」
明日葉はずっと、不満げな相好を崩さなかった。最終的に、
「興味無いし、勝手にすれば」
そう言って、自分の席へとつかつか戻っていった。隣で顛末を見守っていた乃愛は、
「あれだけあーだこーだ言ったくせに、興味無い、だって」
なんて笑っていた。チャイムが鳴り、担任の先生が入ってきた。私の会話に、上橋沙音璃という名前は土曜日まで出てこなかった。
◇◇◇◇
土曜日、私は朝八時に起きた。練習は午後からで、本来ならもっと睡眠を取りたいところだけど、沙音璃を迎えにいかなければならなかった。
そういえば沙音璃はここへ来て何をするつもりなのだろう、なんてことを思いながら、自転車で駅へと向かった。
「おーい!」
適当に駅の先で待っていた。三分も経たない内に駅から出てきた彼女は、私を見つけるなり飛ぶようにこちらへやってきた。その勢いは全然弱まらず、猛烈に突っ込んできた沙音璃は、最後は強く私を抱き締めた。
「会いたかった」
「ちょっ痛いって」
どんな格好してくるのだろうと思ったけど、意外にも動きやすそうなラフな装いをしていた。
「さ、行こ」
「どこに?」
「桜希の家」
沙音璃は、にっこりと大きく笑う。
「え、私の家?」
「だめぇ?」
小首をかしげる仕草に、いつもより高い声。際だった瞳が、魅惑的に私を仰ぎ見る。あたし様がお願いしてるんだから、とでも言いたげな振る舞いである。“無理”と言いたかったけど、断る理由がまったく無かったのでしょうがなく、
「まあいいけど」
「やった!」
沙音璃は軽く手を合わせ、表情を明るくした。感情表現豊かな人だ。それこそ、明日葉の真逆みたいな。
「じゃあ行くなら行こ」
「うん!」
私が自転車のスタンドを上げ、家の方向へと足を進め、沙音璃もそれに続いた。
「待って」
しかし歩き出して30秒も経たない内に、沙音璃は急に立ち止まり、腕で私を制した。
「な、何?」
「つけられてる。ネズミが二匹いる」
「ネズミ……?」
沙音璃は振り返った。私も後ろを見たが、電柱とお店と、なんの変哲もない風景が広がっていた。
「そこの二人!」
彼女の視線の先、電柱の陰から二人の少女が出てきた。
「えっ!?」
それは、乃愛と明日葉だった。
「変な匂いがしたからどこのストーカーかと思ったけど、末広乃愛と関長“アシタバ”じゃない」
変な匂いって、あなたは犬か、なんてことを突っ込む余裕は無かった。乃愛はバレちゃった、てな感じに頭を掻いている。そして明日葉は、“アシタバ”と呼ばれ、怒りを解放するちょっと手前だった。“明日葉”と書いて、“アシタバ”と読む野草があるらしい。
「な、なにしてんの?」
私が恐る恐る聞くと、明日葉は、
「たまたまよ、たまたま」
なんて、そっぽ向いて言う。なぜか、そこで沙音璃は私に腕を絡ませた。明日葉は、
「じゃあわたしたちは消えるから楽しんでくださいさようなら」
棒読みを披露し、きびすを返した。反対方向へ歩き出した。追いかけたかったけど、腕が固定をされていたので動けなかった。
すると。ずっと様子をうかがっていた乃愛は、こちらへ寄ってきた。
「わたしがね、“スター”に会いに行こうって明日葉ちゃんを誘ったんだよ。初めまして、名前覚えててくれて嬉しいな」
「そりゃあ、あたしはあんたたちのせいで負けたんだもの。自然と覚えたわ。アシタバちゃんもね」
沙音璃は表情を変えた。唇を噛み、眼に力を込めて乃愛を見つめた。遠くから明日葉の乃愛を呼ぶ声がした。
「じゃあまた練習でね。明日葉ちゃんのことは気にしないで」
乃愛は私へと手を振り、明日葉に追いつこうと背を向けた。しかし、その背中を沙音璃が呼び止めた。
「あんたはピッチャー始めて日が浅いんでしょ」
「そうだよ」
「もっと足のスタンスを広くした方がいいわ。下半身の力を十分使えてないから」
まさかの真っ当なアドバイスだった。乃愛は一瞬、驚きの表情を浮かべたけど、「どうも」と返し明日葉の元へと急いだ。
「さあ、気を取り直して行こう」
何事も無かったように沙音璃は歩き出す。ずっと息がつまっていたせいか、はあーって思いっきりため息を吐いた。
◇◇◇◇
家までの道中、沙音璃はずっと話し続けていた。妹がいるだの、実家が金持ちだの、彼女の身の上の話を聞かされ続けた。
玄関を開けると、廊下には弟の直希がいた。
「弟? かわいい」
「こ、こんにちは……」
弟は沙音璃に見とれてしまい、リビングに行こうとする足を完全に止めてしまった。私は弟を手で追い払い、沙音璃を引っ張り二階の私の部屋に連れて行った。中学生の男子には、この女は刺激が強すぎる。
「弟くん、名前は? 中学生?」
「直希、中二」
「野球やってる?」
「やってるよ」
「ふーん」
しかし沙音璃は直希にはたいして興味無いのか、それ以上なにも聞いてこなかった。しばらく飾ってあった私の写真を眺めていて、そのうち「卒アルがみたい」だの「昔の写真が見たい」などと言い出した。
それらを見せてやると、「かわいいー」などと言いながら、スマホで写真を取り始めた。
「そんなことしにうちに来たの」
沙音璃は私にスマホを向けた。カシャっという音が鳴り、今度はリアルな私の写真が撮られた。
「そうだよ」
なんの悪気もなく沙音璃はそう言った。今度は私に体を寄せ、ツーショットの自撮りをした。そして、また私のアルバムを閲覧し始めた。私はその様子を見ているだけ。何かがおかしい気がして、自分から話しかけた。
「さっきさ、乃愛に足のスタンスが広くした方がいいとか言ってたでしょ。あれって本気のアドバイス?」
「当たり前でしょ。そんな嘘のアドバイスなんてするわけない」
「なんで? 私たちは敵なのに」
「見てて気になってたから。それに前の千庄との試合は負けたけど、めちゃくちゃ楽しくて、またあんな勝負をしたい。だけど今の千庄のピッチャー陣だといい試合になってくれない。末広乃愛はなかなか見込みがあるピッチャーだから、いいピッチャーになって欲しくてアドバイスしてあげた」
乃愛には、ピッチャーとしての見込みがある。そう言われ、結構嬉しかった。
「千庄は野手陣がいいから、ピッチャーがよくなれば、日本一を狙えるはず。特に二遊間は、すでに日本一だと思う」
「私たちが?」
「うん」
アルバムをペラペラとめくりながら、沙音璃は続ける。
「桜希は今でも日本一のショートだけど、もっと凄くなるはずよ」
「なにを根拠に?」
「桜希は、世界で二番目の選手になれるはず」
「一番は自分ってこと?」
「他に誰がいるの?」
「……私のことは置いといて、明日葉は?」
「アシタバちゃんか……」
「アシタバっていうのやめてよ」
「ごめんごめん。なんか、“明日葉”って変な名前だなあって思ってさ。そう思わない?」
「全然」
「あっそ。で、あいつは、あれは、ちょっとよくわかんない。すでに並外れたレベルなのはわかるけど、あれが完成型なのか、それとももっと伸びていくのか。いずれにせよ、あたしは怖い存在だと思う。なかなか常識では計れない選手」
「うんうん」
「……なにニヤニヤしてるのよ」
明日葉を褒められ、私の口元は自然に緩んでいた。
「自分が褒められるより、アシタバが褒められる方が嬉しいってことか。なんか苛つくなあ」
そこでコンコンとドアが鳴らされ、弟がジュースとお菓子を持って入ってきた。
「母ちゃんが持っていけって」
「ありがとー。直希くん、野球やってるんだって」
「は、はい」
「いいから、早く出ていって」
私は早く弟を追い出した。自分の弟が友達に惚れていく様は、生々しくて見ていたくなかった。
「直希くん、君に似てわかりやすくてかわいいね」
「私に似て?」
「そうだよ」
沙音璃は急速に私へ近づき、私を手で押した。不意に突かれた私の体は、地面に押し倒された。その上に、彼女は覆い被さった。
「ちょっ、何を……?」
「ホントはこういうことしたくて桜希の部屋に来たの。ほら、桜希の顔、凄くびっくりしてて、めっちゃ可愛い」
沙音璃のほっぺは赤く盛っていた。瞳が、情熱的に私を捉えていた。彼女の手が、私の頬を撫でた。「ひぃ……」という声が漏れた。心臓が“危険”と何度も叫んだ。
「なーんて冗談」
一瞬にして表情を戻し、沙音璃は体勢を戻した。私は、しばらく起きあがれなかった。
「ちょ……何なのよもう!」
「だから冗談だって」
沙音璃は悪びれもせず笑う。しかし、あの瞳は冗談だったとは思えなかった。
「それよりキャッチボールしない? ホントのホントはこれがしたかったの。だからグローブも持ってきたし、動きやすい格好もしてきたし」
沙音璃はグローブをバッグから取り出した。私は申し出をもちろん了承した。もうこの人と密室に二人きりは嫌だったから。
◇◇◇◇
キャッチボールをして、その辺の店で昼ご飯を食べ、沙音璃は帰った。嵐のような人だった。私は相当に体力を消費しながらも、なんとか午後からの練習に向かった。
「あいつ、今度対戦したときボッコボコにしてやるから」
「そんなにアシタバって言われるの嫌?」
「嫌」
案の定、明日葉は怒っていた。なにやら、アシタバと呼ばれるのが一番嫌なことらしい。
「なんかネットで見たけど、体にいいんだってね。アシタバ」
私の擁護したつもりの言葉は、よく考えれば、全然擁護になっていなかった。
「体が良いから何なのよ。じゃあ桜希は、自分の名前が青見“ドクダミ”でもいいの!?」
「それは嫌だけど……」
その時は知らなかったけど、ドクダミも体にいいらしい。ちょっとだけ野草に詳しくなった日だった。
「“明日葉”って、私は良い名前だと思うけどなあ」
「わたしだって、別に嫌いじゃないけど……とにかく、上橋沙音璃だけは許さないから」
私も許さないというか、もう二度と沙音璃は部屋に入らせないようにと思った。




