48話 準決勝VS大阪桐葉③
三回の表ツーアウト、一点差で迎えた私の打席、一塁ランナーの明日葉が盗塁を成功させ、ランナー二塁となった。千庄ベンチも湧いていた。明日葉が作ったチャンス、絶対に打って、ホームに返してやりたい。ただ相手のピッチャー、巻島さんのさっきの球、あれはいったいなんなのだろう。
球種としてはたぶん、縦に落ちるスライダー、縦スラ。でも、私はストレートだと思って振った。真っ直ぐ来るはずの球は、急激に落下し、私のバットをあざ笑った。
巻島さんは、縦スラをこれまでの試合で使っていなかった。ここへきての新たな武器、それも飛びっきりのである。ただでさえ難攻不落な投手が、さらに凶悪度を増したことになる。厄介この上なかった。
二球目、巻島さんは右足を上げ、重心を下げ、右腕を奮った。スピンを伴ったボールは、今度は落ちることなく、ストライクゾーンを綺麗に指した。
「ストライクツー」
外角低め。これには手が出ない。早くも追い込まれた。
「ふー」
落ち着こうと、深く息を吐く。心にたまった焦りを捨て、再度、構える。三球目、今度は横に滑りながら、ボールはゾーンを斬っていく。内側へと食い込んでいくボールを、かろうじて当てる。
「ファウル」
ボールは、一塁側のファウルゾーンを力なく転がる。
今度は短めに息を吐いた。ストレート、変化球ともに申し分ない。巻島乃梨子、たぶん、沙音璃に匹敵するレベル。これで野球歴は二年とかだから、笑っちゃうしかない。
四球目は外へのストレートがボールとなった。これでツーストライクワンボール。五球目、再びボールは落ちた。
ボールはストライクゾーンぎりぎりの、低めへ。振りにいこうとしたが、直感が急停止を求めた。ボールは軌道を変え、落ちる。なんとかスイングの勢いを止め、判定はボールとなった。
「……」
一球しっかりと見たことは大きい。軌道が脳に焼き付いた。急に視界が晴れてきた。もう一回、その球を投げてほしいと思った。
「ファウル」
それからはとにかく粘り、縦スラを待った。五球目に来て以降、全然来なくなった。気づけば十一球目、カウントはフルカウントとなっていた。マウンド上の巻島さんは嫌がるそぶりもなく、よく見ると、薄ら笑いを浮かべていた。
巻島さんがセットポジションからの投球、ようやくそれが来た。落ちていくボールを、バットで拾う。打球はライトの正面へのフライ、桐葉の選手が凡ミスするはずは無い。捕球され、スリーアウトとなった。
「さっきの球、スライダー?」
ポジションに向かおうとしたとき、明日葉が私へ言った。
「たぶんね、最初見たときは、絶対打てないと思ったけど、でも……」
「でも?」
「なんか、次は打てる気がする」
打ち取られたものの、今さっき初めて見たボールをしっかりと追うことができた。
「最近、妙に自信あって、なんかきもいんだけど」
やっぱり、私の調子は良く、これほど次の打席が待ち遠しいことは無かった。ただこの試合、私の“次の打席”に、黄色信号が点ることになる。
◇◇◇◇
三回裏、二巡目に入った桐葉打線は容赦なかった。
一番からの攻撃、ヒットとバントでチャンスを作られ、三番の近藤さんに打順が回る。きわどいところをすべて見極められ、一打席目に続きフォアボールを出してしまう。
ワンアウト一三塁、打席には四番、恩田由乃。この場面を日本一の打者は逃さず、走者一掃の二塁打で二点が入った。恩田さんは三回時点で四打点の荒稼ぎだった。
ここで千庄は舞香をあきらめ、奈桜先輩をマウンドに送った。でも、奈桜先輩も勢いを止めることはできず、やっとのことで三つのアウトを取った頃には、“4”という大きな数字がスコアに刻まれていた。
千庄ナインが負った傷は甚大だった。気を落とし、力なくみんながポジションから戻った。とりわけ日菜子先輩は、気を落としていた。
「きっつ……見たあの打球? 恩田由乃って、実は男なんじゃないの? あんなの絶対おかしいじゃん」
先輩は、プロテクターを身につけたまま、ベンチに深く沈み込んだ。
「同じキャッチャーで、チームのキャプテンで、ここまで差を付けられると、きついわ」
唇を噛む先輩に、私はなにも言えなかった。そんな私を不満げに見つめた先輩は、
「正直者め」
「えっ」
「顔に、“そうですね”って描いてあるんだけど」
「そ、そんなこと……すいません」
「でも、素直なのがあなたのいいところよ」
先輩は笑っていた。その顔を見ると、なんだか安心できた。
「私も先輩の飾らない感じ、いいと思います」
「よし。頑張ろ」
先輩は立ち上がり、打席の準備に向かった。三番から始まった四回表の攻撃は、巻島さんを前に、まったく波風を立てられなかった。すみれ先輩が当たり損ねのサードゴロ、星奈先輩がキャッチャーフライ、日菜子先輩が三振。私の脳裏に、コールド負けという文字が一瞬浮かんだ。
◇◇◇◇
四回裏の桐葉の攻撃は、九番に入った巻島さんからだった。彼女は、奈桜先輩のボールをいともたやすく左中間に運んだ。ノーアウト二塁、この回もピンチをあっさりと作られた。
日菜子先輩がマウンドに近づき、奈桜先輩に声を掛ける。二塁ランナーの巻島さんは、不意に私へ微笑むと、
「青見桜希さん」
鼓膜を撫でるような、柔らかい、不思議な声だった。
「わたしの“あのスライダー”を外野まで飛ばしたのは、あなたが初めて。恩田さんでも、練習で全然打てなかったのに」
巻島さんは、無邪気にも、不敵にも、どっちにも見える二面的な笑みを浮かべていた。
「あなたは、何のために野球をしてるの?」
「えっ……?」
まず質問の意図をすぐに読み取れなかった。答えに窮した。巻島さんの瞳は、私の答えを本気で知りたいのか、純粋に光っていた。
何のために野球をしてる? 正直なところわからない。野球をすることは最早、当たり前になってて、そんなこと考える必要は無かった。
私が答えないままに、プレーは再開した。その合間に、巻島さんは私の方を振り返り、不可思議な言葉を残していった。
「わかんない?」
曖昧にうなずくと、巻島さんは、目を細め、「ふふ」と笑った。
「あなた、沙音璃よりも面白いかも」
意味がわかんなくて、背筋が凍る感じがした。
その後も桐葉の猛攻は続いた。巻島さんもホームに還り、七点目。もう一点が追加され、八点。点差は七点に広がった。
五回表の千庄の攻撃、下位打線は、巻島さんに歯が立たなかった。一人もまともに捉えられず、三つのアウトを無抵抗で渡した。大会規程では、五回以降に十点差となればコールドゲームとなる。つまり、五回裏に三点を取られてしまえば、私たちの負け。巻島さんとの再びの対決は巡ってこなくなる。
◇◇◇◇
五回裏、千庄のマウンドには三番手、乃愛が上がった。こっちはピッチャーを総動員したことになり、苦しさを如実に表していた。
乃愛は、いきなり連続ヒットを浴び、ピンチを作った。ノーアウト一二塁。ここで八番打者は打球は打ち上げた。キャッチャーフライ、日菜子先輩が掴み、やっとアウトを奪った。
『九番ピッチャー、巻島さん』
九番、とはいってもクリーンナップ級の打者が続く。
「ストライク」
初球、巻島さんは乃愛のストレートを見送った。打つ素振りが見えなかった。二球目、打者は、バントの構え。カーブがバットに当たり、コン、という音。ピッチャー前にボールは転がる。乃愛はすばやく処理し、一塁に送った。巻島さんはアウトとなった。
今のバントは“サイン”だったのだろうか。ピッチングに集中したいってことか、それとも、手心を加えたか。
なにはともあれ、ツーアウトとなった。ここで一番バッター。初球、打球は、無慈悲にレフト前に抜けていった。ランナーが二人生還し、九点差、コールド負けまであと一点と迫られた。
ここで千庄は、最後のタイムを使った。内野陣はマウンドに集まった。
「もう神頼みしかないですね」
乃愛は、お手上げとでも言いたげに両手を挙げた。
「とにかくあと一個だから、頑張って」
日菜子先輩は言葉を選んでいるようで、苦しい心境が伝わった。私はここだと思い、言いたいことを言った。みんなは息を呑んだ。
「こんなこと言っていいかわかんないし、自分勝手だと思うけど、私、巻島さんともう一回対戦したい。だから乃愛、お願い、抑えて」
乃愛は信じられないものを見たかのように、目をまん丸としていた。だが、やがて、
「わかった」
そう短く締めくくられ、マウンドの輪は溶けた。
右打席には二番打者、プレイがかかる。乃愛はプレートを踏み、強く左足を踏み出して、投じる。
「ストライク」
二球目、甘く入ったスライダーをセンター前へ持って行かれる。ツーアウト一二塁。
『三番ファースト、近藤さん』
今日、全打席出塁の近藤さんが左打席に入り、重心を低くし、構える。乃愛は渾身の球を投げ続けた。約18m間のせめぎ合い、最後は低めのカーブを巧く、打たれた。
ボールはセンターをひたすらに目指し、グラウンドを這う。明日葉は駆け出し、一気に加速すると、これ以上無いタイミングで真横へ飛んだ。明日葉は捕った。倒れ込んだまま、グラブトス。二塁に入った私は右足をベースにしっかりと接したまま、左手を伸ばした。ぎりぎりまで伸ばしたグラブの先に、ボールは来た。
「アウト!」
スリーアウト、私たちは球場から万雷の拍手を受けた。私は倒れた明日葉の手を取り、起こして上げた。
「ありがと」
「あんなこと言うと思わなかった」
明日葉は言う。“あんなこと”それは私が巻島さんと対戦したいと言ったことだろう。
次はいけそうっていうのもあるけど、一番は、対戦してて楽しかったから。彼女は人としては不思議すぎてよくわかんないけど、ピッチングはわかりやすく凄い。今の自分がどれくらいやれるか、知りたい。
もう一つ、私たちはこのままで終われない。桐葉に一矢報いて終わりたい。チームのために、自分にために、巡ってきた次の打席は絶対に打たないといけない。
「明日葉は、何のために野球をしてるの?」
「どうしたの急に?」
「いや、ちょっと気になって」
私たちは打席に備えた。六回表は九番からの攻撃だ。
「……よくわかんないけど、野球をしているときが一番、自分が自分でいられるから」
「ふーん」
マウンドにはもちろん巻島さんが上がる。ここまで彼女はノーヒットピッチング。余裕の様子で、投球練習を終えた。




