44話 二回戦VS金蓮会②
「いつも通りだと駄目なんだよね」
その意味を飲み込むことがなかなかできなかった。乃愛の言葉が私の心に尾を引いたまま、二回表が始まる。金蓮会の攻撃は六番からだった。
「プレイ!」
乃愛は自分の間で、ゆったりとしたフォームからの投球を繰り返す。どれもどれもコースを突いた良い球だった。でも、バッターを惑わせず、球審に「ストライク」と右腕を上げさせるのには足りない球だった。最終的にはフォアボールとなり、バッターが一塁へと歩く。
「打たせていこう」
みんなが乃愛に声を掛ける。乃愛は曖昧に頷いた。
七番打者に対しても、本来の投球は鳴りを潜め、ボール先行のピッチングが続く。いつもの乃愛なら、ストライクを取ることを苦にすることはない。様子がおかしいのは明白だった。
しかし、完全に制球を乱しているわけではない。惜しい球が続いているし、ボールのキレも感じられる。調子が悪いわけではなさそう。では、どうしてストライクが取れないのか。
結局、七番も歩かし、連続のフォアボールで一二塁となる。まだ二回にも関わらず、日菜子先輩はタイムを取った。内野陣がマウンドに集う。みんな、険しい表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
日菜子先輩がそう聞くと、乃愛は苦笑い浮かべ、
「うーん。甘く入ったらガツンといかれそうで、コース狙ってるんですけど、なかなか入んないですね」
乃愛は慎重になっている。この相手のレベルになると、簡単にストライクを取りに行くと痛い目を見るのは間違いない。石橋を叩いて渡ろうとしているからこそ、ポンポンとストライクゾーンに投げ込めないでいる。
マウンドに一瞬、沈黙が流れた。その気まずい間を壊したのは、明日葉だった。
「そんなに打たれるのが嫌なの?」
言われた瞬間、乃愛は明日葉に視線を当てた。戸惑いを感じたのか、瞳が大きく開かれていた。
「……普通のピッチャーはそうじゃないの」
「自分をなんだと思ってるの? まさか、このレベルの相手に完璧に抑えられるとでも思ってる?」
「さすがに、そんなこと思ってるわけ……」
「だったら、おとなしくストライク投げて打たれなさいよ」
煽るような口調に、乃愛は押し黙った。
「完璧に抑えるとか、そんなこと、今の末広さんには誰も期待してない。いつもの自分を思い出して。みんなが期待してるのはいつもの末広さんだから。出来ないことをやろうとしないで、自分のできることをやって」
“今の末広さん”っていうとこには、いろんな想像の余地がある感じ。乃愛は、一回ため息を吐くと、
「わかった。おとなしく打たれることにするわ。ボッコボコにされたら、明日葉ちゃんのせいだからね」
「わかったから」
日菜子先輩の取ってくれたタイムは、明日葉と乃愛が会話しているだけで終わってしまった。でも、乃愛にとっては他の誰の言葉よりも、いい薬になったみたいで、
「ストライク」
タイム直後の八番、右打者の第一球は、びっくりするぐらい甘かった。ど真ん中へのストレート、バッターも余りの絶好球ぶりに驚いたせいで、スイングできなかったように見えた。
日菜子先輩からの返球を受けた乃愛は、後ろを振り返り、明日葉に意味ありげな笑みを見せた。明日葉は「ふん」とも言いたげにすぐに目を逸らした。未だ仲が良いとは言えない二人だけど、なんだか彼女のたちの間だけで通じるものがあるようにも見える。
二球目、日菜子先輩はコースに構えず、比較的甘いコースを要求した。乃愛は寸分違わず、要求された通りの球を投じた。スライダーがバッターの打ちやすい位置、ベルト付近へ不用意に入っていく。横へ滑っていくボールを、バッターは見逃してくれなかった。
瞬く金属音、ボールの行方を知るころにはプレーは終わっていた。痛烈なライナーは、遥先輩の正面に飛び、あっさりと捕まえられた。
乃愛は、ほっとしたような表情を浮かべ、守備陣へ「ワンアウト」って声をかけた。運が良かったと言えば嘘になるけど、どんなに強い打球を打たれても、守備の正面に飛べば、アウトに出来るのが野球っていうスポーツだ。ストライクを投げ続けていけば、多少打たれたとしても、絶対にアウトを重ねていける。
ワンアウトを取り、打席には九番の左打者。この打席でも、乃愛は、どんどんストライクを投じていった。ツーストライクツーボールの四球目、またしても快音が響いた。
ボールは颯爽と乃愛の足下を駆けていく。そのまま外野まで至ることを予感させたけど、明日葉が自慢の俊敏さでボールの猛進を許さなかった。追いつき、逆シングルで捕球すると、そのままグラブでトスを上げた。ボールは二塁ベースに入った私へと渡った。すばやく持ち替え一塁に送球すると、一塁審の右手が上がった。
4−6−3のゲッツー、二つのアウトを一気に取りスリーアウトとなる。千庄は一気にピンチを脱した。
◇◇◇◇
二回をなんとか0に抑えた乃愛だったけど、これで万事順調と変わることなく、三回も苦しい投球が続いた。
金蓮会の打順は一周し、一番からの攻撃だった。乃愛は初球をヒットとされ、先頭バッターの出塁を許す。向こうも乃愛の投球傾向が変わったことに気づいたのか、後続のバッターも積極的に振ってきた。
ノーアウト一塁、相手は定石に逆らい、送りバントをしてこなかった。二番バッターは二球目を打ち損じてくれ、キャッチャーフライに抑えた。
ワンアウトで金蓮会の三番を迎える。一球目、バッテリーはスライダーを選択した。ファウルとなり、まず、一つ目のストライクを取った。二球目、大胆過ぎる真ん中へのストレート、バッターのスイングは、ボールを仕留めることができず、バックネット直撃のファウルとなった。
これで追い込んだ。今さっきのストレートは、乃愛が今まで投じてきた球で一番の球かもしれない。テンポよくストライクを投げ続けてきたことで、どんどん調子を上げている。いや、成長してきているのかもしれない。緊張感ある中での強豪校との真っ向勝負は、投手経験の少ない乃愛にとっては、最大の成長の場なのかもしれない。
三球目、乃愛は連続となるストレートを投げ込んだ。渾身の一球だった。ミットの乾いた音がバシリと響いた。見逃し三振、金連会の三番は、外角へのストレートに手が出なかった。
「ナイスピッチ!」
ナインが次々と囃し立てるも、乃愛は相手にせず、続いて右打席に入った四番打者に視線を向けていた。あんまり見たことのない、集中した表情をしていた。
『四番ファースト、高橋さん』
乃愛は四番に対しても真っ向勝負を挑んだ。二球目のチェンジアップをバッターはすくい上げ、打球はレフトとセンターの間を割っていった。二塁打となり、一塁ランナーが生還した。再びの勝ち越しを許した。
私はここでマウンドに向かった。少し間を取ろう、乃愛を落ち着かさせようとした。でも、そんなの要らなかったのかもしれない。
「大丈夫。打たれても、全部明日葉ちゃんのせいだから」
乃愛は軽口を叩きながら、頬にかいた汗をユニフォームの袖で拭った。打たれたことを気にしている様子は無く、むしろ楽しそうに瞳は爛々《らんらん》と輝いていた。
五番打者にスタンスを変えず、乃愛はストライクを集め続けた。バッターはファウルで逃げ続ける。ひたすらにストライクを続けているのに、バッターに捉える気配は無かった。
「……頑張れ、乃愛」
意地と意地の勝負は、ようやくボールが宣告された七球目のすぐ後、八球目に決着がついた。外へと逃げていくスライダーは、スイングを交わし、日菜子先輩のミットへと収まった。
ツーアウトとなった。一点を取られたのにも関わらず、千庄部員たちに意気消沈の兆候はまったく見られなかった。乃愛の力投は、チームのみんなに熱い感情を与えていた。
六番打者は左バッターで小柄なバッターだった。私は守備位置を前に、そして三塁寄りに動かした。今の乃愛の球の勢いなら、バッターは振り遅れる可能性が高い。打球は左より、私にとっては三遊間の方へ来るはず。
二球目、外角への球を、バッターは叩いた。三遊間へのゴロだった。ランナーと、私の勝負。追いつき、逆シングルでつかみ、そのまま強く地面をスパイクで掴む。踏ん張り、持てる力をすべて用いて、ボールを一塁へ送る。私は勝った。ランナーより、送球の方が早かった。
「アウト!」
打撃の好調さが守備にも好影響を及ぼしているのか、会心のプレーができた。攻守交替の途中、グラブタッチを求めてきた乃愛は、
「二遊間が“二人”じゃなかったら、あと三点は取られてるかも」
と、笑ってた。ベンチに帰った乃愛は、「はあー」と大きく息を吐きながら腰を下ろした。
「ピッチャーってしんどいわ」
「でも、結構楽しそうだけど」
「うーん、まあ、ライトにいるよりは楽しいかな」
乃愛の額には汗の粒がたくさん見えた。それをタオルで拭うと、ちょっとだけ声を潜めて、
「明日葉ちゃんってさ、ホント、鋭いよね」
独り言のように乃愛は続ける。
「ちょっと焦ってたかもしれない。なんか桜希と明日葉ちゃん見てると、わたしも頑張りたくなって、ピッチャー始めて、ちょっと自信になるような結果が欲しかったの。そう簡単にはいかないのにね。そこんとこ、ちゃんと見抜かれてたかもしれない」
三回裏の千庄の攻撃は九番から、私は打席の準備をしないといけなかった。
「さっきみたいなの、もう一本頼むよ」
立ち上がった私のお尻を叩くと、乃愛は言った。
「任せといて」
私は親指を立てた。自分らしくないとは思うけど、今はもう一本、ホームラン打てちゃう気がする。
◇◇◇◇
三回裏の私の打席はフォアボールに終わった。明日葉が二塁打を放ち、ワンアウト二塁の場面、打ちたいのは山々だったけど、まったくストライクがやってこなかった。その後、四番の星奈先輩がタイムリーヒットを放ち、千庄はすぐさま同点に追いついた。
四回はともに0点に終わり、五回の表、乃愛は再び勝ち越しを許した。先頭の一番にヒット、二番に送りバント、そして三番にタイムリーヒットと、三点目を奪われた。
ここで芹沢先生がベンチを出て、ピッチャーの交代を告げた。
「あーもう、目標の五回三失点まであと少しだったのに」
マウンドに集まった内野陣を前にし、乃愛は悔しげだった。
「よく投げてくれた、ナイスピッチ」
日菜子先輩が言う。星奈先輩も、遥先輩も同じように乃愛をねぎらった。私も「ナイスピッチ」と声をかけた。それでも、乃愛は悔しそうな表情を崩さなかった。でも、マウンドからの去り際、
「末広さん、ナイスピッチ」
明日葉が乃愛の背中に声をかけた。乃愛はぴたりとその足を止め、こちらを振り返った。
「それは、褒めてるのか、それとも皮肉か、どっち?」
「両方」
なんだかよくわかんない会話だったけど、それを聞いて乃愛は、満足そうにマウンドを降りていった。
マウンドを継いだ奈桜先輩は、乃愛の残したランナーを返すことなくこの回を終えた。その裏、ツーアウトから明日葉の二塁打を足掛かりにすみれ先輩が同点打を放った。ちなみに私の三回目の打席は、またしても四球だった。
六回の裏には、先頭の日菜子先輩がヒットで出塁し、下位打線が塁を進めていき、最後はスクイズで、この試合最初の勝ち越し点を奪った。
昨日の試合で五失点と、エースらしくない投球を見せてしまった奈桜先輩は、完璧なリリーフを見せた。昨日のうっぷんを晴らすかのような快投だった。
この試合、千庄の誰もが自分の役割をしっかりと果たしていた。新チームになってからずっとくすぶっていた、前のチームに比べて今のチームはどうなんだろう? 私たちは果たして強いのか、なんて疑問たちが消えていった。チーム全体に自信がついてきた感じが見えた。
最後、七回表ツーアウト、ショートへのフライが上がった。私は慌てることなく、落下位置に入り、落ちてくるボールを掴んだ。4-3の勝利、来年春の選抜出場を確実にした瞬間だった。




