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幻影肢 6

「オイ、コイツこんなにしてしもうて、どうするんや?」

「しゃあないやろ。まさかチャカブッ放すとは思わへんやないか」

「アカン!チャカ見付からん!」

「……やっぱり埋めるしかないか」

側頭部から流れる血液が、頬を這い口の中に入ってくる。

埋める打算の前に一思いに……頼むぜホント。

嬲り殺しにする必要なんかないだろ。

体に力を込めるのも疲れ始め、仰向けに寝転がったとき、横でフェンスが小さくカシャンと揺れる音がした。

霞み始めた目だが、まだ狭まってはいない視界。

ゆっくりと、何気なく動かした、直樹の視線のその先 ――――。

フェンスの向こうに、黒い人影。

その影は両手で金網を掴み、額を押し当ててこちらをじっと覗き込んでいる。


「―――― ッ!!??」


驚いた、なんてものじゃない。

体が跳ね上がるほどに、驚愕した。

―――― 琢磨!!??

そうと認めた瞬間、失いかけていた体力が少し回復するような錯覚を覚えた。

「お……お前……ッ何でここにいんだ!?」

思わず出た直樹の声に反応したのは、琢磨ではなく3人組の方。

彼らは突然現れた目撃者に、自分たちが咄嗟に取るべき行動を迷い、混乱し、固まっている様子。

「オイ、……ハ…ッ…危ねぇから、アッチ行け…!」

少し戻った体力は気のせいで、言葉を発する度に息切れがする。

琢磨はその直樹をただ黙ったまま、変わらぬ格好でじっと見つめている。

「ほら…ハア…ッ…ハア、ッ早く…!危ねぇから帰れ…ハッ、……内山のトコ行け、ほら……早く!」

すると琢磨はようやく口を開いた。

「さっきのニイニイ怪しかったからよぅ、車の後尾けて来てん。尾けられてるの気づけんって、ニイニイどないかしてるぞ」

俺は今、そんな話をしていない。

もしコイツらにお前の顔を覚えられたら……!

ガラにもなく、冥途の土産としてお前に気遣いしてんだよ。

直樹は振り絞るように大声を張り上げる。

「いいから帰れ!テメェには関係ねぇ!!」

それを聞き、琢磨は

「うん、分かった」

そう返事をして、すぐにフェンスから体を剥がした。

慌てたのは3人。

彼らは少し離れた出入り口へと一斉に駆け寄る。

金網のドアを開ける、ガシャンガシャンという音。

直樹からはもう、琢磨の姿は見えない。

「走れ!!!早く逃げろ!!走れッ!!!」

直樹の叫び声に、遠くから「うん!」と返事が聞こえてくる。

「ヤバイ!警察にチクられたらマズイぞ!!」

慌てふためき外に出ようとしていた3人の行動が、その時ピタリと止まった。

不審に思い、直樹は真上に聳え立つ高いフェンスを見上げる。

と同時に聞こえてきたのは、


ザッザッザッザ……ッ!


遠くからこちらへ人が走り寄ってくる足音。

そして目に飛び込んできたのは、逃げるどころかフェンス目掛けてダッシュして来る、琢磨の姿。

「……な……ッ!!?」

この中で今一番驚いているのは直樹。

「逃げろっつっただろ!!」

それに対して琢磨は、

「うん!分かった!!」

声を張り上げ、元気に応えた。

琢磨は助走を付け、フェンスに向かってジャンプする。

手を使うこともなく、3メートルを優に越えるフェンスの金網に足を引っ掛けながら上り、頂上で片手を軸に軽々とそれを飛び越えた。

仰向けの直樹の目には、全てがスローモーション。

夜空に浮かんだ、琢磨の影。

彼は直樹の頭のすぐ傍で、ズサッ!と着地した。

「……ッ!!?」

呆気に取られて言葉が出ない。

直樹は口を開けたまま、琢磨のシルエットをただただ見上げている。

一旦外へ出ようとしていた3人が、またこちらへ走り戻ってきた。

琢磨はその場で手首を振り、屈伸をし、足首をぐるぐる回して準備運動を始める。

「ニイニイ、痛そうやな。めっちゃ痛いから仕返ししてくれって、俺に言え」

「………」

「早う!俺の代わりにアイツらに仕返ししてくれって言え」

「……なに?」

「早よ言え!!!」

「ッ!!」

グラウンドに木霊した琢磨の叫び。

琢磨の言っていることを理解するには程遠いところにいる直樹。

ただ夢見心地で琢磨の姿を見上げていた。

「………」

その形相に困惑する直樹は言葉を発しない。

琢磨はまるでこちらに恨みでもあるかのように目を吊り上げ、怒りの表情でじっと見下げてくる。

「………」

琢磨の怒気がどの方向に向いているのか、把握できなかった。

この状況の中さらに敵が増えた、そんな錯覚にすら陥ってしまう。

やがて琢磨はその形相を変えることなく直樹から視線を外し、3人の方を向いた。

「…ま、エエわ」

呟きの直後、直樹の目の前でザッという音と共に砂が舞い上がる。

その粒子を顔面で受けた、そう思った瞬間1人の男がフェンスに叩き付けられた。

ガッシャ――――ンッ!!

男は何らかの反応をも見せることなく、ふらりと棒っ切れのように倒れ込む。

それはあっという間の出来事だった。

目の前で何が起こったのか、見ていたのに分からなかった。

地面に横たわったままピクリとも動かない男を呆然と見つめる、直樹と残された2人。

その2人の視線を悠然と横切り、琢磨はまた直樹の方へと近づいて来る。

「いっぱい血ィ出とるな。良かったな、普通バットでそんだけドツかれたら死ぬんやけどなー。アイツらもビビッて手加減しとるんやろ。…ヘハッ!良かったなー、手加減してもろうて」

吐き捨てるように、詰られるように、そう浴びせかけられた。

「……ハアッ…ハア…お前には、関係ねぇ……。ハア……ッ、早く、帰れッ」

すると琢磨は直樹から視線を外し、飄々と

「うん、多分関係ない」

「!…だったら帰れ。……何も知らんのに、関わるな」

琢磨の応えは素っ気も無い、

「うん、知らん」

そう残し、呆然としたままの2人の方へと歩み寄って行く。

これまで何度か見たことのある、この類のシチュエーション。

直樹は思うのだ。

―――― 俺はまた助かってしまう。

自分が地面を舐め、相手に背中を取られた状態での『この先消えない覚悟』というものは、予想を遥かに超えるところに存在していた。

―――― きっと俺は、また助かる。

先ほどの琢磨の動きはよく見えなかったが、一体どういう方法で仕留めたのやら3人中1人はまだフェンスの前で寝転がり、起き上がって来ない。

この状況でアイツがヤラれるはずがない。

悲しいが、アイツはあと2人もすぐに仕留めてしまう……。

琢磨は、声も出せず口を開閉させながら立ち尽くしている2人の前で足を止めると、静かに話しかけた。

「大丈夫ッスよ。あの人、死んでるワケとちゃうから」

目の前に立った琢磨に圧倒され、2歩後ずさる2人。

琢磨はゆっくりと歩を寄せ、更に詰め寄る。

「アンタらがどういう人かは知らないッスけどね、俺、年下はよう殴らんけど、年上には遠慮ないんスよ」

窮鼠か、1人が焦った様子で琢磨に向かってバットを振り下ろした。

それを前屈みになってスッと避ける琢磨。

「俺が喋り終わる前に逃げた方がいいッスよ~?自分で言うのも何やけど、今日の俺は特別機嫌が悪い」

言い終わるのと同時に、ガチンッと音がした。

もう片方の男の体が、空に浮き上がったように見えた。

直樹の角度からは、琢磨の動く背中が見えている。

そしてまた、同じような音がガチンッと、もう一度。

そこへ、バットを持った男が琢磨の背中をそれで殴りつけた。

ドスンッ!

琢磨は背をのけ反らし、振り返りつつ、

「イッタ~!」

倒れない琢磨に、男は怯えた様子で呆然と呟く。

「う、嘘やろ…ッ!?」

「ちょっと待ってや。順番や、順番」

直樹から見えたその琢磨の形相は、先ほどのものよりも数段上。

それを認めたバットの男は、途端に踵を返しその場から逃げ出した。

直樹のすぐ傍を横切って。

琢磨はそれを無視し、二度の攻撃で既にフラフラのグロッキー状態である男の胸倉を掴み、引き摺り寄せる。

「さぁ、倍にして返させてもらいますよ。ほんであとで4倍にして返しにきたら、今度は8倍にして返すからな。腹決めて、よう考えてくださいよー」

言葉が終わると同時に、直樹からも見える琢磨の右フックが男の顎を捉えた。

バクッ!

左に吹っ飛ぶ体。

琢磨は間髪入れず、体を横に逸らし側頭部を回し蹴り!

今度男は右に飛ぶ。

追いつくように左脇腹をフック!

体を横にくの字に曲げた、それを追いかけ左アッパーで顎をカチ上げる。

男は時折「ハッ…!」「ううッ!」という呻き声を発するのが精一杯の様子。

糸の切れた人形のように倒れそうになる男を、琢磨は許さない。

「も、もう……ッか、堪忍して…ッ!」

その声が聞こえないのか聞いていないのか聞き入れないのか、琢磨は構わず前のめりに崩れてくる男から体を引き、髪の毛を掴んで顎に膝蹴りを食らわした。

ドゴッ!!

琢磨は男が地面に落ちることをさせず、右、左、右、左と小気味良く体を運動させる。

左側に倒れ込みそうになれば左で、右に倒れ込みそうになれば右で、前に倒れ込みそうになれば膝で打ち上げる。

「……ご、……ごべんッ……」

絞り出すような音で聞こえてきた声に、右に倒れていく男の肩を琢磨の左手が掴み止めた。

「ハア?うるさいなー。さっきから何や?」

「……ご…ごべんばばい……ッ」

「………」

琢磨は一瞬黙り、直後右ストレートを男の鼻先目掛けて打ち放った。

「ぐあッ…ッ!!」

男の後方へ仰け反った体を、また琢磨の腕が掴み寄せる。

「謝られてもなー。アンタが何に対して謝ってんのか、俺には分からんわ。だから謝らなくていいよ。損するで」

琢磨は再び右、左、右、左と体を動かし、決して男が倒れないよう攻撃をし続ける。

男はいつの間にかフェンスを背にし、立ったまま完全に気を失っていた。

直樹はその光景をまるで他人事のように、いつの間にか見とれるようにして観戦している。

あの殴り方、……ジャック・デンプシーのデンプシーロールって技やないか!

アイツ、一体どこであんな技…!?

そこまで考え頭を巡らせようとして、……我に返る。

琢磨の強さに、自分の予想はやはり当たっていたと、思い直す。


やがて、やっと地面へと倒れ込むのを許された男が見えた。

「倍返し、まぁこんなもんやろ」

こちらを振り返り歩いて来る琢磨を、街灯りがぼんやりと照らし出す。

灯りを背にしている琢磨の表情は、直樹からはうまく見えない。

……また助かってしまったことを、喜ぶべきなんだろう。

俺はいつも人に助けてもらってばかりいる。

薄ら寒いヤツだ。

アドレナリンの関係か、気が緩んだせいもあるのだろう、体のあちこちが急激に痛み始めた。

琢磨の視線に晒されている自分の姿を見てみるに、今のこの体勢はあまりにも格好悪い。

直樹はその場で無理やり起き上がると、胡坐をかいて横に立った琢磨を見上げた。

「無茶しやがって……大体お前はな、」

そこまで言ったとき、

パシッ!

……背中を蹴られた。

「イタッ!……え?」

「………」

じっと見下ろす琢磨。

トスッ!

今度は腹に蹴りが入る。

更に状況がうまく飲み込めない。

何をやっているんだ、コイツは。

不思議そうな顔で見上げる直樹に対し、琢磨が大声を張り上げた。

「悩んどったんやろ!!?」

「!!」

「あのなあ!!ニイニイよう!!悩んだらな、まず人様のこと考えろや!!」

驚愕した。

というのが先ずの心境。

「自分が悩んでることで人が迷惑してないかどうか、先に考えるんじゃッ!!ほんで次にな、自分がどうしてほしいか考えたらエエねん!!自分がどうしてほしいか答えが出たら、エエかニイニイ!!言葉は生きるんやぞ!!!」

「………」

直樹にとって、あまり聞き覚えのない言葉の選び方だった。

言葉が生きる。

ゆっくり考えたい気分だが、この状況では宿題に出来そうにない。

「鉄砲とかよう!!そんなモンに頼らんでもエエやろ!!」

背中をパンッ!!と蹴り上げられる。

注意と説教では意味が違う。

説教と怒声では受け取る側の感じ方が違ってくる。

俺は今、本当に久し振りに説教じみたがなり声を浴びせられている。

淵へ落ち込もうとする気分を感じつつ、先ほど考えた『消えない覚悟を今後どうするのか』という思考に申し訳なさと反省が生まれ始めた。

俯いた直樹に、琢磨が大きく息を吸い、声を張り上げる。

「言えよ俺に!!!困ってるんやったら俺に言えッ!!!」

「………」

たまたま居合わせ、腐れ縁とも言うべき、そんな関係になったたかが中学生に、この俺が質問しろって?

相談しろって?

…………その辺は宿題にしよう。

沈黙していた直樹は、ここに来てやっと口を開く。

「……こないだお前に、お前のその0円の命、俺に預けてみぃ言うたよな?」

「ああ言うた!」

「お前は本気で俺に預けるつもりでおったんか?」

直樹の言葉に、琢磨は先ほどとは打って変わったキョトンとした表情で応える。

「え?そんなモン、あの話したときに成立しとるやろ。今更何言うとんねん」

……タケシと最後に話した言葉は鮮明に頭の中に残っている。

パクウとの会話は、……どれが最後だったかな……。

うまく記憶に残せていないが、多分アレが最後だろう。

今自分がどうすれば、どうなればあの位置まで昇って行けるのか、見失ってしまった。

持論を奏でたところで、俺は人間の中でもグレーはグレーでも限りなく黒に近いグレー。

アッチの穴とコッチの穴では、流れる水の色まで違う。

そんな知りすぎていたはずの事実を、改めて思い出した。

直樹は痛む体に無理やり言うことを聞かせ何とか立ち上がろうとしたが、うまく行かない。

仕方なく座り込んだまま、後ろに手をついて体を支え、琢磨の膝あたりを見遣る。

「フウ――――…ッお前、ほんまにそれでエエんやな?あとでピーピー言うなよ」

図らずも何だか拗ねたような声音になってしまった。

「だからそれでいいって。あとで後悔すんのイヤやからなー」

「じゃあ……そういう形で行こか、なぁ?」

言いながら見上げた直樹に、琢磨はスッと右手を差し伸べた。

「俺は前からそのつもりやったんやけどな。じゃあもう一回、ニイニイの命、俺が預かるわ」

直樹はその右手をじっと見、今度はそれを受け取ることにした。

琢磨の力を借りて、ようやくその場から立ち上がる。


街の方から近づいてくる、小さなサイレン音。

救急車ではない、パトカーのサイレン。

自分たちに向けられたものかどうか分からないが、妙に落ち着いている。

こういう類の、自分の命を侮辱するこういう行為は、もうこれで最後にしよう。

今後は穂積の一挙手一投足に括目し、俺はコイツと共に……

「ヤバイ!」

突然琢磨が声を上げた。

「何や!!」

「パトカー走っとる!」

「おう、走ってるよ」

「ニイニイ、鉄砲は!?」

「、あ!!」

「俺もさっきんで靴片方なくなった!」

「ハア!?何やソレ!早よ探せ!」


夜の街に響き渡るサイレン音。

片方は自分の靴を探し、片方は拳銃を探して歩く。

その顔に浮かんでいるのは笑み。


「ニイニイ、俺の靴はエエけど、鉄砲ヤバイやろ。あったか?」

「アカン、見付からん!」

仄かな街灯りを頼りに、2つの影は地を這い回る。

取り合えずの探し物を、見つけるまで。




『拝啓 盛夏の候 大林様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

この度はわざわざのお手紙、ありがとうございました。

突然のことで驚きましたが、大変喜んでおります。

奥様とお母様もお変わりなく、元気なご様子で安心致しました。

今回筆を執りましたのは、貴方様の勘違いについてご説明申し上げるためです。

私は現在、貴方様が思っていらっしゃるような輩な生活はしておりません。

父の会社を継ぎ、弟の慶也とともに会社経営について日々勉強に邁進する毎日を送っています。

皆様のお蔭を持ちまして会社も順調に運営できており、大林様にご心配いただくようなこともございません。

この手紙を投函する翌日には私の海外赴任が決まっており、大林家の皆様とはすれ違う形で今度は私が海外で生活することになります。

ひょっとしたらこのまま海外に永住するかもしれませんので、今度いつお目にかかることができるのか自分でも分かりかねる状況です。

本当に申し訳ございません。

これからも大林家の皆様が健康で、お子様のタケシ様がお健やかに成長されますよう、心よりお祈りいたしております。

暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛下さいませ。

さようなら。                                敬具

○月○○日                             秋月 直樹  

大林 健様』



                                               


                                       

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