病葉 4
「18が19になったら、か。1つエエこと教えたろか。お前ら何か勘違いしとるみたいやけどな、俺は穂積とは何の関係もないぞ。
電話して聞いてみ。アイツは『秋月直樹はキライや』って答えよるわ」
それを聞き、少し驚いたような顔をした原。
「じゃあアンタはアレか、穂積の親分の弟分でも何でもないっちゅーんか。
……クククククッ!ホザくのぅ……ホザくホザく!アンタの言うとるソレがもしホンマじゃったら、アンタがやっとることは調子に乗っとるとかいう話じゃないのぅ。今ブラ下げとるその顔も野ヅラじゃ。今晩中にでもアンタをトッたるんじゃけどのぅ。
じゃがワシは、確信のないアンタのそんな与太話を信じるほど眠とうないんじゃわい」
原は直樹の言葉を信じない。
直樹の中では信じる信じないの話でもないのだが、実際のところ関係がないと言った自分にすら、確信が持てない。
穂積の名前を使った事実はあるが、それほどの関係を持った事実もない。
きっと穂積は『ワシはアイツに金を貸しただけ』と言うだろう。
短い沈黙の後、直樹は隣の松田に指示を出した。
「おいイサム、話は終わったで。帰ろうか」
「あ……はい」
松田は返事をして、少し離れたところに停まっている自分たちの車の方へと走って行く。
直樹も続いて、そちらに足を向ける。
が、1歩踏み出したところで立ち止まり、振り返った。
「…なぁ、原さんよぅ」
原は黙ったまま、直樹をじっと見つめてくる。
「アンタの店で働いてる女、全部で何人おるんや。18が19になっても許さんってか。…全員引き抜いたら、どがいになるんやろなぁ?」
そして直樹は、目に付いた1人の男を指差した。
「おいアンタ。今、月いくら貰うとるんや?」
その男は直樹の指先で、ハア?と眉根を寄せる。
直樹はフッと一つ笑う。
「今貰うとるゼニのな、3倍俺がやる言うたらお前、どうする?今、このオッサンがこの上で用意しとるっちゅーショボくれたメシと酒よりも上等なんを飲んで食ってできる毎日、エエと思わんか。
俺が全員引っこ抜いたら、このオッサンの男気やら何やっちゅー、数字で表せんモノもガタガタになるやろう。
なぁ原さんよぅ、俺が全員引っこ抜いたら、死ぬんはアンタと俺、どっちや?」
そこで、松田が直樹の傍に車をつけた。
直樹の吐き捨てた言葉を聞き、明らかに食い縛る表情をした原。
直樹はその顔から目を逸らさない。
ドアを開けて車に乗り込む直前、直樹はその面に向けて一言告げた。
「いつでもエエから、答えてや」
バタン。
ドアが閉まると同時に、松田の運転する車は大慌てで逃げるように走り去る。
それは松田の感情だ。
地下駐車場を出て道路を走り始めた数分後、松田がぼそりと呟いた。
「……死ぬかと思った……ッ」
その松田の感想は間違っていないと思う。
「ヘタしたらな」
というのが直樹の返事。
「せやから、大丈夫や言うたやないか」
そんな風に松田に声を掛けながら、直樹は考える。
紀子を引き抜いたのはスジの通らないこと。
自分の神経にそう言い聞かせ、それなりの覚悟をしていた。
だが今回、新たに知ったこの事実。
誰かが裏で動いている。
……一体誰や。
もちろんそんな相談されたところで、賛成なんかしない。
紀子だけは特別。
ルームミラーで、運転する松田の表情を見てみた。
浮かんでいるのは少しの笑顔で、安堵の表情に見受けられた。
「イヤ~、それにしてもヤバかったッスよ。ここで更にケンカ売っちゃうだもんなぁ、秋月さんは。すげぇッスよねぇ!」
やっぱり俺は、アイツらに更にケンカを売ったか。
……そりゃそうだよな。
「でも大丈夫ッスよ。デカイ組でもなさそうだし。そうッスよね、秋月さん」
直樹は松田に「ああ」と一言返す。
もちろん久保さんとお前だけは、平気でいさせるつもりでいるよ。
……少し疲れたな。
「おいイサム、もう眠とうてどもならんわ。早よ帰ろうや」
「あ、ハイ!」
ここでようやく帰路に着く2人。
車は灯りの少ない道路を走り続ける。
腕を組んで目を閉じながら、直樹はこれから更に考えなければいけないことがあると確信していた。
松田にそんな財力・力があるとは思えない。
じゃあ一体誰がこんな無謀なマネを?
久保紀子を引き抜いた段階で、秩序なるものを乱したことは十分に理解している。
だが直樹の中で、あれは特別なこと。
それに向けて集中をしていればいいと考えていた。
しかし先日の原という男のグループに知らされた、自分の無法。
これらは想定外であり、『自分』対『多勢』となると、自分の許容を遥かに超えることになる。
犯人探しのようなことはしたくないと思っていたが、一体誰が……。
不意に意識が浮上し、目が覚めた。
まず視界に入って来たのは、明らかにホテルとは違う真っ白な天井。そして壁。ベージュのカーテン。
殺風景な四角いその部屋。
僅かに首を動かすと、何の飾りもない壁掛け時計が目に入る。
その針が指しているのは、11時を少し回ったところ。
こうしてベッドに寝そべった状態では、今が昼なのか夜なのかすら分からない。
起き上がろうと体に力を入れたところで、直樹は自分の感覚に違和感を覚えた。
ゆっくりと体を起こすと、途端頭に激痛が走る。
「……ッ!!」
頭だけではない、体の至るところが痛む。
小さく何度も息を詰めながら、直樹は右手を伸ばしてカーテンを捲り上げた。
窓の外は真っ暗。
夜か。
ここはどこだと考える前に、昨夜のことを思い出した。
いつものように深夜1時を回った頃、直樹と松田はホテルへと向かっていた。
途中、松田がコンビニに用事があると言って車を停め、店へと入って行った。
直樹も何となく車から降りる。
そこに突然、1台の車が直樹目掛けて突っ込んで来たのだ。
駐車場内にも関わらずますますスピードを上げたその車は、直樹に向かって迷うことなく突進してきた。
対峙した、そのナンバーを確認する暇もなかった。
あ、と思った時には、強烈な衝撃が体を貫いていた。
捲くったカーテンの向こう、黒の窓ガラスに自分の姿が映り込む。
頭には細い包帯。
左足に違和感。
シーツを剥ぐと、ギプスが巻かれている。
直樹はカーテンから手を離すと、もう一度ベッドに横になった。
考える時間と銘打って、天井を見上げる。
強引な手で来たな。
ナンバーは……覚えてねぇ。
あの車は、原ってヤツの一片か?
それとも前田?
久保さんのことへの仕返しか?
頭の後ろで腕を組み、何もない真っ白な天井を見つめながら、直樹は思考を巡らせる。
体に気をつけて生きたところで、80歳?
……80歳くらいまでか。
また、生きてしもうたな……。
その時、その思考の後追いは、静かな音と共に遮られた。
引き戸の入口から看護師が入ってきたのだ。
「アレ?秋月さん目ェ覚められました?良かったですねぇ」
「………」
看護師はベッドの近くまで寄ってきて直樹を覗き込み、体の状態を簡単に説明し始めた。
怪我は幸い頭の内出血と、左足首の骨折。
1日近く眠り続けていたということ。
「消灯時間が過ぎてるんで電気は消させてもらわないといけないんですけど、お連れの方が点けといてくれって言われるもんですから。
電気、消しときますんでね。今晩はもう寝てください」
看護師はそう言って部屋の灯りを落とし、出て行った。
……イサムか。
部屋の電気を点けとけ?
……起きたらすぐ来いってか。
ハッ!
昨夜ので死んでれば、イサムのことも久保さんのことも俺の管轄外。
許容を超えて行ったものを。
俺の死を願う者と、俺の命を狙う者。
イサムはともかく、久保さんはどっちなんだろう……。
皆が皆、穂積の名前に固執する中で、イサムだけはそうではない。
いっそのことアイツも穂積についてくれれば、
……イヤ、穂積についてしまったら、アイツは今後極○の道を歩いて行くことになるだろう。
そういうワケには行かない。
あんな生き方、ロクなもんじゃない。
人が普通に生きていて、自分の身の周りに起こったことから導き出す答えの中で、『生還』などという答えを出す人は極稀だろう。
大きな事故に遭ったり、災害に遭ったり。
それを乗り越えて来た人たちは『生還』と表して差し支えないだろうが、今のこの日本で生きている人たちの中で、それは極一部。
そんな生き方、あってたまるか。
俺は何度生還した?
生まれてすぐに、生まれて間もなく、1回目を迎えた。
そこから何回あった?
………。
直樹は体を起こし、ベッドに腰を掛ける。
頭が抱え込みたいほどに、強烈に痛んだ。
この白い部屋に誰もいないことを確認して、直樹は呟く。
「一刻も早くイサムに教えたらんとな。俺とおったら、いつか死ぬって」
……今晩、ようやく確信になった。
俺は何度も死にかけていると。
持って生まれたものがそうさせている。
俺といたらロクなことにならない。
左足の痛みを我慢しながら、ベッドの横に立て掛けられていた松葉杖に手を掛ける。
それから、隣にある棚の上に置かれた紙袋にも手を伸ばす。
その中には、丁寧に畳まれたスーツが入っていた。
直樹はその場で着替え始める。
……イサム、お前も見たやろ。
俺は、たかが車に弾き飛ばされて、こんなザマや。
ほんでな、今俺がやってる商売、あの辺の納税は全部穂積に任せとんやぞ。
いつまでも親に服を買って来てもらうガキみたいにな。
商売をここまで持って来るために出資したのは穂積やぞ。
俺は自分の力じゃ何もできてない。
俺なんかと一緒におったら、アカンぞ。
せやから言うて、穂積のトコへ行ってもアカンぞ。
アイツは、……ヤ○ザや。
着替えを済ませ、松葉杖をついて、直樹は病室を出る。
よし、練習は済ませた。
イサムには今の通りに言えばいい。
直樹は夜の病院を抜け出し、タクシーに乗り、ホストクラブへ向かう。
店の近くの交差点を曲がったところで、いつもと何か違う雰囲気を感じた。
それは間違いなく、直樹の店から漂うもの。
店の目の前の道路でタクシーを停め、降りる。
「……やっぱりな」
店に電気が点いていない。
そのまま裏口に回ると、事務所には灯りが点っていた。
直樹は慌てるでもなくドアを開け、中に入る。
そこでは1人の社員がデスクワークをしていた。
「アレ、秋月さん!あー、良かったですぅ…ッ!」
その男は直樹の体を気遣うのもそこそこに、何故店を閉めているのかを話し始めた。
朝、事務処理をするために出勤したところ、店のソファが刃物のようなもので切り裂かれ、フロアの至るところにコールタールが撒き散らされていた。
表に出している酒瓶は全て割られており、1本も生き残ってはいない。
皆で話し合った結果、直樹が帰ってくるまで店は閉めようという話になったと言う。
「それと、秋月さん」
と、男は続けた。
直樹は1ヶ月前、儲けは度外視したオムライス専門のレストランを始めていた。
これはあくまで趣味の域。
いつでも自分の好きなオムライスを食べられるようにと作った、小さな店。
その店も被害に遭っていると言うのだ。
直樹はここで慌てた。
その店は自分のためだけではなく、紀子のために用意した店。
働いてこその報酬と唱えた彼女に、近いうちその店を任せようと思っていたのだ。
採算を無視したのも、全てはそのため。
話を聞き終えた直樹は、ホストクラブからそれほど離れていないその店に、痛む足を引き摺りながら急いで歩き向かった。
角を曲がったところで、店の灯りが目に入る。
被害は大したことないか。
そう思ったが、更に近づくと道路に面したガラスの窓が全て割られていることに気が付いた。
そしてその中から漂ってくる、異臭。
ドアを開けて中に入ると、その臭いは更に強烈。
灯りの下で、従業員として雇った5人がマスクを着け、フロアをブラシで磨いている。
「おい、コレ、どういうことや!?」
鼻を抓まないと、そこに居ることができない。
直樹の姿を見た従業員の1人が、その問いに手を止めて答えた。
「社長、大変ですよ。誰がこんなイヤガラセするんですかね。朝来たらガラスが割れてしもうとって、床からテーブルから、まぁ丁寧にお皿にまで鶏糞が敷き詰められとったんですよ。ご丁寧に水まで撒いて。もう、臭うて臭うて……。
どこにおられたんですか、社長は」
「………」
あくまで俺は飲食店のチェーン展開をしている人間であると、彼・彼女たちには伝えている。
車に引っ掛けられて入院していたと、皆に伝えるのは少々難あり。
直樹は片手で鼻を抓みながら、もう片方でグッと握り拳を作ってみせる。
今更隠してみても、もう遅いか。
飲食店が糞まみれじゃな…。
「アンタら、今日は帰ってエエぞ。掃除は業者に任せるから」
その時、厨房からコック長が顔を出した。
帽子を取りながら、直樹に言う。
「…すいませんが社長、ワシ、辞めさせてもらいますわ…」
「え、何でや?この店はもうなぁ、変な噂が立ってもうてアカンかもしれんけど、ちゃんと引っ越すから。
自宅で待っといてくれよ。もちろんその間の給料も保証するから」
「………」
「な、頼むわ」
「……社長、ちょっとこっち来てくださいや」
呼ばれるままにコック長の後をついて行き、2人は厨房へと入って行く。
そこからもその臭いは噴出している。
コック長は厨房の奥まで来ると、ソースの入った寸胴をコンロから下ろし、直樹に見せた。
その中にまで投げ込まれている鶏糞。
「ワシ、もう一回自分で店やるん夢見てね。社長も知っての通り、ワシャぁいっぺん店を潰してしもうとるけぇ。
ほいじゃけど夢は捨てんでおこう思うて、財産は全部失うたけど、このソースだけは大事に保管しとったんですわ。毎日毎日面倒見て……」
「………」
「ワシにゃぁ何が起こったんかよう分からんのですが、もう全財産失うたようなもんなんですよ、こがいなことになったら。
このソース失うてしもうて、いろんなもんが根っこから引き抜かれてしもうたんですわ。
ワシにもプライドがありますけぇねぇ。ワシはもう、ダメなんじゃわ……」
「………」
最後は呟くようにそう吐露した彼に、直樹が言って良い言葉など一言すらなかった。
今の俺は行き先を模索している場合じゃない。
心底……
「……申し訳ない」
言うべき言葉は、この一言しかない。
自分の起こした揉め事に、コイツらは関係ないと思っていた人間が次々と……。
このコック長にとって、一鍋のこのソースがいかに尊いものだったか。
何年?何十年?
そうやって積み上げてきた職人の、それは何にも代え難い結集の珠。
そして直樹は知る。
どの世界にも、メンツやプライドというものが君臨することを。
「いやいや、社長が謝らんでも……。こっちこそ、折角声掛けてもろうたのに。
ソースなんか、また作りゃぁエエんじゃろうけど……ほんまに申し訳ない」
……謝るべきは彼ではない。
直樹はコック長に深々と頭を下げる。
「……申し訳ない。ほんまに、申し訳ないことをした……申し訳ありません」
久しぶりに頭を下げたような気がした。
それはいかに自分が利己的で、傲慢かつ無知に物事を進めてきたかという証拠。
直樹はただ、彼にその場で謝罪を繰り返すしかなかった。
こんな時間では、もう清掃業者も営業はしていない。
割られた窓ガラスにダンボールを張り、従業員は皆自宅へと帰らせた。
しかし直樹にはやることがある。
次に直樹がタクシーで向かったのは事務所。
ほどなくして着いたその中では、1人の男がデスクに座っていた。
1人では足らない。
直樹は他の人間を4~5人事務所に呼び寄せ、急ぎ原の詳細を調べさせる。
このタイミング。
アイツの仕業だろう。
原の事務所の場所は各々が持つ人脈と電話を使い、それほど時間をかけることなく分かった。
直樹はそれを確認し、それから、
「おいお前ら、松田は?松田、どこにおるか知らんか?」
そう問うた。
すると1人の男が
「店がメチャクチャになってるって聞いて飛び出して行きましたけどね、その後どうなったかは…」
「………」
イサムも恐らく自分と同じ考え。
俺が入院なんかしていたから、1人で乗り込んでるんじゃないだろうか。
そう考えると、寒気が我が身を襲った。
……取りあえず確認しなければ。
直樹は事務所の人間の軽自動車を借り、急いで自分達の宿泊しているホテルへと走る。
頼むから、アホなことはせんといてくれよ…!
頭を回るのはその願いだけ。
他のことを考える余地などない。
それほど慌てている。
ホテルに着き、松田の借りている部屋に飛び込むと、やはりそこには誰もいなかった。
まさか、アイツ1人で…
未練がましくぐるりと部屋を見回すと、ベッドの脇に置かれているドレッサーに自分の顔を見つけた。
……暢気に包帯なんか巻いてやがる。
何と腹立たしい。
直樹はその場で頭部の包帯を外し、ガーゼを剥がして投げ捨てる。
しょうがない。
ウチにおるアイツも、アイツも、巻き込むワケにはいかんからな。
1人で行くしかないか。
丸腰……しょうがないな。何も持ってねぇ。
松葉杖をどこかに置いてきてしまったことに、今気づいた。
そんなことを気にしている場合ではなく、足の痛みも忘れていた。
直樹は小走りするようにホテルを出て、今度は先ほど聞いた原の事務所へと車を走らせる。
それなりの覚悟ではなく、満身の覚悟。
松田に何かあった場合、
もうすでに何かあった現状、
それらを踏まえると、命を懸けなければならない。
ハンドルを握る手が震える。
『臆病であれば長生きできる』
そんな言葉を何かの本で見たことがあるな。
この状況でも、一片とはいえ自らを愛おしむ自分に腹が立つのと同時に、その同じ場所で今この体がしている小刻みな震えは武者震いであると、奮い立つ自分も見つけた。
……よし、決めた。
覚悟の置き場所は、ここ。
やがて車は目的地へと到着した。
調べたところ、6階建てのこのビルに出入りしているのは原の関係者のみ。
事務所もここに入っているはず。
一応正面玄関のドアを引いてみたが、やはりすでに施錠されていた。
数歩下がって見上げたビルの最上階。
とある部屋に、灯り。
再び視線を下げた直樹の目に入ってきたのは、20センチほどの丸い石だ。
それはガラス張りの玄関ドアの傍ら、綺麗に刈られた植木を囲んでいる置石。
直樹はそれをおもむろに取り上げると、玄関ガラスに思いっきり投げつけた。
バシンッ!!
そのガラスは飛び散ることなく細かい網目を作り、それと同時に、
ビ――――ッ!!!
辺りにけたたましい警報音が鳴り響く。
その音を聞きながら、玄関前で仁王立ちする直樹。
しばらくすると案の定、何人かの男がドアの向こう側へ集まり始めた。
直樹はただ平然と、それを睨みつける。
施錠が解かれ、
「何じゃぁワレエェェッ!!」
怒鳴りながら直樹に向かって飛びかかかってきた男を引っ掴み、真横に投げ飛ばした。
そして、
「原に用事がある。おるな、ここに」
ドアの向こうに5~6人の男たち。
彼らは怒声を上げながらこちらを牽制する。
直樹は黙って仁王立ちしたまま。
やがてその騒がしさの後ろから1人、スッと静かに現れた男がいた。
それは数日前、初めて原と顔を合わせたあの夜、最初に直樹に向かって話しかけてきた、あの男。
彼は仕草だけで男たちを黙らせると、ガラス越しに直樹と面した。
「アンタら、今日は忙しいみたいやな。何の用事や?」
忙しい?
……やっぱりコイツらか。
「オイ、ここに原はおるんか」
「オヤジは今日はおらんよ。さっきもお前の丁稚に言うたやろ」
「丁稚?……松田か!」
ここで直樹は声を荒げる。
「お前ら、松田どうした!攫うとるってか!どこにおる!?」
切羽詰まったようなその叫び声に、男は呆れたような目をして直樹を見やった。
「……まったく、秋月さん。アンタらワンパクが過ぎるんちゃうか。さっきもアンタんトコのそのワンパク坊主が、変な言いがかりつけてウチへ来たんやわ。丁重に扱うて、帰ってもろうたんじゃけどねぇ」
「お前、」
一歩前へ出た直樹を、誰かが腕を出して制する。
男は少し顔を斜めに傾げ、続けて言った。
「さっきも言うたじゃろうが。お宅さんら忙しそうじゃのぅ言うて。何があったんか知らんが、ウチらは関係ないで。
ウチのオヤジとお宅んトコの親分さんで、もう話はついとるんじゃけぇのぅ」
「ウチの親分…?」
「穂積さんに決まっとろうが。アンタ、こないだワシらに、アイツは関係ないじゃー言うとったが、世間はそがいなモン認めんのよ。
これ以上荒らされたらかなわんのですわー言うて話したらのぅ、こういう形でしかできんのじゃけどー言うて、まぁそれなりの落とし前じゃー言うてのぅ、金をウチのオヤジに払うたみたいじゃ」
「………」
「これ以上ウチのシマ荒らさん言うての、そういう話になって手打ちになっとんで。何やアンタ、話を聞いとらんのか」
「………」
「アンタらのイザコザはウチには関係ない。ヘッタクソな揉め事をウチに持ち込まんといてくれるかね。
アンタのやっとることは、もう笑えるところを飛び越えとるんじゃ」
「………」
言葉が出ず、黙り込むしかない。
すると今度は男の方が2歩、直樹に詰め寄り顔を近づけてきた。
「エエか、ガキのお使いで来とるんじゃったら、ソコソコで済ませときんさい。ワシらも退がる場所がのうなったら、前に出るしかないんで?ワンパクが過ぎたら、後でしんどいんで?」
直樹は握り締めていた拳から力を抜く。
どうやら本当に、店を荒らしたのはコイツらではなさそうだ。
……で? 松田はどこ行った。
しかし、ここでそれを聞くのはお門違い。
「まぁウチのオヤジものぅ、アンタのお蔭で穂積さんトコとパイプができたー言うて喜んどったけどのぅ。ワシらからしたら、アンタはエエ働きをしてくれた言うた方がエエかもしれんのぅ。
のぅ、秋月さん。『俺は穂積とは関係ない』?ほんならアンタはドコの子や。いつまでも笑わしんさんな」
そうして、男は玄関ドアの前でしゃがみ込み、直樹の割ったガラスに手をやった。
「このガラスは防弾にもなっとるけぇ高いんでー。まぁ、忙しそうじゃけぇ弁償いうんは言わんといてあげるわ。
ウチで、穂積さんが払うてくれたゼニで直すことにするかのぅ。…のぅ、秋月さん」
いきり立ち、この場に来たときの自分の温度とこの男の温度差に気づき、熱を奪われていく。
自分がみっともなく、しゃがみ込みたい気分に呑まれる。
先ほど自分の中で、コイツらに聞くのはお門違いと表した『松田はどこへ行った?』
その言葉が不本意にも口から漏れてしまった。
「ハハァッ……アンタ、組織力いうんがなっとらんのぅ。ウチものぅ、乗り込んできたんを黙って帰すワケにはいかんのよ。
丁寧に扱わしてもろうて、丁寧に帰ってもろうたで」
直樹はそれを聞き、体の向きを変え、背中を丸めて車へと歩いて行く。
最後にその男から浴びせられたのは、
「今度来るときゃ、うまみのある話を持って来てくださいや!」
その言葉を背中で受け止め、車に乗り込み、その場から逃げ出した。
思っていたような、死への危機感を感じるような修羅場にはならなかったものの、生きた心地のしなかった場面。
ガキのお使いじゃねぇ。
穂積の子じゃねぇ。
だったら俺は、誰の子だ?
俺は何してる?
ゼニを稼いでる?
何で生きてる。
目的は
目標は
好きなことは
趣味は
大事なものは
……虚無感を通り越した空洞を抱えることになった。
やはり俺は、穂積がキライな金持ちのボンボン。
0から始まり100になったアイツと、物心付いたときから100で、100のまま生きてきた俺。
同じ100でも、この差は追いつけない。
色が違う。景色が違う。
見た目が違う。味が違う。
……だったら今、俺ができること。
仕返しに行ったであろう松田を止め、俺の大ごとから遠ざけること。
久保さんを安全な場所で、以前のような屈託のない生活を送ってもらうこと。
この2点なら、何とか……
何とか、じゃない。
俺がやる。
そう決めた。
しかしこの直樹の誓いは、またしても出鼻で挫かれてしまう。
松田の安否が心配でならなかった直樹は、再びホテルの部屋を覗き、松田がいないことを確認してから、もう一度事務所へ行ってみた。
普段ならばすでに灯りは消えて人のいない時間だが、今日はまだ事務所の電気が点いている。
帰れって言うたのに。
……ん?イサムか!?
直樹は急いで車を降り、左足を引き摺りながら事務所へと駆け込む。
バンッと勢い良く開けたドアに、デスクで頭を抱えていたらしい男がハッと振り返った。
それは、松田ではない。
「あ、秋月さん!!」
たった1人で事務所に残っていたその男は直樹の顔を見るなり、つまずくような覚束ない足取りで近づいてきた。
「おい、もうお前がここにおっても、やれることはないんやぞ。帰ってエエぞ」
「イヤ……イヤ、違うんですよ!」
慄いた声。
普段の顔色とは明らかに違うその彼を見て、不審に思う。
「……秋月さん、」
そう言って、彼はゆっくりと事務所のソファを指差した。
「あの、袋……あの袋、開けてください、ちょっと……ッ」
指差されるまま振り向いたその先に、直樹が見たもの。
それは口が巾着になった、かなり大きな麻袋。
……まるで、人を入れるためのものであるかように、とても大きな……
「…イサムッ!!!」
咄嗟に思わず声を上げ、それと同時にその袋に飛びついた。
大慌てで絞られた口を開ける。
「ッ!!!」
……が、中から出てきたのは松田ではなかった。
顔面が無残に腫れ上がり、体中赤や紫の痣だらけの、全裸の女性。
ぐったりとして、ピクリとも動かない。
「オイッ!オイッ!!ちょっと!!コレ誰よ!?」
直樹は悲愴に満ち溢れた声で男に尋ねる。
「……調べたら、ウチのグループのソープで働いとる子らしいですわ。さっき、よく分からん男が5人で来て、秋月さんに言付けたと言って置いてったんですよ…」
「………」
「秋月さん、一体何が起こっとるんです!?ウチのモンはみんなビビッて帰ってしもうたんやけど」
「死んどるんか!?」
「イヤ、息はしてるみたいです」
直樹はその女性の痛々しく傷だらけの左胸に手を当ててみる。
それから口元に耳を近づけた。
「フ……ッ……ウ……」
細く、微かな吐息。
確かに、生きている。
「秋月さんの指示仰ごう思うたんですけど、どこにいらっしゃるのか分からなくって…」
それを聞き直樹は勢い良く立ち上がると、振り返り様に彼の横っ面を殴りつけた。
真夜中の静けさの中、男は机をなぎ倒しながら吹っ飛んで行く。
「ボケエッ!!ボケェッ!ボケェッ!!!まずは病院やろうがあッ!!そんな、そんなことも指示せな、お前ら動かれへんのか!!」
男は横たわり、左頬を押さえ、
「は…はい!すいません!!」
直樹の声は荒立ったまま、
「で!!この女連れてきたのはドコのドイツや!?」
「イヤ、すいません、分かりません」
直後、直樹の渾身は傍にあった椅子へと目掛けた。
「クソオォッ!!!」
蹴り上げられた椅子は宙を飛び、スチールの書類棚へ激突したと同時にそのガラスを割る。
細かい破片を飛び散らせながら、逆さの椅子は壁際まで転がって行った。
「どいつこいつもナメとるなぁ……離れたトコから遠距離射撃か。身内は身内で、武器も持たんで攻撃して来やがる」
「……すいません」
「謝っとらんで早よ救急車呼べ!!」
「はいッ!!」
慌てて受話器を取り上げる男の横で、直樹はドカッと椅子に座り頭を抱え込む。
そして、
―――― イサムは!?
「おい松田は!?イサムはどうした!!」
受話器を持ち、ボタンを押そうとしていた男が答えた。
「あ、そうでした。さっき電話がありました」
「何で早よ言わんのや!?アイツ、今どこにおるんや!?」
「いったんホテルに帰って、一人で行くって言ってました。秋月さんによろしくって言ってました」
「――――ッ!!」
サーッと、一気に血の気が引いた。
原とのケンカにはもう負けたんだ。
指先がかじかむような思いを堪え、直樹は一言、
「あとは頼むで」
そう言い残し、事務所を飛び出した。
車に乗り、今日何度目かのホテルへの道を辿る。
「行き違いになったか……まったく、俺っちゅーのはよう!!」
1人で遣り遂げるため、嵐が待ち遠しいと表した。
それくらい騒々しくないと、大きいゼニは落ちて来ない。
知ってか知らずか、俺は嫌われ者だからな。
赤信号のたびに車を止められ、ハンドルを両手でガンガン叩く。
信号にまで八つ当たり。
こうなったら、万人に嫌われてしまえ!!
そうなっても構わない。
あとでこの借りは返す。
イサム、頼むから居ってくれよ!!
逸る気持ちを抑えることができず、直樹は車を走らせる。
ホテルの玄関前に車を停め、中へ駆け込む。
ギプスの左足にはもう慣れた。
走るのが必要であり、それが前提。
直樹はフロントでキィを受け取り、松田の部屋へと急ぐ。
感じた道程は異常に長かった。
息を切らせ、部屋の前に立ち、それでも一応と鍵を通す前にドアノブを捻る。
……何の抵抗もなく、ドアが開いた。
瞬間、
まだ居てくれたか!
その安堵の波が自分を襲ってくるのを蹴飛ばし、しかしまた来る第二波にいったん呑まれることにする。
慌てることなくドアを開けて中に入ると、松田はベッドに座り、こちらに背を向けてそこに居た。
直樹の立てた物音に振り返ったその顔は、左右とも反比例するように腫れ上がり、心なしか鼻も曲がって見える。前歯もない。
左手には自分で応急処置をしたのだろうガムテープがぐるぐると巻かれており、その隙間から血が滲み出していた。
「、イサム」
その声を聞いてか聞かずか、松田は勢い良く立ち上がり、直樹に向かって吼えた。
「こんだけナメられたら、タダじゃ済ませられねぇでしょ!!」
鼻息荒く、松田もまた直樹の姿を気遣うどころではない。
「オイお前、左手、ソレどうなっとるんや」
「原んトコのヤツにノコギリで挽かれましたよ。アイツら、ブッ殺してやる!!
秋月さんは寝てるし、親分(穂積)に電話したんですけど、出張か何かでしばらく帰らねぇって言うんですよ。だったら俺らでやりますよね!?」
そこで、直樹は松田の右手に握られているものに気が付いた。
黒く鈍い光を放つそれは、拳銃。
直樹は先ほど蹴飛ばし損ねた安堵の波を、もう一度蹴落としてみせる。
今度はうまくいきそうだ。
「オイお前、その銃、どこで手に入れた」
「ハア!?こんなモン、ドコでも買えるでしょうが!それより秋月さん、ちゃんと2丁ありますよ。もっと仕入れられますから、人集めてください。アイツら、ブッ潰してやる!!」
「………」
この世に、嘘を吐かない人なんかいない。
1人もいないんや。
人は自分の得を受け入れられても、損は受け入れられない。
綺麗事を口から吐き散らかして、さも本当は受け入れたいんだが…
そう言いながら、損だけは投げ捨てる。
得に関しては、間引きの作業すらしない。
「……きびだんごでエエかなぁ。なあ?」
「ハイ!?」
自分の中の暗い何かが、ナリを潜めようとする。
今は、そんなときではない。
「土産やないか。穂積のオッサンにな」
「ハア!?何言ってんスか!?」
「俺は明日、帰ろう思うてるで」
「ちょ……ちょっと待ってくださいよ!何言ってんスか!!このままナメられてていいんですか!?」
「ナメられるも何もないよ。まったく……松田、お前よぅ、1人でギャーギャー騒ぎやがって、ほんま。
俺はな、心から恥じとるぞ。お前のことを」
「……ッ」
欲しいときはいなくなるし
拒んだら近づいて来るし
欲しいときに、お前と会いたかったな。
……っていうのは、俺のエゴか。
「お前のお蔭で、エエ恥かいたよ。たかが店潰されたくらいで1人で殴り込みってお前。ドコの中学生や、ほんま」
「俺は!!アンタの顔にドロ塗られたのが我慢できねぇんだよ!!」
そうか。
……ありがとう。
「またメンツの話か。あのな、お前何か勘違いしとるみたいやから教えといたろ。俺はな、金で買えへんモンはいらんねん」
俺の欲しいものは、金で買えないものばかりだ ――――。




