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病葉 2

「イヤ、だから、その小童相手だから言わないんスよ。俺なんかより秋月さんのメンツの方が大事ですからね。俺は何があっても泥塗りませんよ、秋月さんの顔には。

だからあんなヤツら相手にギャーギャー騒がないし。女がどうこうでケンカなんかしてもらいたくないんスよ」

俺のメンツを、お前が大事に思う?

「……おい松田」

「はい」

「お前は一体、俺に何を望んどるんや」

松田は少しの間黙り、俯いたまま返事をした。

「……金儲けってのももちろんなんですけど、秋月さんにいろいろ教えてもらいたいんです。全部、教えてもらいたい。いろいろ勉強して、賢くなりたいんです」

その瞬間、直樹は脳裏に2つの顔を過ぎらせる。

「………」

何となく、肩の力が抜けた。

いったん喉から出そうになった言葉をもう一度飲み込み、噛み砕いてみる。

それから、思った。

今度は何となくじゃなくて、ちゃんと考えを据えておかなきゃいけねぇな。

人は『たとえば』でなんて、生きていない。

やってること全て、確信なんだ。

そうやって、生きてる。

―――― 今度はちゃんと、いろんな覚悟をしておいた方がエエな。

直樹は松田の見えない目を見て、口を開く。

「……オイ、俺はな、昨夜食べたものを言っただけやのに、ウッソ~!なんて言われて、信じてもらえんようなヤツやぞ」

「ハイ!?」

「俺は、お前の親とちゃうぞ」

「……?」

「俺は、笑いながら死ぬって、決めとるぞ」

「あ、ハイ……」

いろんな覚悟。

思いつく限りの用意。

忘れるようなら、書き出してもいいだろう。

鉄壁の数珠を。

「イサム」

「あ、ハイ!」

「もう明日から護衛はエエ。もうせんでエエねん。明日から俺と一緒に○○県へ行くぞ。アッコにも俺の店があるからな。ソコで勤めることになる」

「ハイ。……何で○○県なんですか?」

「見付かったんや。俺の探しとった人がな」

「あ、ハイ。分かりました」

「明日朝イチで出発するけど、お前運転できるんか、ソレ」

松田の腫れ上がった腕を指差し、直樹は言う。

「あ、大丈夫です、これくらい」

直樹は腕を指差したまま、そこから視線を動かすことなく、

「まぁ、行きは俺が運転するわ。帰りはお前がせぇ。明日9時に迎えに来い。車で来んとタクシーで来い。俺の車で行くからな」

口早にそう言い終えるとその場を後にし、自分の車へ乗り込んだ。

ルームミラーを見ると、こちらに向かって頭を下げた松田が映る。

駐車場を出る前に『あ、免許証…』と思い出したが、

……ま、明日でも明後日でも明々後日でも、この調子やといつでも受け取れるやろう。

そう思い、そのまま走り去る。

それと同時に、直樹は紀子に会いに行く覚悟を決めた。



自分が何故紀子を探していたのか、どういう関係なのか、そういった類のことは松田には聞かせていない。

松田に言っていることは最小限。

彼女『久保紀子』に、俺のことは一切話すな、と。

もし彼女の生活に何か不自由があるようだったらサポートをする。

そう伝えた。

―――― 今回の『久保紀子』は、あの久保紀子だった。

誘い出すのが困難かと思っていたのだが、紀子は松田の誘いを聞き入れ、今、この場にいる。

この地で一番立派なホテル。

陽の差す明るい、そのロビー。

直樹はサングラスを掛け、帽子を目深に被り、俯いた状態で、松田とは無関係の人間、そんな姿勢を装っていた。

今、直樹の座っているソファと背中合わせで紀子が座っている。

あの紀子が。

松田の声は直樹の元までは届いて来ない。

聞き耳を立てたまま、紀子の話す内容を考えることなく、声のみをただただ有線のように耳に入れていた。

心地よい音。

懐かしい、しかしまだ聞き慣れないトーン。

広いロビーには人はまばらで、直樹はじっと一点を見つめたまま紀子のその声に聞き入っている。

それからしばらくして、紀子は「昼から学校があるんで」と席を立った。

去って行くその後姿を、直樹はじっと見送る。




―――― しばらくぶりだね。

そんな言葉を掛けられる筈もなく。

俺はまるで背中全体が鼓膜なんではないか、そう思えるほどに過度に反応し、聞いていたよ。

あなたの人生を思うと、今回の俺はしゃしゃり出た以外の形容方法がない。

分かっているんだ。


久しぶりにあなたと話ができるよ。

そんなおこがましい考えは微塵もなく、

あなたは俺を忘れただろうから、覚えている俺が目の前に現れ、また思い出してもらって1から始めよう。

そんなことを言うつもりもない。

ただただ、あなたはきっと傷心しているだろうからと決め付けている俺が、姑息にかつ厚かましく、裏から手を回そうとしているだけなんだ。

決して表には回り込まない。

だから、あなたは今回の俺の行動を許す許さないの前に、知らないと思ってくれ。


知らなければ刻々と時は流れて行くだけ。

知らない間に俺がするよ。


あなたは何も、心配することはない。 ――――




紀子が去った後、直樹と松田はすぐにその地にある事務所に向かった。

音としか聞いていなかった紀子の話の内容を、直樹は松田から事細かに聞き出す。

紀子は現在大学に通っている。

20歳になったとき、やはりと思い立ち大学受験をして合格していた。

それまでの経緯は、直樹にとっては耳を塞ぎたくなるような内容だった。

父親が蒸発。

母親の実家があるこの地に移り住むことになり、祖母と3人で生活していたが、その内母親も蒸発。

紀子は祖母の面倒を見ながら高校を卒業し、ずっとお金のない生活を強いられていた。

祖母の年金と紀子のアルバイトのお金で生計を立てていたのだ。

しかも大学へ行くための奨学金の審査が通らず、夜は風俗で働きながら昼間大学に通っていた。

松田の、何故そこまでして大学に?という問いに、紀子はこう答えた。

「1円から始まるお金の数々、アレを置く場所はスペースとは言わないんですよね。お金ありきの私だと思うんです。

1時間働いて1000円もらうより、2000円貰った方がいいじゃないですか。この1000円の差は大きい。

その1000円分の空間に、私は私情を挟むつもりはないんです。

この世に生まれたからには皆がそこを目指す。目指さなきゃいけない。そうしないと散ってしまう人がいるんですよ。

私情は挟まないけど、懐には収めているつもりです。

今まさに散ろうとしている人を助けようと思うのもまた私情で、またそれにはお金がかかるんですよね。

大学を出れば、おそらくその1000円の差への悩みは解消される筈。そう思っているんです」

直樹は松田の話を、身動きすることなくじっと聞いていた。


前より声が低くなったな。

歩き方は全然変わらない。

顔も全然変わっていない。

髪は随分と長くなったんだな。


目に映った時の印象を、松田の話を聞くまでただ持ち続けていた。

見たものと聞いた音としてまたまた痛感するのは、どこまでも俺は自分自身を愛おしんでいるということ。

おそらく彼女のことを美化するのは勝手だろう。

ただ、それは俺の都合。

都合と都合の間にはギリギリ飛び越えられないほどの、流れの激しい何かがある。

直樹は気を入れ直し、松田に言う。

「俺にできることは……エエか、イサム。揉めても構わん。彼女に痛みがなければな。どんな手使うてでも、彼女をウチの店に引っ張って来い。ギャラは今居る店の倍出す。そう伝えろ」

そんな話はない。

そう胡散臭がらせないように、まずはギャラを倍。

本当はいくらだって出せる気でいる。

店でなんか働かせようとも思わない。

学校にだけ、通ってもらいたい。

ただ名目として、松田も含めた周りの人間が、まずは訝しむことのないようにと直樹は努める。

直樹はもう一度、念を押した。

「エエか、イサム。何個揉めても構わん。どんなケンカでも買うたる。だから、どんな手使うてでもウチへ連れて来い。

2倍が気に食わんなら、徐々に上げていけ。何が何でも連れて来るんや。ただ、絶対に彼女に火の粉だけは浴びせるな。2回言うたら分かるやろ?」

松田はその直樹の言葉に「はい!」と返事をして席を立ち、事務所を出て行った。

紀子の勤めている店が、ヤ○ザ事務所が総括している店だということは聞いている。

だが直樹の返事は、『そんなことは久保さんには関係ない。俺の問題や』

直樹はそのまま、今持っている信条を貫いていく。




―――― 彼女に、世の中金だと言わせてしまった。

彼女の今の生活があるのは、俺からの汚染でできたもの。

飛び散って、強いられたもの。

彼女が苦としてきたものは、最初がアレなら経過はどうだったのか。

俺はどこまでも考えなければいけないんだ。


風俗勤務の女性たちを、俺は思考や言葉で形容するつもりはない。

俺は彼女たちの作り出したもので、今、生きているんだから。

ただ、久保さんがあの仕事をしているというのは、本意から来るものではないというのは誰にだって分かること。

俺にだって分かる。


生まれてこの方、ヨゴレていなかった期間がない俺が、移した汚れ。

取れない責任であろうが何であろうが、責め続けなければいけない俺のさだめ。

いっそ彼女は、俺に何らかの仕返しをしてくれないだろうか。

そんな風に、明白に考える。

その思考とは裏腹に、どこまでも自愛の念が深い俺は、自分を愛でて仕方ないのだろう。

大ごとになるかもしれない、実に軽率な今回の俺の行動は、俺が抱き続けている彼女への恋愛感情に他ならない。

これもまた自愛だ。


女々しいというあの言葉、何とかならないものか。

個々それぞれの性格というものがあるだろうが、俺の言葉として考えたとき、俺は男。

あの言葉を他の形に変えてみてはどうかと思うよ。

俺を形容するにピッタリの言葉なのだから。


彼女と直に話をすれば、しづらい理解もしやすくなるのではないか。

呼吸や間、目で知れることもあるのだろうが、そこまでしても蓄積した彼女の中の物体は、俺の理解の範疇を超えているのだろう。

きっと、そう。


相当な覚悟と、そう思っていたのだが、自愛の塊である俺が彼女に刃物を献上するなんてことができるのだろうか。

更に、それで彼女の気が治まるのだろうか。


突き刺す回数で恨みが浄化されていくのならば、何度でも耐えてみせようと、今の俺は思っている。

自愛の塊である俺だが、何回でも耐えようと、そう思っている。

2~3回で死んでしまったら、あなただって面白くないだろう。


……久保さん、体調は良いかい?


あなたにもしも何かあれば、その時はあなたのための刃物を持って、

俺はすぐにでも、あなたに会いに行ける。――――




これといった問題も起こることなく、時間は流れた。

松田と共にこの地に移り住み、すでに1月以上の時間が過ぎていた。

何か問題があった場合、全てウチで引き受ける。

ギャランティは倍。

その他諸々の条件を提示したことで、紀子はすんなりと直樹の経営する組織へと籍を移した。

裏で糸を引いたのが自分であるということも、どうやらバレていない様子。

口が裂けても俺の名前は言うな。

代表の名前を聞かれたときは『穂積』と答えろ。

人の口に戸は立てられないとこれまでの経験で熟知し、自らに刻み込んでいたつもりだが、直樹はこの件に関してはピンポイントで松田を信用した。

他人のことを信用しない。

自分が信用されることも拒絶する。

その軸がブレたつもりはないが、今回の件は別として松田を信用信頼し尽くした。

松田はこの地にある直樹の経営するホストクラブとキャバクラを、曜日で分けて掛け持ちしている。

直樹はこの地では、表に出るのを止めた。

紀子と出会う可能性のあることは極力避け、裏方に徹している。


この日直樹はホストクラブに出勤し、裏の仕事に務めていた。

山のように溜めていた事務処理をこなしていると、いつの間にか時計の針は夜中の1時を回っている。

アカンなぁ。目がシバシバしてきた。

10時間くらいしかやってないのに。

直樹は席を立ち、外の空気を吸おうと裏口から通りに出る。

缶コーヒーでも、と向かったのは、狭い路地裏のゴミ置き場の前にある自販機。

はみ出したゴミ袋を避けながらコインを入れていると、不意に背中側から怒声が聞こえてきた。

憚りのないその大声に、直樹は振り返る。

「テメェッ!ナメてんじゃねぇぞ!?俺にいくら借金してると思ってんだ!!どんな手ェ使ってでも払ってもらうぞ!!」

その声の主は知っている。

……イサム。

両手をビルの壁につき、それに挟まれるようにして立っている1人の女性。

俯いたまま、声も出せない様子で怯えている。

街灯に照らされている2人を、直樹はじっと見つめた。

「テメェが払わねぇと俺の給料から天引きされんだよ!テメェだってそれくらいのルール知ってんだろ!」

「……ご、ごめんなさい……ッでも、お父さんにバレてしもうて、もうお金持って来れんのよ」

「ハアッ!?テメェ、オヤジの金で遊んでたってのか!嬢サマってのは知ってたけどよぅ。今月分もついでだろ。土下座してでも出してもらえよ」

「イヤ、でもカードを取り上げられてしもうたんよ。私だってイサムくんに迷惑掛けとうないけぇ、ちゃんと払いたいんじゃけど……」

すると松田は右手で彼女の両頬をグッと握るように、下から掴み上げた。

「テメェの事情なんか知らねぇよ。……だったら売って来い」

『売って来い』という言葉に女性は黙ったまま、何を言っているのか分からない、そんなリアクションで返事をした。

「いっぱい風俗店があんだろ。ソコで働けよ」

その言葉を聞き、彼女は押さえつけられている顔を無理やり横に振る。

「アレもできねーコレもできねーじゃ話になんねぇだろ!俺が紹介してやるから行って来いってんだよ!!」

松田の怒声は静かな路地裏に響き渡る。

そこまでを聞き、直樹は2人に歩み寄った。

「おい、イサム」

その声に振り返る松田。

「ああ、秋月さん。……コイツ、シャレになんないんですよ」

「……お前な、声デカイんじゃ」

「あ、スイマセン」

直樹は俯いたままの彼女の正面に立ち、話しかける。

「アンタ、実家住まいしてんのか」

「あ、……はい」

「父さんにバレてしもうたんか。この店で遊んでるっての」

「……はい」

「勤め先は?仕事何してんの」

「はい、……役所に勤めてます」

「……今日はもう帰ってもらえますかね。ちょっとコイツも熱うなってしもうてるから。今日のところはよろしいですわ」

直樹が言い終わるのと同時に、彼女は挨拶もなく慌てた様子でその場を走り去る。

「な!!ちょ、ちょっと秋月さん!何するんスか!?」

「お前な、こんな時間にこんなトコで大声出しとったら近所に聞こえるやろ。それでのうても、こういう店やってるってだけで評判が悪いんや。街から追い出されたらどないするんや。それにお前、ゼニ引っ張り出すにも方法があるやろ」

直樹の言葉に、松田は女性の後姿を目で追うのをやめ、振り返った。

「…方法?何言ってんですか。秋月さんがやってた方法をマネてるだけですよ、俺は。秋月さんだって、ずっとそうやってやってきたんでしょうが」

……思い当たる節は多すぎて、いつの話をされているのかすら思い出せない。

「お前は別に、俺のマネなんかせんでエエんや。俺はな、仕事は目で盗めなんて懐古主義者とちゃうぞ。聞かれたら何べんでも教えたるわ」

「秋月さんだって忙しいでしょ!時間取らせられないですよ!だから俺だって、自分で考えてやってんですよ!」

松田の言い分はもっともだと思った。

この地に引っ張ってきたにも関わらず、構ってやれていない事実。

ただ一部で信用し、どこかで親しみを持ってしまっている松田に対して、自分のようにはなってもらいたくないと、直樹はそう考えていた。

直樹は松田の胸倉を掴み、低く言う。

「……おいコラお前、誰に口利いとんじゃ。次からどないするんや。俺に言われた通りにやるか、反故にするか、どっちや。今すぐ決めェ」

「……ッ」

直樹にじっと睨まれ、松田は自身も少し勢いのある目つきで直樹を睨み返す。

それから、自分の胸元にある直樹の手を叩くように振りほどいた。

「分かりましたよ!ああいう追い込み方はすんなってことですよねッ!」

「……彼女、公務員なんやろ。何とでもなるやないか。イサム、焦んな」

「………」

松田も、時が流れるにつれてこの地に慣れ、直樹にも慣れてきたようだった。

一途に背中を追い掛けてくる松田の『稼ぎ頭になり、一刻も早く直樹に認めてもらいたい』などという心情は、しかし直樹の頭を掠りもしない。

自意識過剰にはなれない直樹。

元から、他人に対して何かをくれという発想はなく、ただ提供したい。

松田に関しても同様で、自分が彼に何かを欲することはなく、与えることばかりを考えていた。

誰かが自分に何かをくれようとしていることに対して、自分が応える。

そんな考えには至らないのだ。


その日、直樹の事務所に1本の電話が入ったのは、昼前のことだった。

相手は穂積の部下。

『おい秋月、お前、親分の名前使うて何やっとんや?』

その言葉の内容を、うまく汲み取ることはできなかった。

俺が何かしたか? 

そう考えていると、電話の主が変わった。

受話器の向こうに現れたのは穂積。

久しぶりに声を聞いた。

『秋月、ワシ、アンタにちょっと用事があるんやけどな。どうしようか。ワシがソッチに行った方がエエか?そがい長ぁかかる話とちゃうんやけどな。電話やとホラ、アレやから』

穂積の部下に投げられた言葉から、話の内容が良いものでないことは俄かに想像できた。

しかしこの時、直樹は何となく気分が浮かんだような気がした。

「イヤ、俺から行くよ。今から行くわ」

そう返事をして、今穂積がどこにいるかだけを聞き、電話を切る。

穂積の元へ行くのに、大した用意などない。

ただ気になるのは、留守の間のこと。

自分がいないとなれば、必然的に自分の息のかかった人間、松田に後を任せる形になる。

直樹もそれでいいと思っていた。

直樹は松田に「ちょっと2~3日出る」とだけ告げて、車で穂積の元へと向かった。


その街に着いた時は、もう日が暮れて辺りは真っ暗になっていた。

聞いていた住所へと向かうと、そこには一棟の大きなビル。

……コレもあのオッサンの所有物か。

聳え立つビルを見上げ、一つ溜息が零れた。

正面の入口から中に入り、受付で自分の名前を告げると、同時に奥から1人の男が現れる。

「秋月、コッチや。奥で話するで」

「………」

見覚えのないこの男が、自分の顔と名前を知っている。

目の当たりにしたそれに、噂でも聞いた自分に対する他人の不快が頭を過ぎった。

……別に、特別扱いされているとは思っていない。

しかし今の自分の形を見て、面白くないと思っている人間はたくさんいる。

穂積との関係その他云々。

稼いでいる事実も然り。

そして、その方法も。

廊下を並んで歩きながら、その男は直樹に高圧的に話しかけてきた。

「オイお前、○○町にある○○さんトコの店、アレお前が潰したらしいやないか。どがいな手使うたんや」

「…ああ、ありゃ近所に塾と眼科の病院作ったんよ。取り合えず即席でな」

「そんなん、後から病院とか作っても意味ないやろうが」

「そんなモンな、何とでもなるぞ。登記簿ちょいちょいとイジくって、チクッたったわ。お蔭で安うにその店に入れたで」

「お前、追い出すだけやなぁて乗っ取ったんか!」

「ああ」

「………」

廊下の突き当たりのドアを開けると、大きなビルに似合わない小さな部屋が一つあった。

2人はそこへ入る。

「親分はもうちょいしたら来るから。ソコへ座って待っとけや」

怒り顔を通り越し呆れ顔になっているその男を見て、やはり良い話ではないなと思いながら、直樹はゆっくりとソファへ腰を下ろした。

穂積がやってきたのは、それから数分後。

「おーい秋月くん、久しぶりやないか」

そう話しかけてきた穂積は、笑顔だった。

彼はところどころに泥がこびりついた、グレーの作業着姿。

汚れた軍手を外しながら、部屋の奥へと歩み寄って来る。

……本当に久しぶりだ。

直樹も座ったまま、穂積の顔をじっと見つめる。

「アレ?久しぶりやろ。久しぶりやんなぁ。ほんならもっと喜んでもエエんやで?」

穂積は作業着を脱ぎながら、直樹の方を見ることなく話を続ける。

「このビルの裏手になぁ、更地があったから、小っちゃいけど畑作ったんや。お芋さんや大根作ってもオモロないからなぁ、いちごとか枝豆とかな、育てとんねん。後で見したるからな。……アレ?喜ばんかい。ワシがこんなに喜んどるのに」

そんな話は時間の無駄だ。

早く本題に入れ。

直樹は久しぶりに穂積と話せる時間が持てたことを喜んでいるのと同時に、ほんの少しばかり緊張もしている。

悪しきことは早く済ませたい、とそう思いながら。

穂積と2人だけで話をすることになるだろうと期待してここへ来たが、今回もやはり先ほどの男が同席していた。

まるで、俺が何かをしでかすのではないかと、そんな素振りで目を光らせているような気配。

「で?アンタは今、若頭みたいな呼ばれ方してチヤホヤされとるんかいな」

穂積が切り出したのは、そんな言葉からだった。

「……俺にそんなあだ名はないよ」

直樹がそう返事をすると、穂積は「よいしょ」と声を出しながら、置いてあった事務用の椅子にボスンと腰を掛ける。

「アンタ、成金と金持ちの違い、知っとるか」

疑問形ではあったが、穂積は直樹の返事は期待してないようだった。

彼は続けて話し出す。

「成金っちゅーのはな、その血筋の、まぁ言うたら初代やな。ほんで金持ちってのはな、その成金から派生する2代目以降のことを言うんや」

……このオッサンは、会えばいつも俺に説教をする。

しかし直樹は、ふと昨日の松田のことを思い出した。

そして記憶を少し、また少しと遡らせていくと、俺も毎日のように説教しているということに気が付いた。

自分よりも倍近く生きている人に向けて、しゃあしゃあと説教している自分を思い出した。

穂積は自分の膝に両肘をついて手を組み、直樹の方へ身を乗り出すようにして前かがみの体勢を取る。

「ワシ、知っとんねん。アンタは生まれてこの方ずーっと金持ちなんや。ワシ、昔は金持ちがキライでなぁ。アンタみたいなんも大キライなんよ」

直樹は少し俯き、穂積の言葉をじっと聞いていた。

「ワシは子どもの頃は満州で……まぁワシの生い立ちから始めたら半日かかってしまうからいいか。

ワシ、ずーっと貧困の極みを見てきたんや。雨降った後のぐちょぐちょになったドロ見て、うまそうやなーって思うたこともあるで。

そんな生活してきたからなぁ、子どもの頃から大きいなったら絶対金持ちなったんねや、そう思うとったんやよ。……何も知らんとな」

椅子のキャスターがキュルキュルと音を立て、直樹に近づいてくる。

「……知らんかったんや。ワシは、なれたとしても成金で、ほんまモンの金持ちいうんにはなれへんいうことにな」

穂積はいったん息を継ぎ、続けて言う。

「何でもそうやろ。ゼロから始まってや、マイナスがおるから必要としてプラスが生じる。プラスがおるからイヤでもマイナスがおる。

ようけぇようけぇな、泣かしてきたから、ワシはようけぇようけぇ笑うてきたんや。泣く人がおらんとな、ワシが困ったんや。誰かに泣いてもらわなプラスがワシのトコに回って来んやないか。そうやろ?……アンタ、この1年くらいでどんだけ泣きっ面見た?」

「………」

覚えてないほど。

そう答えるのをやめ、直樹は口を噤む。

今日の直樹は、穂積のそういう言葉を嫌に素直に聞くことができた。

「この世にほんまに必要悪っていうんは要るんかね?必要悪って何やろなぁ?秋月くん、アンタほんまに悪党になる必要あったんか?元々キライな金持ちのアンタが悪党やってしもうたら、ワシ立つ瀬がないやん。ほんで、もっとキライになるやんか」

するとその時、一緒に話を聞いていた男が口を挟んだ。

「オイお前、オヤジが何言うてるか分かってんのか」

このタイミングでの男の言葉は、直樹にとって茶々でしかない。

そう思った直後、穂積が男を振り返った。

「そうやな……おい赤木、悪いけど邪魔せんといてくれるか。2人で喋っとるんやわ。ちょっと部屋出といてよ」

穂積の言葉に、赤木と呼ばれたその男は声を荒げる。

「ちょっと待ってくれや、オヤッさん!アンタ、何でコイツそんな特別扱いするんや?コイツ、一体何なんや!?」

「『コイツ、一体何なんや』?アンタも聞いとったやろ。ワシ、この子みたいなんキライなんやって」

「………」

「………」

「………ま、分かった。何かあったらすぐ呼んでよ」

そして赤木は部屋を出る。


直樹が何となく望んでいた、そこは穂積と直樹2人だけの空間。

ドアの閉まる音が聞こえたのと同時に、直樹はぼそりと穂積に告げた。

「……俺も言いたいことがある」

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