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茫洋 4

直樹がタクシーを降りたのは、サトミの店から3つ離れた街。

シャッターの閉まった、ある店の前に立っている。

その店には『模型○○○』と掲げられた看板。


ここで間違いないな。

直樹はそれを確認すると、下りているシャッターを何度も何度も叩き始めた。

もうすっかり眠っているかのような暗いその通りに、ガシャンガシャンと派手な音が響き渡る。

しばらくすると、店の中から声がした。

「もう店は閉めたんだけどね。何の用事?」

それと同時にシャッターの新聞受けがキイと開く。

直樹がそこから中を覗き込むと、店主らしき男の顔。

「鏑木……鏑木一休言うんやけどな」

カブラギイッキュウ。

これがまず最初の合言葉。

「………」

店主はその名を聞くと、無言のままシャッターを3分の1ほど上げた。

「早く入って」

口早に急かされるまま、直樹はしゃがんで店内へと入る。

店の棚にはプラモデルや塗料がずらりと並び、壁にはたくさんのモデルガンが掛けられている。

「シャンプーとボールペンが欲しいんやが」

これが第二の合言葉。

直樹は以前、片桐の組でこの店の話を聞いたことがあった。

その時は自分には関係ないことと処理していたが、思いがけず必要とする時が来てしまった。


直樹の言葉に、店主は色つきのメガネの奥から直樹を見つめ、小刻みに肯く。

そして黙ったまま地下へと続く階段へ向かい、直樹に手招きをした。

店主に案内された地下室、そこは結構広い場所で、全ての壁がコンクリート剥き出しになっている。

目の細かいネットがあらゆるところに掛けられ、的がいくつか。

「アンタ、いくら持ってんの?」

今、自分が取っている行動に対し、多少ではない動揺を持っているには持っているが、直樹はそれがバレないように心がけていた。

いかにも慣れているかのように振舞うよう、心がけていた。

直樹は先ほどサトミから受け取った札束をズボンのポケットから取り出し、店主に渡す。

彼はそれを受け取ると、すぐに札勘を始めた。

「できるだけ音のせんヤツがエエんやけどな」

その言葉を聞いているのかいないのか、店主はお金を数え続ける。

なるべくキョロキョロしないようにはしていたが、足元にプラスチックの丸い弾が落ちているのに気が付いた。

モデルガンの、BB弾。

しばらくして札を数え終わった店主が直樹に向かい、

「これだとそんなにイイの買えないよ」

そう言い、直樹を手招く。

この部屋はモデルガンの試し撃ち用の、いわばダミーのような部屋。

ポスターが貼られた、壁と思われた場所には引き戸があり、店主はそこの鍵を開けて中に入る。

扉の向こうは小さな部屋で、ダミー部屋と同じく壁はコンクリートの剥き出し。

違うのは、その壁に何重にも体操用のマットが立て掛けられていること。

入って数歩のところには細長いテーブルが置いてあり、その天板から天井までは強化ガラスなのかアクリル板なのか、透明な高い窓が一面に伸びていた。

そして中心に一つ、受付窓口のような半円状の穴。


「この金額ならコレと、弾4発だね」

店主はテーブルの引き出しの中から一丁の銃を取り出し、直樹に見せる。

「4発?もっとくれや」

4発もあれば十分ではあったが、直樹はまだ更に演じている。

「せっかく関西から来てくれたみたいだけど、4発だねぇ」

「………」


―――― ここでまた、思い出したくない記憶が一つ蘇った。


「じゃあ試し撃ち用の1発だけちょうだいや」

「ダメダメ。あんまり売れるモンじゃないからね、オマケしてたら儲からないよ」

それでも直樹は、この銃がちゃんと弾を発射するのかどうか確認したかった。

「じゃあエエわ。せやけど1発試させてもらうで」

直樹は受け取った銃に、4発の弾を込める。

「ここからこう撃てばエエんよな?」

そう言いたいのを押し殺し、店主に何も質問しないまま、半円状の穴に銃を突っ込んで引き金を引いた。

―――― パンッ!!

派手な甲高い音と共に、立て掛けられているマットの1箇所から煙が上がる。

「…気に入ったわ」

直樹は銃をポケットに収め、店主を振り返った。

「コレ、このまま俺に売ってしもうてエエんかいな?俺がどんな身分か、どこの枝か分からへんのちゃうん」

すると店主は、意外な言葉を聞いたように一度驚き、笑って返事をした。

「アンタらに身分なんかあるの?確認のしようがあるの?私ゃそれなりの覚悟して、この商売してるんだけどねぇ」

その店主の台詞にいらぬことを聞いたとここで後悔を蓄え、しびれる手をポケットに突っ込む。

それから、テーブルの上に無造作に置いてあった大きめのタオルを指差し、

「オッサン、このタオルもらっていいか?」

店主が肯くのを見て、直樹はタオルを掴み、もう一度彼を振り返った。

「じゃあコレ、もらってくわ」

言い置き、地上への階段を駆け上る。

店の外に出て、直樹は一つ深呼吸をした。

「よし、試し撃ちでもう慣れた」


丁度目の前を通り過ぎようとした1台のタクシーを捕まえ、再び乗り込む。

運転手に告げた目的地は、一つ街を戻った場所。

……あのオッサン、覚悟とか抜かしやがったな。

あんなヨゴレに教わることがあるなんて、やっぱり俺はもっとヨゴレか。

覚悟ねぇ……。

これは金では買えんか。

どうなんやろ。


タクシーは直樹を乗せ、もう一つの目的地へと走る。

聞いていた大体の住所でタクシーを降り、色とりどりのネオンを見上げながら、通りをゆっくりと歩く。

やがて、目の前にオレンジ色の大きな看板があるビルへと辿り着いた。

……コレのことやな。

そのビルには、窓に何箇所もテナント募集の広告が張られている。

直樹はビルの横を通って、裏手に回りこむ。

するとサトミの言った通り、手入れのされていない植え込みの隣に地下へと下る階段があった。

その階段をゆっくりと降りて行くと、突き当たりにはドア。

直樹は躊躇することなく、その扉を叩いた。


コンコン


そのノックの音に、扉の向こうから「おー」という返事がした。

直樹はその場で、拳銃を握った手ごとタオルでぐるぐる巻きにする。

……こんなモノが防音になるかどうかは分からんが。

ドアの施錠が解かれるのをじっと待っていた直樹、しかしいくら待ってみても声の持ち主が扉を開けに来る様子はない。

ノブに手をかけそっと捻ると鍵はかかっておらず、ドアはそのまま何の抵抗もなく開いた。

直樹が踏み込んだその空間は生活感が全くない、そんな部屋。

薄暗い電灯1つに、テレビとソファが置かれている。

さっき直樹のノックに返事をした男はこちらに背を向け、テレビゲームをしていた。

直樹はドアを閉めて鍵をかけ、靴を履いたまま5歩ほど前に出る。

男はゲームをしながら、

「シャケのおにぎりあった?」

そう直樹に問うた。

こちらを振り向かないその男。

直樹はその場所から、その男目掛けていきなり、


―――― ッパーンッ!!


直樹の放ったその銃弾は、背中を向けたままの男の腰へと命中した。

瞬間、音とも取れるような悲鳴を上げ、男はその場でのた打ち回る。

「アガ…ッ!!アグッ…アガガアアァァ―――……グアアアァァッ!!」

ここで直樹は一つ、

「静かなヤツ頼む言うたのに、結構デカイなぁ…」

悶絶する男を見下ろし、銃に対する不満を洩らす。

そしてもう一つ、

「こんな小っちゃいモンでも、やっぱり体に入ったら痛いんやなぁ」

その直後、トイレと思しきドアがバタンッと勢い良く開き、驚愕の顔が飛び出してきた。

……コイツも俺を襲った一人やな。

直樹は駆け寄って来るその男にもすかさず銃口を向け、

「動くな」

そう、いつもと変わらないトーンと口調で、男に告げた。

「何だテメェッ!!こんなことしてどうなるか、」

そこまで聞き、直樹はその男目掛けて、


―――― パンッ!!!


男と直樹の間は1メートルちょっと。

至近距離から放たれた弾は左肩に当たり、後ろの壁へ血飛沫を飛ばす。

男の体は左肩から回転するように後方へと捲くれ込み、口からは先ほどの男と同じような声が迸る。

「アブなー…。動くな言うたやろ?動くな言うのは口も含めてじゃ、ボケェ」

直樹はそう言うと、血にまみれた左肩を抑えて悶える男に歩み寄った。

「エライもんで、こんだけ近いと見事に当たりよるな」

それから、自分の撃ったその傷口を足でグリッと踏みつける。

「ギィアアァァッ!!!」

「まぁ、これくらいされる覚悟はあったんやろ?東どうこうは置いといてよぅ。俺もほら、ヤラレッぱなしじゃおれんやんか」

狂ったように暴れ苦しむ男を更に踏みつけながら、直樹は振り返る。

そして、腰を押さえてくの字で横たわる男の顔を確認した。

それは昨日、直樹のカバンの中身を道端にブチ撒けた男。

直樹は左肩から足を退かすと、今度はその男に歩み寄る。

しゃがみ込んで男の髪の毛を引っ掴み、顔を上げさせた。

「お前やんなぁ?俺のカバン引っ繰り返してくれたん。1個な、一晩中…お前のせいで一晩中野宿させてしもうたんや。責任取ってよ」

その時、背後からガタンッと音がした。

振り向くと、左肩から血を流した男が起き上がり、ヨタヨタと箒のようなものを掴みに行こうとしている。

直樹は即座に銃を構え、その男に向かってもう1発、

パーンッ!!

発砲音と共に男の左足から血が噴き出し、その体はまた回転するように倒れ込んだ。

「だーかーらぁ!動くな言うてるやんけ。俺はもうボケてへんぞ?シラフでおって、この場でただのハッタリする思うか?死にたぁなかったら動くな」

あちらでもこちらでも、血液がドクドクと溢れ出し、床や壁を醜く汚している。

直樹は目の前の男に向き直り、話し始めた。

「あんなぁ、俺のこの関西弁、ほぼ完璧や思わへんか?」

痛みからか恐怖からか、涙をボロボロ流しながら男は直樹を見上げる。

言葉にならない哀願をするように。

「俺な、中学までコッチにおってんけどな、その後関西で暮らしとって、まぁ数年で覚えたんや。教えてもろうたんや。完璧やろ?彼女とツレ2人に、教えてもろうたんや。

せやのにな、彼女は俺が追い込んで街から出て行かなアカンようになって、ツレ2人のうちの1人は死んで。もう1人のツレはな、元気でおんねん。せやけど、俺の近くにはおらん。せやけどな、俺は見捨てられたとは思うてへんよ。

アイツらは、ずーっと俺のことを覚えてるやろうからな。だから俺も覚えとくんやわ。分かる?」

滂沱の涙と大量の血を垂れ流し、横たわったままの男。

その目をじっと見下げて、直樹は言った。

「なんぼカスでもゴミでも、そう信じて1人で思うとく分には構へんやろ。お前もそう思うやろ?」

そして、哀願する男の顔面を、直樹は思いっきり蹴り上げる。

ガツッ!!

首から上が吹っ飛ぶように仰け反り、今度は顔面を手で覆うように押さえる男は、

「アガアアァァ――――ッ!!!」

叫んだ後、

「勘弁してくれ!!」

そう言った。

「『勘弁してくれ』!?」

直樹はそう返事を返す。

うん、うん、と何度も何度も肯く男。

「ゴミのくせに喋るんやなぁ、お前」

直樹は一言零し、それから、ヘッ!と笑った。

「俺と同じやないか」

そして自分も同じようにしゃがみ込むと男の髪を掴み、タオルで巻いた銃を構える。

「お前、やっぱり死んどくか」

銃口を額に当てると、男は白目を剥くほどに目を見開いた。

痛みも忘れたのか手も足も首も、瞼すら硬直させ、全身をカタカタと震わせている。

直樹は構わず引き金を引く。


―――― カシャンッ!


今度のこの音は意外ではなく、計算。

弾は3発しかない。

全身を突っ張らせ、口を開けたまま眼球がこぼれるほどに目を見開いた男は、しかし直樹を見てはいない。

直樹はスッと立ち上がり、2人に向かって口を開いた。

「東に言うといてくれるか。俺はアンタにケンカ売るほどアホとちゃうってな。その仕事があるから生かしといたるよ。ほんなら頼むでー」

直樹はスタスタと、入ってきたドアを出て行く。

扉を潜り様に、

「二度と俺に会うなよ。次は死ぬぞ」

そう言い放ち、ドアを閉めた。


階段をゆっくりと昇り、地上へ上がる。

両手を広げ、静かに照らす街灯に自分の姿を映す。

返り血はない。

右手に持っていた拳銃をタオルごとポケットに突っ込んで、直樹は大きな通りへ向かって歩き出した。


……焦げ臭かった。

タオルが燃えた匂いか、火薬か。

今あった出来事は、火の匂いの思い出しかない。

今日はエライ暑いなぁ…。

それくらいしか記憶には残さんやろう。


……こんなことくらいで銃持ち出すなんて、尋常やないぞ、俺。

そう思い、ニヤッと笑った。


直樹は三度タクシーを拾い、サトミの店へと戻る。

本当に、どうってことない。

俺は、どうってことない。

道中、自分にそう言い聞かせながら。


タクシーを降りた直樹はゆっくりと歩を進め、サトミの部屋へと向かう。

途中、先ほどのドブ川を覗き込んでみた。

あー……アイツ、もうおらんやんけ。

生きとるみたいやな。

だったら生きればいいよ。

……あとの2人は知ったこっちゃねぇ。

そう思い、ポケットから拳銃を取り出す。

タオルに巻かれた状態のそれを、暗いそのドブ川に投げ捨てた。

ちょろちょろと水の流れる音に、トプンという1つの違う音。

直樹はガードレールに両肘を置き、ドブ川を眺め始める。


……一刻も早くこの街を出なアカンな。

そう考えながら、街灯の灯りでキラキラと光る水の動きを目で追う。

俺にはこの後がある。

ザッと思いつくだけで……数えられへんなぁ。

いっぱいあるやないか。


……俺は、俺が嫌いや。

せやけど、命を考える。

俺自身のやで。

俺自身の命を考えると、そこはかとなく愛おしい感じてる。


……何でや。

さっきのアイツら、死んでなかったらエエなぁって、どっかで思うてるし。

これは、俺自身が自分の命に拘り、愛おしいと思ってる以外何物でもないやろ。

俺の命は、もうすでに明日を見とる。

直樹は今度はドブ川を背に、ガードレールに凭れ掛かる。


……疎まれたことを思えば、上等。

嫌われたことも、そう。

捨てられたことも、殴られたことも、

好かれ、守られたことも、もちろんそう。

今の俺は端々とは言わず、それらの集合で形成されとる。


―――― 思いついた

いや、思い出した

いや、違うな

ちゃんと、知ってた


俺は、これからや


幸い俺は、人に何かを委ねるものなんかなく、委ねるものがあったとしても渡す人がおらん。

だったら自分のためやろう。

しょうがない。

―――― 愛でるエゴイスト。

思いついたでもない。

きっと俺は、生まれたときからそうなんや。


直樹は一歩を踏み出す。

サトミの店に辿り着くまでゆっくりと歩き、この間も思考の走りは休めることをしない。

そして、思い出した。

刑務所内での出会いを。


刑務所では夜、少しの時間ではあるが、テレビを見る時間が与えられていた。

あまりテレビなどに興味が持てず、本ばかりを読んでいたのだが、その日はたまたまバラエティ番組を見ていた。

その直樹の背後から、肩をバスンと叩き、

「おい、元気か?」

そう話しかけてきた人。

「1ヶ月遅れやけどな、まさかお前と同じ屋根の下で暮らすことになるとはなぁ」

始めは誰か分からなかった。

「お前、あん時の兄ちゃんやろ?ワシのこと覚えてへんのか」

刑務所に入り、人と接することもなく興味もなく過ごしていた直樹は、久しぶりに他人の顔をマジマジと見つめてみる。

見た顔だが、思い出せない。

「何やねん、殺生やなぁ!ホラ、あん時穂積のオヤジと一緒におったやないか、ワシ」

「………」

……正直なところ、穂積に会ったあの場面はあまり記憶に残っていない。

この時の直樹はただ、ああ、あの時3人いた内の1人か、程度の気分にしかならなかった。

その男はまず直樹に『石渡』という名を名乗った。

どうしようかとも思ったが、別に減るモンではないと直樹も自分の名前を告げる。

「知っとるわい、お前の名前くらい!あの後大騒ぎになっとるやないか。片桐がよぅ」

「………」

片桐の名を聞きたくはなかった。

しかし直樹はその時、石渡の口から片桐の最期を告げられたのだ。

その時感じたのは、驚愕などという言葉で表されるようなやさしいものではなかった。

ぐらりと揺らいだ思考の中、続ける石渡の話を上の空よりはまだマシという状態で聞いていた。

「あん時お前、フツウやなかったもんなぁ…。まさかお前、チャカ持って行くとは思わへんがな。

ウチのオヤジが心配しとったぞ。まだ若いのに、この後どうするんやろなぁ言うてな」


自分に対する、人からの心配。

そんなものはもう信じずにいよう。

当時はそう考え、今はその考えが押し固まっている。

しかし今の境遇を思うと、それもまた……。


「お前、ココ出たら片桐のトコやら東のトコのモンから狙われるかもしれんぞ。

ワシに言われたー言うて、ウチのオヤジんトコへ行ってみぃ。協力してくれるかもしれんからな」

そんな話をし、それ以降刑務所内にいる間、直樹は石渡と何度か会話をした。

会話というよりかは一方的に向こうが話しているという感じだったが、直樹はこの石渡という男が嫌いではなかった。

誰と話をするにも同じようなテンションで、独特の兄貴肌。

石渡の、自分に近づく行為には別に嫌な感じを覚えずに、たまにあるその機会には耳を傾けていた。

刑務所内で杯事に近いような行為が行われていることは噂には聞いていたが、自分には関係のないものと判断していた直樹。

よって石渡の「ウチのオヤジに会いに行け」というあの話も、聞いていたその時は3分の1から4分の1、その程度の耳でいたのだ。


生暖かい風が通り過ぎる。

急いでいるわけでもなさそうな直樹の足は、やがてサトミの店へと辿り着いた。

裏口から階段を昇り部屋へ入ると、サトミは正座をしたまま直樹に言われた通りの体勢から1歩も動くことなくその場に座っていた。

こちらを見上げるサトミ。

そのサトミの顔に、直樹はニコッと微笑を返す。

「要るものだけ荷物まとめろ。今からこの街出るぞ」

直樹の笑みにつられるようにいったん笑顔を返したサトミだったが、その言葉に困惑したように直樹を見つめる。

「え?え?どういうこと?」

サトミの『どういうこと?』の中には全てが含まれている。

今の生活、店のこと、その他諸々。

しかし直樹は敢えて詳細を説明しない。

全部を捨てて俺について来いと、サトミに言う。

「え、ちょっと待ってよ。考える時間ちょうだい」

「そんな時間、俺にもお前にもないぞ。お前は東を裏切ったんや。その後のうのうとこんなトコにおれるワケないやろ」

「……ッ!!」

それを聞き、サトミはようやく事の重大さに気づいたようだった。

慌てて立ち上がると、カバンに必要なものを押し込み始める。

オロオロと、ただ「どうしよう…どうしよう…」と今にも泣き出しそうな面持ちで。

直樹はそんなサトミにスッと近づいた。

「心配すんな。お前ならゼロから1を生み出せる。これくらいの店、簡単に始められるよ。何も心配せんでエエ。お前は俺が守るし、お前は俺を守ってくれ。な」

それまでオロオロするばかりだったサトミは、今度は一転照れたような表情で笑みを浮かべた。

幸福そうとも言える顔で、またいそいそと荷物をまとめ始める。

直樹はそれを見ながら、

コイツがおれば、とりあえず生活・ゼニには困らんな。

そんなことを思っている。


「…さて、急ぐか」

2人は最小限の荷物を持ち、店の裏口から外に出た。


サトミは全てを捨て、

直樹はここから、

何かを始めようと先を急ぐ。

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