茫洋 2
足は引き摺るほどに痛かった。
左手の指が次第にドクドクと痛みの音を鳴らしだす。
……さっきの人に、早速お礼を言うのを忘れたな。
直樹は行き先のない方向に足を揺らしながら歩く。
いきなり起こったこの出来事に、腹も立たずにいた。
『ありがとう』なんて、難しくも何ともないのに…。
まぁあの状況なら、あの人も理解してくれるだろ。
……このままこうやって生きて行かなきゃいけないんなら、もう一度刑務所に行った方がいいんじゃないのか。
食べて行けず、軽犯罪を繰り返し、わざと刑務所に入り、一生を刑務所で終える人がいると聞いたことがある。
俺もそうなりたいのか…?
臭いメシとは聞いたことがあるけれど、あのマズイ食事は匂いすらおかしいように思えた。
ないよりマシという程度。
あそこにまた、帰るのか……?
引き摺る足は何のアピールでもない。
痛みの事実。
直樹は目先の方向すら見えないでいる。
やがて、どれだけも歩かないうちに、直樹の背中にヒールの駆ける足音が聞こえてきた。
続いて、あのしゃがれたような声。
「ちょっとー!お兄さん!お兄さん!!」
金色に近い明るい髪を揺らして走ってきたのは、先ほどの女。
「やっぱりちょっと手当てした方がいいよ。救急箱持ってきたからさ」
「………」
振り向いた体勢のまま、直樹はその女の顔をじっと見つめた。
さっき難しくないと表した『ありがとう』という言葉が、またなかなか出て来ない。
タイミングの問題なのかそれとも心境なのか、掴めないでいる心地。
「さ、あのベンチに座って。早く消毒した方がいいよ」
女が指差したのは、市営住宅の敷地内にある広場のベンチ。
人の情に触れようという心持ちではなかったが、ここまで走ってきてくれた彼女を見、思い、直樹は促されるまま流されるように彼女の手当てを受ける。
足首に湿布を貼り、その上からサポーターをはめてもらった。
左手の指は消毒の後、ガーゼを当て、包帯で大袈裟に巻いてもらった。
「えーっと、湿布と消毒液と包帯、カバンに入れとくからね」
「………」
単なる通りすがりの人から受ける親切に、不思議な気分を味わう。
一体コイツは何なんだろう。
見ず知らずの俺に。
「……いいんスか? もらっちゃって」
「いいよいいよ、これくらい。こまめに替えなきゃダメよ」
「………」
直樹は彼女の顔と全身を見て一つ思うことがあったが、口には出さなかった。
……彼女のことを微塵も知ろうとは思わない。
「ねぇ、ウチどこ?1人で帰れる?」
その問いに直樹は少し間を置いて、
「……イヤ、ないッス。……家はないです」
そう応える。
「家ないってどういうこと?行くトコないの?」
肯く直樹。
「………」
「………」
しばらく沈黙が流れたが、やがて彼女は立ち上がり、直樹を見て言った。
「ねぇ、ウチ来る?」
その言葉に、直樹はまず自分を疑う。
何で今、ウチに来るかと言われたんだ?
こんな状況の俺に。
何で、ウチ来る?なんて言われたんだ……?
直樹は彼女を見ることなく俯いたまま「何で?」と小さく問うた。
すると彼女は、そんな直樹の膝に手をぽんと置き、
「惚れた!取りあえず顔にだけどね!中身は知らないからさ」
そう軽く応えて見せる。
「……ありがとう」
ここでようやく出た、その言葉。
それは「ウチ来る?」という申し出に対してではなく、出会い頭に手を差し伸べてくれたことと、今回の手当てのこと。
「でも家に行くなんて、とんでもないですよ」
そう言って、直樹はベンチから立ち上がり、歩き出す。
「夜はあの店やってるからさ!いつでもおいでよ!」
その声に直樹は立ち止まり、今度はちゃんと振り返って頭を下げた。
直樹はぼんやりと、ただそこに道があるというのみで歩を進める。
歩幅は妙に狭く、歩く速度も妙にスロウ。
自分に行くところがないことは、十分に知っていた。
手持ちのお金が2000円ほど。
これでは何もできない。
……寝床の確保。
すでに野宿することは決めていた。
なるべく何をも考えないように、直樹は歩き続ける。
公園や広場を見つけては、ここがいいか?と自分に問うてみる。
しかし問うたところで、野宿などしたことのない自分にベストな寝床など分かるはずもなく、直樹の足は止まる事がない。
その内、陽が沈み始めた。
空腹を感じるが、自分の所持金を考えると、今日はもう食事を取るのは我慢することにした。
……空の模様から、大体7時くらいか。
そう思い、コンビニの前に座って休憩を取る。
歩くっていうのもかなりエネルギーを消費するもんだ。
かなり汗をかいた。
ベタベタする。
風呂に入りたいな…。
つらつらと思ったり、思わなかったり。
その場でボーッとしていると、いつの間にか辺りは真っ暗。
直樹は寝床を決めぬまま、ただボケッとそのコンビニの前に座り込んでいる。
食品を取り扱う店の前で、まるで物を乞うかのごとく座り込んでいる今の自分の姿を思い、まだ野宿をする覚悟のない自分を知る。
踏ん切りをつけないと。
そう考え、立ち上がった。
暗い夜道を5分ほど歩いたところに、広い公園のような場所を見つけた。
そこは、幼稚園の園庭。
直樹はその敷地に入り込み、早く起きて出て行けば平気だろうと滑り台に寝そべる。
……冬だったら凍死だな。
果たして、甘えて生きてきた自分が野宿なんてできるのか。
そう思ったが、1時間もしないうちに直樹は眠ってしまった。
それからどのくらい時間が経ったのか。
眠っていた直樹には当然時間など計れない。
直樹は突然、額に何かがぶつかる痛みと衝撃で目を覚ました。
起き上がると、まだ辺りは暗い。
隣を走る道路の街灯が零れるこの園庭。
そこに、自分を取り囲むように数人が立っている。
それを認識したと同時に、その影たちは有無を言わさず、いきなり直樹に殴りかかってきた。
直樹は滑り台をずり落ち、その先の砂場に転がり落ちる。
「ハハッ!!ラクラク!!ホントにこんなんでいいのか?」
自分を殴る蹴るしている人間の声。
何が起こっているのか理解する前に気づいたのは、その声が昼間聞いたものと同じものだということ。
……アイツらか。
数人から代わる代わる殴打されながらも、直樹は落ち着き、そんな確認を自分の中でしている。
時間にして数十分。
やがて1人の男が声を上げた。
「殺すなって言われてるからな。これくらいでいいんじゃないか?」
その言葉が号令のようだった。
散々暴力を振るっていた男たちは、その場からあっという間に走り去って行く。
その後姿をまたしてもぼんやりと見つめたまま、見送った直樹。
「……痛て」
自分の体に痛みを残して去って行く男たちが一体何者なのか。
男たちの話し声を聞いているにも関わらず、深く考えることをしない。
寄りかかるもののないこの現状、この凸凹。
表し難い、狭いとも広いとも言えぬこの心情。
直樹はここで泣きそうになる。
自分の境遇を8割とし、別れを1割、痛みを1割。
……別れは境遇の中に入ってるか。
だったら、9割。
自暴自棄の極み。
全ては自分のせい。
体に付いた砂を叩き落としながら、直樹はまたその場所から去ろうと立ち上がる。
寝床を変えれば何とかなるだろうという、安易な考えで。
人に関わってはいけない。
そう念じ、自分に言い聞かせたのは先ほど。
しかし、完全に自分の中でへし折れてしまったものがある。
信念や思想を誰かに話したわけではない。
だったら反故にしたって、誰も俺を問い詰めない。
それ以前に、俺に問い詰める人がいない。
俺の歩幅なんて、高が知れてるんだろう。
……釈迦の手の上か、アリンコの大冒険か。
直樹はとぼとぼと暗い道を歩く。
頭に霞がかったままの直樹にとって、以前過ごした生活や感覚というものはいまだ思い出すことすらできない・しない、随分遠くの存在だった。
暗い中、昼間歩き続けた道を戻る。
そうして辿り着いたのは、自分を手当てしてくれたあの女の店。
灯りの漏れる入口で少しの間立ち止まり、入るかどうか悩むフリだけしてみた。
……俺は知っている。
今日1日で、この日本だけで何百、何千という人が行方不明になっていることを。
その内の半数以上の人が、もうこの世にはいないということを。
その中には、人から強く必要とされている人間もいたであろうに。
闇に乗じて消されていく命。
1日の内でこの世から何人もの人が去っていっていることを、俺は知っている。
見たし、聞いたし、
……近い将来、俺もその闇に乗じた形で消える一点になるんだろう。
嫌だ。
粘りたい。
死ぬのは怖い。
一瞬、あの時のタケシの姿がフラッシュバックした。
もう思い出さないと決めていたあの頃、あの姿。
鮮明なその映像を脳裏へと見送り、直樹は一言、
「俺は生きることに必死だな。夢中だ。他が見えねぇ」
ボソッとそう言い放ち、それを合図に扉を開けた。
それは小さなスナックだった。
客の数は一目で数えられるほど。
昼間手当てをしてくれたあの女は、直樹がドアを開けたと同時にこちらに気づいた。
「あれぇ、お兄さん、来てくれたの!?」
商売とはいえ、歓迎ムードに縋りつきたくなる。
「あの……2000円くらいしかないんスけど、大丈夫ッスかね?」
「大丈夫大丈夫!入って入って!!」
彼女は直樹の左腕を引っ張るようにして店内に招き入れた。
カウンター席の一番端に座る直樹。
彼女はその直樹に向かい合う。
「何か飲むでしょ?何がいい?」
「……あ、俺、お茶でいいです」
「えー、お酒飲めない?」
「あ、ハイ。苦手です」
「じゃあウーロン茶でいいね?」
そう言って、彼女は直樹の目の前に、グラスに入ったウーロン茶を差し出してくれた。
直樹はそれを受け取り、一気に喉に流し込む。
2人は向かい合いながらもしばらく会話もなく、直樹の耳には自然と他の客たちの話し声が聞こえてきた。
会社の上司の愚痴話。
不倫の話。
店の女の子を必死に口説いているオッサンの猫なで声。
それを何となく耳にしながら、直樹は何となく目の前の女に視線を流す。
確信としてこの店に来たのだが、考えてみればこの人に話せることなど何もない。
この状況は自分の中で、痛々しい以外の何物でもないと自覚している。
黙り込んでいる直樹に、やがて彼女が話しかけてきた。
「ねぇお兄さん。お兄さんってハーフ?何か目が緑っぽくない?」
「………」
「髪も何だか茶色っぽいしさぁ。染めてる?」
「………」
「まぁいいけどさ。私ねぇ、サトミって呼んで。呼び捨てでいいからさ」
サトミと名乗った彼女に、直樹も自分の名を言おうと口を開きかける。
しかしその瞬間、いつか届いた絶縁状を思い出し『秋月』と名乗ることに躊躇した。
「……あ、直樹っていいます。直樹です」
「直樹くんかぁ。まだ若いよね。何歳?」
この後、直樹は彼女から質問攻めに遭う。
その最中に勧められた飲めない酒も飲んでしまい、少し酔ったような、全く酔っていないような、そんな不思議な気分になり始めた。
「この店って1人で始めたんですか?」
「まぁね。私、早くに親元出たからね。いろいろいろいろ仕事して何とかお金貯めて、もう5年目かなぁ」
「……何歳で親元出たんですか」
「ハハッ!親元出たっていうか家出というか追い出されたっていうか、そんな感じよ。家出てから一度も親に会ってない。10年……11年会ってないよ」
「あの、しん……心配じゃないですか?親のこと」
「うーん……心配っていえば心配だし。心配してんじゃないかなーって考えるのが心配かな」
この頃にはもう酔ったフリをしていた。
その方が何かと話がしやすい。
そして直樹はこの今日会ったばかりの女に、今までの自分の生い立ちを話し始めた。
そんなつもりなんて、……あったんだか、なかったんだか。
どれだけの時間、自分のことを話し続けたのか分からない。
でも随分と長かった。
自分でもそう思う。
こんな経験は、これまでの人生数えるほどしかなかった。
自分のことを自分で話す。
時間を使ってまで話をする。
そんな価値があるものだなんて、思っていなかった。……これまで。
しかし直樹は、今日会ったばかりのこの人に話し続ける。
自分がつい先日まで刑務所に入っていたことすら話をした。
「さっきハーフかって聞かれたけど、分からんっていうのがほんとのところなんスよ。やっぱ自分は特別ですよねぇ。……特別だわ。みんなと一緒がいいんですけどねぇ。やっぱ特別だな、俺……」
半分以上が自分に対する愚痴と化している。
酔ったフリをしながら話す一言一言が、自分に向けられる刃のように感じた。
白くなるほどにグラスを握り締める自分の手を、彼女が見つめている。
しばらくして、黙って話を聞いていた彼女は、直樹の愚痴に一つ返事をした。
「ふぅん……そう。別にいいじゃん」
その声に直樹は顔を上げ、じっと彼女の目を見つめる。
「特別かぁ。だったら私も特別ね。直樹くんさ、別にいいじゃん。五体満足で、働ける体があって、生きてればさ。
生きてるってことは、それだけで明日、もしかしたらこの後いいことがあるかもしれないんだよ?それとね、この街にもあっちの街にもこっちの街にも、直樹くんの言う『特別』な人ってい――――っぱいいるから、気にすんなよー」
「………」
その言葉を聞いた瞬間、自分の顔が綻んだ気がした。
説得されるわけでもなく、罵倒されるわけでもなく、実に心地の良いもの。
ただ直樹がその感覚を覚えたのは、彼女の言葉の中の一部分。
五体満足なら稼げる、というその箇所。
五体満足な俺が今、稼ぎがないというのは、確実に俺は今カスであるということ。
いつの間にか、その考えに至っていた。
稼ぎ
お金
綻ぶ顔に反比例するように、以前持っていた感覚に少し近づく直樹。
しかしまだそんな自分に気づかずにいるのが、本当のところ。
話はそれ以降、生い立ちなどを除いた方向で盛り上がっていく。
彼女が言う。
「ねぇ直樹くん。行くトコないんでしょ?私ねぇ、この2階に住んでんの。泊まっていく?」
直樹は彼女と最初に対面してから、一つ気づいたことがあった。
その辺りを考慮し、泊めてもらうのに何の問題もないと考える。
問題があるとすれば、さっきまで考えていた『自分は人と関わってはいけない』というところ。
しかし野宿する勇気がない状態でいた直樹は、この引っ掛かりを即座に取り払う。
声を出さずに肯く直樹。
この日、直樹は彼女の部屋に泊まらせてもらうことにした。
案内された2階には部屋が2つあり、手前の部屋はテレビなどが置かれているリビングになっている。
ふすまで仕切られたその奥は寝室。
「奥の部屋、自由に使っていいよ。私はこっちで寝るから。私は2時まで仕事があるから、先に寝ててくれていいからね」
そう言い残し、サトミは下の店へと戻って行った。
去っていく足音が消えた後、直樹はべッドに座り一つ大きく息を吐く。
……さすがにお腹が空いたとは言えなかったな。
十分に眠くはあったが、彼女の仕事が終わるまで待とうと決める。
俺は恐らく、他の人に比べてかなりツイている方なんだろう。
捨てられるたびに、拾われる。
サトミさんが俺を拾ってくれたとは限らないが、今日は屋根の下で眠れそうだ。
……ツイている。
あの人の話していたことは一々説得力があった。
聞いていて感じるところばかり。
俺の方向とは……
考え事の途中でベッドに横になり、直樹はその日、彼女が仕事を終えるのを待つことなく眠ってしまった。
目を覚ますと、もうすでにカーテンを透ける陽の光で部屋はぼんやりと明るかった。
あれ……何時だ?
枕元に置いてあった時計を見ると、時刻はもう昼前。
慌てて起き上がりふすまを開けると、そこにはサトミが座っていた。
「ごはん食べるでしょ?そこ座って」
見ると、小さなテーブルの上に2人分の食事が用意されている。
「……あ、すいません。寝すぎてしまって」
「あぁ、いいよいいよ。私も夜遅いからさ、起きるのはいつもこの時間。朝昼兼ねた食事よ。食べるでしょ?」
「あ、はい。ありがとう」
そう言って、直樹はサトミと向かい合うようにして座り、用意された食事を眺める。
染み渡るというか、何と言うか……とても嬉しい気分だった。
食事をしながらも、サトミは作夜と変わらないテンションで直樹に喋り続ける。
それに肯きながら聞いている直樹。
「ねぇ直樹くん。このまま取りあえずウチにいたら?履歴書に住所書くんだったら、ここの住所書いていいよ」
それは願ってもない申し出だったが、
「イヤ、そこまで甘えられないですよ」
この返答を押しのけてくれるものとして、直樹は一応そう返事をする。
「いいって。気にしないで。私も1人でいるより楽しいしさ。じゃあ、えーっと…店手伝ってよ」
普段ならばこういう遣り取りがあったとき2回までは断りを入れるのだが、この時直樹は2回目でサトミの申し出を聞き入れることにした。
そして少しではあるが、道が拓けて見えたような、そんな気がしていた。
食事を済ませると、直樹は自分から進んで食器を洗い始める。
「じゃあ私、下で店の用意してるわ。ゴメンね」
サトミはそう言って階下へと降りて行く。
今日早速就職活動をした方がいいのか、それとも今日はずっと彼女の店の手伝いをしていた方がいいのか。
どちらの方が体がいいのか、そんなことを考えながら、直樹は台所の片付けを済ませた。
就職活動するにも、履歴書が必要だ。
でも今、手元にその書類がない。
直樹は自分の所持金の2000円を思い出し、まずは履歴書を買わなければと思い立つ。
サトミのいる店へと入り、
「ちょっと履歴書を買いに行ってきます」
と声を掛けた。
ブラブラと遊びに出ると思われたくない、その思いもあって目的を告げる。
するとサトミが、
「あ、じゃあ一つお願いがあるんだけど。この前の道を真っ直ぐ行ったら○○っていうスーパーがあるんだけど、みりん買って来てくれるかな」
「あ、はい。分かりました」
直樹はそう返事をしてサトミの差し出す1000円を受け取り、店を出た。
少し歩いてから、直樹は気づく。
この辺の地理がよく分からない。
履歴書を買うにしても、本屋は……。
直樹は辺りをキョロキョロ見渡し、まずはスーパーに行き、サトミに頼まれたみりんを購入した。
そして自分の履歴書を買うために本屋を探す。
彼女の店は商店街から1~2本裏道に入ったところ。
そこを目印に、直樹はうろうろと店を探すが、目的の店は見付からない。
おかしいな……。
これだけ店があったら、本屋の1軒くらいあっても良さそうなのに。
ビニール袋に入ったみりんを片手に、キョロキョロうろうろ。
並んだ店の看板を見ながら歩く。
その時、直樹の後方から車の走ってくる音が聞こえてきた。
ザ――――ッ!という音。
結構なスピードでこちらに近づいてくる。
直樹は身の危険を感じたとは程遠い仕草で、何となく振り返る。
その瞬間、みりんを持っていた左手がその車と接触した。
パリンッ!!
ビンが割れる音と共に、直樹の体は回転するように道端に投げ出される。
車はそのままスピードを落とすことなく、遠ざかって行く。
「……!?」
痛みの前に呆気に取られ、走り去って行く車を呆然と眺めてしまった。
その車は、昨日自分を襲ったあの連中が乗っていたのと同じ車種。
ナンバーまでは分からなかった。
車体が角を曲がり見えなくなった頃、ようやく直樹は左腕の痛みに気づき、腕を抱え込む。
「いってェ…ッ」
道端にビニール袋からみりんの液体が流れ出しているのを見つめ、それを拾い上げた。
「くっそー…もう一回買わなきゃなぁ、コレ…」
とにかく自分の腕よりも、このみりんは自分が弁償しなければならないことに、まず頭が行った。




