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試 6

直樹は公衆トイレに走り、着替え始めた。

一度田辺不動産に潜り込んで、下調べをした方がいいのか?

……潜り込むって、就職?

そんな時間、ない。

考えろ。


まだ考えが定まらない直樹、取りあえず持ってきたからという曖昧な考えで、私服に着替える。

サングラスをかけ、キャップを被り、その姿を鏡でじっと見つめて、思った。

俺の中にやましいモノがあるからか。

それとも、そんなモノなくても……。

何やコレ。

胡散臭すぎる。

……イチかバチかの作戦に出るのはまだ早い気がするし、

でも、あと5日しかない。


この一週間の猶予というのはおそらく、俺がいったん東京に戻り、ゆっくりしてからまたこちらへ来る時間を、東さんが見越しての日数だと思う。

500万を父が捻出するんだと。

俺がそうするもんだと思っているんだろう。

……ナメられている。

今の俺に、そんな便利な手段はない。


持っていた不渡手形を、太陽に透かして眺めてみた。

しかし、何か良い案が浮かぶわけもない。

直樹はカバンに放り込んだスーツのポケットから、自分の作ったニセ警察手帳だけを取り出し、あとはカバンごと公衆トイレの高い棚に押し込んだ。

そして次に飛び込んだのは、公衆電話。

俺をナメてるアイツに、目にモノを……

直樹がかける電話番号は田辺不動産ではなく、田辺家のもの。

おそらくこの時間は仕事中で、誰も出ないだろう。

でも、……誰か出てくれ!

田辺不動産の社員として集団の中に飛び込むのは、賢明ではない。

一人ひとり、バラして話をしたい。


電話のコール音が何度も鳴る。

出てくれ。

出てくれ!

誰でもいいから、出てくれ!!

何十回コールしたのか。

一度切って、かけ直すか…?

そう思ったとき、チン!と受話器を取り上げる音がした。


『………』

「あ!もしもし?」

『………』

「もしもし?田辺さんのお宅でしょうか?」

『……はい』

直樹はポケットに押し込んでいた警察手帳を取り出す。

そこには田辺一家の名前が記されている。

「えっと、僕ですね、山崎といいますが、幸雄くんお見えになりますでしょうか?」

幸雄というのは、田辺家の長男。

19歳の一人息子。

『………』

「アレ?もしもし?」

『……幸雄は僕ですが。……誰ですか』

「あ、田辺くん?俺俺!高校の同級生の山崎!覚えてるかなー?」

幸雄が覚えているはずもない真っ赤な嘘を、直樹は捲くし立てる。

「ほら、クラス違うたけど、覚えてへんかなー?

今ね、仕事辞めてしもうて、就職活動やっとんねん。コッチに帰ってきたもんやから。

田辺くんの家って不動産会社やってたよね?俺、前から不動産会社って興味あったんよ。

それでね、同級生のヨシミっつーか、な、ちょっと一回会うて話聞いてくれんかなー?」

今日もまた、俺ってこんなヤツだっただろうかと思うほど滑らかに、流れるように口からデマカセが次々と溢れ出す。

「どうかなー、田辺くん。今、時間ない?」

『……今ドコにおるん?』

「あー、田辺くんの家の近くやで?公衆電話から電話してんねん。ちょっと出てきてくれんかなー?無理かなー?」

『……うん、いいよ』

……まさかの返事だった。

やけっぱちで出た強硬。

直樹が思い描いた理想に準じるように、幸雄が直樹の誘いに乗った。


2人は近くのバス停で待ち合わせをすることになった。

直樹はそこのベンチに座り、幸雄が来るのを待つ。

……ああ言ってきたら、こう。

こう言ってきたら、ああ返す。

そんなシミュレーションをしながら、少し腰を浮かすように座り、逃げる準備も万端だ。

もしも嘘がバレていて警察官なんかを連れて来られたら、身も蓋もない。

よくある名前の山崎ってのを選んだけど、彼の同級生に山崎ってのがおったんかな……。

サングラスとキャップ。

これを外すことはできない。

そしてなるべく立ってはいけない。

俺はほら、身長がな……。

周りをキョロキョロしながら、そんなことを考えている。

道路の左右共、まだこちらに向かってくる者はいない。

直樹は逸る心を押さえつけようと大きく息を吸い、吐いた、


その時。

突然背後から、

「あのぅ……」

「ッ!」

直樹はまた、ビクッと体を戦慄かせる。

やましいことがアリアリのリアクション。

「……山崎さんですか」

そう話しかけてきたのは、多分きっと田辺幸雄。

当然直樹は幸雄の容姿を知らない。

「あ、田辺くん?久しぶり!」

背後に立たれてしまっては逃げる準備も無駄になり、直樹の顔は引き攣ってしまう。

それを隠すように笑顔で振り向いた先には、

ボサボサの長髪に、うっすらと生えた無精ヒゲ。

ジャージの上に半纏を羽織っている、彼。

「………」

のそっと動きながら、直樹の隣に腰を掛ける。

直樹は気を持ち直し、いつでもダッシュで逃げられるように体勢を整える。

「田辺くん、久しぶりやね。僕のこと覚えてるかなぁ」

そう話しかける直樹に、しかしこちらを見ようとしない幸雄。

「………」

「……イヤ~、久しぶりに帰って来たんやけどね、」

と話を続ける直樹を遮るように、幸雄が言った。

「……アンタ、誰?」

「……エェ?嘘や、覚えてへん?高校一緒やった山崎やんか」

クソッ!

限界か!?

トボけてやり過ごせるほど甘くない。

最初から分かっとったけど。

やっぱりこんな手に出るのは早すぎたか。

直樹は更に腰を浮かす。

「嘘やろー?殺生やなー。マジで覚えてへんの?」

そう言う直樹の言葉を、沈黙のまま聞いている幸雄。

直樹は彼が口を開くのを待つ。

「……山崎さん。俺、高校って行ったことないんですよね」

「……え?」

「俺、高校行ってないんですよ。アンタ、誰?」

車の行き交う道路をじっと見つめながら、幸雄は決して直樹の方を見なかった。

……曖昧で不様。

作り話やないんやから、こんなモンが通用するはずがない。

高校には行っていない。

そんなことだって想定できただろうに。

……誤魔化しきれない。

逃げるか?

そう考えを巡らせ、すぐ後にこうも考える。

だったらコイツは何故、ここに来た?

臀部がベンチから離れるほどに腰を浮かせていた直樹。

もう一度座り直し、体勢を戻した。

「……えーっと、何て言ったらいいんでしょうね……」

そう話し始めたとき、幸雄はようやくこちらを向いた。

そして、直樹はまた言われる。

「あー……、やっぱり警察の人ですか?」

またか!!

そう思ったが、そう来てくれるのは大変に都合が良く、何よりだ。

「……騙すような形で申し訳なかったんやけどね……」

直樹はポケットから、あの手作りの警察手帳をちらりと幸雄に見せる。


何分ほどだったのか。目の前を車が騒々しく行き来する中、何も話さず時間が過ぎていく。

やがて幸雄が口を開いた。

「……そらぁバレますよね。あんなことしたら。俺の話聞いてもらって、捕まえるんやったら俺にしてほしいんですよ。全部話しますから」

電話の段階で、直樹のことを警察の者だと思い込んでいた幸雄。

自分からこの場に来たのだから逃げるわけもなく、隠れるわけもなく。

直樹にこれまでの経緯を話し始める。

幸雄の父はどうしても、幸雄に会社の社長になってもらいたかったらしい。

だが、田辺不動産は世の中の好景気の中、うまく運営できずにいた。

このまま行けば倒産という切羽詰ったものではなかったが、自分の代でこの会社を太く大きくして、一人息子の幸雄に譲りたかったのだと言う。

もっと儲けられるはず。

しかしその考えは空回りし、新しいことを始めるたびにそれは失敗に終わってしまう。

そんな時、隣にあるムラタ製版印刷所から依頼があった。

金を貸してくれ、という依頼。

それに対して、幸雄の父・田辺が出した答えは直樹が思った通りのもの。

……取り込み詐欺。

ムラタから田辺へ数千万もの借金をあったものとし、その返済にムラタが手形での取引・ローン・半金半手などで購入した物品を当てるという打算。

それを『あるルート』で金に換える。

取り分はムラタ7:田辺3。


……やっぱり俺の思った通りや。

この世の中で言われる、今の好景気。

役所仕事っていうのもいい加減で、大概にしろと思う。

建ってもいない会社を、確認もせず許可するなんて…。

……でも、おかしい部分がある。

そう思った直樹は幸雄に問うた。

「7:3でよくムラタさんの方がOK出したね。調べたところ、モノによるみたいやけど、半金にしてる分はマイナスになってまうやろ。いくら足の早い商品やいうても、買取が10割になるワケないやん。良くて6割。それじゃ儲けにならへんやん」


【注:

例えばムラタが100万の物品を半金半手(50万を現金・50万を手形)で購入した場合。

横流しをしても、良くて60万の買取となる。

7:3ということは、ムラタの取り分が42万。田辺が18万。

ムラタは50万を現金で支払っているので、マイナス8万ということになり、儲けにはならないという意味】


それに対しては、いろんな答えが待っていた。

ムラタから田辺に返済として動いていた物品。

それらを金に換えるため『闇のルート』で流したのは、この後直樹が500万を持って帰らなければならない東の事務所だったのだ。

車、印刷機、カラーコピー機その他もろもろ、一つひとつの商品がマイナスになってしまっても、物品総合の金額で割り出せば、ムラタにもちゃんとプラスになるように計算されていた。

「………」

直樹は拳を握り締める。

今回のこの件、全ては東の計画だったと確信した。

俺を利用して、更に500万搾り取るつもりか。

ナメやがって……!

目を細めながら、しかし直樹の思考は次へ飛ぶ。

足の早い品物なら、まだ分かる。

その中に、どうして中古のトラックなどが入っているのか。

「中古のトラックなんか横流しできんやろうに。あんなモン売れんやろ」

その直樹の疑問の答えが、あの運送会社設立だった。


田辺は考えた。

自分も東の指示とは別途で稼げないか、と。

そこで思いついた。

『田辺不動産』の前で遊んでいるあの更地を使って、書類上のみの会社を建てようと。

それには運送会社が都合がいい。

大量のトラックを車検に通しても、違和感がないだろう。

そう考え、ムラタにトラックを購入させ、自分のところへ流させた。

そうして手に入れたトラックの使い道は、直樹を少なからず驚かせた。

車検から車が返ってきた際に、エンジンや○○○に○○○を混入し、エンジンをかける。

その状態で走ると、車は何mも走らないうちにピクリとも動かなくなる。

そうやってトラックを全て潰し、保険会社から金を受け取っていたのだ。

中古の車をまた売りするより、よっぽど金になったらしい。


……コイツらほんま、何でもアリか。

保険金詐欺やんけ。

東も東で、どこまでもナメやがって。

この手形はあいつにとって、はした金よりも更に下を行っているもの。

端数でしかないんや。

直樹は奥歯をギリッと噛み締める。

こういうクサレらに、遠慮はいらん。

そう心の中で呟く。

直樹はジャンパーの内ポケットに忍ばせていたテープレコーダーの録音ボタンを切った。

「田辺さん、エエ話が聞けたよ。後で家の方へ伺うことになると思うけど…」

そこまで言った直樹に、幸雄はまだ続きがあると言う。

「あのぅ、山崎さん。最初に言いましたけど、今回の罪は全部俺が被りますんで」

「それはどうなるか分からないよ」

幸雄はまた、直樹を見ずに話し出す。

「俺ねぇ、小学校の4年から学校っていうのに1回も行ってないんですよ」

「………」

「授業で使う絵の具セットを忘れたんですね。ほんで、隣のクラスのヤツに借りたんですわ。

ほしたら、間違うてパレットを割ってしまってね。ちゃんと謝ったんやけど、許してもらえんでね……。

そっから、隣のクラスのヤツからイジメられるようになりましてん。ほんならそれがどんどん飛び火して、自分のクラスの人間まで俺のことをイジメるようになりましてね。

何かちょうど面倒臭かったし、もうエエかなーって思うてしもうて。

……そっから1回も学校へ行ってへんのですわ。だから高校のクラスメイトなんておらへんのですよ」

幸雄はそう言い、少し笑って直樹を見た。

今の直樹にとって、そんな話はどうでもいいはず。

しかし、右耳を塞いでも左耳が聞いてしまうとでも言おうか。

この後『学歴のない俺のために、親父があんなことをした』 

そう言い出すつもりか?

そうは思ったが、直樹は幸雄の話に聞き入ってしまう。

「そっからはずーっと、家におるんですよね。

今回外へ出たのも、去年の11月以来かな…。そん時1回、タバコ買いに出た……かな。うん、あん時以来ですわ」

……イラッとした。

これが俺ら家族の形、ってか。

「なぁアンタ、それって誰にも相談せなんだんか?

義務教育ってのはな、子供に義務を課しとるんちゃうで。周りの大人がアンタを学校に行かす義務があるっていう制度や」

苛立ちのまま、幸雄の話に対する返事をしてしまった。

俺には関係ねぇ。

そう思いつつ。

「……あー、そうなんですか。義務教育のほんまの意味なんてのは知らないんですけどね。

父さんは何も悪うないんですわ。母さんも、何も悪うない。

3日だけと思って休んだ学校が1週間になり、1ヶ月になり……もうエエやって決めたのは俺なんですよね」

幸雄の声を聞きながら、奥歯を食いしばるのを止めることができない直樹。

やっぱり、これがコイツらの家族の形か。

病気で行きたくても行けなかった、そういう人間がいる中でこいつらは……!

「父さんは俺の将来を心配して、余裕で経営できるように、余裕のある会社を俺に渡したかっただけなんですわ。

だから、捕まえるのは俺だけにして下さい。もう親父に悪いことしてもらいたないんですわ。

俺みたいなゴミ、あの家におらん方がエエんですわ」

だったら、あの債権者たちはどうなるんや?

考えて言うとるんやろな?

父さん母さんって。

そんな考えが頭を右から左へと過ぎったが、今の自分に説教をしていいようなメッキは施されていない。

直樹はその場に立ち上がる。

サングラスを取り、キャップを外す。

「あのな、そんなモン俺には関係ない。親父は悪ないやぁ?あんまり世の中ナメんなよ? 

パクられるのはオノレら3人じゃ!お前も親父もオカンも悪いんじゃ! 

3人で雁首揃えて、余所で1回頭冷やして来た方がエエんちゃうか!」

こちらを向かない幸雄に対して直樹はそう言い捨て、その場から早足に立ち去った。


……ああ思った矢先に、結局説教か。

つくづくやな。

計画通りではなかった。

だが、ほぼ計画通り。

俺はブサイクな仕事はしたくない。

納得の行く、まとまりのある形で済ませたい。


直樹は完結させたい頭で、知らず飛び石の思惑を渡り歩く。


この後はムラタのところへ行って……

……そうそう、証拠はあんねん。

アイツの言ったことはバッチリ録れてるはず……

……債権者に……


自分の荷物を突っ込んでいた公衆トイレの前まで来て、直樹は立ち止まった。

「………」

光が当たっていれば、必ず影が存在する。

これって、必ずや。

この世に何もない世界なんて、ないんやからな。

直樹はまだ会ってもいない田辺の顔を思い浮かべ、空想の中で「しょうがなかったんや」と言い訳する姿を想像する。


悪いヤツは、自分の悪事を反故にできると思って生きている。

悪事にはそれなりに、伴うものがあるんや。

なのに、決して自分には回って来ない、そう思っているから悪事を続けられる。

そしていざ自分に回ってきたとき、それが想定にないから人一倍驚いた顔をするんや。

とんでもない、滑稽な顔で。

俺は醜く生きてやる。

そう決めた。


先ほどの、髪が肩まで伸び、無精ヒゲが生え、こちらを見ない幸雄の姿が頭に浮かんだ。

イジメで学校に行けなかった。

あいつの、そんな話……。

自分のことをゴミと表するヤツに、初めて出会った。

皆が皆に言い訳、語りがあるのかもしれない。

せやけど、あの債権者たちはどうなるんや?

あの金が返って来ないことで、首を括らなアカン奴が中にはおるんと違うか。

守るべき家族を守れずに、迷宮に入る奴がおるんじゃないか……?

……田辺家族は……


直樹は再び、公衆トイレでスーツに着替える。

整髪料で自分がなるべくイカつく見えるよう、髪型を整えた。

そして自転車に乗り、     (二者択一ならば。)

猛ダッシュで向かう先は、     (手を差し伸べたのは。)

……田辺不動産。


きつくきつく口止めされていたんだろう。彼は。

何があっても言ってはいけない、と。

そう言われていたんだろう。

父親の言い分は、押し付けがましかったか?

俺の前でベラベラ喋ったお前は、父親の考えをどう受け止めとったんや?

直樹の頭の中で響く、聞き慣れたあの重厚な音。繰り返された言葉。

―――― 今のは見なかったことにしなさい。

言われた通り見なかったことにし、いまだに自分の奥底に仕舞ったままにしている数々の場面。

家族というもの

―――― 今のは見なかったことに……


田辺幸雄。

待っとけよ。

今、ラクにしたる。



直樹は田辺不動産の前に自転車を止め、大股でズカズカと建物の中に入って行く。

ドアがバチンッ!と音を上げ、開いたと同時に、

「邪魔するぞッ!!」

と怒鳴りつけた。

呆気に取られ、こちらを見る従業員が3人。

「おいッ!田辺清一いうんはドレや!?」

女2人に男1人の従業員。

見れば、誰が田辺かは分かる。

直樹がこう言い放ったのは、威嚇の意。

「……は、はい、田辺は私ですけど……何でっしゃろか」

メガネを外し、怯えたように席を立つ父親・田辺。

「まぁ、まずはコレ聞いてもらおうかいな」

直樹はポケットから小型レコーダーを取り出し、再生ボタンを押す。

そこから流れてくるのは、先ほど幸雄と直樹が交わした会話。

3人のうち、2人の血の気が勢い良く引いていくのが見て取れた。

「おいオッサン!えらい派手にやっとるやんけ!」

「……ッ」

言葉も出ない田辺。

「どうすんのや?お前の兄貴んトコに債権者がウジャウジャおるぞ。そこへお前ら2人、放り込んでやってもエエんやけどな!」

カタカタと、震えの止まらない母親の姿が目に入った。

ここでこう言い放つことで、大抵の調べはついているということは伝わっただろう。

田辺が言う。

「……お宅はどちらさんで?」

それを聞き、直樹は一度唇を噛む。

内部のプライベートが言葉を発しようとする。

……こんなモノは置き去りにしなければ。

コイツらにも、俺にも、関係ない。

「俺が何モンか知ったら、アンタら更にやりにくうなるんちゃうか。聞かん方がエエと思うで」

直樹はそうとだけ答えた。

田辺夫婦はまろぶように直樹に近寄り、哀願し始める。

「勘弁してもらえませんか。私らにも事情がありますんや。警察へは……警察へは言わんといて下さい!ほんまに、ほんまに申し訳ございません!」

初対面の2人から土下座をされる直樹。

見下ろしたその2つの背中を、奥歯を噛み締めながらでないと見ていられない。

俺みたいな若造に、一握りの躊躇もなく土下座ができるのもまた、一人息子への思いか。

……涙が出そうになる。

こういう時は、「堪えろ」と3回唱えることにしているんだ。


直樹は斜め上を見上げた状態で、

「警察行った方が楽になるんちゃいますの。あの債権者たちのトコ行ったら、どんな目に遭うか分かりませんよ」

「………」

その言葉には沈黙のまま、ただ直樹に対して土下座を続ける2人。

どっちも選べないってことか。

直樹は2人の背中を見ないでいることができない。

汗ばんだ手でおもむろに2人の首根っこを掴み、持ち上げるように引っ張った。

『息子が見とったらどうすんねんッ!』

そう言いたかった。

「地面ばっかり見つめてもろうとっても、何も始まらへんねん」

同時に2人を勢い良く放り出すと、直樹はポケットから茶封筒を取り出し、例の手形を突き出した。

「お前の兄貴が焦げ付かせた手形や。まぁ連帯保証人やけどな。

おいオッサン!この手形をお前が700万で買い取れ。500万とちゃうぞ。700万や。手数料が発生しとんねん」

え?という顔をして、田辺は直樹を見上げる。

「……ほ、ほんまに……700万で?700万でよろしいんですか……?」

……こいつらは、息子をイジメから救い出さなかったくせに、今更詐欺まで働いて。

「すぐソコに銀行あるやんけ。キャッシュで700万で買い取れ言うとんねん。1円もまからんで。まだ3時になってへんぞ」

それを聞いた田辺は、

「ほんまに……?ほんまに700万でよろしいんですか……?」

「やかましいッ!早ぅ行けッ!!」

直樹の怒声と共に、田辺はドアを飛び出し、銀行へと走る。


静寂の事務所の中、直樹は傍にあった椅子に座り込んだ。

従業員の1人は何も言うことができず、放心状態。

母親・田辺は震えが止まらない様子。

それを、これでもかというほどに作り上げたしかめっ面でじっと見つめている。


どれほど時間が経ったかは分からない。

やがて父親・田辺が息せき切って戻ってきた。

……こんなところには、1秒も多く居たくない。

田辺の顔を見て、直樹はその場に立ち上がる。

「……その辺のよぅ、道歩いてる全く知らん人ら。あの人らも、行き先で何かが待ってるのかもしれんよな。人は皆、そういう風には考えないよな」

「「………」」

2人は直樹が何を言っているのか分からない顔をしていた。

当然だろう。

俺も何を言っているのか分からん。

「おい田辺2人!その手形買い取るんやな!?ちゃんと念書も書いてもらうぞ。快くこの手形は買い取らせてもらいました、そうやって念書書いてもらうからな」

「……ほんまに700万でよろしいんやな!?後から言われても、もう余分なゼニはありませんで」

あんだけの詐欺を働いといて、もうゼニがない?

この場でもまだカマすか!

直樹は鋭い眼光そのままに、睨みつける。

田辺は怯えつつも、自分のテンションを保ち、話を続ける。

「……これを、700万で買い取らせてもろうたら……今回のことは黙っといてもらえますんやろか……?」

「………」

プライド?

悪党のそんなモノを考慮してやる必要はない。

父親の責任?

それは、間違いなくあるだろう。

何を思い、どう結論付けるか。

直樹は悩みながらも口を開く。

「……エエやろう。墓まで持ってったる」


それを聞いて、田辺は直樹の言う通りに念書を書き、現金700万を手渡した。

直樹もまた、手元にあった不渡手形を彼に突き出す。

「申し訳ございません」と頭を下げる田辺を見ることもなく、勢い良くドアを閉め、外へ出た。

……今回のことで、一番ブサイクなんは俺や。

最後は恐喝かい。

寒い。

何て寒い仕事や。

こんなのは俺じゃないし、あんなのも目指す俺じゃない。


ムラタの方に目を遣ると、債権者たちが騒ぎ立てている様子が伺える。

……あの中に、ヒマなヤツなんかおらんのやろうな。

あの債権者たちの泣き顔が見える。

田辺3人は泣かなかった。

俺もまた、泣かなかった。

何を根拠にあの債権者たちが泣くと言い、田辺たちが泣かないと言う?

ただ一つ言えることは、俺は泣かなかったということ。


直樹はムラタから目を逸らし、自転車に跨る。

思っていたよりも、随分と早くコトが進んだ。

週末を除いて4日。

計画ではそれくらいの時間を要すると踏んでいたが、あり得ないほどに順調で滑らかに終わってしまった。

しかし直樹は、そんなことは考えていない。

……お前の親父はこれで、もう悪さはせんやろ。

初めて会った人間で、会話はほんの数分。

そんな幸雄に対して、直樹は届かないその言葉を胸にする。

そしてその足で、東の事務所へと向かった。



相変わらずの高さで聳え立つビル。

先日とは違い、見上げることもせずに内部に入り込んだ直樹は、これまた先日とは違い、すんなりと東の元へ辿り着けた。

あの、全てを吸い込むような豪華な部屋で、東は大きく幅を取り、腰掛けている。

そうして最初と変わらずわざとらしい、しかし芯の通った声で直樹に話しかけてきた。

「アレアレ、秋月くん。今日は何の用事やろね?」

直樹は東に詰め寄るように近づき、デスクの上に札束を5つ置いた。

「言われた通り、500万用意しました」

残りの200万はここに来る途中、自分の口座へ納めておいた。

余分に取ったそれに対する罪の意識は持ち合わせていない。

誰よりも急がなきゃいけないのは、俺たちだ!


「………」

呆気に取られた顔の東。

ポカンとした顔で直樹を見つめ、直後にブフッ!と噴き出す。

「ハッハッハッハッハ!秋月くん、やっぱりモノが違うねぇ。まだ2日しか経ってへんやんか。やっぱりエリートは違うねぇ」

この2日で東が自分の身辺をどんな風にどこまで探ったのか気にはなるが、今はそれには触れられない。

「いやいや、見事だよ。1円もまからんって言ったね。……おい」

そう言って、東はお付の男に札束を数えさせる。

横から札勘のパチパチパチッという音が聞こえる中、東は直樹に言った。


「実はねぇ、こんな500万、どっちでも良かったんやよ。

最初からねぇ、秋月くんみたいな有能なんがウチに来てくれる言うんやったら、こうするつもりやった。

両手広げて迎えるやんかいさぁっちゅーてねぇ」

……よく言う。

直樹はそう思いながら、東の目をじっと見つめる。

「こないだ言うとったよねぇ。学生時分はボクシングやっとったんやろ?腕っ節があるのも、またいいねぇ」

俺はそんなこと、言ってない。

ボクシングやってたなんて、言ってねぇ。

……どこまで調べた?

また試してるんか……?


そんな話をしているうちに、男が数え終えた。

「確かに、500万あります」

「おー、そうかそうか。秋月くん、良かったねぇ。合格やよ」

そう言うと、東は笑顔だったその顔を止め、口元を引き締めた。

「あの手形はお父さんが買ったんかい?」

直樹は目を逸らさない。

「まぁ、そんなところですかね」

すると東はまた笑顔に戻り、

「まぁまぁ、いいよいいよ。お札に出どころなんか関係ないからね」

そして男に言った。

「おい、片桐を呼びなさい」


2~3分待っただろうか。

1人の男が部屋に入ってきた。

直樹ほどではないが、スラッとした背の高い、オールバックの男。

「秋月くん、紹介するよ。彼はね、ウチで働いてる片桐くんや。今日から君の直の先輩になるからね。

おい片桐、彼はな、あの○○○グループの御曹司さんや。無茶させたらアカンのやで。面倒見てあげなさい」

片桐と呼ばれた男は、その東の言葉に中腰になり「はい」と返事をする。

一瞬、視線が交錯した。


―――― これが、直樹と片桐との最初の出会い。

この片桐という男が今後直樹に強く影響を及ぼし、生涯最大の障壁となるだろうことを、この時直樹はまだ知らない。



自転車で部屋へと向かいながら、今日あったことを振り返ってみる。

いろいろあったな…。

もちろん明日からは、以前のアルバイトのようにのんびり構えてなどいられない。

想定もしないことが起こるんだろう。


3食分の用意をして部屋を出たが、まだ時刻は夕方5時を回ったところ。

今日あったことを話せるわけでもないが、何となくパクウでも呼ぼうかな、とそう考える。

部屋の前に着き、鍵を取り出して玄関を開けると、部屋の中からとてもいい匂いがしてきた。

アレ?

不思議に思いながらリビングまで進むと、食事の用意をしているタケシの姿。

「おう、帰ったか」

いつも朝方帰宅し、直樹が出掛ける頃にはまだ寝ているタケシが、今日はえらく早く帰っている。

「随分早いな。どうした?」

「イヤ~……まぁな」

タケシの、そのあやふやな返事を訝しく思う。

彼は直樹の持っているカバンに目を遣り、

「イヤまぁ、何ちゅーか……美奈子からな、電話があってん。『秋月くんがスーツ着て、でかいカバン持って出掛けよったー』言うて」

「………」

直樹は少し間を置き、すまない、と思った。

俺がどういう段階を経てここに居り、何を思っているか。

それらを測り、それぞれが心配をしてくれる。

「大袈裟なモンとちゃうで。ほら、いつまでもアルバイトじゃな…」

……今日あったことを話せるわけもなく。

「お、そうか。それやったらエエねん。

今日な、めっちゃ上等な肉もらったんよ。それでこのすき焼きの用意や。あんまり肉の量がないから、パクウは呼ばへんで。2人で食ってしまおうや」

「美奈子ちゃんは?」

「調子が悪いわけじゃないみたいやけど。今寝とるよ」

「……そうか」


その日はタケシと久しぶりにゆっくり話した。

『なぁ、極○の世界ってどういう風になってんだ?』

予備知識としてそう聞きたいと思ったが、その行動はえらく滑稽・軽率で、やかましいものと感じ、やはり聞けなかった。

ただただ、違う組事務所になるということで、俺らがバッティングしないことを祈る。

タケシと俺の目標は同じ方向で、同じ位置にあるのだから。

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