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試 4

しばらくして、東は手に持っていた履歴書をデスクの上に置いた。

「…まぁ今日びの話、私らに履歴書なんか不要でね。君も分かっていると思うけど、普通の会社とは違うんだわ」

デスクに肘をつき、顔の前で両手を組む。

その親指の腹で口元を押さえながら、東は直樹に問うた。

「秋月くん、この世で一番大事なモンって、何やと思う?」

直樹はこれを面接だと思い、信じ、答えを探す。


一瞬でこれまでを巻き戻し、

固執したもの。

比重の違ったもの。

小さな爆発音とともに、それらを思い浮かべる。

加えて、東が好むであろう答えも模索してみる。

……しかし、それは分からない。


直樹はスッとソファを立ち、

「命だと思います」

そう答えた。

東は姿勢を変えないまま、

「うーん、そうやねぇ。命やねぇ。君にとってそれに代わるものって、ほんまにない?」

「………」


命に代わるもの。

……他にないと思う。

ただ、ここで頭を巡ったのは、この場合の命は大事な人間の命。

昨日出会い頭で見かけた命。

出会って数時間の命。

これら自分の知らない命に対しては重量など量るまでもなく、当然無頓着である。

そして、自分の命。

大事な人の命。

これを考えたとき、実に答えにくい。


意を決したつもりで、ここまで来たこの覚悟。

自分に対する可愛げというのは、本当にゼロだったのか。

全て美奈子のため?

……自分ではその気でいた。

死ぬ直前でもないのに、いろんな映像が頭の中を巡って行く。

伸ばして広げて折りたたんでも、構成する成分が同じならば、持つ性質は変わりようもない。

水でも加えて薄めるか。

それとも、他を殺して1の%を上げてみるか。


直樹はもう一度答える。

「すみません。命と等しく、お金ですね」

直樹は、東の好みそうな答えを模索するのはもう止めていた。

「お金がないと生きて行けません」

美奈子の命も、表し方を変えればお金で買える。

「僕は自分でちゃんと稼げるように……お金が必要なのでここに来ました」

本音とも言える、その答え。

父の命により、と言った今回の件ではあるが、直樹は夢中でそう答えた。

東が口角を上げ、直樹を見つめる。

「そうだろう、お金やと思うだろう?私もそう思うよ」

組んでいた手を解き、椅子の背もたれに寄りかかる東。

じっとこちらを見ているその目がじろじろと、湿ったもののようにも感じられた。

「秋月くん、お金はエエよ~?人の命まで、意思まで買えてしまうんや。更に、変えてもしまうんや。

君は義理とか人情とか友達とか付き合いとか、そういうことは言わんのかいな」

お金はエエよ~、という東の言葉を十分に理解できているわけでもなく、義理や友情やそういったもので自分が行動を起こしていることにも気づかず。

直樹は自分の答えを待っている。

何と答えようかと、何と答えるんだろうと、待っている。

その間を縫って、直樹の順番を飛び越えた東が話し始めた。

「まぁ、お父さんのね、命令とはいえ単身こんなところに乗り込んでくるってのはねぇ…。私ゃ頭が悪いヤツは大嫌いでね。

まぁ今回はご丁寧なこの履歴書に免じて、許してあげようかな」

東はデスクの履歴書を直樹にチラと向ける。

「君のこの経歴、算数は十分にできそうだねぇ。いいと思うよ。で、ウチの組員になる覚悟はあるんかい?」

この東の言い分では、自分がアホなのか、算数ができるヤツなのかがよく理解できない。

ただ自分は、自分の覚悟は本物であると確信を持っている。

「もちろん。何だってやりますよ。俺は駆け足で稼がなきゃいけない。必要なら腕っ節にも自信があります」

「…まぁ、腕っ節って言われてもね。利き腕の人差し指が動いてくれりゃそれでいいんやけどね」

そう言って、東はデスクの引き出しを開け、何やらゴソゴソとし始めた。

「何かいいのないかな~……何かいいのないかね~……」

小声でブツブツ言いながら。

そしてお付の男に話しかける。

「アンタ、何かいいモン持ってないか?」

すると男は

「少々お待ちいただけますか」

そう言って、部屋を出て行った。


2人きりのこの空間で、直樹が考えることはもうない。

高温に触れた皮膚が冷と感じるこの空間で、ただただ答えを待つのみ。


数分後、戻ってきた男の手には小さな茶封筒。

「オヤッさん、これなんかどうです?」

中身を取り出し、東はその紙切れをじっと見つめる。

そうして席を立ち、直樹の前にその紙を突き出した。

「そうやねぇ、1週間やねぇ。1週間待ってあげる。私ゃ気が短くてねぇ。

この手形、額面通り現金で回収してきてくれるかなぁ。秋月くん、エリートの君ならできるやろ?」

まだ何の紙切れなのか分からない直樹。

3歩前へ出て、それを受け取る。

サッと目を通すと、それは期限の切れてしまった500万円の不渡手形だった。

「エエか、秋月くん。1円もまからんで。額面通りや」

先ほどからの湿ったようなその視線。

全て、見透かされていると感じた。

しかし直樹は自分からそれを言うわけでもなく、2~3質問する。

そのうちの一つ。

この手形に書かれているこの人のところに、請求に行けばいいのか。

その問いに対し、

「彼はもう死んで、いないんだよ」

東はいやに簡単にそう返してきた。

「こんな小っちゃい日本でもね、1日のうちに何人死んでるんだろうねぇ。表沙汰にならんとやで?

あ、この彼はね、私が殺したんじゃぁないよ?勝手に死によったんや」

まるで、昨日の夕飯が何だったかのように淡々と話す東。

それをそれほど心を揺り動かすこともなく、淡々と耳にし、記憶する直樹。

一種成立したような形になっている。

「いいかい秋月くん。私らの名前をちょっとでも出してしもうたら、アウト。ボーンやで?何だったら、君のお父さんに買い取ってもらうのも一つなんやけどなぁ」

そのセリフに何種類かの苛立ちを覚えはしたが、ここで何かを言うほど愚鈍でもなければ、思い余ってもいない。

直樹はただ、この部屋で発したどの言葉よりも大きく「はい」と返事をする。

こんなこと、もちろんやったことはない。

だが、力強くそう返事をした。

もっと詳しく話を聞くべきなんだろうとも思った。

しかし、そのまま直樹は部屋を出る。


じゅうたん敷きの廊下を渡り、エレベーターに乗り、ビルの玄関を出るまで、東に付いていた男が見張るようにしてついてきた。

男はどこまでも、私的に考える俊敏な木偶の坊の佇まい。

ビルを出る間際、彼に挨拶をして、直樹は部屋へと向かう。


バスに揺られながら、封筒から先ほどの手形を取り出した。

えっと……債務者は死亡……

債権者は……そっか、債権は東さんのトコにあるんだな。

まぁ、弁護士事務所のアルバイトで、全く知らないわけじゃない。


その手形には裏書人が存在する。(裏書人=この場合連帯保証人の意)

その人の住所は、直樹が今お世話になっているあのマンションから結構近い。


パッと見、簡単な仕事だな。

連帯保証人がいるなら話は早い。

手形の裏書人になるなんて、相当頭の悪いヤツなんだろう。

きっと簡単に済む。


想像というよりは、シミュレーション。

ああやって、こうやって……

それを繰り返しながらバスに揺られ、他のことも考えてみる。

何だか、まだあのビルから背中を引っ張られているような、そんな思いがした。

そして東の顔を思い出す。


こんな手形は、あの人にとってはどうでもいいんだよ。きっと。

もちろんこの500万もどうだっていいんだ。

あの人は、俺になんか興味はない。

…俺の背後にいる、父の姿を見ていたんや。

俺の臓器まで見透かしたようなあの目は、悪党の証拠。

気味が悪いほどに静かなあの瞳孔は、悪党の証。

……俺を内部に取り込んで、父を揺する気か。

今の俺に、そんな価値はない。

それはきっとバレること。


500万を手にアソコに戻ろうが、1円も持たずにアソコに戻ろうが、待っているものはきっとそれなりの問題。

だったら、この手形を俺の稼ぎにするべきだろう。

臆することはないと思うよ。

金さえ貯まれば、俺は……



マンションに戻ると、直樹はまず日課である部屋の掃除に取り掛かった。

与えられた課題に対するそれなりの策略を思案しながら、手慰みとも言える形で掃除機をかける。


……まずこの人の所へ行って、「額面通りの金額を支払ってくれ」……

でも支払えるんなら、手形があんなトコに流れるワケないんやな……

何から手を付けたら……


考え事をしながら掃除をする直樹。

テレビの置いてある棚に、掃除機を強くぶつけてしまった。

その時衝撃音とともに、テレビの後ろからゴトン!という重い音がした。

「あ、しまった!」

テレビが壊れたか!?

急いでテレビの裏側を覗き込む。

するとその狭い隙間に、コンタクトレンズのケースが落ちているのを見つけた。

先日直樹がいくら探しても見つからず、外で落としたんだと諦めていた予備のコンタクトレンズ。

こんなところにあったのか。

手を伸ばし、それを拾おうとするが、なかなか手が届かない。

テレビを少しずらし、できた隙間に上半身を入れ込むように手を突っ込む。

と、コンタクトレンズのケースの傍に、タオルに包まれた何かが置いてあるのに気付いた。

「……何だ?」

ケースと一緒に、直樹はそれを取り上げる。

かなり重量のあるものだ。

さっきの重たい音は、これが落ちた音か。

掃除機が当たったはずみで、狭い棚から落ちてしまったのだろう。

直樹は誰かが隠しているもの、そんな風に思うこともなく、躊躇なくタオルを剥がしてみた。

やがて、中から出てきたのは、拳銃。


「………」


これは間違いなく、タケシのもの。

こんなものまで渡されているのか。

その、目の当たりにした黒い物体を眺めながら、しかし直樹はさほど驚かない。

アソコでの日々を過ごすようになれば、俺もこういうものを所有するようになるのか。


直樹は少しの間、その拳銃をじっと見つめ、考える。

知らないフリをして、また仕舞っておくのが正解なのか。

それとも、テレビの裏のアレ、どういうことやねん!?とツッコミを入れた方が俺らしいのか。

少しの間考えたが、今自分がしようとしていることをタケシに報告するつもりのない直樹は、またその拳銃をタオルで包み直し、元に戻した。


掃除を終え、食事を作り、洗面所に行って髪を整える。

「美奈子ちゃん、お昼用意してるからね。アルバイト行ってくるわ」

ドアも開けず、そう伝え、

「うん、ありがとう」

という美奈子の声を聞いてから、直樹は部屋を出た。


ポケットに入っている手形を取り出し、この裏書人になっている者を『このボケ』と呼ぶ。

これからしなければいけないことを考えたら、対『人』として接すると、とてもやりにくい。


まずはこのボケの所へ行こうか。

そう考え、自転車で移動する。


昨夜シミュレーションし、理想通りになったこの日。

本来ならば、こうは行かなかった状況。

直樹はこの時、感謝した。

自分がこれまで生きてきた環境に。

理想通りになった要因は、両親にある、と。

自転車を漕ぎながら、直樹の感情は一周し、あの両親に感謝をしていた。



15分ほど走った場所に、それはあった。

『ムラタ製版印刷所』

そう掲げられたそのビルは、結構立派な3階建て。

ビルを見上げ、ひょっとしたらお金持ってるかも…などと考えるが、中を覗きこみ様子を窺った瞬間、その考えは払拭される。

全面ガラス張りの玄関の向こうは、明かりもなくいろんな紙切れが散らばり、妙に殺風景。

生きている会社の姿ではない。

それに加え見えたのは、土下座をして平謝りをしている男と女。

彼らの前には、仁王立ちしている6~7人のスーツの男が構えている。

そんな、分かりやすい光景。


……まぁ、当然やわな。

まず話を聞かないと何も始まらない。

そう思い自動ドアの前に立つが、扉が開かない。

電源を落としているようだ。

直樹は自動ドアを手動で開けて、中に入る。


「社長、アンタそればっかりやないか!ナイナイ言うてなぁ!手形取引飛ばしたら、恐ろしいんでっせ!!」

そう罵倒され、額を地べたに擦りつけ、

「もっともでございます。せやけど、ない袖は振れませんのや」

震える声で男はそう答える。


この手形の期限が過ぎて、2日経っている。

2日目にして、この光景。

土下座をするその男を見つめながら、直樹は考える。

ここに来て、この債権者らをまだこんなに怒らせとるんか。

のらりくらりやっとるんやな。


その時、そのスーツのグループが直樹の姿に気づいた。

「おいおい、ちょっと待てよ。また増えたんかい!兄ちゃん!アンタは何売ってイテこまされとんや?」

一人の男が直樹にそう問うた。


これは、死んだというこの手形の元の主、その人が会社運営のために半金半手で車を購入した際の手形だと東から聞いている。(半金半手=半分現金、半分手形で支払うこと)

おそらくこの場に集まっている債権者と自分は、少し立場が違うとここで察した。

この人たちは、この土下座をしている2人に直で何かを売って、飛ばされた人たちなんだろう。

自分とは少し違う。


「あー、ウチですか。ウチは~……車ですわ。ですよね、社長」

頭を下げたままの男に向かって、直樹はそう声を掛ける。

ここで今、直樹の持っている手形が流れてきた手形だとバレるのは賢明ではない。

まるで自分がこの社長に車を売ったかのように振舞うことにする。

ただ嘘を吐くと、何かしら後手に回ってしまうもの。直樹はその考えを握り締めている。

「ほんまかいな!ウチもトラック売ったんや。5台もやで!?ゼニはまだ3分の1しか受け取ってへんのや。

トラックは売ってもうて、もうない言うしなぁ」

「えー、そうなんッスか?他の皆さんは何ですの?」

聞いてみたところ、他にも車を売った債権者がいた。

その他印刷機・コピー機・上質紙など、会社で使っただろう物の支払いを全て反故にしている様子。


土下座をしたままの2人の前にしゃがみ、直樹は言った。

「社長、コレどないしますのや。ウチも払うてもらわな困るんですわ」

その言葉に、2人は平伏したまま、

「申し訳ございません!申し訳ございません!!」

としか答えない。


直樹は立ち上がり、確信する。

随分マヌケなこの2人。

俺の顔を見てないにしても、自分が何の債務を負っているのかすら理解できていないようだ。

このまま進んで行こうと思った。

自分が今持っている手形は、この2人発のものではない。

流れ手形だとバレてしまっては、一気に俺の胡散臭さが増す。


直樹は続けた。

ゆっくりと、その散らかったフロアを歩きながら。

「申し訳ありません言われてもねぇ。ウチもピーピーなんですわ。社長、今この会社、ナンボほど持ってますんや?」

直樹はその辺に散らかっている紙くずを拾い上げ、広げ、何か手立てはないかと書類の中を見て回る。

今、この2人が無防備に土下座をしている、そのうちに。

直樹のそのセリフに反応したのは、債権者の1人。

「何や兄ちゃん。手形飛んで、今日初めて来たんか?エライゆっくりやな。コイツら200万ほどしか持ってないらしいぞ」

その金額を耳にして、

ふーん……まぁ、そんなモンでしょうね。

と直樹は考える。

変わらずフロアを歩きながら、目に留まったスチール製の引き出しを開けた。

「社長さん、このビル、誰のモンなんですか?」

その直樹の問いに対して返事をしたのはまた、社長ではなく債権者の1人。

「そんなモン、コッチは当に目ェ付けとるがな。このビルは抵当権だらけで、売ったところでコイツらには一文も入って来んわ」

そこで社長が大きな声で、

「申し訳ありません!!」

ふーん……と、直樹はその引き出しの中をゴソゴソしている。


直樹のその問いが、再び債権者たちに火をつけてしまったのだろう。

そこにいる7人が全員声を荒げ始めた。

社長の肩を引っ掴み、グイッと持ち上げるようにして、

「頭下げてもろうても1円にもならへんのや!おいオッサン!!コレ3階やったな!飛び降りたらプチッと行けるんちゃうんかい!!生命保険くらい入っとるやろ!それくらいの気合見せてくれへんか、なアッ!!」

直樹はそれを聞き、思わずプッと噴き出してしまった。

人間追い込まれたら、サラリーマンもヤ○ザ者もあったモンじゃない。

そう思いながら、直樹はもう一つの引き出しを開ける。

そこに入っていたのは、履歴書。

「ほんで社長さん、お2人でこの会社やっとったんちゃいますやろ?社員さんどうしましたん?」

その引き出しにある何枚かの履歴書のうち、一番上にあった1枚を手に取り、直樹はもう一度社長に問うた。

「…あ、はい、社員にはみんな辞めてもろうたんですわ。一応退職金だけもろうてもらってね……」

退職金?!

……まぁ、一応ルールか。

払ったんやなぁ……。

この場に元社員らしき人間がおらへんってことは、退職金はちゃんと払うたいうことか……。


社長の言葉を聞いて、債権者たちはまた暴れ始める。

「ハアッ!?退職金やと!?オノレどのツラ下げてそがいなこと抜かしとるんじゃ!?退職金払う前に、ワシらにゼニ返さんかいッ!!」

そう騒いだ債権者の声に紛らわせるように、直樹は先ほど手に取った履歴書をポケットの中に忍ばせた。

そして口を開く。

「まーまーまーまー。ここでドッと騒いでもどうもなりませんよ。退職金はもう払うてもうたんやったら、そのお金はもう元社員さんの所有するモンですわ。

ほんでこのビルが抵当権でベタベタいうんやったら、このまま行くと……さっき言うとった200万を、ここに居る方の負債の額でパーセンテージを出して割るしかないですわ。でしょう?」

それを聞き、1人の債権者が頭を抱えてその場に座り込んだ。

「ワシんトコは額面通りのゼニが入って来なんだら、コイツんトコと共倒れやないか!」

「……ウチもそうじゃ」

そう呟く他の債権者もいる。

直樹はその債権者たちを、じっと見下ろしている。


土下座をしっぱなしのこの2人、もちろんこんな事態は初めてだろう。

そしてこの債権者たち、コイツらもこんな事態は初めてなんだろう。

もちろん俺も、初めて。

その段階では皆イーブン。


ある程度、情報は集めさせてもらった。

これといった手段・方法・案があるわけでもない直樹。

すでにこの債権者たちは、直樹にとって邪魔以外の何者でもない。

恐れもなく、ここに平伏す者、頭を抱える者たちの人生も考えることもない。

だが、続けて言った。

「まぁ、ほんまに騒いでもしょうがないですよ。今後について一回ちゃんとした債権者会を開いた方がよろしいですよ?ですよね、社長」

火をつけたのが直樹なら、鎮火させたのも直樹。

債権者たちは一様に

「まぁ、そうかもしれんな」

と、直樹の意見に賛成する。

しかし、すぐにそれが行われては、直樹にとっては時間が足らない。

この中で、本来ならば自分は弱い立場。

「4日後。4日後でどうです?社長さん。それまで社長さんはできる限りのことをする。皆さんも、それぞれいろんな考えを持ち寄る。これでどうですか?

まぁ、銀行の関係もありますからね。朝早い方がいいでしょう。4日後の朝10時からここで。どうですか」

そう提案した直樹に、皆が賛同した。

一つ決まったところで、ぞろぞろと債権者たちがその場を後にする中、直樹もそれに紛れて外に出る。


……今日は一体、何個嘘を吐いただろう。

方法もまとまっていなけりゃ、手段なんかあったもんじゃない。

直樹はそれらを考える前に、考える。

今日、俺はあと何個、嘘を吐くんやろな……。


皆が車に乗り、去って行くのを待ち、乗ってきた自転車に跨る直樹。

先ほどポケットに忍ばせた履歴書を取り出す。

あの会社に勤めていただろう、ある男の履歴書。

もちろん名前も住所も書かれている。

まずはここへ行ってみよう。


……あー、くそ。やっぱり債権者会は一週間後言うた方が良かったかなぁ。

でも一週間って長いよな。

怪しまれるよな……。


会社の名前が、ムラタ製版印刷所

裏書人の名前も村田……

あの土下座しとったのが村田でエエんよな?

俺、顔すらちゃんと見なんだわ。

……つい焦ってもうて、この会社2人でやっとったんちゃうでしょう?言うてもうたな。

アレはマズかったなぁ。

初対面なのバレてまうやん。

気ィ付けなな……。

そんなことをぼんやり考えながら、直樹はここからそれほど離れていない、先ほどの履歴書の男の元へと向かった。


この履歴書の男。

名前は納谷という。

直樹は先ほどから何度も何度も作戦を立てようとするが、良い案も浮かばず、目的も定まらない。

そんな状態のまま、納谷のマンションまで来てしまった。

計画性のないこの行動は、直樹の意に反しているもの。

取りあえずは情報収集だと自分に言い聞かせ、玄関の前に立つ。

平日のこんな時間にいるわけないよな。

そう考えながらどこかで、

計画を立てたいから、少し時間をくれないか。

留守の方がいい。

そんな曖昧な考えで期待をしている。


ピンポーンというチャイムの音は、一度だけ。

するとインターフォンから『はい』とすぐに返事が返ってきた。

うわ~……居ったで。

……マジかよ。

などと思ってしまう。

「あ、失礼します。納谷さんのお宅でしょうか」

『………』

「突然申し訳ございません。ムラタ製版印刷所さんのことでお伺いしたいことがございまして、少しお時間いただけませんでしょうか」

『………』

相手は無言。


……アレ?ちょっと待てよ。

ここに来たのはいいけど、俺が何者で、何の用事でここに来たのかすら決めてねぇよ……。

ヤバイ。このまま帰るか…?

そう思った瞬間、ガチャリと音がして玄関が少し開いた。

自分から訪れたにも関わらず、驚いてしまう。

中から顔を出したのは、40過ぎくらいの男。

ジャージ姿にボサボサの頭で、いかにも「何もしてません」的な風貌をしている。

「突然失礼します。ちょっとお時間いただけますか?えーっと……納谷誠二さまでよろしいでしょうか?」

つんのめることもない舌が、スラスラと言葉を押し出す。

「………」

何とも重く、憎らしい空気だ。

作り笑顔が引き攣り始める。

少しの間の後、納谷が口を開いた。

「……何の用事やねん」

「あ~、あのですね、ムラタ製版印刷所さんがですね、倒産したことに当たりまして、今いろいろ調べさせてもらってるんですよ。

あまりお時間取らせませんので……」

……納谷の、自分を見る目が明らかに疑いに満ちた上目遣いであることは、初見で分かった。

さあ、どう出る?

何か話せ。

そう願う直樹。

「………」

嘘すら思いついていない直樹は、この間が何とも耐え難い。

返答次第ではこの場からすぐ逃げ出さなければならないと、その用意だけはしている。

そんな、直樹にとっては進退の危うい空気の中、納谷が口を開いた。

「アンタ、ひょっとして警察の人?」

その納谷の言葉は、直樹にとってお誂え向きだった。

警察!?

……あ、そっか。そうすればエエな。

うん、そうそう。

直樹の最初の嘘は、この相手に誘導してもらったもの。

「あー…申し訳ありません。騒ぎになっちゃいけないと思いましてね。一応内密に話を聞いて回ってるんですよ」

そう言うと、納谷の疑いの眼差しが少しニヤけたものに変わった。

「汚いですけど中で話しますか?内密捜査なんでしょ?」

ここで直樹もそれに合わせ、小声に変換する。

「じゃあ、ちょっとよろしいですか」

そう答え、招かれるまま納谷の部屋へ上がりこんだ。

リビングに入るまでの間、直樹は考える。

この人、何で俺を警察の者やと思うたんやろ……?


「まぁ、ソコに座っててください」

直樹は言われるまま、小さなテーブルの前に正座した。

しばらくして納谷が2人分のお茶を持って、直樹の正面に座る。

直樹は用意していたメモ帳とペンを取り出し、話を切り出そうとした。

が、その前に喋り始めたのは納谷の方。

「あのオッサン、やっぱり何かしてましたん?」

『やっぱり何かしてましたん?』……?

誘導するまでもなく、自ら話し出す納谷を目の前に、肩の力が抜けるのを感じた。

随分チョロイ奴ばっかりやな。

そう考え、歩を進める。

何も掴んでいない直樹の言葉は実に曖昧なもので、

「イヤ~、実はそうなんですよね。今まだ捜査の段階なんで、事情だけ聞かせてもらって回ってるっていうか……。

納谷さんも何か知ってることがあったら、よろしかったら捜査協力だと思って全部話してもらえますか?」

それを聞いて、納谷が身を乗り出した。

「ワシはあの会社で、営業やってましたんやけどな…」

聞かずとも、先々と話し始める納谷。

直樹は記憶できるところは記憶し、細かい部分はメモを取っていく。

「何か怪しい思うてましたんや。ほんでな、まぁ辞める一ヶ月前ですかなぁ…。忘れモンしましてん。せやさかいな、会社に戻りましてん。

あの会社、一応社長夫婦で経営しとるんやけどなぁ。暗い事務所の中で、夫婦が喋っとるんですわ。

『もう、来月会社転がす金がない』言うてなぁ。

ワシ、それ隠れて聞いてましてん。こらぁもう、退職金出るうちに辞めなアカンやんけいうてね」

はい、はい、と相槌を打ちながら、直樹は話を聞いている。

「ほんでゼニない言うとるさかい、ワシなぁ、腹決めて集金してきた金握ったまま、言いましたんや。

『こないだ社長ら、会社潰れるや何や言うてましたやろ。私、辞めさしてもらおうか思うとるんですわ』いうてな。

ほんなら、そん時は『そんなん言わんと待ってくれ、どうにかなるさかい』いうて言うもんやから、渋々やけど会社に残ってましてん。

ほんなら案の定、倒産ですわ。まぁ、退職金もちゃんと出たからねぇ、エエのんはエエんやけど……」

納谷が言葉を切った。

ここで、直樹はようやく質問する。

「退職金は皆さん、ちゃんと出たんですかね?」

「うーん…どうやろのぅ…。ワシが聞いたヤツらは皆もろうとったのぅ」

「あぁ、そうですか」

手形まで飛ばしてパンクするような会社が、社員にだけしっかり金を握らせている。

俺の知る限りじゃ、あまりないパターンやな。

先ほど見た債権者たちの顔を思い出しながら、直樹はそう考える。

「ところで納谷さん、あのムラタの社長さん、カラーコピー機やら車やら、よけぇ買うたんですねぇ。会社が倒産しそうやっちゅーのに。

あの辺の物品いうのはドコに行ったか、知りません?」

すると、納谷はガタッとテーブルを鳴らしながらその場に立ち上がり、目を見開いて大声を上げた。

「ソコですねん!刑事さん!!」

け、刑事さんって!

直樹は思わず心の中で仰け反る。

「そうやねん!ソコですねん!!ワシねぇ、アレ、社長が取り込み詐欺したんちゃうか思うてるんですわ」

チクるようで本当に申し訳ない気がするんやが、と言いながら、喋る気満々の納谷は話を止めようとはしない。

「あの会社の隣に『田辺不動産』っちゅーのがありますやろ。

ウチの社長はアソコの社長と昔からごっつー仲が悪かったのに、最近仲良うてなぁ。前は、兄弟やのに仲悪うてホンマ…って話しよったんですわ」

「…ん?兄弟?」

「そうですねん。ウチの社長は奥さんトコへ婿養子で入っとるんですわ。村田は奥さんの姓ですねん。ほんで、隣で不動産業やっとるのが、弟の田辺。

何やアンタ、刑事のくせにそんな調べも付いとらんのかいな。アカンのぅ」

「あ、ハイ、申し訳ございません…」

直樹は言いながら、話の続きを引き出そうとする。

「まぁ、さっきも言うたけど、ごっつー仲悪かったんが、この一月くらいエライ仲良うなって。

会社内ではな、ウチの社長、隣の社長と一緒に悪いことしとるんちゃうかー言うてましたんや」

「………」

これだけ聞いていれば、十分な情報だった。

恐ろしいほどにツイている。

直樹はこの場で、思わずニヤけてしまう。

これは絶対に、計画倒産だ。

まずはこのセンで先に進み、もし違っていてもまたやり直せばいい。

そう簡単に思えるほど、確信の持てる話だった。

「じゃあ、あのカラーコピー機とか、あの辺がどうなったかってのは知らないんですね?」

「そら申し訳ない。知らへんのですわ…」

そう答えた納谷は、直樹にとってはもう用済みの男。

直樹は立ち上がりながら、

「そうですか。ご協力ありがとうございました」

と挨拶をする。

「協力しましたんや。金一封とか出ませんのか」

その納谷の言葉を笑って誤魔化し、玄関へと急ぐ。

いろんなことがバレないうちに、この場を切り上げたかった。

靴を履き、玄関を出てもう一度、

「ありがとうございました」

と挨拶したところで、

「ちょっとアンタ」

納屋に呼び止められた。

ギクリと肩が動いたのがバレたんじゃないかと思うくらい、反応してしまった。

「一つお願いがありますんや。ワシ、いっぺんでエエから警察手帳いうの見せてもらいたかったんですわぁ。見せてもらえません?」

それにもう一度ギクッとするが、今度はきっとうまく誤魔化せたと思う。

ゆっくりと振り返りながら、「えー、…えっとー」という答えを飲み込み、

「今日私、非番なんですよ、実は。プライベートで捜査してるんで、家へ置いてるんですよ、手帳とか」

にこやかに、更に続けて言う。

「何やったら手錠も見せましょか」

その返事に、納谷は何の疑いもなく、

「ほんまかいな!是非頼みますわ!拳銃見せてくれ言うたら、怒られますんやろうな。ハハハハハッ!」

それに合わせて、直樹も笑って見せる。

直樹はもう一度頭を下げ、もう会うこともないだろうこの男に、

「それではまた」

と言って、マンションを出た。

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