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剥離 1

―――― 俺の悩みは折り良く今日も、俺の足を行き過ぎないように止めてくれる。

顔色を窺いながら、少しずつ少しずつ進めてくれる。


やっぱり俺は強運の持ち主なのだろう。

何とかなりそうですよ。


帆を張れば進むしかないご時世を、満遍なく往ければ良い。


翩翻(へんぽん)が理想だって言っただろう。

それはそれで、難しいんだぜ? ――――




直樹は高校卒業までのあと1年ちょっとを、一人で過ごすことになった。

高校の編入手続きがまだ受理されていなかったこと。

土井さんのためのアパートの契約を切っていなかったこと。

それらがこの時の直樹を助ける。

土井さんの住んでいたアパートは直樹の家が借りていたものだったので、そのまま直樹が使うことになった。


慶也は泣いていた。

一緒に暮らさないのはおかしい、と。

1年が長く、重要だということは重々承知の上で、直樹は

「たった1年だろ?」 

と、慶也を宥めた。


母は

「そんな無茶な話はありません!」

と直樹を叱った。

「無茶は承知です。お金も余分にかかることも知っています。だから食べる分くらいは、アルバイトで稼ぎますよ」

と言ったら、更に叱られた。

「余計な苦労です」と。

母に怒られたのはこれが初めてで、多少の驚きはあったが、直樹は少し、ほんの少し、それに喜びを感じる。

「ちょっとお母さん。アルバイトで稼いで自炊をするっていうのは、余計なことじゃないですよ。大丈夫ですから」

そう言ったら、母も泣いてくれた。

電話での遣り取りだったので確信はないのだが、自分のために泣いてくれていたような気がしたのだ。


一人暮らしというのは、直樹にとって結構快適なものだった。

もう以前のようなバカをする必要はないのだから。


パクも3年になると同時に「俺はもう引退やねん」と言って、ケンカなどは一切しなくなった。

「引退って何や?」

直樹の問いに、パクは教えてくれた。

☆☆工業は代々ケンカの強いヤツのNo.1を決めていくらしい。

そのNo.1は3年になると同時に1、2年のNo.1と勝負をする。

それに勝とうが負けようが、その称号は下級生へと受け継がれて行く。

「何じゃそら」

という直樹の感想に、パクは、

「俺もそう思う」 

と答え、下らないがルールなんだ、とも言った。

直樹にとって理解しがたいものではあったが、一つ心配事が消えるのは良いことだと思う。


一人暮らしのこのアパートを、溜まり場だけにはしないようにしている直樹。

たまにパクが泊まりに来る。

タケシも休日の前夜には泊まりに来て、程よい空間を過ごしていた。


1日といえばそれほど早くは感じないが、アレ、もう金曜日?と思うほど一週間は早く、1年ともなると振り返る間もなかったほど、見事な速さで過ぎ去って行く。

この1年は程よく遊び、必死に勉強した。

環境が助け、ある程度の悩みで済まされているこの期間は確実に直樹に味方し、直樹は○○○大学法学部の受験に成功する。


春を待つ前に、直樹は家族の待つ東京へと帰った。

その際の別れは、前回のように踏ん切りがつかないものではない。

「俺、バイトも向こうで続けるし、コッチに遊びに来るよ。だからたまには遊びに来てくれな」

その挨拶で十分通い合えたと思う。


1年間の一人暮らしを始めるとき、父の言葉は一言も聞かなかった。

終えてしまったその時になり、あの時父はどう思ったのだろうと考えてみるが、それは取り合えず隣に置いておこうと思う。


そしてまた、家族4人で過ごす時間が流れ始める。



2年後、秋。

直樹は20歳になっていた。


こちらの生活も慣れたというよりは、思い出したという感じ。

大学の進級も難なくクリアしている。

土井さんの代わりに来たお手伝いさんはとても良い人ではあるが、直樹は以前のようにお手伝いさんにあまり手を掛けさせないように気をつけている。

1年間の一人暮らしはこういう部分でも無駄ではなかったと、自分に言い聞かせるための意味もあった。

更に上乗せした形で、できることはなるべくやろう、そう考え、大学関係者の紹介でとある弁護士事務所でアルバイトをしている。

別に弁護士になろうというわけではないのだが、誰かの真似をしたわけでもない。

興味がないよりも、興味があることの方が良いと思ったから。


弁護士事務所に通うに当たって直樹がほのかに期待していたことは、テレビドラマでよく見る金銭トラブルなどを抱えた人を助ける正義の味方の図。

こういうことができるんだと期待していたのだが、現実は随分と違っており、仕事といえばほとんどが書類関係。

机の上で済ますもの。

会社間の仲介人、株、そういったものがほとんどだった。

更に直樹は、仕事に関して驚愕の事実を目の当たりにしていた。

小さな個人店から大きな会社までの、破産手続きの多さ。

どこの誰かも知らない、そんな人たちが、構えた城を崩壊させて行く。

それが、この紙の上で行われている。

そして当然のように思い出し、忘れてはならないこと。


―――― 紀子。


直樹は高3の夏、ようやくと言っていいのだろう。紀子の家族が何故あの地を離れなければならなかったのか、その全てを知った。

大きいものが小さいものを、強が中込みの小を呑み込む様。

これが自然の摂理であると学んでいた自分がもどかしく、腹立たしい。


紀子さんの家が中や小だったのか。

そんなワケがない。

たとえそれは贔屓だと言われても、覆すつもりはない。

そして、アンタは本当に強なのか?

一緒に暮らしている俺には、そうは見えねぇが。

そんな風に思う。


父とは一人暮らしをしていた1年なども含め、一体何年話をしていないんだろう。

許すとか許さないとか、許してくれだとか許してくれなくていいだとか、そういうことではなく。

本当にもう覚えていない年月、疎通の何たるかということがない。


直樹は、紀子の姿を思い出せば噛み締めるものがあり、そしてあの頃思い描いていた将来を思い浮かべる。

到底取り返しなどつかない、彼女にとっての自分の存在。

考えれば考えるほどに血迷いそうになり、痛感するのだ。


こちらに越してからの2年間、あの2人とは何度か会った。

こっちにも招待したし、向こうにも何度も行った。

電話で話をするのは、2人合わせて月4、5回というところだろうか。


年月を重ねると、付き合い方というのもそれに見合ったものに変わっていく。

あの2人はもうすでに就職していて、こちらは学生。

ある程度気を遣い、同じように気も遣われているのだろう。


18を越えて高校を卒業してから、お金を使う遊び方でないと楽しくなくなっているように思う。

以前のように部屋に集まり、ダベッているのもいいんだが、それだけじゃ済まないようになっている。


確実に変わるんだろう。

俺の眉間のシワと一緒なのさ。

全く気づかなかったが、俺の眉間には顔の力を抜いても消えない、縦の溝ができている。

寝ているときまで力んでいるのか、どうなのか。

覚えていないということは、もうこの溝は形状記憶されて、元に戻ることはないんだろう。

まぁ、それでいい。

年輪ってやつがあるからな。

俺はあと2年で確実に学校を卒業し、あっちで就職する。

そう決めている。



この日、直樹は大学の講義を昼までで終え、アルバイトに行っていた。

家に帰るとすぐに、新しいお手伝いさんの島尾さんに言われた。

「直樹さん、大林さんて方からお電話がありましたよ。帰ったらすぐに電話してくださいとのことです」

いつも電話がかかってくるのは夜遅くなのに、どうしたんだろう。

「分かりました。後でかけます。ありがとう」

それほど気にすることもなく、直樹は食事を済ませる。


島尾さんは気を利かせてくれているのか、父が帰宅し食事をする時間とズラして、直樹の食事の用意をしてくれる。

何だか逃げているようで微妙ではあるが、あの人なりの気遣いなのだろうと何も言っていない。

…が、もしかしたら、父の命なのかもしれなかった。


食事を終え、自室に戻る。

アルバイトの関係で、株式について少し勉強しなくてはいけなかった。

机に着き、買ってきた本に没頭する。

必要な箇所をノートにまとめ、暗記するために何度も何度も、繰り返しその部分を書いていく。

と、廊下で電話の音が鳴り始めた。

時計を見ると、23時を過ぎている。


ああ、島尾さんはもう帰ってるな。

直樹が腰を上げて部屋を出ると、それとほぼ同時に慶也の部屋のドアが開いた。

電話に近い慶也が受話器を取り、

「……あー、パクさんですか。こんばんは」

部屋に戻ろうとしていた直樹だが、再び向き直り、電話に近づく。

「ハイ、元気です。……はい、……あ、すぐソコにいますよ。ちょっと待ってください」

と、慶也は受話器を押さえながら、

「パクさんから」

そう言って直樹にそれを渡した。

そしてすぐに自室へと入って行く。


慶也もよく頑張った。

今は有名な進学校に通っている。

あの頃の明るい性格そのままに、父に言われるまま勉強に勤しんでいる。

あの時2人で話したことは、今でもたまに思い出す。

アイツはとても立派だ。

直樹は、今となっては両手を広げてそう思えるのだ。


「あ、もしもし、パクウ?」

『おい直樹!お前何やねん!帰ったら電話してくれ言うたやんけ!!』

「あー、悪ィ悪ィ。ちょっとバイトのね、ことでね…」

忘れていたのに言い訳をしようとする直樹の言葉を、パクは待たない。

『そんなんエエねん!お前、今週末ヒマか!?』

「イヤ、ヒマじゃないよ。バイトがある」

『休め!ゴッツイ大事な用事がある!というより相談や!』

「相談?」

結構長い付き合いだが、相談があると言われたことは多分……初めてやな。

パクの剣幕とそのセリフで、何となくだが大ごとなんだろうと悟った。

「おう、分かったよ。じゃあ俺、今週末そっちに行こうか?

っていうか何や?何か問題が起こったんか?まさか美奈子ちゃんか?」

『イヤ、まぁ、美奈子の関係ったら関係なんやけど……ちょっとな、アホを説得してほしいんじゃ』

「アホを説得……」

よく分からない。

『タケシも休ますし、俺も仕事休むから、土曜にこっちに来てくれ。

電話代かかるから切るで!会うたとき話す!』

そう言って、パクは一方的に電話を切ってしまった。


……アホ?

タケシも、って言ってたからタケシのことか?

中途半端に聞いてしまったおかげで、不安が募る。


この日は水曜日。

直樹は次の日、バイト先の弁護士事務所に電話をして休みをもらい、その日のうちに新幹線に乗り込んだ。

内腿のムズムズが治まらないのだ。

しょうがないのだ。


目的地の駅に着いたのは、予定より二日早い夕方。


何度か行ったことがあるのでパクの勤め先は知っているが、突然訪ねて迷惑を掛けるわけにはいかない。

直樹はそのまま駅を出てタクシーに乗り、パクの家へと向かう。

途中、タクシーの中で財布を広げてみた。

ヤベー……帰りの新幹線代しかないやんけ。

そう思うが、それよりもこの心配事の方が先に立つ。


やがて、タクシーはパクの家の前に着いた。

まだ家には帰っていないことは分かっているので、パクのお母さんのやっている焼肉屋の方に入ってみる。

「こんにちはー」

店の中を覗いた直樹に間髪入れず、

「アラッ!!」

という、いつもの声。

「秋月くん、久しぶりやんか!東京でエエ大学行っとるんやろー?やっぱりアンタ偉いなぁ!

初めて会うたときからな、顔つきがちゃう思うとったんや、おばちゃん!

まー、久しぶりに見ても相変わらずハンサムで、おばちゃん口から心臓出そうやよ!!」

俺はまだ「こんにちは」しか言ってねぇのに。

思わず口元から笑みが零れた。

「お久しぶりです」

その直樹の声を遮るように、

「何してんの秋月くん!早よ入っておいで!まだお客さんも来んから、おばちゃん暇やねん。話相手して!」

そう言って、直樹を店に招き入れる。

直樹とパクのお母さんは、テーブルに向かい合って座った。

聞いていいのか分からないが、この内腿のムズムズ感を何とかしてしまいたい。

そう思い、直樹は尋ねてみる。

「健くんに呼び出されて来たんですよ。何か用事がある言うて。健くん、何かありました?」

それに対してのお母さんの答え。

「健はねぇ、秋月くんのおかげでホンマに性格柔らこぉなって!おばちゃん全部、秋月くんのおかげや思うとるんよ!」

ん――――……話が逸れる。


だがこの時、パクのお母さんが話したことは、以前から直樹がパクに聞きたかったことが多く含まれていた。

「あの子にはなぁ、お兄ちゃんがおったんやわ。3つ上のな。それがなぁ秋月くん、勉強もするんやけどゴンタクレいうヤツでなぁ。

秋月くんと同じ中学校行っとったんやで。

せやけどケンカもようやって、いつもケガして帰って来よったわ。

健はな、そがいなん見てずっとおったから『俺は兄貴みたいにはならへーん!』言うて、勉強ばっかりしててんやけど。

中学の2年のときにな、交通事故でな……。

これが轢き逃げで、まだ轢いたヤツも捕まってないっていう状態なんやわ。

その車に轢かれる前の晩に、健はなぁ、お兄ちゃんと大ゲンカしてから。その後に交通事故で死んでもうたやろ。

その後あの子、変わってもうてな。

自分の生んだ子ぉに、何でこんなに恐れ慄かなアカンのやって、ずっと思うとったわ。

秋月くんと会うたくらいから、ちょっとずつな、柔らこぉなりだして、店も手伝うてくれるようになって。

おばちゃんホンマ、秋月くん尊敬しとるんやよ。ありがとうな」


……本当は、目を閉じながら聞いていたかった。

でも失礼なので、お母さんの目をちゃんと見ながら聞いた。


誰にだって、大きかろうが小さかろうが、やっぱり何かある。

そう確信した。

俺なんか、気楽なモンや。


「あの、おばさん、」

ここまで言った直樹。

本当は、

『パクウのお兄さんが亡くなったとき、悲しかったですか』

そう聞きたかった。

しかし、聞けない。

「イヤ、僕は何もやってないですよ。健くんは僕が会うたときから、同級生と思えんくらいオトナやったし」

そう答えてはみるが、直樹はこの時とても嬉しかった。

優等生の期間が長かったわりには、人に褒めてもらったことなどなかったから。


本当のところは、俺の影響なんかないんだろうけど。

あったとしても微々たるものなんだろうけど。

これは素直に受け取って、折に詰めて自分の中に仕舞っておこうと思った。


「えーっと、秋月くんは健と同級生やから、もう二十歳超えとるわな。ビール飲むか?ビール」

「イヤ、僕、お酒飲めないんですよ」

「じゃあお腹空いてるやろ。用意するからちょっと待ってな」

「イ!?」

思わず声が出てしまった。

「イヤ!気ィ遣わないでください!僕、どっかで済ませますから!」

「何言うてんねん。焼肉屋に来て何も食わんってないやろー、アンタ!

おばちゃんも仕事の前にごはん済ませるんやわ。おばちゃんの相手してやー」

…ダメか!!

遠慮じゃないのが通じない!


パクのお母さんは、テーブルにどんどん肉を運んでくる。

従うしかねぇか……。


時計を見てみると、17時を回ったところ。

パクの仕事が終わるのは18時。

直樹はパクのお母さんの話を聞きながら、食事を始めた。

あの、変なゴムみたいなアレを除けば、おいしいなぁ。

…そういえば、あの時の弁当もおいしかったな。


パクのお母さんはよく笑うので、つられて自分も笑ってしまう。

知らないうちに、直樹の内腿のムズムズは消えていた。

最初はどうしようかと思っていたこの場の空気だったが、だんだんと慣れてきた。

直樹はパクのお母さんと同じ網に向かい、肉を焼きながら談笑している。


やがて外から、車が砂利を踏む音が聞こえてきた。

「あぁ秋月くん、健が帰ってきたで」

それを聞き、店の入口を振り向く直樹。

出迎えようとも思ったが、あとこれだけ食べちゃおうと、網の上に置かれた肉と野菜を一気に頬張る。

そうこうしているうちに、入口が開くガラガラという音がした。


直樹はもう一度、振り返る。

肉を箸で掴んだまま。

入ってきたのは、作業着姿のパク。

彼は直樹に気づかない。


「ちょっとアンタ、秋月くん遊びに来とるんやで」

冷蔵庫からビールを取り出そうとしていたパク、その声に顔を上げて直樹を見た。

「ありゃ!!お前何やっとんねん。土曜日言うたやんけ!ビックリしたわ!

ナニ仲良う顔合わせてメシ食うとんや。お前ら付き合うてんのか?」

まだ必死で肉と野菜を口の中に放り込んでいた直樹、

「ほふぅ、はんはいいはははえはは、ひーはふはほ!?ほっほーへひははいは!!」(パクウ!あんな言い方されたら気になるやろ!?速攻で来たわいや!!)

「……ちゃんと飲み込んでから喋ってくれるか。何言うてんのか分からへんよ」

パクは出しかけていたビールをまた仕舞い、直樹と向かい合ってテーブルに着く。

口の中のものを急いで飲み込み、直樹はヒソヒソと囁くように言った。

「ハ――――……ッ今日はコレ、めっちゃうまいわ、パクウ」

「イヤ、そんなんどうでもエエねん。土曜日言うたのに、速攻やなお前」

「電話じゃ何やからってことやろ?何があったんや?」

「まぁ、話しながら行こうか」

手招きされ、直樹はパクについて行く。

「おばさん、ごちそうさまでした。すみません、片付けもせんと…」

「あぁ、エエよエエよ。また来てな!」


2人は店を出て、パクの父の車である軽トラに乗り込む。

「行くとこがあんねん。ついて来てくれや」


車の中で、今回の経緯の大体を聞いた直樹。

そんなことで呼び出されたのか、とは思わないが、パクの剣幕から察して自分はパクの方に乗るべきなんだろうと思った。

しかし自分の意見としては、別に……タケシの勝手だろうと。


話の内容は、タケシが勤めていた印刷会社を辞めたということ。

そして再就職を決めたということ。

が、その再就職先というのが、極○の世界。

いわゆるヤ○ザ。


直樹は頭を捻らせる。

わざわざあっちから呼び出されて、……俺に何か話すことがあるのか?

そんなことをいろいろと考えているうちに、パクは車を停めた。


現在タケシが住んでいるマンション。

以前住んでいたマンションには何度か行ったことがあるが、これはまた。

直樹は

「へ~~~~…」

と言いながら、そのマンションを見上げる。

随分と立派なマンションだ。

ヤ○ザっていうのは、そがいに儲かるんかいな。


「アイツ、今日は家おるハズやねん。来いや!」

カリカリしているパク。

言われるがまま、後をついていく。

「なぁパクウ、そんなにイライラすんなよ。怒っとったら話にならんやろ?」

「アホ言え!!イライラせずにおれるかコレが!!

まったく!ドカーンって儲かる話がその辺に転がってるワケないやろ!

まったくアイツは!どこまでもどこまでもアホで!!」


……この温度差といったらない。

タケシが決めたことやろ?

そう思いながら、そう言い出せずにいる。

2人はエレベーターに乗り、10階で降りた。


逸る気持ちを抑えられない様子のパク。

早歩きでタケシの部屋の前に向かう。

そして、

ピンポーン、

ピンポッピンポッピンポッピンポッピンポッピンポッピンポッ

「止めろ、パクウ!」

制する直樹だが、パクは聞いてない。


玄関のドアはすぐに開いた。

出てきたのは、妹の美奈子。

「あー、パッくんと秋月くん!」

「おい、兄貴おるか」

「いや、今出掛けてるんやけど」

「上がらせてもらうで!」

そうして、パクはズカズカと部屋に上がりこむ。

直樹はその調子に合わせられないでいる。

「美奈子ちゃん、体調どう?」

「今はちょっといい感じなんやけど、これから寒なったらしんどなんねん」


美奈子は直樹が最初に会った頃より、随分と顔色も良くなっていた。

年を重ね、体が大きくなることで以前のように寝たきりの生活は送らなくて良くなっているようだが、この病気は手術をしない限り、完治することはなく……

直樹は美奈子の顔を見るたび、

頼むから、死ぬなよ。

兄ちゃんが何とかしてくれるぞ。

そう思っている。


「美奈子ちゃん、寝とかなくていいんか?」

「うん。ちょっとくらい動いてる方が調子いいから」

「そっか」

できることはしてあげたいと思うが、今の自分は無力である。

「おーい、美奈子!兄貴、何時ごろ帰って来るんや!?」

お構いなしのパクの声。

「えー…予定全部聞いてるわけじゃないから、分からへんよ。

今お茶入れるから、ちょっと待っといて」

そう言って、美奈子は台所に行ってしまった。


部屋に入って、キョロキョロする直樹。

随分と立派なマンションだ。

直樹はテーブルを挟み、パクと向かい合わせに座った。

「なぁパクウ、極○の人ってそんなに儲かるんかな」

その問いに間髪入れず、

「知るかッ!!」

部屋には立派なテレビやビデオも置いてある。

聞いた話では、パクもタケシの転職を知らなかったらしい。

タケシはもうかれこれ3ヶ月、あの世界で生きているらしい。

うーん……スゴイな。

直樹はそう感じる。


どうやら埋まりそうもないパクとの温度差を無視するように、直樹は部屋の中をキョロキョロ見回していた。

部屋を見回し、やっぱり大したもんだと思った。

以前住んでいたあのボロ家を考えると、あの殺風景だった家を思い出すと。

家具の立派さが今のタケシの生活を映しているとは限らないが、住む環境が良いに越したことはない。


直樹はパクに向き直り、

「なぁ、今からタケシに文句言うつもりやろ?そんなん言うてエエんかなぁ」

「………」

美奈子がお茶を持って部屋に入ってきた。

「パッくん、何怒っとるん?」

「………」

どうやらタケシもパクも、今回のこの件を美奈子には話していないようだ。

それはパクの顔色と、口元を見て察した。

「おい美奈子、俺は今から直樹と話があるから、お前は部屋に行っときなさい」

「ちょっとー、パッくん。ココ、誰の家やと思うとるんよ?何でパッくんにそんなこと言われなアカンの」

「エエから!部屋へ行っときな!」

…コイツ、やってること・言ってることがメチャクチャやな。

そう思った直樹、

「美奈子ちゃん、ほんまにごめんなんやけど、部屋借りといてな。

ちょっとパクウと話があるんやわ。2人じゃないと話しにくくってね」

「ん―――……じゃあ分かった。宿題があるから、それやっとくわ」

美奈子はそう言って席を立った。

彼女は今、高校の通信教育を受けている。

通信教育だって立派な学校だと言って、直樹が勧めたのだ。

「とにかくな、パクウ。頭ごなしに言うのはエエことないって」

「おいお前!一体どういうつもりや!?なぁお前!ドッチの味方なんや!?

…っていう考えやないんや、俺もな。せやけどな、こんなんエエわけないやろ」


それから、パクは自分がどれだけ暴○団、極○、ヤ○ザなどが嫌いかを語り始めた。

その中で最も大きな要因として、彼の父が経営している工場、パクも勤めているあの工場が、今現在地上げに遭っているということを聞いた。

この場で「そっかぁ…」と言うしかなかった直樹。

言いたいことは結構ある。

その地上げ屋はタケシがやってるワケじゃねぇだろ、を含めて。

でも取り合えず、何も言わずにパクの話を聞いておく。

パクに言いたいだけ言わせようと、そう思った。


声が枯れるほどに長く、大きめの声で喋ったパクはいったん息を吐いた。

「…なぁパクウ。お前、腹減ってるやろ。ごはんも食べてないしな。何か買って来てやるよ」

そのタイミングで、直樹は口を挟んだ。

「お、おう。…あ、そうか。俺も行こうか?」

「イヤ、一人で行くよ」

そう言って、直樹はパクの前に右手を差し出す。

「お金。お金ちょうだい。俺、帰りの新幹線代しかないから」

「えー?何や、奢りとちゃうんか」

パクは財布を出し、千円札を何枚か直樹に渡した。

それを受け取り、玄関に向かう直樹。


喋るだけ喋ったら、ちょっと落ち着いたみたいやな。

次は腹いっぱいにしてやろう。

腹減ってるとロクなこと考えねぇからな。

そう思い、玄関で靴を履こうとした、その時。


ピンポーン、というインターホンの音と同時にドアがガチャッと開いた。

次の瞬間、顔を突き合わせた、直樹とタケシ。

「うわッ!秋月!?どうしたんやお前!」

「あ、ああ。おかえり。ちょっとコッチへ遊びに来たんやわ」

「ふーん、そうか…」

返事をしながら、タケシの視線は直樹の背後へと向けられる。

直後、タケシは慌てた顔をして、何故か再びドアを開け、外に出ようとした。

何だ?と不思議に思い、振り返ろうとした直樹だが、それが及ばないほどの速さでパクがタケシに飛びかかる。

「オイコラ、タケシ!!とうとう捕まえたぞお前!!散々逃げやがって!!」

背後から腕を回し、タケシの首を絞めるパク。

その体勢のまま何も言わず、ただ外へ逃げ出そうとするタケシ。

「コラ!!逃げんなや!!」

「に、逃げる!!」

この2人の遣り取りを美奈子が気づかないか、直樹は心配だ。

「おい、ちょっと待てって。ケンカすんなよ」

そう言って、2人を眺める。

パクもタケシを引っ掴むのをやめ、タケシも逃げるのをやめた。

「今日はな、話を聞きに来たんやって。だからパクウも熱うなるなよ。なぁ?タケシ。奥で話しようや、な?」

「ほんまじゃ!!タケシ!聞きたいことが山ほどあるんや!こっちへ来いッ!!」

そしてパクは先々と部屋の中へ戻って行く。

「………」

俯いたままのタケシ。


まったく。

このタケシを見れば、何か考える部分があるのは分かるやろうに……。

「ほらタケシ、早く上がってくれよ。な?奥にお茶用意してるから。遠慮せずに入ってくれよ!」

「あ、……うん」

ココ、俺の家やろ!?っていうツッコミが入ると思ったのに。

タイミングが悪かったのか、タケシに冗談は通じなかった……。

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