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理由 2

次の日。

休憩時間になるたびに、直樹と紀子は昨日のことを話している。

余韻冷めやらぬ、そんな感じで動物についての知識を2人で話している。


この日は月曜日。

紀子と一緒に下校し、図書館に寄って勉強、そこで紀子と別れ、ボクシングジムに行ってから家へと帰る。


夜の勉強をする前に、少し紀子と電話で話をした。

また昨日の話だ。


いつもと変わらぬ月曜日。

直樹は覚えていた、というよりは思い出していた。

タケシとパクのことを。


スッポかしてしもうたからなぁ…。

明日は2人で会うて、一応謝らなアカンよな。

大ごとでもなく、流すようにそう考えた。



火曜日。

授業を終えた直樹は、いつものペースでいつもの待ち合わせ場所に向かった。

しかし、そこに2人の姿はない。


アレ?遅刻かよ…。

マズイなぁ。今日からセミナー行かなきゃいけないのに。

全く、あの2人は…。


あくまで自分側の思考の直樹。

もう一つの待ち合わせ場所に行ってみることにする。

しかし、ここにも2人はいない。

公衆電話でパクの家に電話してみたが、まだ帰っていないとのこと。


…だんだん心配になってきた。

また警察の厄介にでもなってんじゃないのか?

アカンぞ、警察沙汰は。


そう思い、直樹は2人の学校に行ってみることにした。

バスに乗りながら、ドキドキしている。


待ち合わせ場所にいないなんて、絶対警察に捕まってるんだ。


しかし、バスに乗って流れる景色の中に見つけた、見慣れた2人の背中。

バスは2人を追い越していく。

追い抜き際に2人の顔を見ると、やはりタケシとパク。

慌てて停車ボタンを押し、次のバス停で降りて2人の方へ逆戻りした。

「おーい!タケシ!パクウ!」

俯き加減に歩いていた2人は顔を上げ、そして立ち止まった。


直樹を見つけたパクは、いつものように、

「おー、直樹」

2人に駆け寄ると、直樹はまず謝る。

「おとといは、ほんまにごめんな」

「…お前な、ごめんなーじゃないぞ、お前。どんだけ待った思うとんねん。事故にでも遭うたんか思うたやんけ」

いつもと変わらない様子のパクに対し、タケシが小さく呟く。

「ピンピンしとるやんけ。…ケッ!!」

タケシの様子が少し気になったが、直樹もいつものように話しかけた。

「そっちこそ、今日は待ち合わせ場所におらへんし、また警察にでも捕まったか思うたやん」

「「………」」


……沈黙が流れる。


「…せやけどな、直樹。お前、おとといのアレはないんちゃうか?何しとって来なんだんや」

そう聞かれて少しギクッとしたが、直樹は正直に答えた。

紀子と動物園に行ったことを。

「それならそれでよう、電話くらいして来いよ。コッチはずっと待ってるやないか」

「え、でも俺、お前ン家のお母さんに電話したで?伝言お願いします言うたんやけどな」

「ハア?ウチのババァ信用すんなや」

そしてまた、いつもにはない少し重い空気が流れる.

「ま、次の日曜日、今度こそ野球に行こうで。チケット代は俺が3人分出すから。な?」

直樹の言葉に、タケシがズイッと前に出てきた。

「お前なぁ、人の話聞いとんか、ちゃんと!ボケヅラかましとんのもエエ加減にせぇよ!?こないだのが最終戦や言うたやろ。もうやってへんわ!」

直樹はここで、初めて最終戦の意味を理解する。

「ああ、そうかぁ……そういうことだったのか。タケシ、ごめんな。あんなに楽しみにしてたのにな」

そこでパクが間に入った。

「まぁ、な、タケシ。直樹、謝っとるやないか。これ以上どないせぇっちゅーんじゃ?これでおあいこや。貸し借りなし。

なぁ直樹。謝る以外、何もできへんわな」

するとタケシはそう言うパクを強く突き飛ばし、直樹に向かった声を荒げた。

「俺は別になぁ!阪神戦行けなんだのどうこう言うとんちゃうねん! 

コイツ、裏切ったくせにしゃあしゃあといつもの顔して現われやがったから、ソレにムカついとんじゃッ!!」

黙って、自分の失敗を反省しつつ聞いていた直樹だが、少しムッとした。

「だけどな、タケシ。さっきも言ったけど、俺は野球は年間通してずっとやってるって思ってたんや。だから今週も行けるって思ってたんや。

お詫びに2人の分のチケットも俺が出そう、そう思ってたんや」

「だから、そんなこと言うてんちゃう言うてるやろ!!」

タケシは怒鳴り、直樹の胸倉をグッと掴む。

その親指が鎖骨の間にグリッと入り、痛い。

少しイラッとしてしまった。

「……何だ?タケシ。俺がお前ら放っぽって、彼女と遊びに行ったのが面白くねぇのか?」

それを聞いたタケシ、今度は直樹の掴んだ襟をグイッと引き寄せた。

「だから、そんなん言うてんちゃう言うてるやろ!?お前、俺にケンカ売ってんのか!?」

タケシは直樹の顔に唾を飛ばしながら、大声で叫び散らす。


直樹も冷静さを欠いていた。

売り言葉に、買い言葉。

本当に、心にもない部分だった。

ただ売られたから、買ってしまったのだ。


「別にケンカなんか売ってねぇよ。何を張り切ってんのか知らんけど、そんな暇あったら勉強しとった方がエエんちゃうか、タケシ。

まあ、今のままでも入れる高校はあるやろうけど、今のままやったら高が知れてると思うで。もっと頑張った方がエエんちゃうか」

「前に言うたよな?俺は高校へは行かん言うとんねん!いらんお世話じゃッ!!」

ますます激しくなるタケシの大声。

「だからそれが頭が足りないって言ってんだよッ!高校も出ねぇでお前、何すんだ!?今日び、どこ行っても学歴社会やぞ!? 

俺は別にお前をナメてねぇ。だけどな、お前が世の中ナメてんのは事実じゃねぇのか!?

高校行かずに働くって、お前あのまま、あの家にこれからもずっと…ッ!」


ここで、直樹は我に返る。

…買いすぎて、いらないことまで言ってしまった。

タケシの形相が更に変わり、胸倉を掴んだ状態で拳が飛んでくる。


ヒュッ!

「ッ!!」

避ける直樹。

しかし急なことだったので鼻を掠めてしまった。

生温かいものが口にまで下がってくる。


……どこかで、俺たちは友達だから、コイツは俺を殴らない。

そう安心し、高を括っていた。


もう一発飛んでくる拳。

今度はスッと上体を反らし、完全にかわす。

そのまま直樹はタケシをドンッと突き飛ばし、胸倉から手を剥がした。

そして、パンチを繰り出す。


フッ!!

パチンッ!! 


小気味良い、バネが弾む音がした。

直樹のパンチは見事にタケシの左頬にヒットし、彼は後ろへ引っ繰り返る。


何万回も練習した、このストレート。

直樹はそれを、タケシで試してしまったのだ。

思わず手が出た、なんて言い訳はできない。


俺は今、タケシを黙らそうとして、落ち着いて、横っ面を目掛けて、

…殴りつけた。


たかが練習生ではあるが、ボクシングジムに通っている者のパンチは違う。


「……ッ」

面食らったタケシ、尻餅をついた状態から起き上がろうとするが、膝が笑い、うまく立ち上がることができない。

脳が揺れてしまっている。

「ワレェッ!!ゴラァッ!!」

無理やり立ち上がり、襲いかかろうとするタケシ。

「…ッ!」

ビクッとしてしまった。

自分には向けられることはないと思っていたあの形相が今、自分に向けられている。

黙らせるどころか、火を点けてしまった。

しかし、その思いとは裏腹に身構える直樹。


その時、それまで黙っていたパクが間にスッと入ってきた。

「よっしゃー!一発ずつ!これであおいこや!なぁ直樹!なぁタケシ!」

パクはすごい形相のタケシを、正面から抱くようにして動きを止めようとする。

「落ち着け、タケシ。ツレ同士でマジゲンカは厳禁や」

言いながら、パクは振り向き、こちらを見ながら言った。

「なぁ直樹?」

パクの目もつり上がっている。

それを見て、冷静になれた。

「……あ、ああ。そうだよな」


まだ直樹に突っかかろうとするタケシの背中をバンバンと叩きながら、パクが続ける。


「これ以上になったらホンマにアウトになるんじゃ。まだまだ熱いんやったら、俺がお前を冷ますぞ。

ちょっと落ち着け、タケシ」

「……ッ」

それを聞いて、タケシも振り上げていた拳を下ろす。

「よっしゃ。涼しゅうなった。1回ずつごめん言うて、終わりにしようか。それが一番エエやろ」

「何で俺が謝らなアカンのじゃッ!?」

そう答えるタケシ。

ちら、とこちらを見たパクの目を見て、思わず俯いてしまう直樹。

「…そっか。ほんなら、こりゃ宿題っちゅーことで、今日はバラけようや。なぁ?

ほしたらな、直樹」

そう言ってパクはタケシを連れ、元来た道を戻って行く。


その背中に向けて、

「おーい!パクウ!タケシ!!俺、今日からセミナーがあるんや!だからな、」

そこまで言ったところで、パクはこちらに背を向けたまま、手を挙げた。

「………」


ストップという意味なのか。

OKという意味なのか。

分からない。


鼻血が垂れてくる。

いつも持ち歩いているのに、今日に限ってティッシュを持っていない。

直樹はカバンを開けてノートをちぎり、鼻に押し当てる。


鼻血ってどうやったら止まるんだ?

……タケシなら知ってるよな。


そう、自分の心配をしてみる。




―――― 武器は、持つ人のことを選べない。

作る人のことを選べない。


板前さんや理容師さんは、普段から刃物を持ち歩いている。

俺たちは、あの人たちのことを信用するしかない。


言い出したらキリがない。

普段俺が持ち歩いている鉛筆でだって、人は殺せるんだから。――――




直樹も、帰る道は2人が歩いて行った方向と同じ。

こんな気まずい思いはしたことがない。

今からでも駆け寄ってちゃんと謝ろう、ではなく、少し時間をズラして帰ろう。

直樹はそう思い、見えない背中を目で追いかける。

直樹はしばらくして、セミナーへと向かって歩き出した。


……俺はきっと、また今から紀子さんに泣きつくんだろう。

甘え体質。

こんなものを俺が持ち合わせとったなんて、ビックリやで、ほんま。

ノートの切れ端を鼻に押し当てたまま、そう考える。


セミナー会場に着くと、紀子は入口で直樹を待っていてくれた。

「ハアッ!?ちょっと!ひょっとしてまたケンカしたん!?

あーあーあーあー!ノートなんかあてがうから、張り付いてしもうとるやん!

直樹くん、こんなにケガする子やったん?意外やわぁ」


知らない間に鼻血は止まっていた。

洗い場まで一緒に来てくれる紀子。

途中、鼻血の止め方を教わった。

血が垂れてくるから上を向いていたんだけど、それは本当はいけないらしい。

目頭のちょっと下を、摘むようにして押さえる。

一つ、勉強になった。


「今回は何なん?ちょっと教えてくれる?

こんなにケガされたんじゃ、心配でしゃあないやんか」


その問いに対する答え、

……見つからない。


何故こうなったかを話すとなると、経緯まで話さなければならない。

それだけは、言えない。

嘘を吐こうかと思ったけれど、思いつかない。


「……転んでしもうてな。手ェつくの、忘れたんよ」

アホみたいな嘘。

これが精一杯だった。

「あ、そう」

言いながら、紀子は直樹の顔をきれいにしてくれる。


嘘吐いてるの丸出しなのに、それ以上言ってこない。

本当に、尊敬するよ。

紀子さん。


……申し訳ないんだけど、俺はまた帰り道に、君に泣きつくことになるよ。


2人は少し遅れて授業に参加した。

直樹・紀子を含む、今日がセミナー初日の生徒たちは、まず5教科の小テストを受けさせられる。

直樹は始終ボーっとしている。

別に、鼻が痛かったわけではない。

ボーッとしていて、テストの空欄が目立つ。

直樹の席の列の一番後ろは紀子。

テストが終わるたびにそれを集める役目の紀子は、直樹の答案が白だらけなのに気づいたようだった。


このテストの結果で、明後日からのクラスが振り分けられる。

そう聞いていた2人は頑張ろうと、そう示し合わせていたのだ。

なのに、空欄だらけの直樹の答案。


この日は3教科のテストのみで授業が終わり、2人は一緒に帰路に就いた。

「なぁ直樹くん、何か食べてから帰ろうか。お腹空いてへん?」

「…え、あぁ、うん。そうやね」

何とも覇気のない、直樹の返事。

「何か、今回は私からちゃんと聞かんと、吐いてくれそうにないねぇ。

だって直樹くん、テスト中、頭から煙が出て、その煙がドクロの形になっとったで?」

「えぇッ!?マジで!?」

「ハハッ!って笑うてくれんと。冗談やんか。

でもね、そんな青白~い、消え行くような顔されとったら、こっちまで辛ぁなるわ」

「………」


……そっかぁ。

迷惑掛けてしもうてんねんな。


「ま、ジュースでも買って、そこで話しようや」

公園を指差して言う紀子。

「……俺は、ここに来る前から、俺はそうするだろうって思ってたよ、紀子さん。

でも今回は、泣きつき方が分からへんねん」

「うん、じゃあアソコに座って話してから帰ろうか」

「……ジュース、何がいい?俺が奢るからさ」

「ファンタオレンジ」


直樹は自販機に駆け足で向かい、自分も紀子と同じものを買って彼女の元へと戻る。

そして嘘を吐かないようにして、紀子に経緯を話した。


「……実は、友達との約束を破っちゃって、2人をスッポかしちゃったんだ……」

「友達って、あの○○中の人ら?」

「そう。2人おるんやけどね。1人が完全に怒ってしもうて……」

「ん――――……何かハッキリせぇへんのやね」

「俺が悪いのは分かってんだけど、そこまで悪かったか?っちゅーか…。

何かスッキリせぇへんねん」

「ごめんじゃ済まへんの?」

「うーん…だから、そのごめんがなかなか言いにくいというか…」

「ふぅん。……それで、あんな青い顔しておったんやね」


ここまで言って、直樹はまた悩みだし、黙ってしまう。


「あのね、直樹くん。人の心の色ってどんなんか知ってる?」

「え?心の色?ピンク色?」

「それはアンタ、ハートマークのイメージのこと言うてんやろ。

そうじゃなくて、んーっとねぇ……よし、じゃあ今回は私のテーマ『人と生きるについて』話そうか。

どうする?直樹くん」

「うん、聞く」

「私だってきっと、3年後5年後には考え方変わっとると思うんやけどね。

じゃあ聞かせよう。

うーん……納得いかん部分があっても文句はなし。認めません。これは命令です!」

「ハイ」

「直樹くんね、人と揉めたことがないから、悩み方がよく分かってへんと思うんやわ。手助けになればエエとしようか。

さっきの話聞いただけやったら、そらぁ直樹くんが悪いよ。

ほんで、理由を私に言えんってことは、何か私にも責任があるような気がしとるんやわ」


紀子さんは別に悪くない。

悪いのは、俺や。


「さっきの話やけどね、人の心の話。

例えば悪い部分を黒と表して、良い部分を白と表そう。

こうした時、いい?人の心ってのは、ほとんどが黒なんや。

そして人は、少しの白い部分で生きて行っとるん」


……それを聞くと、おとといのこと。

あれはやっぱり俺が悪かったな。

タケシの言い分が理解できてきた。


「私はね、これまで直樹くんと一緒におった時、時間全部楽しかったからねぇ。

例えば私にも何か責任があるんやとしても、全く責任を感じません。ってのが、ホンマのところなんや。

ハイ、コレは白と黒、どっち?

正解は、黒!

大抵の人っていうのはね、『俺は・私は正しい』って思いながら、日々過ごしてるんよ。自覚がなくっても、そうなんよ。

だって、そうやなかったら、人は人の間で何ができるん?そうじゃなかったら、人前とかに出れるん?

人前に出た時、自己主張するのもしないのも、その人の正義。発言をするんもしないんも、その人の正義。人の輪に入るんも入らんのも、そう。

結局、行動した段階で人はどうしたんか、どうされたんかが全てなんやわ。

人は迷って迷って、間違えるんや」


……パクのことを思い出した。

パクもよく難しい話をする。


「直樹くん、全てが多数決で決まるワケやないやんか。

これまでね、失敗とか間違いを人のせいにしたこと、あるやろ?」

「それくらい俺にだってあるよ!馬鹿にすんなよ!」


考えながら聞いている直樹。

返事が少しおかしい気がするが、理解はしている。


「ハイ、黒! 

それは本当に相手が悪かった?

…でもね、その黒い部分で共鳴できるんが、人間なんやで?

例えば今、私がエラッそうにアンタにタレてるこの講釈。これが正しいとも限らへん。

たとえば直樹くんが間違えたとき、ソレはキミが間違ってるよって正してくれた人。でも、その正し方が正しいとも限らへん。

でもね、その時自分の心が動くかどうかは、全部自分で決めてることなんやで?

ほんでこの時、考えはどうあれ、自分を信じれないヤツはカスです。

結局、人は自分で決めなアカンのやわ。

大体相談する段階になったときは、その相談相手に自分の都合のいい返事を求めてるモンやろ?

ハイ、この考え!

これは私の、黒!

…直樹くんね、今回その2人と揉めたこと、ソレをいろいろ加味して許してもらおうって思うか、許してあげようって思うか。

ソレは直樹くんが決めるんやわ。

人は迷って迷って、間違うんやから。

正解なんか、分からへんよ」


紀子の言葉がここで止まった。

後は自分で考えなければならない。


今、紀子が言ったこと。

初めてのことばかりで、少し難しい。

頭の中で、練って行く。


「……紀子さん、俺な、お金にモノ言わせたワケやないんだけど、俺がお金を出すから勘弁してくれよ、みたいな言い分だった……」

「あ、そう。だったら考えてみ?」


直樹の、頭を抱える仕草。

これは癖。


「だから言うてるやん。人は間違うんやって。

こうなったらその2人信じて、イチかバチかに賭けるしかないんちゃう?」


紀子さんも一緒に来て。

そう言いそうになった。

でも、言うわけにはいかない。


俺は間違っていたと思う、正義。


「……紀子さん、俺もう一回、ちゃんと謝るわ」

それを聞くと、紀子はその場に立ち上がった。

そして両手と両足を広げ、

「よし!抱いてやるから飛び込んでおいで!!」


……はぁ? 

何だソレ。

どういう行動なんか分からないし、抱きつき方も分からないけど。


直樹は紀子を抱えるようにして、抱きついてみる。

……女子っていうのは、やわらかい。

そう思った。


紀子の肩まである髪の毛が、頬に触れてくすぐったい。

「もしな、イチかバチかでキミが罰受けなアカンようになったら、取り合えず私がおるし。

そん時はまた、話してくれたらいいよ」


……その瞬間、両腕が太くなったような気がした。

足腰も、元に戻った。

直樹はそのまま紀子を抱え上げる。


「紀子さん!あの2人な、めっちゃエエ奴やねん!今度絶対に紹介するわ!」

そしてその場でくるくる回り、紀子を振り回す。

「ハハハハハッ!!直樹くんアンタ、ちょっとデカすぎるんちゃう?抱いてあげるつもりが、抱き上げられてるし! 

これじゃあ介抱してるつもりが、介抱されてるみたいやんか!」


迷うことは、そんなになかったような気がする。

このまま2人に会わないワケがない。

何かで読んだ『友は一生の宝』という文。

俺はまだ死なないから、『一生の』なのかどうかは分かんない。

だけど損得勘定なんか、いつの間にかしていなかったことを思い出したよ。


タケシ

パクウ

ヤな顔しても無駄やぞ。


俺は2人に会いに行きます。




次の日も直樹は頭を働かせている。

セミナーが本格的に始まるのは明日から。

今日はジムも休み。

タケシとパクに連絡するのは、ある程度頭を使ってタイミングを見計らわないといけない。

また自分が間違えてこじらせてしまうのは、ナンセンスを通り越し、ほんまもんのダメなヤツになってしまう。


その日は紀子と図書館で話をするだけだったので、久しぶりに家に早く帰ってきた。

そして、これもまた久しぶりに父と顔を合わせる。

チラと目が合ったが、お互い気にも留めなかった。

今の自分の髪型を見ても、もう言うことは何一つ持ち合わせてはいないのだろう。


玄関から父の声がする。

「慶也!早くしなさい!」

その声を聞いた慶也が、直樹の部屋に飛び込んできた。

彼は直樹のものとよく似た、余所行きの服を着ている。


俺は一応知っている。

今度はショッピングモールを造るんだろう。

それくらい俺だって知っている。

聞かされなくてもな。

着工前のパーティーだろう。


「なぁ兄さん。僕、パーティーって退屈でイヤなんや。

何で僕なんだよ。兄さんも一緒に行こう!」

服まで着込んでいるのに、駄々をこねている慶也。

「俺は呼ばれてねぇよ。早く行っておいで」

そう言ってニコッと笑ってみせた。


……慶也。

早く気づけ。

取って代わられた俺の立場に。


「………」

慶也は縋るように直樹の顔を見、そして渋々と部屋を出て行った。


……あいつには他意がない。

知っているからこそ、辛い部分もあった。

だけど今はそれほどには感じていない。

別にいいや、とは違う、何か。

きっと俺は、ゆっくりと後ろを振り返りながら、棄権しようとしているんだろう。


……そんなことよりもだ。

タケシ・パクに対して次どのように接するか、その方が重要。


紀子さんの言ったイチかバチか。

正直に言うと、俺の中でそういう行動というのは、あり得ないんだよな。

出来うる限り確率を上げ、挑む。


ポジティブ・シミュレーション

ネガティブ・シミュレーション

出来うる限り、ポジティブの方向へ道が拓けるよう、考えてみるべきなんだ。


考えては止め、考えては間違え、それを繰り返すとどんどん時間は過ぎて行く。

昨日紀子にもらったアドバイスで揚々としていたが、5時間後にはイチかバチかなんて、愚の骨頂というところに辿り着き……

また、頭を両手で掻き回しながら抱え込む、いつもの癖。


時計は深夜1時を回った。

早く寝なきゃ、ではなく、紀子に電話したら怒られちゃうかなぁと考える。


昨日をもう一度、振り返ってみよう。

そう思い、考え始めた中で一つ気づいた。

パクウはそれほど怒っていなかった……


パクウが何とかしてくれるさ。

そう俺が思うのは、非礼の上塗りであり、これまた愚の骨頂。


直樹はその骨頂に立ったまま、この日食事もとらず、お風呂にも入らず寝てしまった。



次の朝起きてまずしたのは、自分を叱咤すること。

何で寝るんだよ!


でも時間は戻らない。

ついさっき思った『何で寝るんだよ!』の頃の俺にも、戻れない。


…今日は学校を休みたい。


昨日の今日で、まだ何一つ行動を起こしていない直樹。

何となく、紀子に会わせる顔がなかった。


登校の用意をしながら、昨夜お風呂に入っていないことを思い出す。

が、そんなことよりも……


つらつらと考え事をしながら普段通りの時間に家を出て、学校に向かう。

しかし、いつもの時間になっても学校には着いていない。

とぼとぼとぼとぼ、チンタラチンタラ歩いている。


やがて2人との待ち合わせ場所に差し掛かったとき、直樹は足を止め、その景色を見回してみた。

寝不足ながら、目が覚める思い。


だーかーら!

このまま2人と会わないワケ、ないだろう?

紀子さんが言った、このままの俺の、このまま限りなく黒に近い俺のままでも、きっと2人は分かってくれる。


直樹は頭を巡らせる。


……よし。

このまま、タケシとパクウの学校へ行こう。

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