変化 1
―――― 栄光と表するものは、人それぞれでしょう。
それは、程良く遠いほど良い。
遠すぎると、人は諦めてしまうんだ。
だけど、遠すぎるものは他よりもずっと良い筈。
毎日毎日塵を重ね、見上げるものを作れば、遥か彼方向こうの地平線もちょっと近くに見える筈。
半人前の俺がまず手に入れるべきものは、一丁前なのか、一人前なのか。
一定不変のこの俺を、一旦終了させるべきだろう。
雨後の筍のごとく、めくるめく現れる近日を目の前に、このタイミングを俺は見計らっていたのではないか。
寡聞の俺と謙遜で表してきた俺は、本当の世間知らず。
ヴィヴァルディを聞きながら摂る朝食は俺の常識であって、多分からは漏れるのだろう。
可普及ではなく、バランスを取りながらゆっくり歩く。
今。
たった今。
今日の俺は混濁していて、色では表せない。
ある程度混成できれば、罵声であれ、一丁前と表されるんだろう。 ――――
次の日から、直樹はパクにもらったダボダボのズボンに短ランで学校に通い始めた。
登校前、慶也だけが
「何だよ、その学生服。スゴイの持ってんじゃん」
と触れたのみで、母は直樹の学生服の変化に気付かない。
直樹には、これが変型学生服であるという意識はない。
ただ友達からプレゼントされたそれを、どこかで自慢したい気分でいたのだ。
その学生服で登校すると、何故かみんなの冷ややかな視線。
それに気付く直樹。
何でだろう?
みんなと違うからかな?
そう思いながらも何となく、異質を放っている自分にゾクゾクする感覚も覚えている。
学校に来て、この学生服に唯一触れてくれたのは、やはり紀子だった。
「なになに~?秋月くん、その学生服!ヤンキーみたいやんか」
「え?ヤンキー?えっと、これはね、友達から譲り受けたんだ」
「この学校の生徒で、そんな学生服持っとる人おるんやねぇ」
「ううん、違うよ。○○中の生徒で、お兄さんがこの学校に来てたんだ。そのお兄さんの制服をもらったんだよ」
「へぇ!じゃあ今度は汚さんようにせなね。アハハハハ!」
そして、直樹は思い出す。
「久保さん、俺だけ制服新しいのになっちゃってごめんね。絶対お小遣い貯めて、こないだ汚しちゃったの弁償するからね」
「ああ、だからいいって!ほら、もう1枚持ってんだから。
でもアレだね、秋月くん背ェ高いから、そういうのも似合うやん。良かったねぇ!」
直樹は笑顔で受け答えしている。
こぼれそうな『ムフフフフフ』という声を抑えるのに必死だ。
やっぱり、久保さんだけは褒めてくれた。
さすが、俺の大好きな人だよ!!
と、そんなことを考えている。
しかしその時突然、直樹の頭に昨夜の父親の顔が現れた。
「………」
楽しいと思った瞬間、何故か嫌だったことが頭の中でフラッシュバックする。
それは、直樹の癖。
……お父さんは、この学生服に気付くんだろうか。
気付いたとしても、何も言わないかな……。
◆
無意味と思っていた、人付き合い。
必要と感じた、人付き合い。
後者に賛同するようになり、直樹は何気ないこと・皆が普通に蓄えていったことを、駆け足で吸収していく。
数日後、6時間目の授業が半分ほど終わったところで、直樹が何となく校門の方を見ると、そこにはパクとタケシが立っていた。
アレ?
随分早いな。
直樹はソワソワしながら授業が終わるのを待ち、帰りのホームルームが終わるとすぐに校門まで走って行く。
「随分早いじゃない。どうしたのさ?」
「「………」」
何やら神妙な面持ちの2人。
タケシが直樹の肩を掴んで言った。
「……おい、秋月。今日お前、何時まで大丈夫や?8時くらいまでOKか?」
一週間ほど出張だと言っていた父。
あれから10日ほど経っているが、家にはまだ帰って来ていない。
……あの時見た、これまで一度も見たことがないような父の笑顔を思い出す。
それを打ち消すように、直樹は答えた。
「大丈夫だよ。何かあるの?」
するとタケシはよし!と大きく頷き、
「後で発表する。今日も頼むで」
そして3人はいつものようにパクの家へと向かい、勉強を始めた。
やがて、時計の針が7時前を指した頃。
パクとタケシは顔を見合わせ、
「……よし。そろそろ行くぞ」
そう言って立ち上がる。
「どこへ行くのさ?」
すると、タケシがまたまた神妙な面持ちで答えた。
その目はらんらんと血走っている。
「今からするのは完全な犯罪や。そら分かっとる。だけど欲には勝てん!
エエからついて来い!」
犯罪と聞きながらも、
そんなワケない。
何が起こるんだ!?
ワクワクしながら、黙ってついて行く直樹。
3人が進むのは道なき道。
もちろん直樹はそんな探検など初めて。
藪の中を通り抜け、塀を乗り越えて辿り着いたのは、ある敷地の中だった。
少し先を進んでいたタケシが後ろを振り返り、ヒソヒソと直樹に話しかけてくる。
「おい秋月。お前、まさか彼女なんかおらんよな!?」
「や、彼女なんかいないよ。今、とても大好きな人はいるんだけどさ…」
素直な直樹。
「そっか。彼女はおらんのやな?な!?」
しつこいタケシ。
彼は続けて言った。
「よし。今からお前と俺は同志や!童貞同志とも言う!」
「童貞!?もちろんそうだよ」
……素直な直樹。
「そっか…。
実はな、この建物はある会社の女子寮なんや。
ほんでな、秋月。コレ見てみぃ!」
タケシが指差した先には、壁にガムテープで貼られたダンボール紙。
彼がそれをパリッと捲ると、そこには穴。
「この先にはな、風呂場があるんや。
お前、ダイレクトに女の裸なんか見たことないやろ?
俺はな、お前のためを思って、この1ヶ月間、コツコツコツコツここへ穴を開けたんや」
「1ヶ月って、1ヶ月前は俺たち、まだ会ってないじゃないか」
それに対し、タケシは、
「そんなツッコミはどうでもエエ!!俺ら、同志やろうが!!」
直樹は当然、思春期真っ只中。
紀子に興味を持った辺りから、悶々とするものは抱いている。
……でもこれって犯罪だろ?
タケシが言うように、完全に犯罪だ。
直樹の中で、激しい葛藤が巡り、回り、巡り巡る。
そんな直樹に、タケシはパクを指差すと、
「秋月、エエか。ここにもう1人、オマケのようにくっついて来てるコイツおるやろ。コイツにはな、彼女がおる」
それを聞いた直樹は大声で、
「ええッ!?パクウって彼女いるの!?」
「シッ、シッ、シ――――ッ!!アホウ!声デカイんじゃッ!!
……そうや。このパクウいう輩は、俺らの敵や!
そうや。よう考えたらパクウ、何でお前まで来とんや!?お前には必要ないやろ!」
責められながら、パクは何か言いたそうに2人を見ている。
それに気付かず、チラリと時計に目をやったタケシは目をぎらりと光らせた。
「入浴時間は7時からやからな。ぼちぼち入ってくるで。
今日の昼に完成したからまだ覗きはしてないんや。
……エエか、秋月。ビックリしてでかい声出すなよ?」
さっきまでめくるめく葛藤していた直樹、それすらすでに忘れたのか、
「うん」
と素直に返事をする。
ここでようやくパクが口を開いた。
「…あのぅ…」
「何や!?お前は必要ない、もう帰れ!!」
するとパクが小さな声で、
「カッコ悪うて、よう言わへんかったんやけど……あの女には3日でフラれてしもうたんや。
だから俺には今、女なんかおらへん」
「「………」」
黙―ってパクを見つめる、タケシと直樹。
やがてタケシ、
「……その3日でお前は、俺らが飛び越えてないカベを飛び越えたんか、どうなんや」
「ナニ一つ飛び越えてません。ガッツリ童貞です」
その答えに、タケシは2人の首を掴み寄せ、がっちりとスクラムを組む。
「よし!俺ら3人同盟や!パクウ、よう正直に言うた!何も恥ずかしくない!ちょっぴり背伸びしただけなんやな?そうなんやな?!」
完全に意気投合する3人。
「よし、ここからは一言も喋るな」
タケシのその命令に従い、静かな、かつ緊張感漂う時間が流れ始める。
何分ほど経ったのか。
その穴からざわざわと声が聞こえてきた。
来た!!
声には出さない号令。
タケシが本当に小さな声で、直樹に言う。
「よっしゃー!まず隊長!お前から行け!」
いつの間にか隊長になっている直樹。
その穴から、そっと中を覗いてみた。
「「「………」」」
しかしそこは真っ白い世界。
よく見えない。
アレ?
何も見えない……
アレ??
直樹は自分のメガネが湯気で曇っていることに気づかない。
「何も見えないよ?」
そんな直樹の後ろでやきもきしている2人。
報告する直樹の頭をパシパシと叩きつつ、パクは
「早よせェ!早よせェ!」
その時、完全にイラ立ったタケシが、直樹を引っ張り起こし、
「もうエエ!代われ!!」
そう言って、そのまま突き飛ばした。
その勢いで、直樹は建物を囲っていた垣根に、
バキバキバキバキバキ――――――ッ!!!
思いっきり、突っ込む。
「「「!!!」」」
同時に、3人は一切の動きを止めた。
取り合えず、呼吸するのも止めてみる3人。
「「「………」」」
何の声もしない。
誰も来ない。
その確認をして、タケシが一喝した。
「大きな音出すな!」
「何言ってんだよ!タケシが突き飛ばしたんだろ!」
「ウッサイ!!お前が鈍臭いことしとるからじゃ!!」
2人の遣り取りを尻目に、1人でちゃっかり穴を覗き込んでいるパク。
「あ!!パクウ!次は俺やぞ!」
「や~…何や、コレ。あんまよう見えへん。人影は見えるんやけどなぁ」
押しのけ合いをしている3人は、そのせいで後ろからガサッと音がしたことに気付かない。
よく見えもしないその穴に夢中だ。
その時突然、野太い声が辺りに響き渡った。
「コラアァッ!!ワレら、何しさらしとんじゃ――――ッ!!?」
「!!?」
バッと振り返ると、そこには大人2人が立っている。
次の瞬間、声を出すこともなく、垣根に飛び込むタケシとパク。
が、直樹は逃げ遅れる。
―――― ザザザザザッ!!
大人たちは即座に直樹に飛びかかり、しっかりと押さえ込んだ。
瞬間、直樹は自分の中でいろんなモノが崩壊していく音を聞く。
「あー!待って!置いてかないで!!」
直樹が叫ぶと、パクとタケシはすぐさま垣根の中からこちらに飛び出してきた。
押さえ込まれている直樹の目の前で、2人はその大人たちの顔面に蹴りを入れる。
ドゴッ!!
後ろに転がりコケたのは、1人。
押さえ込んでいるのが1人になり、何とか立ち上がった直樹が後ろを振り返ると、今度はパクが2人に押さえつけられている。
そして大人1人の背中に飛び乗っている、タケシ。
パクは押さえつけられながら、直樹に向かって叫んだ。
「直樹!お前は早よ逃げろ!早う!早う逃げェ!!」
その言葉を聞いた直樹は、先ほど頭の中で崩れ落ちたナニかを、すぐに組み立て直し、
直後、
「アァ―――――ッ!!!」
叫びながら、大人2人に思いっきり体当たり!
ドカンッ!!
その全力タックルで尻餅をついた2人は、顔を押さえながら、
「このクソガキら~~~~ッ!!」
「早よ警察呼べェ!!」
3人はその隙に垣根を抜け、猛ダッシュでその場から逃げる。
3人とも全速力だ。
「このクソガキャ~~~~ッ!!警察や!早よ警察呼べ!!」
背後で罵声が轟く。
そんな言葉を投げかけられたのは、もちろん初めての直樹。
ふと、鉄格子の中で膝を抱えている自分が頭に浮かび、何だか笑えてきた。
「クククッ!アーッハッハッハッハ!!」
それに合わせて、パクも笑い出す。
「アハハハハッ!ヒャーッヒャッヒャッヒャッヒャ!!」」
そんな2人を見てタケシは、
「お前ら、ナニ笑ろとんねん!!ナニが面白いんじゃ!?収穫ゼロやないか!まったく!
俺はこの同盟から抜けさせてもらう!!」
「アーハハハハッ!何やタケシ!お前1人、マジやな!
何や、それはロンリー童貞になるいうことか?勝手にやっとけ!!」
直樹は笑いながら走り続ける。
とにかく、楽しい!
とにかく、楽しい!!
これで何度目だ?
世間って、
やたらと、
―――― 広い!!!




