↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『男気の虫』  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/20

第二十話 「男気という呪い」



 それから三年。


 直人は、以前とは別人のようになっていた。


 借金はまだ残っている。


 窃盗事件の罪も消えてはいない。


 失った仕事も、信用も、戻らなかった。


 かつての仲間たちとは、もう二度と会っていない。


 それでも直人は、生きていた。


 毎朝起きて。


 働いて。


 少しずつ借金を返す。


 派手な生活ではない。


 幸せとも言えない。


 それでも――


「これでいい」


 直人は、そう思えるようになっていた。


     ◆


 ある日の帰り道。


 駅前で、若い男が数人の仲間に囲まれていた。


「頼むって」


「俺たち仲間だろ?」


「お前なら助けられる」


 男は困った顔をしている。


「でも、俺も金ないよ」


「何だよ、男気ないな」


「それでも友達かよ」


 直人の足が止まった。


 その言葉。


 何度も聞いた。


 忘れたくても忘れられない言葉。


 男は財布を取り出した。


「……いくら必要なんだ?」


 仲間たちが笑う。


「さすが!」


「やっぱりお前だよ!」


「男気あるな!」


 直人の背筋に悪寒が走った。


 男の首元。


 黒い点が見える。


「……やめろ」


 思わず声が出た。


 全員が振り返る。


「え?」


 直人は若い男に近づいた。


「金を渡すな」


「……誰?」


「そいつらは、お前を助けてるんじゃない」


 仲間たちが睨む。


「何なんだよ、あんた」


 直人は答えない。


 ただ男を見る。


「断っていいんだ」


「……」


「嫌なことは、嫌だと言っていい」


「でも……仲間が」


「仲間なら、お前が無理をすることを要求しない」


 男が黙る。


 直人は続けた。


「男気なんて、見せなくていい」


     ◆


 その言葉を聞いた瞬間。


 若い男の首元から、


 黒い虫が一匹落ちた。


「……え?」


 男が首を触る。


「何だ、これ……」


 直人は凍りついた。


 虫は地面を這っていく。


 そして――


 直人の足元へ来た。


「……」


 直人はそれを見つめる。


 虫は直人を見上げた。


 まるで笑っているようだった。


 そして、静かに呟く。


「次は、お前だ」


 直人の顔から血の気が引く。


「……俺?」


 虫は答えない。


 そのまま暗闇へ消えていく。


     ◆


 数日後。


 ニュースが流れた。


『若者を狙った新たな金銭トラブルが相次いでいます』


 画面には、複数の被害者。


 借金。


 ギャンブル。


 金銭の貸し借り。


 そして――


 仲間内での犯罪。


 直人はテレビを消した。


「……またか」


 呪いは終わっていない。


 宿主を変えながら、広がっている。


 それでも直人は思った。


 自分が止めなければならない。


 少なくとも、次の人間には同じ思いをさせない。


 そう決意した。


     ◆


 翌朝。


 直人は仕事へ向かった。


 駅へ歩く。


 いつもの道。


 いつもの景色。


 そして――


 スマートフォンが鳴った。


 知らない番号。


 直人は無視した。


 また鳴る。


 無視する。


 さらに鳴る。


 直人はため息をついた。


「しつこいな……」


 電話に出る。


「もしもし?」


 返事がない。


 ただ、


 カサ……


 という音が聞こえた。


「……」


 直人の顔が強張る。


 電話の向こうから声がした。


「男気を見せろ」


 直人は電話を切った。


 しかし――


 今度は周囲から声が聞こえる。


「男気を見せろ」


 振り返る。


 誰も言っていない。


「男気を見せろ」


 駅の中。


「男気を見せろ」


 交差点。


「男気を見せろ」


 街角。


 声がどんどん増えていく。


 直人は耳を塞いだ。


「やめろ……」


 しかし声は止まらない。


「男気を見せろ」


「仲間を助けろ」


「金を出せ」


「責任を取れ」


「お前ならできる」


 直人は走った。


     ◆


 駅の階段を上る。


 息が切れる。


 ホームへ出る。


 人が大勢いる。


 その全員が普通に生活している。


 誰も直人を見ていない。


 なのに――


 直人には見えていた。


 人々の首筋。


 肩。


 耳。


 服の隙間。


 黒い虫。


 一匹。


 二匹。


 十匹。


 数え切れない。


 いつの間にか、この街そのものが黒い虫に覆われていた。


 そして誰かが言った。


「困ってるんだよ」


「助けてよ」


「仲間だろ?」


「男気見せろよ」


 直人は震えた。


「違う……」


 誰も止まらない。


「俺は……」


 直人は拳を握った。


「もう、誰かのために自分を壊さない」


 その瞬間――


 駅にいた一人の男が振り返った。


 男の首には、黒い虫。


 男は直人を見て笑った。


「そう言うと思ったよ」


「……誰だ?」


「俺たちは、ずっとお前を見ていた」


 直人の背後にも人が立っている。


 前にも。


 横にも。


 全員の首筋に黒い虫。


 そして全員が、


 同じ声で言った。


「男気を見せろ」


     ◆


 直人は逃げなかった。


 もう逃げることにも疲れていた。


「……分かった」


 人々が笑う。


「やっぱりな」


「直人はそういう男だ」


 直人は首を横に振った。


「違う」


「……?」


「男気を見せるんじゃない」


 直人は一歩前へ出る。


「俺は――」


 その瞬間。


 首筋に激痛が走った。


「……っ!」


 黒い虫が皮膚の下から現れる。


 しかし、今までとは違った。


 一匹ではない。


 何十匹もの虫が、


 直人の身体から一斉に這い出していく。


「……何だ、これ」


 虫たちは地面へ落ちる。


 そして――


 人々の足元へ向かって走っていく。


 直人は気づいた。


「……俺から出た?」


 そう。


 直人の中に長い間いた虫たちは、


 直人を捨てて、


 新しい宿主を探していた。


「待て……」


 直人は追いかける。


 しかし間に合わない。


 一匹が若い男へ。


 一匹が会社員へ。


 一匹が老人へ。


 一匹が学生へ。


 次々と人間の身体へ入り込んでいく。


 そして――


 直人の身体から最後の一匹が落ちた。


 その虫だけは、


 直人の前に残った。


 直人はしゃがみ込む。


「……終わったのか?」


 虫が顔を上げる。


「違う」


「……」


「始まったんだ」


 直人は凍りついた。


 虫は暗闇へ消えていく。


     ◆


 その日から。


 街では、奇妙な言葉が流行り始めた。


「男なら助けろ」


「仲間なら金を出せ」


「男気を見せろ」


 誰かが困れば、誰かが犠牲になる。


 誰かが借金をすれば、別の誰かが保証人になる。


 博打で負ければ、仲間が金を出す。


 犯罪をすれば、一番立場の弱い人間が責任を負う。


 そして――


 利益だけは、別の誰かへ流れていく。


 寄生する者たちは、宿主を選ばない。


 友人。


 恋人。


 家族。


 職場。


 仲間。


 誰でもいい。


 ただ一つ。


「男気を見せろ」


 その言葉を信じてくれればいい。


     ◆


 数年後。


 直人は、街の片隅で一人暮らしていた。


 借金はまだ残っている。


 失ったものも多い。


 幸せだったとは言えない。


 それでも、直人は時々若者に声をかけた。


「無理して助けなくていい」


「嫌なことは断れ」


「仲間だからって、金を渡す必要はない」


「男気なんて、見せなくていい」


 それが、直人にできる唯一のことだった。


 しかし――


 誰も知らない。


 直人の首筋に、


 小さな黒い跡が残っていることを。


 そして夜になると、


 その跡の奥から、


 かすかな声が聞こえることを。


「幸せになりたい?」


「だったら――」


「男気を見せろ」


 直人は目を閉じる。


 もう返事はしない。


 しかし、街のどこかでは、


 また誰かが誰かに金を貸している。


 また誰かが博打に手を出している。


 また誰かが、


 「仲間だろ?」


 と言っている。


 そして、その言葉を聞いた人間の首筋に――


 一匹の黒い虫が這い上がる。


 誰にも見えない。


 誰にも気づかれない。


 ただ静かに、


 人間の欲望に寄生していく。


 「男気」という言葉を餌にして。


 直人は最後まで、幸せになれなかった。


 欲しかったのは、


 金でも、


 名誉でも、


 仲間からの賞賛でもなかった。


 ただ――


普通に幸せに生きたかっただけだった。


 しかし彼の人生に残ったのは、


借金。


罪。


失った人々。


そして、決して消えることのない呪い。


 それだけだった。


 そして今日もまた、


 どこかで誰かが言う。


「男気を見せろよ」


 その瞬間。


 誰にも見えないところで、


 黒い虫が一匹――


 新しい人間の身体へ、


 ゆっくりと潜り込んだ。


――完――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。