表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家事は誰がために鐘は鳴る ~元薬剤師の専業主婦が、夫と息子を静かに捨てるまで~  作者: 品川太朗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話:惣菜という名の散財



 私の担当週が終わり、いよいよ「男たちの改革」と彼らが豪語する週が始まった。

 最初の担当は、息子の翔太だ。


「飯できたぞー。ほら見ろ、俺にかかれば一瞬だ」


 リビングに翔太の自信満々な声が響く。


 食卓を見た私は、思わず眉をひそめそうになるのを堪え、無表情を保った。

 そこにあるのは、見事なまでの「茶色」一色だった。


 スーパーのパックに入ったままの唐揚げ、コロッケ、メンチカツ、そして春巻き。プラスチックの容器がそのままテーブルに並べられ、蓋だけが剥がされている。

 野菜は、申し訳程度に添えられた変色したレタスが一枚のみ。汁物はない。


「どうよこれ。スーパーで買ってくるだけ。調理時間ゼロ。皿洗いも自分の茶碗と箸だけ。これが『タイパ』ってやつだよ、母さん」


 翔太はドヤ顔で唐揚げを頬張った。

 隆もビール(もちろん、私が用意したものだ)を飲みながら、満足げに頷く。


「うむ、悪くない。揚げたてじゃないのは惜しいが、電子レンジを使えば十分食える。聡子、お前はいちいち手間をかけすぎていたんだよ」


 二人はパックから直接、箸で惣菜をつついている。


 私は無言で席につき、自分の分として分け与えられたコロッケを一つ、皿に移した。

 酸化した油の匂いが鼻をつく。


「……いただきます」


 口に運ぶ。衣が厚く、中身はパサついている。


 彼らはこれを「効率化」と呼ぶのか。

 私は心の中で溜息をついた。別に惣菜が悪いわけではない。忙しい時の味方だ。けれど、それを毎日続けることの意味を、彼らは理解していない。


 ◇


 そんな「茶色い食卓」が三日続いたある夜。

 私は家計簿アプリの画面を翔太に見せた。


「翔太、ちょっといい?」


「ん? なに?」


「食費のことよ。この三日間で、一週間分の予算の八割を使っているわ」


 出来合いの惣菜は、自炊に比べて割高だ。しかも彼らは「足りないと困る」という単純な理由で、四人家族でも食べきれない量を買い込んでくる。その上、割引シールが貼られる時間を待つような知恵もない。


「はあ? そんな細かいこと言うなよ」


 翔太はスマホから目を離さずに言い放った。


「母さんが働きに出て稼ぎが増えたんだろ? その分、食費に回せばいいじゃん。ケチくさいなあ」


 予想通りの答えだ。

 私は冷静に返す。


「私の給料は、家計の赤字を埋めるためのものじゃないわ。それに、お金だけの問題じゃないの」


 私は翔太の顔を指差した。


「鏡を見てみなさい。額に大きなニキビができているわよ」


「えっ」


 翔太が慌てて自分の額を触る。


「揚げ物ばかりの食事、野菜不足、過剰な塩分。あなたの今の食生活は、脂質異常症予備軍のそれよ。若いからまだ代謝で誤魔化せているけど、内臓には負担がかかっているわ」


 私はさらに隆の方を向いた。


「あなたもよ。最近、寝起きに胃もたれすると言っていたわよね? それは夜遅くに酸化した油を大量に摂取しているから。市販の胃薬を飲む前に、食生活を改善するのが『治療』の第一歩よ」


 薬剤師としての知識に基づいた、的確な診断と忠告。

 家族の健康を管理するのも、主婦という仕事の重要な一部だったのだと伝えたかった。


 しかし。


 隆は面倒くさそうに手を振った。


「あー、また始まった。お前のその説教くさいのが嫌なんだよ。飯くらい好きなものを食わせろ」


「そうそう。母さんの料理、味はいいけど『健康のため』とか言って味が薄いんだよな。こっちの方がガッツリしてて俺は好きだね」


 翔太はニキビを気にしながらも、意地になってメンチカツを口に押し込んだ。


 二人は、私の言葉を「雑音」として処理したのだ。

 その瞬間、私の中で、彼らに対する最後の「親切心」が消え失せた。


 私はかつて、彼らの将来の病気リスクを減らすために、あんなに献立に頭を悩ませていたのに。


「……そう。わかったわ」


 私はふっと力を抜いて微笑んだ。

 怒りはない。あるのは、実験結果を見届ける研究者のような冷徹な好奇心だけ。


「好きになさい。担当週のやり方に口出しはしない約束だったわね。ごめんなさい」


「わかればいいんだよ、わかれば」


 隆と翔太は勝利したかのように笑い合った。

 私は自分の分のサラダ(これだけは自分で買ってきた)を黙々と食べる。


 彼らは気づいていない。

 私の財布の紐が固く締まり、私の「管理」という守護が外れた今、彼らが自分たちの身体と財布を切り売りしていることに。


 テーブルの上には、食べ残された揚げ物が、冷えて油を滲ませながら転がっていた。

 それはまるで、これから彼らが辿る未来の姿のように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ