第六十九話
❀手を離すことなかれ❀
「なんてことを……」
幽闇咲也は、十翼の気まぐれにより連れだされてしまった。三年ものあいだ蔵のなかで死人のように過ごしてきた青年にとって、これは予期せぬ展開だった。帰ろうにも現在地すら不明で困惑していると、炎估に単衣の衿を引き寄せられた。
「おまえはこれから、暗闇咲夜となって生きろ。雑木林は、現世の界面に存在する絶対領域で、人間が立ち入ることはできない場所だ。奥に行けば、いくつか廃墟がある。手をくわえれば充分暮らせるだろう」
「ど、どういうことですか? ぼくは、家にもどらなくては……」
「もどってどうする。また、死ぬために生きるのか」
「……そうです。それが、ぼくの運命だから」
「ふざけるな!」
ドンッと、肩を突き放されて地面に尻をつく咲夜は、怒気をあらわにする炎估に向かって、なぜ、こんな真似をするのかと声をあげた。
「おまえは、ここで暮らせばいいと云っている。日照にその貧相な躰を奪われないように、力となるやつのタマシイをあつめろ。やり方は、知っているな。かつて、あんたらの生業は、空蟬や亡人を深淵に還すことだったはずだ。……ずいぶん凋落したものだな」
「……蔵に閉じこめられた日、父さんに聞いたけれど、幽闇家の先祖は異形なものとタマシイを交換して、人間のふりをして生きてきたそうですね。……だから、摂理を重要視する日照に目をつけられた。……あなたも見たのでしょう? ぼくの裏庭には、生まれたときから虹色のウロコがある。きっと、どこへ隠れても、日照は、ぼくをつかまえにやってくる」
「ならば、ウロコを使えよ。そのウロコを使えば、死人のタマシイを強化できる。利用できそうな死にぞこないを見つけたら、迷わずそいつの裏庭に封じろ」
「そ、そんなこと、できません!」
「どうせ相手は死んでいる。問題ない。むしろ、おまえがタマシイをつかんでしまえば、何百年と生きられるンだ。場合によっては感謝されるさ」
ポツポツと、天から雨がおちてきた。炎估は雨に打たれてもどこもぬれないが、咲夜のからだは冷たくなってゆく。背後から黒傘をさしだされ、おどろいてふり向くと、若い男が立っていた。名を風估という。……あなたたちは、十翼とは、いったい。頭が混乱する咲夜は、からだの力が抜けおちて、意識を失った。
「炎估よ、どうするのじゃ。こやつは、日照の器候補なのであろう? 下手なことをすれば、おぬしもただではすまないぞ」
「すませるさ。おれがこのオンナを手に入れる。男のからだをしているが、咲夜のタマシイは女だ。異形のタマシイを取りこんだ血筋は、容姿に関係なく、女のにおいがする」
「たしかにのう。わしの鼻も、ひさしぶりによく通るわい。この色香は、独占したくもなるな。われら十翼とて、人肌は好物だしのう。……ふむ。では、炎估よ。おぬしはそやつを嫁として、そばに置くがええ。日照に見つかるまで、夫婦生活を愉しむことじゃな」
風估は、石づきなめこという雑貨商の主人である。こうして、十翼の気まぐれによって雑木林へ身を寄せるものの世話をひき受けた。咲夜を抱きあげる炎估は、朽ちた家屋のなかへ、はいってゆく。ほこりだらけの座敷に、ひと室だけ新しい布団が敷いてある。そこへ咲夜の躰を寝かせると、薄くまぶたをひらいた。
「炎估……、なにをしているのですか……。わ……、わたしは、帰らなければ……。家族が、無事ではいられない……」
「幽闇の一族は、いいかげん滅びるべきなんだよ。いつまでも風習にこだわって、日照を神格化しやがって、うんざりする。あんなものは、ただの現象にすぎない。放っておけばいい」
「見捨てろと……? あなたの意見など……、聞いていませんよ……。わたしは、日照とひとつになるための器……、お願い、じゃまをしないで……」
雨にぬれた白装束を脱がせる炎估は、「おれの罪から逃げたら、タマシイごと灼き殺す」といって、緋色の眼でにらんだ。
〘つづく〙




