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あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》  作者: 地底乃人M


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第六十七話

❀待つことの向こう側❀




 亭主の意識が回復せずに、丸二日が経過した。未明から霧雨がふっている。寝不足で朝を迎えた螢介は、水道で顔を洗うと、咲夜のようすを見にいった。


「炎估? なにしてるんだ」


 座敷に寝かせてある亭主のからだは、あまりにも無防備だった。十翼の炎估は咲夜を裸身(はだか)にして、裏庭(、、)へ腕をすべりこませている。


「なにって、たしかめているだけだ。人間は大事なものを隠すからな」


「たしかめるって……、おい、どこを触ってるんだよ!? やめろ!」


 亭主の下肢に這う指を見た螢介は、炎估の腕をふりはらった。咲夜の肩を抱き寄せて「先生に変なことするな」と抗議する。


「変な目で見ているのは、おまえのほうだろうが。こいつのからだは、じきに使いものにならなくなる」


「なんとでも云え。とにかく、先生のからだに触るな。……使いもの?」


「日照にからだを譲り渡せば、咲夜は空蟬(うつせみ)同然だ。人間としての機能を(うしな)う。二度と、泣くことも笑うこともない」


「……だから、阻止するんだよ。先生の血筋は呪われている。どんなに日照がすごいやつだとしても、だれかを犠牲にして世の中を平和にするなんて改めるべきだ。幽闇家(くらやみけ)に生まれたやつらだけが不公平じゃないか。一族の宿命とか名誉とかの話じゃない」


「いかにも手前勝手な意見だな」


「ふん、なんとでも云えよ」


 螢介は裸身の亭主を抱きあげると、二階へ移動した。住み込み部屋としてあたえられた六畳間に運んで、じぶんの布団に寝かせると、聞書(ききがき)の準備をはじめる。


「あまり猶予(ゆうよ)がねぇからな。おれに、先生の声をきかせてくれ」


 (すずり)に墨を()ると、畳のうえに巻紙をひろげた。石づきなめこ秘蔵の筆に墨をふくませる。まぶたを閉じて耳をかたむける螢介は、指先に集中した。サァサァとふる雨の音に、亭主の息づかいが交じる。自らの鼓動を感じとり、自然に筆を(おこ)す。



 ……聞こえる。これは、

 先生の声だ。でも、まだ小さい。

 もっとよく、聞かせてくれ。



 安らかな死人のような表情をして眠りにつく亭主は、生まれたとき、日照の供物として身を捧げることが()まっていた。幽闇家がその(きざ)しをとらえたのは、咲也(さくや)の裏庭にしるし(、、、)を発見したからである。それがどんなかたち(、、、)をしているのか、知る方法は直接さぐるしかない(炎估は気づいて、しるしに()れている)。



 おれは、いくらでも待てる。

 先生がこたえてくれるまで、

 ずっとそばにいるからな。

 ……からなず、あなたを守る。

 先生のタマシイは、

 だれにも奪わせない。



 聞書の姿勢で待機する螢介は、一時間以上、身動きせずに耳をかたむけていた。亭主のようすに変化は見られないが、いま、咲夜が見ているであろう夢を、螢介は頭のなかで共有していた。……これは、先生の子どものころの記憶か。



 大きな屋敷の中庭で、老婆と(まり)で遊ぶ小さな咲夜は、坊っちゃんと呼ばれていた。


「ばあや、ばあや、見て。ぼく、鞠をたくさんつけるようになったよ」

「どれどれ、ほほう、坊っちゃんはすごいね。りっぱだね。さあ、湯あみの時間になるよ。もどりましょうね」

「……ぼく、行きたくないな」

「坊っちゃん?」

「湯あみは、いやだ。あのひと(、、、、)たち、ぼくのからだを洗うとき、おしりのまえをじろじろ見るんだもの」

「それはね、坊っちゃんの健康をたしかめているだけだよ。あのひとたちはね、ここでは使用人の立場なんだ。坊っちゃんの身になにかあれば、ただではすまされないんだよ」

「なにかって、なぁに?」


 老婆を見あげる小さな咲夜は、裏庭のしるしについて、まだなにも知らされていない。日照が器の誕生に気づいてあらわれるタイミングはきまっており、そのときまで内密に育てられた。声変わりなど成熟過程が最終段階を遂げる区分に到達すると、外部との接触を避けるため、薄暗い蔵に閉じこめられた。雨の日も風の日も、ただ、食事をして眠りにつき、使用人たちにからだを清潔に保たれる日々がつづく。やがて、精神崩壊が起こる寸前となった咲夜は、十翼の存在を知る。




〘つづく〙

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