第四十二話
❀螢介、独白❀
これは夢だと、寝ていてもわかるときがある──。というのも、夢のなかには、主役がほかにいるからだ。おれは、なぜか主役の近くにいて、ただ傍観している。もっとわかりやすく云えば、テレビの撮影現場に参加しているような臨場感があるにもかかわらず、周囲の人間には、おれの姿が見えていない。たとえなにが起きても、おれの存在には、だれも気づかないのだ。
行ってきます……。あら、ちょっと待って、ユッくん。きょうは雨がふるわよ。傘を持っていきなさい。え、でも、こんなに晴れてるのに……。そうよ、晴れているときでも、雨はふるのよ。知らない? 天気雨っていうの。青空で日が照っているのにパラパラ雨がふるのはね、狐が嫁入り行列を人間に見られないようにしているからなの。だから、忘れずに傘を持っていくのよ。化かされてはだめ。家に帰れなくなるわ。家に? 困るでしょう。う、うん、わかった……。行ってらっしゃい、気をつけてね。
どこかの家庭での、母と子の玄関さきでのやりとりだ。おれが気になったのは、ユッくんと呼ばれた少年のほうだ。まちがいない。いま、石づきなめこで眠っている少年である。彼の素性というか、その身になにが起きたのかを調べることが、今回の目的である。仕事の依頼人は、彼の母親だが、それはあまり気にならなかった。
こんなに空は晴れてるのに、雨がふってくるのか。……母親のことばにつられて、ちらッと、空を見あげた。『けいすけ』かたわらのネコは、変装だといって、だて眼鏡をかけている。はっきり云って似合わないが、本人がそうは思わない以上、放っておく。むぎゅっ、と、大きな胸がおれの頭に載ってくるが、なるべく気にしないようにする(だんだんネコとの距離感になれてきた)。物陰に片膝をつくおれは、背中にくっついているネコに、尾行せず、学校へさきまわりしようと提案した。
『むむ、なぜだ?』
「情報収集だよ」
探偵の基本は、本人に直撃するまえの下調べに時間をかけるものだ。さぐる相手の名前は、雪里という。「ユッくんか……」おれには、聞き覚えがある名前だった。
びしょぬれで帰宅した息子に、螢介の母が叱言をならべる。……まったく、ケイちゃんったら、この雨のなかを、どうして学校に傘を置き忘れたりするの? さっき、ユッくんが持ってきてくれたのよ。高校生にもなって、じぶんの持ちものくらい、失くさないでちょうだいね。
……ユッくんって、だれだ? 知らない名前である。螢介に兄弟や姉妹はおらず、近所に同学年の生徒もいない。正体の知れない人物が、母の密子に亭主の黒傘をとどけたようだ。しかも母は、それを息子のものとしてうたがわない。……あのさ、おれの傘は淡青なんだけど。そんなことも、忘れちまったのか。
『けいすけ? どうしたのだ?』
「ん? ああ、少し考えごとしてた。まえに、おれの家に、ユッくんと呼ばれたやつが、傘をとどけに来たことがあったんだよな」
『ゆきさとが、か?』
「それは、わからない。おれは、ユッくんの顔を見ていないから」
『むむっ、つまり、かのうせいを、うたがっているのだな』
そのとおりだ。おれはいま、あの日の人物と雪里が、同じ少年なのか、思考をめぐらせる。さいわい、亭主の黒傘を自宅にとどけた意味は、本人にたずねることができる。……まあ、同一人物だったとしても、あいつは、おれより先輩だな。まさか、過去から来たのか? わざわざトラックに轢かれそうになって、まさか、おれを呼んでいる?
雪里の通う学校は、市内にある。彼は徒歩で通学しているが、おれとネコは市電に乗り、さきまわりした。学章を見たかぎり、ごく一般的な公立高校である。
「適当に声をかけても、怪しまれるだろうな。ここから、どうするか……」
校門をとおり抜けてゆく生徒は、書生ふうの恰好や、シャツにズボンなど、服装の文化が定まらない。彼らのタマシイは、日付を越えて集まっているのだ。……もしかしたら、おれも、こんなふうに日常をくり返すだけのタマシイになっていたのかもな。もう考えなくてもわかる。あのひとが、さくやさんが、おれを生かしている。……そうだろ、なあ、先生?
〘つづく〙




