第三十二話
❀螢介、聞書に挑厶❀
石づきなめこ商會にとどまる螢介は、結果として、学校へいく機会をのがした。ひき逃げの現場に出喰わし、助けた少年は、タマシイをなくした空虚の状態で、声をだすことも、自力で歩くこともできなかった。
「はやく対処せねば、空蟬になってしまうぞ。場合によっては亡人にもなるゆえ、気をつけるがええ」
「気をつけろって云われても、おれにだって、なにがなんだか、さっぱりなんですけどね。……先生は?」
布団で眠る少年のかたわらに胡坐する風估は、座敷に顔をだした螢介を、ちらッと見、小さく息を吐いた。亭主の姿を探して歩くうち、自然と座敷までやってきたが、さくやらしき人影は発見に至らず、肩をすぼめた。
「なめこさん、ちょっといいですか」
「なんじゃ?」
「おれ、聞書ってのをやらされたンですけど、書き記したことばは、たぶん、こいつの声なんだと思います」
「ほう、聞書とな。よくも適した筆を所持しておったな」
「それが、風呂場に落ちていたんです。その筆を勝手に使いました。……あれは、なめこさんのものですか?」
「ほうほう、風呂場に筆とな。わしのものではないが、わしのものかもしれんな」
「……どっちですか」
飄々とした調子の風估は、見た目こそ若い今風の男だが、炎估より歳上らしい。料紙と筆は亭主がうけとっているため、内容を確認したい螢介は、いったん、さくや亭へもどることにした。
「なめこさん、そいつのこと、見てもらってていいですか。おれ、先生に逢ってきます」
「うむ。それはよいが、傘を忘れるでないぞ」
ネイビーの房飾りのついた黒傘は、舗の入口に立て掛けてあった。雨の勢いは弱まっていたが、空は暗い。気はすすまないが、黒傘をさして雑木林を歩き、さくや亭に帰宅した螢介は、ネコに出迎えられた。
『けいすけ! やけにはやいではないか。じゅぎょうは、どうしたのだ?』
「いろいろあって、きょうは学校へは行ってないンだ」
『なんと、そうであったか。むひひっ』
なぜかうれしげに笑うネコをよそに、螢介は傘をとじて雨水をはらうと、亭主の室に向かった。
「先生、おれだけど、はいるぜ」
もう敬語は使わない。室内に人の気配がする。扉をあけると、亭主は窓辺にたたずみ、待っていたよという顔つきで螢介のそばへ歩み寄った。
「先生、さっきの聞書だ……けど……」
顔が近い。キスをされると思った螢介は、ぎょっとなるが、亭主の唇は耳もとへそれた。
「期待した?」
「は? なにがだよ」
グイッと、亭主の肩をつかんで躰の距離をとる螢介は、一瞬にしろ、愚かなカン違いを恥じて、顔を背けた。……くそ、なんか調子が狂うぜ。
「あのさ、云っとくけど、おれはあやまらないぜ。いっつも、そっちの説明不足が問題なんだよ」
朦朧となった意識下とはいえ、螢介は手をあげてしまった。炎估の制止がなければ、亭主を殴っていたはずだ。だが、謝罪には及ばない。亭主にも落度があると主張しておく。……おれのからだにウロコを封じたのは、あんたなんだからな。タマシイだって、いつか返してもらう。せいぜい、責任をとってくれよな。
「わたしは、こうして無傷でいるわけだし、天蔵くんが気に病むことはないよ」
「そうじゃなくて、べつに病んでねぇし。……で、聞書の料紙はどこだよ。あれ、おれにも見せてほしいンだけど」
「ここにあるよ。どうぞ」
亭主は、机のうえに置いてある料紙をひらいて見せた。螢介がのぞきこむと、ニュッと、蛇のような白い物体が表面から飛びだした。
「うわーっ!?」
おどろいて尻もちをつくと、蛇だと思った物体は、にょろにょろと不規則な動きをして料紙へ吸いこまれていった。
「なんだよ、いまの!」
「きみの文字だよ。とても生生として、よい筆だ」
「だから、なんで文字が動くンだよ! さきに説明しろっての。心臓に悪いンだってば……、くそっ!」
過剰反応だとじぶんでも思いつつ立ちあがり、亭主をにらみつける。料紙に書き記された文字が、魚のように泳いでいる。
「なんだよこれ、気持ちわりィな」
〘つづく〙




