66ワルプルギス
魔法具。それは使用者を魔女に限定する魔具の一種である。魔法具には魔法を発動するための回路が刻まれており、使用者がそこに魔力を注ぐことで魔法が効果を発揮する。
「伝心話具」と名付けられたワルプルギス製のカードは、もとより微弱な魔力がカードに込められており、遠方にある母体となる魔法具からの魔力波を感知、それによって通話を知らせ、使用者が魔力を注ぐことで起動、母体と子機のカードとの間で会話を可能とするオーバーテクノロジーの塊であった。
そんな伝心話具の会話の相手、シャクヤク経由で知り合ったマリアンヌの友人だという女性の案内に従って、私たちは暗く狭い小道を歩いていた。
「全く、相変わらず無駄に凝っているのね」
「ワルプルギスっていうのはいつもこういう感じなのか?」
「そうよ。こうして無駄に辺鄙な場所に拠点を構えるのもそうだし、連絡方法一つとっても、ワルプルギス王国の系譜にあるっていう意識からか、やることがおかしいのよ。別に手紙でもいいでしょうに、わざわざ魔法具を使うのよ?信じられないでしょ。魔法具が発動したタイミングによっては周囲の者にいぶかしがられるのよ?いきなりよくわからない音を鳴らすなんて、自分を魔女だと疑えっていっているようなものじゃない」
憤慨して見せるマリアンヌをなだめるアベルをよそに、キルハは顎に手を当てて険しい表情を浮かべていた。そのことに気づいたマリアンヌの視線に、キルハはわずかな逡巡を見せてから話し始める。
「ひょっとしたらマリアンヌの言う通りなのかもしれないね」
「何がよ?」
「魔女だと疑えと言っているようなものだということだよ。ワルプルギスにとって……魔女にとって、自分が魔女だと露呈することは何よりも恐ろしいことのはずだよね。でも、ワルプルギスはそれを恐れる様子がない」
「そうね。一応人目を忍ぶくらいの常識はあるようだけれど、街中で平然と魔法を使っていたりするわね」
「それはマリアンヌもでしょ?」
「何よ、あんただって魔法を使っているじゃない。……まあ、誤作動を起こした魔法なのかもしれないけれど」
「まあまあ。ここで考えるべきは、どうしてワルプルギスは魔女だとばれるような行為を許容しているかという点だよ。ワルプルギス王国の末裔として誇りを持っているから、と思考放棄するのは簡単だけれど、僕は少し違う気がするんだ」
伝言にあった辺り、何もない民家の壁の表面を目で追いながらキルハが続ける。私も目を皿にして目的のものを探すけれど、キルハのほうが早かった。
見つけた五芒星のマークへマリアンヌが魔力を注ぐ。マリアンヌの姿を人目からさえぎるように――といっても暗い路地裏にはロクサナたち四人以外の姿はなかったけれど――アベルがその体でマリアンヌの動きを隠す。最近、アベルがすごく紳士だ。
魔力を注ぎ込まれた五芒星が淡く発光し、次の瞬間、壁にぽっかりと暗い穴が開いた。
「シャクヤク監修の魔法具ね。空間に穴をあけてつなげるとか言っていたかしら。……で、話の続きは?」
ためらうことなく穴に飛び込んだマリアンヌの後を追って、私たちも穴に入る。その先は一切の光のない暗闇。全員が入ったと同時に入り口は閉じてしまい、そこは完全なる暗闇となった。
焦りの見えないマリアンヌの声によって少しだけ緊張がほぐれた。それはキルハも同じだったのか、わずかに苦笑するような気配とともに、思い出したように己の仮説を告げる。ここにいるかもしれないワルプルギスの者に聞こえないように声を潜めて。
「ワルプルギスは、所属する魔女たちが魔女だとばれても構わない……あるいは、ばれたほうが都合がいいと思っているのかもしれない」
「そんなわけないじゃない。魔女だとばれたら人間社会で真っ当に生きていることができなくなるのよ。逃走の手助けだって容易じゃないし、手を貸した際に芋づる式に魔女だとばれる者が増えるかもしれないのよ?組織の手足がもがれていくようなものじゃない」
「確かにそうだよ。特にワルプルギスの幹部たちは自分が魔女だとばらすようなへまはしないだろうね。けれど在野から取り込んだ魔女たちは違う。……ワルプルギスに忠誠心を持っていない魔女たちを管理・統率するためには魔女だとばれてしまうほうが都合がいいと思うんだよ。ワルプルギスなしには満足に逃亡、潜伏なんてできやしない。王国はたかが魔女一人の逃亡を許すほど弱くはない。だから自らが魔女だとばれた者たちは、ワルプルギスを頼るしかない。依存して、ワルプルギスなしでは生きられなくなり、自分を助けてくれたワルプルギスに忠誠心を抱く。こうして恭順な信者の完成というわけだね」
「それは……」
否定しようと口を開いたマリアンヌの言葉は続かなかった。それは何も見えない暗闇に光が差したからか、あるいは自らの経験の中に思うところがあったからだろうか。
私はワルプルギスについて何も知らない。けれど、キルハの考えには賛成できるところもあった。魔女を至高とする集団。それは現代においては反逆者、あるいは異端者だ。
魔女を貴びながらも魔女たちの正体が露呈してしまうことを許容する。そんな矛盾が、キルハの話なら説明がつく。まあ、ただ魔法を神聖視するあまり魔法を使わない選択肢をとれないだけという可能性もあるかもしれないけれど。
そのあたりの判断は、マリアンヌが下すだろう。少なくとも今私が考えるようなことじゃないはず。
口ごもるマリアンヌは結局何かを言うことはなく、私たちはそのまま、赤いカーペットが敷かれたどこかの屋敷のホールに立っていた。
シャンデリアがぶら下がる広い空間は、古風な装飾があしらわれていた。あたたかな光の下、対照的な涼しげな水色の髪をした女性が、私たちを目にして深々と頭を下げた。
「ようこそ、ワルプルギスへ」
「久しぶりね、チャロ」
とろけるような蠱惑的な光を帯びた黄金の瞳の持ち主、ワルプルギスの魔女の一人、チャロ。すごくきれいな女性だった。同じ女性の私も魅力的と感じる彼女に鼻を伸ばしていないかと心配になったけれど、キルハの表情はいつになく険しかった。先ほどの仮説のせいか、すごくワルプルギスを、目の前のチャロを警戒していた。
チャロはマリアンヌと視線を合わせ、それまでの厳格な空気を吹き飛ばすようにその冷徹な顔に笑みをたたえて、マリアンヌの抱擁を受け入れた。
足が沈むような柔らかなカーペットを踏みしめながら、私たちはワルプルギスの拠点の奥へと歩く。
「それで、どうしてわたくしを……いえ、ロクサナを呼び出そうとしたのか、そろそろ話してくれないかしら?」
「せっかちなのは変わらないのね。長い話になるかもしれないから、腰を落ち着けましょう?マリーも聞きたいことがあるでしょうけれど、わたしも聞きたいことがあるのよ。話したいことも、ね」
含みを持たせるように告げるチャロの横顔を、マリアンヌは目を皿のようにして見つめる。しばらく交流が途絶えていたとはいえ、マリアンヌにとってチャロはよく知る相手なのだ。その仮面に隠された本音のかけらを見抜けないわけがなかったみたいだ。
何か、重いものを抱えている――そう判断したらしいマリアンヌは盛大に顔をしかめて見せる。
「……まったく、いつの間にそんなものを抱えられるほどにワルプルギス内で地位を上げたのかしら」
「マリーが戦っていたように、わたしもまた戦っていましたから」
そう告げるチャロの顔は、戦士の顔をしていた。




