後日談
ポーッと、汽笛の鳴る音がする。
シンシアは、オルコット領のとなりの領地の中心部である、ランティス行きの汽車に乗っていた。線路が通っているのがそこまでなので、後は辻馬車での移動になる。汽車で五時間、馬車で二日かかる片田舎に、オルコット領はあった。
本来想定した状況と違う点を挙げるのだとすれば、まず第一に、汽車に乗ったことだろう。
(まさか、生きている間に汽車に乗れるとは……)
流れていく景色をガラス窓から見つめながら、シンシアはほう、と感嘆の吐息を吐いた。
汽車とは、クランガリヌという特殊な鉱物を動力源とした乗り物だ。クランガリヌに蓄積された魔力を送り込むことによって動くため、馬車とは比べものにならないくらいの距離を走るのだという。
他にも色々な乗り物に使われているが、なんせお金がかかる。そのため、貴族やお金のある人だけが使える乗り物になっていた。
第二に、シンシアが今いる席が個室だということだろう。自由席よりも二倍ほど高いので、そうそう使わない。その代わり、備え付けられたソファがふかふかだったり、膝掛けを借りられたり、サービスが行き届いていたりと、とても快適に過ごしている。
そして第三に――個室の向かい側にリュファスが腰掛けているということか。
個室を一通り確認し、個室からの風景を堪能したシンシアは、そこでようやくリュファスを見た。
リュファスは今、外行きの格好をしている。それは服装だけでなく、見た目もだ。白銀の髪を黒に、緋色の瞳を紫色に変えた彼を、王族だと思う人はいない。緋色の瞳が、王族の証だからだ。
だから今のリュファスは『良いところの貴族様』という風貌をしていた。
帰郷する日を翌日にずらし、共に汽車に乗ろうと提案してきたのもリュファスだ。
その理由は――婚約の許可を、シンシアの両親に取りにいくため。
そのためだけに、リュファスは仕事を休みここにいる。
となりの個室には護衛が何人かいるが、シンシアとリュファスは二人きりだった。そのため、妙に緊張してそわそわしてしまう。
だからシンシアは落ち着くまで、外の風景を眺めたり内装を観察したりして気を紛らわせていた。
汽車に乗り始めてから十分。シンシアの気持ちもだいぶ落ち着いてくる。そこで彼女は、一番気になっていたことを聞いた。
「……リュファス様。お仕事、本当にいいんですか?」
「……ん? ああ、問題ない、エリックにすべて任せて来たからな。それに、一番苦しむのはエリックくらいだ。仕事が好きなあいつとしては、楽しい作業だろう」
手元の手帳に何かを書きつけながら、リュファスは淡々と言った。
(バーティス様、不憫です……)
羊のような青年の姿を思い浮かべ、シンシアは心の中でほろりと涙をこぼした。
しかしリュファスをあれだけ慕っているエリックのことだ。リュファスに仕事のすべてを任せてもらえたことを喜んでいるかもしれない。
「それよりもシンシア。気持ちは少し落ち着いたか?」
「あ、はい。馬車くらいしか乗ったことがなかったので、汽車はとても新鮮で……楽しいですね。そういえばロンディルスに向かったときは馬車でしたが、汽車のほうが速いのでは?」
「ああ。確かに速さだけで言うなら、汽車のほうがいいのだが……魔術騎士団は、魔物の噂を聞いて不安になっている民草に、安心感を与えるのも役割の一つだからな。ああして姿を見せながら遠征するのが習わしなんだ」
「そんな理由があったんですね。リュファス様のこと一つ知れて嬉しいです」
胸元で両手を合わせながら、シンシアは笑う。
「これからだって知っていけるさ」
リュファスはそう笑いながら、手帳を眺めた。紙面いっぱいに字が連なっているのを見て、シンシアは首をかしげる。
「リュファス様、何を書いているのですか? お仕事の内容です?」
「ん、これか? いや、オルコット卿をどう説得しようかと思ってな」
「……へ?」
「シンシアは、オルコット家にとって大事な娘だろう? そんな君と婚約したいと言うのだから、色々な想定をしつつ文章を考えておこうと思ったのだ」
真顔であっけからんというリュファスに、シンシアは絶句する。
(こ、この方は……っ)
ぷるぷると震えながら、シンシアは頭を抱えた。
「シンシア、どうした?」
「……普通に『娘さんをください』みたいな感じでいいと思います、はい、恋愛小説的に見て」
「シンプルで良いのか。それならなんとかなりそうだな」
本気で言っている辺り、心臓に悪い。
シンシアはため息を漏らした。
「……そもそも、そんなに急いで婚約関係を結ぶ意味ってあるのですか?」
「……あるに決まっているだろう。早めに紙面で関係を結んでおかないと、どこぞのいけ好かない男が君をかっさらっていかないとも限らない。いや、金に物を言わせて何かしてきそうな気がする」
「誰ですかそれ」
「グラディウス卿だ」
「ない、絶対ない、あり得ません!」
「君は分かっていないな! あの男は基本的に、女性を平等に扱うんだ! なのに君だけには妙に絡んできて、腹立たしいことこの上ない……」
「……リュファス様、グラディウス公爵閣下のことお嫌いなんですか?」
「君に不用意に絡んできたからな。嫌いだ」
リュファスの刺々しい態度に、シンシアは今日何度目かになるため息をこぼす。
(こんな平凡顔女のどこに目をつけるって言うんですか……それにグラディウス公爵閣下みたいなのは、身分から性格まで、何から何まで完璧な貴族令嬢を選ぶに決まってるじゃないですか。あの人外面とか気にしそうですし)
そう思ったが、言わないでおいた。
その言葉から、リュファスがシンシアをとても大切にしたいと思っていることが伝わったからだ。
(こんなにも想われてるなんて、夢見たいです……リュファス様の婚約者になるからには、中身くらいは立派な淑女にならなくては!)
ひとまず所作や礼儀作法はどうにかするので、今は服装事情については勘弁して欲しい。お金がない貧乏貴族の懐事情は、とても厳しいのだ。
「リュファス様がそこまで想ってくださっているのですから、私も頑張りますね! 何事にも動揺しない、立派な淑女になります!」
「それは頼もしいな」
リュファスはそう言うと、なぜか笑顔になった。嫌な予感がして身を引いたが、手首を引かれ体が前のめりになる。
――ちゅっ。
軽いリップ音とともにキスされ、シンシアは震え上がった。
「リュファス! さま‼︎」
「顔が真っ赤だぞ、シンシア。何事にも動揺しない立派な淑女になるのだろう? これくらいで顔を赤くしていたらいけないな」
「リュファス様、意外と意地悪ですね⁉︎」
「だって、君があんまりにも可愛らしい反応をしてくれるから、つい」
(ついってなんですか……!)
そう怒りたいのに、リュファスが笑っていると強く怒れない。シンシアは顔を真っ赤にしたままうなだれた。
昨日ラブレターを渡して、想いを通わせてから、リュファスは何かとシンシアに意地悪をしてくる。これには、さすがのシンシアも慌てた。
ギルベルトの絡みは笑顔で流せたのに、相手がリュファスになっただけで反応が大きくなってしまうのである。
リュファスはそれを楽しんでいるらしいし、やめるつもりはないという態度だ。
これから先一日以上リュファスと一緒にいるのに、大丈夫なのだろうか。こんなのが続いたら、シンシアの心臓がもたない気がする。
そう思っていた矢先、リュファスがシンシアのことを引き寄せ自身の膝に乗せた。
「……リュファスさまー?」
「二人きりなんだから良いだろう? それに、しばらくはシンシアと離れることになるから、少し寂しい。できれば離れたくないんだ。……こんな気持ちは初めてだから、どうしたらいいか分からなくてわたしも困っている」
シンシアのことをぎゅうぎゅう抱き締めながら、リュファスは耳元で呟いた。彼の手が、シンシアの黒髪を梳いていく。指先でくるくる弄ばれているのがなんとなく分かった。
「なんで諦めようと思えたのか分からないくらい、君が愛おしくてたまらない。わたしは自分は無欲な人間だとばかり思っていたが、そうではなかったのだな」
一度吹っ切れたリュファスの恐ろしさを身をもって体験したシンシアだったが、離れたくないのはお互い様だ。
だから今日くらいはと自分に言い訳をし、ぎゅーっと抱き着く。
「……リュファス様の欲はそこまで多くないほうだと思いますよ。私はなんでもかんでも叶えば良いなって思ってますけどね。……まあまさか、リュファス様と両想いだとは思っていませんでしたが」
「ケーキの件はともかく、わたしが女性を不用意に誘う男だと思うか?」
「うぐ……でもやっぱり、立場とか色々ありましたから、分からなかったんですよ」
「わたしも周りが見えていなかったからな。お互い様だ。……まぁどうやらうちの使用人たちは、そんなわたしたちをくっつけようとばたばたしていたらしいが」
「………………へ、ちょっと待ってください………………それってすでに、ジルベール公爵邸の方みんなが、私たちの気持ちに感づいていたということですか⁉︎」
「らしいぞ。はたから見たら、丸分かりだったらしい」
(ああ、だから皆さん、妙にそわそわとしてたんですね……)
しかしあのマチルダまで認めていたのは不思議だ。シンシアのことを毛嫌いしていたはずなのだが。
そう思っていると、リュファスが神妙な顔をする。
「ナンシーは昨日、手紙を携えて部屋に飛び込んできて『これを今すぐ読んで、シンシアのところに行ってきてください! もし行かないなら、あたしお仕事ボイコットします!』と叫んできたし、君と思いが通じたのを知ったマチルダは『リュファス様、よくやりました。使用人一同心からお祝い申し上げます。ですが安心するのはまだ早いです。直ぐにでも紙面で婚約関係を結んできてください。逃げられる前に囲うべきです』と言ってきた」
「………………ナンシーさんのみならず、メイド長まで何言ってるんですか⁉︎」
「すまないな。おそらく、わたしのことを心配しての言葉だ。あとなんだかんだ言って皆、シンシアのことを気に入っているんだろう。『変なのが奥さんとしてやってきたら仕事を放棄するつもりでしたが、リュファス様と相思相愛な上に相手がシンシアですからね。認めましょう』とまでマチルダに言われてしまった」
「ひ、ひえ……」
どうやらシンシアはいつの間にか、ふるいにかけられていたらしい。
認めてもらえて嬉しいのだが、ちょっぴり恐ろしかった。敵にならなくてよかった、本当に。
「ですが、少しだけホッとしました。リュファス様はひとりぼっちではなかったのですね」
「みたいだ。わたしとしても驚いている」
「屋敷の中でくらい、気を抜いてもいいのでは?」
「………………考えておく」
そこでぷつりと、会話が切れた。リュファスの体に身を預けながら、シンシアは何を話そうかなと思案する。が、特に何も浮かばない。
そんなとき、リュファスがシンシアの耳に触れた。
「……ピアス、付けていてくれたんだな」
「あ……だって、リュファス様からいただいたものですし……付けていると安心するんです」
「そうか。わたしもだ」
そう言うリュファスの片耳には、シンシアと同じピアスがきらめいていた。
リュファスがシンシアを見下ろす。その顔は、シンシアが想いを打ち明けた昨日のように甘いものになっていた。とくりと胸が鳴る。
「寂しくなったら、話しかけてもいいか?」
「……はい、もちろんです。毎日必ず付けます」
「ありがとう。これのおかげで、シンシアと繋がれている気がする。……わたしは意外と、本当に好きな人には依存するタイプみたいだ。手放せそうにない」
そんな告白を聞いて、シンシアは首を横に振った。
「手放さないでください。私も、リュファス様のこと大好きだから……だから、どんなに遠くにいても想ってます。リュファス様のとなりにいるためなら、つらいことも頑張れます」
「シンシア……」
「多分、私の予想もつかないことがこれから起きるのだと思いますけど……嫌なことが起きたときはまた、ケーキを食べましょう。甘いものは、みんなを笑顔にしてくれるんですから!」
そうにっこり笑えば、リュファスも笑ってくれる。
道端で出会いケーキを食べたときよりも、笑顔が柔らかくなった。今こんなにも良いほうに変われているのだから、きっとこれからも大丈夫だろう。
すると、リュファスの顔が近づいてくるのが分かった。何をされるのか理解したシンシアは、そっと目をつむる。
リュファスとの口づけは、何度しても甘くて、心まで溶けてしまいそうな気持ちにさせられた。
「これから先何があろうとも、君だけは手放さない」
「はい。手放さないでくださいね。私も、あなたにふさわしい女性になれるよう頑張りますから」
そんなやり取りを交わしながら、二人は無事オルコット領に着いた。
リュファスがやってきたことに家族はみんな驚いていたが、リュファスがプロポーズをするとさらに目を丸くした。
しかしそれ以上にリュファスのことを歓迎し、二つ返事で婚約を結ぶことを了承してくれる。母親に至っては、喜びのあまり滂沱の涙を流していた。
どうやらシンシアが結婚できないのではないかとかなり心配していたようだ。
オルコット家の人間は、ささやかながらもリュファスをもてなし、彼が王都に戻る日になると残念がる。
シンシア自身も落ち込んだが、マメに手紙や贈り物が送られてくるためすぐに気にならなくなった。
(宝物が増えました)
手紙箱にリュファスからの手紙を入れながら、シンシアは微笑む。
何がおかしいって、ピアスで話すこともできるのに、手紙や贈り物を送ってくるところだ。
前まで家具が最小限しかない簡素な部屋だったのに、今ではすっかりリュファスからの贈り物でいっぱいになっている。それがとても愛おしかった。
寂しくなったときは瓶の液体を垂らし、ピアスからリュファスの声を聞けた。
寂しいのはリュファスも同じだったのか、夜寝る前に必ず連絡してくる。夜空を見上げながら、お互いに一日の報告をするのがシンシアの日課になってしまった。
遠く離れていても確かにつながっている。それが嬉しくてたまらない。
それから半月後。ジルベール公爵とオルコット家伯爵令嬢が婚約したという話が、ランタール王国中に広まることになったのだった――
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