生きること
妙な雨が降り出したのは、その日の夕方からであった。
「やっぱり降ってきたねぇ…」
クロウムと言われる巨人をやり過ごすには、ここが一番なのだと、私たちは安東さんに連れられてここにやって来た。こことは、屋敷の地下に通じる道を下った先にある一室であった。
ここまで頑丈な備えがいるのか…と、私は驚いた。更にこれら全てが谷山の手作りであるということにも、驚いた。
「前世で執事でもやってたの?」
「前世のことなんて分かりませんけど、確かに執事っぽいっちゃそうかもしれないですな」
名付けてシェルター室は、隔壁扉という分厚い扉で入口が閉められており、中は八畳程ある空間で、監視カメラの映像がこちらで見ることができるらしい。外へ通じる道はないが、全て、谷山の手作りである。本当におかしな話だ。
「さて、雨が止むまでここで凌ごうか」
そう言って谷山は地面で寝始めた。
だがしかし、安泰の時間が待っているのかと予想していた我々に、突如予想外の出来事が起こった。長年の方法と長年の常識が脆く崩れ去り、燎原の如く燃え行くそれは我々を戦慄させた。
私と史さん、更に安東さんにジェーンと、四人で他愛ない話に花を咲かせていたその時、谷山が突然飛び起きた。そして次の瞬間、なんと、シェルター室の隔壁扉を、大きな音で外から叩く何者かが現れたのである。安東さんが嗚咽するジェーンの口を押さえて心を落ち着かせようと必死になっている。谷山は隔壁扉の近くに立ち扉にもたれかかり、打ち破られないように必死に扉を押さえている。
「こんなこと、今まであったっけ⁉︎」
かの安東さんですら、この急展開に動揺を隠せない様子であった。
「いいやなかった!」
谷山は血相を変えて扉の方を睥睨していた。
そして、谷山が私の方を向いて言った。
谷山も安東さんも、手が空いていない…
私は彼らの目線がこちらに向くのを感じ取った。
「モニターの後ろに一本の短槍がある。広人、お前がやるんだ!」
その瞬間、私は言葉を発することすらできなかった。谷山の言葉の意味が分かってしまい、体も動かなかった。意識が朦朧として吐き気がしてきた。
「このままではいくら隔壁扉とはいえ破られてしまう!」
「隔壁扉弱っ⁉︎」
「そんなことどうでもいいから、広人‼︎」
周りの声は聞こえた。聞こえる。聞こえるけど、それが私の首を更に締め付けた。いざ短槍を握る私の血走った目は、恐怖に染まっていたのだ。
私には無理だった。
体が震え吐き気がして、喉が締め付けられて声が出なかった。ろくに呼吸もできなかった。
そんな頼りない私を見て、安東さんがジェーンから離れてこちらにやってきた。そして…
「貸して!」
安東さんが、固く握りしめていた短槍を私からぶん捕った。そして我を忘れかけていた私の肩を強く叩き、私の顔を捉えてこう言ったのだった。
「流石に初めてはキツイよね…けどね、これも生きる為よ。いつ何処で死の淵に立たされるかなんて、私たちには分からない。今回なんてもろそうよ…誰がシェルター室まで追っ手が来ると思うかしら?それだけじゃなくて、隔壁扉がここまで役立たずとは、誰が思うかしらね…いいや思わない。予想外の出来事っているのは絶対にある。イレギュラーなんてしょっちゅうある。
だから大事なのは、その時その時で生き延びる為の最善の手を打つこと。そうしないと私たちの命がすぐに潰えてしまう…尻尾巻いて逃げても、どれだけ辛い事があっても、生きてりゃそれで勝ち。此処はそういうところ、必ず見てなさい広人、史…こんな狭い場所だけど、常人なら常人なりの生き延びる術を教えてあげる」
そう言い残すと、安東さんは短槍を片手で持ち、隔壁扉の前に仁王立ちした。
まさか……
「谷山!」
「ほいさ!」
一二の三の合図で隔壁扉が一気に開かれて、中からトカゲ顔の大男が現れた。身長は二メートル半はあると見える。数字にしては大したことはないが、そのあまりの巨大さに私は臆する事しかできなかった。しかし、私は安東さんとの約束は守った。
彼女は臆せず大男の懐に潜り込み、そして大男の胸のやや左あたりめがけて一撃の槍衾を食らわせた。
「ーーーーー!」
大男はもがき苦しみ狂い、大量の血を流す。返り血が噴き出て、安東さんが真っ赤に染まる様子が二つの目にしっかりと刻まれた。大男は暴れ、短槍を刺した安東さんを掴んで天井にぶつけるように上に放り投げた。そして大男はそのまま、その場に倒れた。安東さんが下敷きになる事が無かったのが不幸中の幸いであった。
「安東さん!」
安東さんは地に伏したまま微動だにしていなかった。
私は戦慄した。体が震え出し、鼓動が速まり、体が破裂しそうな感覚に襲われ、目の瞳孔が開き黒目が縮まり、涙が目から鼻から溢れ出て、嗚咽が回り、そして…恥ずかしながら私は気絶した。
私はしばらく昏睡状態に陥った。まるで浩然な水にゆらゆらとゆられるような不思議な夢を見ていたが、やがて個室の床で飛び起きた。
目の前に史さんという美人さんが私の傍らで座りながら微睡んでいる。そんな史さんを下から見ると、私は野卑な理由でもう一度倒れそうになった。
「お目覚めかしら?」
私が今、目を向けている方向とは逆の方から、幼い声が聞こえてきた。最近耳にしてないが、聞き覚えのある声……幽霊さん⁉︎
「はろー広人。あんまり話さないからたまには話そうよ」
と思えば、そうか忘れていた。幽霊さんはジェーンの事である。
「あ、広人さん起きたんですね」
ジェーンの反応に気づいた史さんも微睡みから覚めたようだ。二つの眼をこすって甘い甘い溜息混じりの声を出しながら、体を上に伸ばした。
「やあ、おはよう」
私は言った。
「もう夜です」
ジェーンが欠伸をしながら言った。
「え、ああそうなんだ…いつの間にか、結構寝てたみたいだね」
「その通りですよ。全く…大変だったのよ。あなたも安東さんも……」
「ちょっと、ジェーン!」
刹那、私は今まで見た事のない史さんの顔面蒼白な顔を垣間見た。史さんが声を少し荒げてから、ジェーンが“しまった”というような顔で口を塞いでいる。
そういえば……安東さんは、何処なのだろう…そうだ、安東さんは⁉︎
「大丈夫です…谷山が見てくれてるし、もう意識は戻っていますとも」
「そ、それなら良かった…」
私はホッと安堵の息をついた。二人の表情は依然としてパッとしなかったが、安東さんが元気である、その事が聞けただけで形はどうあれ安心する自分がいた。
そんな私を尻目にして、いよいよジェーンが本題を切り出した。
「あ、そうそう谷山からの伝言ですわ。明日の円卓に、全員集合っての事です。何やらあの大男の死体処理中に、妙なものを見つけたとか…だから、今日はゆっくり休んでください。明日迎えにきます」




