東奔
「あ……」
生駒の山で、アットホームな雰囲気の楽しい宴を開催していた我々諸君ではあったが、眼下に広がる、非常に非情な現実。
「幽霊さん…」
失踪していた彼女を、神を名乗る謎の女が、一瞬にして見つけて、ここまで運んでくれた。夜の山奥であるというのに、神は一体どうやって…いや、今はそれを考える時ではない。
「幽霊さん…どうしたんだ…?」
蝋燭の炎が消えて、辺りが暗くなるものの、陽が顔を出していたので、まだ辛うじて彼女を補足することができた。
私は呼びかけて、激しく幽霊さんの体を揺さぶった。つまりは、だ。不思議なことに、彼女にはあからさまに実体があった。私がいくら揺さぶろうと彼女は目覚めようとしなかったし、髪の毛一本の隅々まで実体があることで、本当の人間の重みや厚みというものを感じるようになり、そんな彼女が地面に仰向けで寝転がっている、そう考えると非常に怖くなった。
その理由を聞いた私は、後悔した。
「なんで実体があるかって?そりゃ、さっき酒を飲ませたからね!」
「はぁ⁉︎」
みなさん、これが神である。ほんと困ったものだ。そしてここからしばらく、私は絶句することになり、対して神は幽霊ちゃんに何かしら付き添っているので、長い長い沈黙が私たちを襲う。
夜の山奥で、神と私はおじさんの懐中電灯で辺りを照らしていた。寄ってくる虫をなんとかしたいものだった。
朝が近い、東の藍色の空にかかる僅かに霞むような水色の光と、その空のグラデーションの中で輝く、星々。
私は一つ、我を忘れてその光景に夢中になっていた。
そして……
「ふぅ…」
それは長い長い夜の終わりを告げる…東から幻想的な光が差し込んだまさにその時、神は腰を上げて、背中を後ろに大きく逸らし、そして、伸びた。
私が見下ろしても、幽霊ちゃんは、相変わらず仰向けに地面に寝たきりで、動く気配は微塵も見せなかった。しかし、私は神の手ほどきを受けた幽霊ちゃんの周りで、何か黒いものが蠕動しているのを確かに確認した。座りながら私がそれを指差すと、神は私の顔を見て頷いた。
「さてぇ…ここからが面倒くさいんだよねぇ」
「……面倒くさいのですか?」
「うん、だから君の力を借りねば」
「…はい?」
神は、足の麻痺もない様子ですっと立ち上がり、私を見下ろした。
「私は今から東京に行ってくるから、とりあえず…頑張って。細かいことは…後できっと合流するから!その時に伝えるよ」
「……はい」
「ここは……」
私は、まるでピアノの独奏曲に耳をすませているような、神秘的な気分であった。それはそれでとても新鮮であったが、山奥で急に冷たい靄に覆われ私は、何をしていいか見当もつかずに、ただただその場に留まって天命を待っていた。気づけば隣にいたおじさんも消えていた。
そして、霧が晴れなく中で。半ば安心した私だったが、すぐさまどうしようもない気持ちに襲われた。
私がいたのは、石造りの、おおよそ四階建ての建物が左右に、遠く遠く連なっており、満天の青空が頭上に見えるものの、陽は遮られ、暗い暗い道であった。それを象徴するかのように、狭い道には誰一人としていなかった。幽霊ちゃんも、いなくなっていたのだ。
私は疑心暗鬼に道を歩いた。しかし、歩けど歩けど、人はいなかった。本来ならば、あたかも西洋に見られるような美しい石の街路に心を奪われていたであろうが、今は違った。
私は途方に暮れた。ふと、懐中電灯を持ちながら、おじさんが私の元へとやってくるのではないかという淡い気持ちを抱いたが、その気持ちも三秒で散り果てた。そうしてまた歩いていると、四方に分かれる交差点に出で、私は久しぶりの陽の光を浴びた。その光はまるで私の、生命としての営みを思い出させてくれるような、不思議な力を持っていた。
私は右を選んだ。そして、さらに、歩いた。
既に白い靄は霧消したが、辺りは未だに陽の入らぬ道が続くばかりで、私の、葉緑体的なエネルギーの補給は絶たれ、私の気持ちはどんどんと、奈落を突っ走るのだった。
そして、そんな私が、まるで巌流島で武蔵と小次郎が仁王立ちで向かい合ったかの如く、謎の黒い人影と向かい合ったのは、ちょうどその時であった。
黒い影は私を見るなり、一目散に逃げ出したが、私は直感で、その黒い影を追わねばならぬと考えたのである。




