佐藤家に天使と清楚ビッチ(?)が舞い降りた日
あらすじ
高校最初の夏休みの終わり、実家で自堕落な生活を満喫していた遥香は、父親の隆から「再婚相手とその連れ子が今日から一緒に暮らす」と告げられます。佐藤家にやってきたのは、清楚な義母・中村綾と、アイドルを彷彿とさせる美貌を持つ同い年の義妹・中村雛でした。
高校最初の夏休みが、音を立てて崩れ去ろうとしていた八月下旬の夕刻。 佐藤遥香は、リビングの使い古された合皮ソファに深く沈み込み、半分ぬるくなった炭酸水のペットボトルを口に含んでいた。
着ているのは、中学時代の体操着の下と、いつ買ったかも覚えていないヨレヨレの黒い無地Tシャツ。髪は適当に後ろでひとつに束ね、前髪はピンで雑に留めているだけ。冷房の風が当たる特等席で、スマホの画面に流れる二次元美少女のイラストをスワイプしながら、彼女は「ふぅ」と重苦しいため息を吐いた。
「暑い……そして、だるい……」
遥香は高校一年生。通っている高校の偏差値は「まあまあ」、成績も勉強しない割には「まあまあ」、運動神経もそこそこあるが「面倒くさい」という理由で部活には所属していない。放課後は真っ直ぐ帰宅し、スナック菓子とジュースを燃料にして生きている帰宅部エース(自称)だ。制服以外でスカートを穿くことなど万に一つもなく、私服の基本スタイルはジャージかスウェット。自分でも薄々勘づいてはいたが、その私生活と立ち振る舞いは「女子高校生」というよりは「休み日のくたびれた中年のおっさん」のそれであった。
そんな遥香の生活空間である佐藤家は、いわゆる「男二人暮らし」のような惨状を呈していた。 父親の佐藤隆は、見た目も収入も「まあまあ」のフツーのサラリーマン。真面目だけが取り柄のような男だが、家事の適当さ加願においては遥香と完全に同類だった。 母が他界してからというもの、この家のルールは「倒れない程度に掃除し、死なない程度に食べる」という極めて低いデッドラインの上に成り立っていた。脱ぎ捨てられた靴下、畳まれていない洗濯物の山、ほのかに漂う埃と男臭さ。それが、遥香にとっての「我が家の匂い」であり、安らぎの空間だったのだ。
――そう、今日までは。
「遥香、そろそろ着替えなさい。もうすぐ着くって連絡があったぞ」
台所から、微妙に緊張した面持ちの父・隆が顔を出した。珍しくパリッとしたシャツを着て、そわそわと時計を気にしている。
「えー……いいじゃん、このままで。どうせ身内になるんでしょ」 「バカ言え! 向こうはこれから一緒に暮らすんだぞ。第一印象ってものがあるだろうが。ほら、せめてそのヨレヨレのTシャツくらい着替えなさい!」 「はいはい……」
遥香は渋々立ち上がり、自分の部屋へと向かった。 そう、今日は運命の日。父・隆が再婚相手とその連れ子をこの佐藤家に連れてくる日なのだ。
父から「再婚する」と聞かされた時も、遥香は「へー、おめでとう。ご飯のバリエーション増えるなら嬉しい」くらいの軽いノリで受け止めていた。父もまだ四十代半ば。第二の人生を歩むのは良いことだし、家事を分担できる人が増えるなら万々歳だと高をくくっていたのだ。
部屋のタンスをガサゴソと漁り、比較的マシな(首元が伸びていない)グレーのTシャツとカーゴパンツに着替えてリビングに戻ると、ちょうど玄関のチャイムがピンポーンと甲高く鳴り響いた。
◇
「あ、来た!」
隆が弾かれたように玄関へ走っていく。遥香も後をついてゆき、廊下の陰からひょっこりと玄関の様子を伺った。
カチャリとドアが開き、夏の夕暮れのぬるい風とともに、まったく未知の「何か」が佐藤家に雪崩れ込んできた。
「いらっしゃい、綾さん、雛ちゃん。狭い家だけど、入って」 「お邪魔します、隆さん。今日からよろしくお願いしますね」
その声を聞いた瞬間、遥香の全身の毛穴が開いた。 鈴を転がすような、品のある澄んだ声。
そこに立っていたのは、一言で言えば「次元が違う母娘」だった。
まず、後妻となる中村綾。 三十代後半とは思えない色白の肌に、スラリとした細身のスタイル。柔らかいウェーブのかかった栗色の髪を後ろでまとめ、清潔感あふれる薄いブルーのワンピースを身にまとっている。一見すると完璧な「清楚系大人の女性」だ。
しかし、オタク特有の洞察力と直感をフル回転させた遥香の目には、彼女の瞳の奥に隠された計算高き「女」の光が見逃せなかった。 (あ、これ……清楚に見えて、絶対裏で手練手管を使いこなしてるタイプだ。根拠も証拠もないけど分かる。清楚ビッチだ……! 父さん、完全に骨抜きにされてるじゃん!)
だが、遥香の思考が綾のスペック測定で停止したのも束の間。その背後からひょっこりと顔を出した「連れ子」の少女を目にした瞬間、遥香の脳内回路は完全に焼き切れた。
「……はじめまして。中村雛です。よろしくお願いします」
ぺこりと深々とお辞儀をした少女。 中村雛。高校一年生。
(――な、なんじゃこの生き物は……っ!?)
遥香は息をのんだ。 白磁のように透き通った白い肌。吸い込まれそうな大きな瞳と、ツンと上を向いた小ぶりな鼻。サラサラの黒髪は光を反射して天使の輪を作っている。 それはまるで、伝統的なお菊人形の繊細さと、フランス人形の華やかさを足して二で割り、そこに最新のK-POPアイドルの洗練されたオーラをドバッと添加したような、常軌を逸した美貌であった。
「……っ!」
遥香の心臓がドクンと大きく跳ね上がった。 遥香は男子には全く興味がないが、美少女は大好物である。二次元・三次元問わず、可愛い女の子を遠くから鑑賞することに生き甲斐を感じるタイプの人間だ。 そんな彼女の前に突如現れた、超高密度・最高純度の美少女。
(触れてはいけない……! この子は、この薄汚い佐藤家という空間に存在してはいけない『大切な何か』だ……! 触れたら穢れる、いや、光の粒子になって消えてしまう……!)
遥香は恐怖すら感じていた。自分のようなおっさん女子が同じ空気を吸うことすら憚られるほどの神聖さ。それが中村雛という存在だった。
◇
荷物を搬入し、簡単な挨拶を終えた後、佐藤家のリビングで小さな「お披露目兼歓迎会」が開かれることになった。
だが、そこからの時間は佐藤遥香にとってカルチャーショックの連続であった。
まず、生活水準と文化レベルの圧倒的な格差。 綾が「手土産代わりに」と出してきた手作りのタルトと、丁寧に淹れられたハーブティー。 佐藤家では「麦茶は1リットルのパックをピッチャーにポン」であり、「おやつはポテトチップスを袋から直接」が当たり前だった。 それなのに、目の前に広がるのはカフェのようなおしゃれなランチョンマットと、小ぶりで上品なフォーク。
「遥香ちゃん、口に合うといいんだけど……お菓子作りが趣味なの」 ニコリと微笑む綾。 「あ、はい……いただきます……」
一口食べた遥香は、脳内でファンファーレが鳴り響くのを聞いた。 うまい。あまりにもうまい。バターの香ばしい風味が口いっぱいに広がり、甘すぎないフルーツの酸味が絶妙にマッチしている。今まで自分が食べていたスーパーの100円の徳用クッキーは一体何だったのか。
さらに衝撃的だったのは、雛の立ち振る舞いだった。
「お父様、お醤油はこちらでよろしいですか?」 「あ、ああ! ありがとう雛ちゃん。お父様なんて照れるなあ」 デレデレと鼻の下を伸ばす隆。
雛は物静かだが、所作の一つ一つが劇的に美しい。背筋はピンと伸び、グラスを持つ指先まで神経が行き届いている。そして時折、はにかむように見せる笑顔。その破壊力たるや、遥香の萌え豚魂を致命的に打ち抜くに十分だった。
(くっ……可愛い……! なんだこの天使は! これが私の『妹』になるってこと!? いや、同い年だから義理の姉妹か!? どっちでもいいけど、存在が尊すぎる……!)
そして、何よりも遥香を惑わせたのは「匂い」だった。
これまで佐藤家のリビングに漂っていたのは、湿気と畳の匂い、そして隆の加齢臭と遥香の汗の匂いが交ざり合った「哀しき男の生活臭」であった。 しかし今、リビングは一変していた。
綾と雛が足を踏み入れた瞬間から、空間全体にフローラルと高級感のあるシャンプー、そして甘いお菓子が混ざり合ったような、圧倒的な「いい匂い」が充満し始めたのだ。
(これが……これが女子力の匂い……! いや、本物の美少女が発する聖なるオーラ……!)
◇
歓迎会が終わり、夜も更けてきた頃。 綾と雛は自分たちの部屋として割り当てられた二階の客間へ上がり、荷解きを始めた。
一人リビングに残された遥香は、ぼうぜんとソファに座り込んでいた。
「おい遥香、どうした? 魂抜けてるぞ」 缶ビールを飲みながら隆が言った。 「父さん……私、夢でも見てるのかな……」 「ははは、驚いたろ? 綾さんも雛ちゃんもすごく良い人たちだろ。これからは四人で仲良くやっていこうな」 「……父さん、一つ言っておくけど」 「ん?」 「雛ちゃんに変なことしたら、私が父さんを刺すからね」 「するわけねぇだろ! 自分の娘(になる子)だぞ!?」
父のツッコミを背中で受け止めながら、遥香は静かに立ち上がった。
体内を駆け巡る謎の全能感と興奮。 家の中に「美少女」がいる。すぐ上の階に、あのお菊人形とフランス人形を足してK-POPを掛け合わせたような天使が息をしている。
遥香の足は、自然と動き出していた。
すり足でリビングを出て、廊下へ。 すーっ……すーっ……。
まるで幽霊か、あるいは怪異のように、遥香は無音で家の中を練り歩き始めた。
一階の廊下を通過し、階段のステップを一切の音を立てずに踏みしめて二階へ。 雛の部屋のドアは少しだけ隙間が開いており、中から暖かな光と、あの「いい匂い」が漏れ出てきている。
(はぁぁぁぁ……っ! ここだ! ここが聖域……!)
遥香はドアの前で立ち止まり、目を閉じて深く息を吸い込んだ。 スー……ハァ……。 ハーブと、ストロベリーと、少女の体温が混ざり合ったような極上の空気が肺を満たしていく。
(効く……効くぞ……! 身体中の細胞が浄化されていく……っ!)
遥香は怪しい笑みを浮かべながら、ゆらゆらと廊下を浮遊した。 廊下を右へ行き、突き当たりでターンし、再び雛の部屋の前を通る。 ただただ、匂いを吸引するためだけに。
「――あの、遥香さん?」
突然、ドアがスッと開き、中から雛が顔を出した。
「ひゃいっ!?」
変な声を上げて固まる遥香。 雛は手に空のペットボトルを持っており、喉が乾いて一階に降りようとしたところだったらしい。 廊下の暗闇の中で、ゆらゆらと身体を揺らしながら深呼吸を繰り返していた遥香を見て、雛は少しだけ首をかしげた。
「……何か、お探しですか?」 「あ、いや! その! えーっと!」
遥香の脳内コンピューターが超高速で言い訳を検索する。 まさか「君の発する匂いを吸引して脳内麻薬を出してました」などと言えるはずもない。
「あ、安全確認! 佐藤家の防犯パトロールだよ! 夏休みの終わりはほら、空き巣とか増えるから! 家の中を巡回してたの!」 「……そうなんですか。お家を守ってくれてるんですね。ありがとうございます」
雛は疑う様子もなく、天使のような微笑みを浮かべてペコリと頭を下げた。
(ピュア! ピュアすぎる! 私のくだらない嘘を100%善意で受け止めてくれた……! 眩しい、眩しすぎて目が潰れる……!)
「あ、あのさ、雛ちゃん」 「はい?」 「喉かわいたの? 一階のお茶、持ってこようか?」 「いえ、自分で入れますから大丈夫です。……これから、よろしくお願いしますね、遥香さん」 「……うん。こちらこそ。よろしくね、雛ちゃん」
そう言って階段を降りていく雛の後姿を、遥香は壁にへばりつきながら見送った。
歩くたびに揺れる黒髪。かすかに揺れる肩。 そして残された、甘い香りの余韻。
遥香は胸に手を当て、深く誓った。
(決めた。私はこの家で、この天使を守るナイト(兼マネージャー)になる。この聖域を荒らす奴がいたら、たとえ誰であろうと許さない……!)
こうして、おっさん女子・佐藤遥香と、超絶美少女・中村雛の、奇妙で甘やか(?)な同居生活が幕を開けたのだった。 夏休みの終わりとともに、遥香の平穏でだらしない日常は終わりを告げ、魅惑と興奮に満ちた新学期がすぐそこまで迫っていた。




