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ある貴婦人のおはなし

白銀のひかりが、夜の空にひとつ。

強い輝きが、闇のなかに浮かび上がるころ。


「こんな夜更けにどうしました?」


空を見上げていた青年が、一人の女性に気づいた。


おっとりとした可愛らしい女性が、夜道に一人で歩いていた。ファウノに寄付をした、あのおっとり美人だ。


「あら、あの時の」


彼女は青年に気づいて会釈した。


今夜の彼女は、素朴な服装でも青い衣装でもない、装飾のしっかりとした黒いドレスを身にまとっている。

心なし、その所作も気品に満ちているように見えた。


「夜に一人では危険です。感心しませんよ」


青年ヨグランは、穏やかな微笑を浮かべつつ、優しくたしなめた。


「そうね、うっかりしたわ。月が綺麗だったから、つい、ね」

「ええ、綺麗ですね。眩しいほどに」


しばし二人で月を見上げた後、黒の美人がヨグランへ微笑む。


「多親教会の方なんでしょう? 家まで送っていただけるかしら?」

「ええ、もちろんです」

「ありがとう。お願いするわ」


二人は共に夜道を歩きだした。

辺りに人気(ひとけ)は無く、虫の声が耳をくすぐる。ときおり風が枝を揺らす。


「あの可愛い子、ファウノちゃんだったわよね?」

「ええ」

「気に入ったの。きっとあの子、いろんな色に染まると思うわ」

「そうですか」

「ええ。光の色にも、闇の色にも、染められると思うの」

「闇ですか? そうでしょうか」

「きっと染まるわ。似合っているわ。わたしのように」


闇の色に染まった美人は、立ち止まってヨグランを見つめる。


「染まりやすい色、染まりにくい色、あると思うけど。人って、いろんな色に染められると思うの」


彼女は、その右手を胸元へ当てた。


「例えばここだって、白く塗り替えられる」


白銀の光が、胸元に一つ。

強い輝きが、闇の中に浮かび上がる。


「この方が綺麗だって言ってくれる人もいるの」

「ええ、綺麗ですね」


闇の美人はふと気づいたように、自分の胸元を見つめた。


「あらいけない。つい光痕を光らせてしまったわ。これって、許してもらえるかしら」

「それを正当化する事は、少々難しいですね」

「そう。またしばらく、お日様の下を歩けないわね。闇と月ばかりになりそうだわ」

「ぼくは、あなたが日の下を歩いていた事に驚きました」


ヨグランは柔らかな笑みを浮かべたまま、彼女の素性を語りだす。


「《闇の貴婦人》クラリヤ・モーレランス。指名手配中の賞金首。身元が判別できないほどの惨殺死体を、いくつもいくつも生み出しましたね?」

「あら」


クラリヤは少しも動じることなく、ヨグランへ微笑む。


「わたしの事を知っていたんだったら、どうしてお昼のうちに捕まえなかったの?」

「確信がありませんでした」

「今夜出会ったのは、偶然じゃなかったのね?」

「ええ、確信が出来ました」


闇の貴婦人はヨグランを見つめる。彼の背後で風に揺らされて、枝がしなる。


「わたしの事、他にも知っている事はあるの? たとえば、魔法のこととか」


しなった枝が、元へ戻らない。そのまま形を変えていく。

枝に見えたものは曲がりくねり、光を反射しない刃を生やした。


「わたしの魔術には、前触れがないの」


ヨグランの背後に魔法の大鎌が姿を現した。

枝の振りをするのを止めた大鎌は、ヨグランの喉元をかき切るべく、音もなく襲い掛かる。


「だから、気づいた時には手遅れ」


大鎌がくだけて散った。


「……え?」


くだけて散った。


「……どうして?」

「《ペックハオマの誘い》ですか。これに気づくのは難しいですね」


ヨグランは振り向きもせずに、いま起こっていた事態を冷静に評した。


「……どうして?」

「ぼくの魔術にも前触れがありません」


貴婦人の身体から、魔力が吐き出され始めた。

彼女が驚愕の表情を浮かべる。何が起きたのか全く分からないからだ。


「なので、気づいた時には手遅れです」


みるみるうちにクラリヤは弱っていき、ふらついて手を付いた。


「……どうして?」

「ぼくは《殺人鬼》です。人を殺めに来ました」

「……そうじゃないわ。どうしてあなたの」


クラリヤはヨグランを見つめる。彼の額と、胸元。


「あなたの魔法光痕は、輝かないの?」

「この魔術は光痕に刻まれていません」


ヨグランの魔法光痕は、少しも光っていなかった。


「あり得ないわ……。魔法は、学ばないと……使えない。学んだら……刻まれる。その理(ことわり)は変えられない。塗り替えられない」

「ヨグラン・ハルツは、この魔術を学んでいません」

「独学……? それこそ……」

「ぼくは」


すっかり動けなくなったクラリヤを見下ろして、ヨグランは柔和な微笑を浮かべた。


「生まれる前から、この魔術を知っています」


はたして貴婦人は答えに納得しただろうか。

それを知る者はいない。彼女はもう、何も語らない。

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