ある少女のおはなし
白銀のひかりが、夜の空にひとつ。
なんの遠慮もせず、強くあふれ出したとき。
「月が綺麗ですね」
空を見あげたまま青年は言った。
「そうだね。こわいくらい」
ちょうど、白い衣服をまとった少女が青年のそばへ近寄ったところ。
まだ幼い顔にむじゃきな笑みを浮かべて、彼女は見知らぬ青年へ返事をした。
「お月さまって、人をくるわせちゃうんだって。おかあさまが言ってたよ」
幼い少女を月光が照らし出す。白銀に光る少女のほおに、不似合いな赤い色が混じっていた。
ほおだけではなかった。
彼女のあちらこちらが乱雑に赤く染まっていた。髪の毛も、肩も、袖も、スカートすらも。
ほんの少し前についたばかりの鮮血は、彼女のものではない。彼女のうしろ、十数歩ほど向こうに倒れている男が噴き上げたものだ。
「おじさんも、くるっちゃう?」
「ぼくはもう、狂っていますから」
青年は柔和な表情のまま、少女へと顔を向けた。
満月の強い光のもとでは、少女のいまの姿をどうにも隠せない。しかし青年は、血まみれの少女をみても驚きもせず微笑んだままだ。
きっと彼はくるっている。
「そうなんだ。あたしも、くるってるの」
白銀のひかりが、夜の地にひとつ。
幼い少女のひたいから、白銀の光があふれ出した。光は次第に少女の輪郭をつたっていき、その右手へと集まっていく。
光は鋭く尖りながら、彼女の手におさまった。
生まれたのは光の短剣。魔法の刃だ。
人を殺すのに、それはとてもちょうどいい。
「《ペラドーマの長い爪》ですか。暗殺や行きずり殺人に適した魔法ですね」
「……おじさん?」
はじめて少女の表情が変化した。困惑したからだ。
青年の表情は変わらない。柔らかな微笑を浮かべたままだ。
青年の視線が、今頃になって少女の後方へ向かう。倒れた血まみれの男。息をしていない事は明らかだ。彼はついさっき、少女が手にかけて遺体になった。
殺人者と被害者の姿を確認してなお、青年は動揺をみせることがない。まるで見慣れた光景のように、瞳をゆっくりと動かしただけだ。
「《銀の姫》クラスウラ・エレジメント。報奨金付きの犯罪者。最重要の指名手配犯。報酬を得るにあたり、その生死が問われる事はなし——」
淡々と述べたあと、青年は感心した風を見せた。
「あなたですね、お嬢さん。まだ幼く見えるのに驚くばかりです」
「賞金かせぎなんだ、おじさん」
少女が身にまとう白銀の光が、急に荒々しくなる。楽しんでいる場合ではなくなったからだ。彼女の前にいるのは狩人だった。いつも弄んできた無力な生贄ではないのだ。
人を狩れる力をもつ者だから、少女も本気を出さねばならない。
「おじさん、いいひとに見えたのに。あたしと同じ。人をきずつけるんだね」
「そうですね、あなたと同じです。悪い人です」
「わるいおじさんはきらいなの。だから、さよならするね」
白銀の光が、くだけて散った。
「……え?」
くだけて散った。
魔法の短剣は、もうそこにない。
少女は自らの手を眺め見た。何が起きたか分からなかったからだ。
彼女は今まさに、魔法の刃を振りかざそうとしたところだった。それなのに、短剣は前触れもなく無数の粒に分解されて、中空へと消えてしまった。
彼女が魔法を解いたはずがない。まだ殺してもいないのに、刑罰の女神の爪を切り捨てる者はいない。
それなのになぜ、彼女の魔法はその手から吐き出されるように消えてしまったのか。
「え」
答えが来る間もなく、今度は彼女の身体から光が吐き出され始めた。
それは少女の意思ではない。
そんなつもりはない。ないのに、光はあらゆる場所から容赦なく抜け出していく。
髪の毛から、肩から、袖口から、スカートの内側から。彼女の魔力が次々に吐き出され、はかなく散って消えていく。
そして手の力も足の力も抜けていって、ついに彼女は立っていられなくなった。
「これ、ま、じゅつ?」
両手を地についてうずくまる、少女の口から言葉が漏れた。あらゆる力が失われる地獄。そんな中、やっとの思いで彼女は顔を持ち上げる。
「おじさ、ん? なん……なの?」
「そうですね。挨拶がまだでした」
青年は、力なく見上げる少女を見つめ、和やかな声で答えを返す。
「ぼくは《殺人鬼》です。申し訳ないですが、あなたには犠牲になってもらいます」
はたして少女は答えに満足したのかどうか。
それを知る者はいない。彼女はもう、何も語らない。




