第1話 介護は常に動き続ける仕事である
介護という仕事は、外から見ると「高齢者に優しく接する仕事」と思われやすい。
もちろん、優しさは必要である。
思いやりも必要である。
相手を人として尊重する感覚も必要である。
しかし、それだけで介護現場を理解したつもりになるなら、かなり現実からズレている。
介護は、優しさだけで回る仕事ではない。
介護は、常に動き続ける仕事である。
私が経験した老人保健施設では、最大で五十人近くの利用者を、日中最小五人ほどの職員で見ることがあった。
しかも、その五人全員が自由に動けるわけではない。
そのうち一人は、フロア全体を見る役割に入る。
利用者の動き、訴え、危険行為、体調変化、排泄希望、手指消毒、体操やレクリエーションなどに対応しながら、全体の様子を観察し続ける必要がある。
つまり、実際に掃除、排泄介助、居室対応、入浴準備、入浴介助などで動き回れる職員は、さらに限られる。
この時点で、外から想像される「一人ひとりにゆっくり寄り添う介護」と、現場の実態には大きな差がある。
現場では、次から次へと仕事が発生する。
掃除をする。
トイレ誘導をする。
排泄介助をする。
汚染した衣類を更衣する。
居室で寝たきりの利用者のおむつ交換をする。
排便や排尿の記録を残す。
更衣した衣類の記録を残す。
水分補給を促す。
離床誘導をする。
臥床誘導をする。
曜日によってはシーツ交換や環境整備もある。
入浴の日には、入浴準備と入浴介助もある。
さらに、投薬業務もある。
投薬は、薬を配れば終わる仕事ではない。
利用者ごとに、必要な水の量が違う。
薬の飲み方も違う。
口の中に薬が残りやすい人もいる。
服用を拒否する人もいる。
飲んだように見えて、後で吐き出しに行こうとする人もいる。
吹き出してしまう人もいる。
むせないように、飲ませ方を調整しなければならない人もいる。
自分で手のひらに薬を乗せて服用できる人は、そう多くない。
仮に自分で飲める人であっても、薬をこぼさないか、きちんと口に入ったか、飲み込めたか、口内に残っていないかを確認する必要がある。
投薬は、単なる配布作業ではない。
飲み込み、拒否、吐き出し、むせ込み、口内残留まで確認する、事故リスクを伴う業務である。
これらは、順番にきれいに並んで発生するわけではない。
一人のトイレ誘導をしている間に、別の利用者が立ち上がろうとする。
おむつ交換をしている間に、フロアで訴えが出る。
水分補給をしている間に、汚染衣類の更衣が必要になる。
入浴準備をしている間に、別の利用者の排泄希望が出る。
レクリエーション中に、車いすから立ち上がる利用者がいる。
体調確認が必要な利用者もいる。
認知症症状や精神症状によって、説明しても理解が続かない利用者もいる。
介護は、一つの作業を終えれば落ち着く仕事ではない。
一つ終えたら、次がある。
次を終えたら、また別の対応がある。
そして、その間にも利用者の状態は変わる。
しかも、対応すれば終わるとは限らない。
トイレへ誘導しても、またすぐに訴えが出ることがある。
更衣しても、また衣類が汚れることがある。
姿勢を整えても、すぐに崩れることがある。
安全な位置に誘導しても、また危険な動きをすることがある。
説明しても、同じ行動が繰り返されることがある。
対応したものが、すぐに台無しになる。
ここが介護現場の大きな負担である。
仕事が多いだけなら、まだ分かりやすい。
問題は、その仕事が積み上がるというより、何度も同じ場所に戻される感覚があることだ。
片づけてもまた汚れる。
誘導してもまた動く。
説明してもまた繰り返される。
記録しても、次の出来事が起きる。
一つ終えた瞬間に、別の問題が発生する。
その繰り返しの中で、職員は常に動き続ける。
歩く。
しゃがむ。
立ち上がる。
支える。
持ち上げる。
体をひねる。
車いすを動かす。
ベッド周りを整える。
トイレへ誘導する。
居室とフロアを行き来する。
身体的な負担はかなり大きい。
特に移乗や排泄介助、おむつ交換、入浴介助は、腰や足に負担がかかる。
利用者の体格、残存能力、認知状態によって、介助の難しさも変わる。
同じ「立ってもらう」「座ってもらう」「移ってもらう」という行為でも、相手によってまったく違う。
自分で立てる人。
少し支えれば立てる人。
立てると思っていても途中で力が抜ける人。
声かけが通りにくい人。
恐怖心で動きが止まる人。
急に動いてしまう人。
体がこわばる人。
職員に体重を預けきってしまう人。
利用者ごとに、介助の仕方は変わる。
それを限られた人数で、時間に追われながら行う。
だから介護は、単純作業ではない。
単に体を動かすだけではなく、動きながら判断し続ける仕事である。
この人は今トイレに行った方がいいのか。
この人はもう少しフロアで様子を見るべきか。
この人は臥床した方が安全か。
この人は水分が足りているか。
この人は今、危険な動きをしそうではないか。
この姿勢のままだと車いすからずり落ちないか。
この訴えはいつものものか、それとも体調変化の兆候か。
そうした判断を、現場では常に求められる。
介護現場の忙しさは、単に「仕事量が多い」というだけではない。
身体を動かし続けながら、利用者の状態を見て、事故を防ぎ、記録を残し、他職員と連携し、次の仕事を考える必要がある。
だから、介護を「誰でもできる仕事」と見るのは間違っている。
確かに、資格がなくても始められる業務はある。
しかし、現場で本当に安定して働くには、体力、観察力、判断力、記録力、先回りする力、利用者ごとの特徴を覚える力が必要になる。
介護は、優しいだけではできない。
遅すぎれば事故につながる。
雑すぎれば汚染や負担が増える。
気づかなければ危険が大きくなる。
効率を考えなければ、現場全体が詰まる。
だから、介護現場を語る時に「優しさ」だけを前面に出すのは、現場を軽く見ている。
優しさは必要である。
しかし、それは最低限の土台でしかない。
その上に、身体を動かし続ける体力がいる。
利用者の変化に気づく観察力がいる。
事故を防ぐ判断力がいる。
限られた人数で現場を回す効率がいる。
そして、対応してもまた崩れる現実に耐える精神力がいる。
介護は、人を支える仕事である。
しかしその現場は、支える側の人間が常に動き続けることで成り立っている。
この実態を知らずに、介護を「優しい仕事」「感謝される仕事」とだけ語るのは、あまりにも表面的である。




