39.にいちゃん
夜の下層市民街は、静かだった。
街灯もまばらな路地の奥、古びた建物の前に、影たちはすでに配置についていた。物音一つ立てず、闇に溶け込んで。
建物の中からは、明かりが漏れていた。
「こいつら、どうします?」
「とりあえず、ここに連れてこいとしか、言われてないしなぁ」
のんきな声が、壁越しに聞こえてきた。
カインは建物の壁に背をつけたまま、息を殺した。アランが隣に立っていた。相変わらず、無表情だった。
「オイラ、嫌ですよ。ガキどもの世話なんて」
「俺だってそうだぜ。泣く、喚く、手がかかる」
「オイラなんか、さっきは腕を噛まれちまったんですぜ。まぁ、ムカついて一発やっちまったけど」
「ひでぇな、お前」
笑い声が上がった。
カインの手が、ぐっと握られた。
肉を焼く匂いが、微かに漂ってきた。酒瓶の触れ合う音がした。
(こいつら——)
「面倒くせぇな。いっそやっちまいましょうぜ」
カインの体が、僅かに前に出た。
「そうだな。金も受け取ったし、もうガキども抱えてても面倒だ。適当に始末して、とっととずらかるか」
その時、アランが静かに指を動かした。
次の瞬間、扉が蹴破られた。
中にいたごろつき三人は、酒と肉を前に、まさにくつろいでいるところだった。
一人目が、声を上げる前に床に沈んだ。二人目が、椅子を蹴倒しながら立ち上がりかけたところを、影が無言で仕留めた。三人目が、武器に手をかけようとした瞬間、アランが静かに片をつけた。
あまりにも、あっけなかった。
呻き声一つ残して、三人は床に転がった。肉の刺さったままの串が、転がり落ちた。
カインはその場に突っ立ったまま、全てが終わるのを見ていた。戦力として数えられていなかったことは、疑いようもなかった。
アランは乱れた袖を、静かに整えた。
カインは転がった男から鍵をむしり取ると、奥の扉へ向かって走った。鍵穴に差し込む手が、震えていた。
扉が開いた瞬間、うずくまっていた子供たちが顔を上げた。
「にいちゃん!!」
五人の小さな体が、次々とカインに飛びついてきた。しがみついて、離さなかった。嗚咽が重なり合い、薄暗い部屋の中に響いた。
カインは、その場に膝をついた。
「お前ら……良かった、無事で」
瞼の裏が、熱かった。
小さな手が、服を掴んでいた。泣き声が、耳の中で重なっていた。来てよかった。間に合ってよかった。それだけが、頭の中にあった。
「そういえば、あいつは——っ!」
「無事です。しばらくは痛むでしょうが、じきに治るでしょう」
腹部を押さえて倒れていた子供の容態を確認したアランが、静かに報告した。
カインは、長く息を吐いた。
子供たちの泣き声が、少しずつ収まっていった。
撤収の合図が出たのは、それからすぐのことだった。
影たちが子供たちを順番に外へ連れ出していく。カインとアランが最後尾につきながら、夜の路地へ出た。
冷たい夜気が、頬を撫でた。
(コーデリア、無事でいろよ……)
星のない夜だった。
*****
同じ頃、王都の別の一角。
一頭の馬が、煌々と明かりの灯る建物の前に止まった。
ロランが先に降り、コーデリアに手を貸した。二人が地に足をつけた瞬間、周囲の闇から、音もなく人影が集まってきた。
「中の様子はどうだ」
ロランが言った。
「そろそろ始まるようです」
「分かった。行くぞ」
複数の足が、静かに動き出した。




