(3)
いつの間にか、夜が明けていた。
レオナルドは走るのをやめ、水音が聞こえるほうへと足を向ける。
大きな岩の上から流れる綺麗な水と、まだ小川ともいえない細い水の流れを見つけると、岩に手をあてて水で喉を潤した。
(冷静にならなければ)
水の流れる岩に額を押し当て、冷たい水で熱くなった頭を冷やす。
深呼吸を繰り返し、両手でごしごしと顔を強くこすった。
ふと視線を感じ、レオナルドは顔を上げる。
すぐ近くの巨木のそばに、少年が一人、幹に寄り掛かるようにして立っていた。
林檎のような赤い果実を持ち、美味しそうにかじりつきながら、面白そうにレオナルドを眺めているようだった。
「君は一人なのか? なぜこんな森の中にいる」
国境の森は安全とは言えない。
とても広いのに、きちんとした道は一本だけで迷いやすく、魔獣もでる。
子供が一人でいるような場所ではない。
レオナルドは心配で思わず声をかけたのだが、少年は驚いたように目を見開いた。
「僕が見えるんだ?」
「どういう意味だ?」
レオナルドが首をかしげると、少年は嬉しそうに声をたてて笑う。
そして、大股にぴょんぴょんと跳ねるようにして、レオナルドのすぐそばにまでやってきた。
「おい……」
人間離れした跳躍に、レオナルドは驚く。
だが少年は、にこにこしてレオナルドに話しかけてきた。
「やあ、僕は緑の精霊王ウィリスだよ!」
「…………精霊王?」
「君は精霊が見える体質なんだね」
「は?」
「人間にも時々いるんだよ。あ、でも、君が見えるのは、力の強い精霊だけみたいだな」
ウィリスはレオナルドの目の前に手を差し出す。
「ほら、ここにも精霊がいるんだけど、見えてないよね?」
「俺はこれまで精霊を見たことはない」
「力の強い精霊は少ないからね」
「…………」
「信じてないの?」
目の前で小首をかしげる少年は、人間にしか見えない。
ただ、森の中には相応しくない、貴族のような身なりをしている。ひらひらした薄い緑の生地の、裾の長い上着にひざ丈のズボン。どちらにも金色の糸で美しい刺繍が施されていた。
そして、滅多にいないような美形。淡い金髪は背の半ばまであり、新緑のような瞳はぱっちりとして大きく、女の子のような可愛らしさだ。
非凡ではあるが、間違いなく人間だ。
ウィリスはにこっと微笑むと、両手を大きく広げる。
すると周囲の木々が風もないのに枝を動かし、ざわざわと葉擦れの音が広がっていく。
レオナルドが空を見上げると、たくさんの葉が渦を巻くようにウィリスの頭上を流れていき、その流れの中から何か赤い物が降ってくる。
慌てて受け止めれば、さっきウィリスがかじっていた果実だった。
「どうぞ、美味しいよ」
無邪気に勧めてくるウィリス。
レオナルドはじっとウィリスを見つめながら、果実を口に運ぶ。
豪快にかじりつけば、酸味と甘みのバランスが絶妙な、とても美味しい果実だった。
レオナルドは魔法使いと呼ばれる人々を知っている。
精霊の加護による特殊能力者とは似ているが異なり、生まれ持った魔力を訓練で大きく成長させ、魔法と呼ばれる技にまで進化させた人々のこと。
魔力を持って生まれる人は少なく、さらに過酷な魔力訓練をやり遂げる人はもっと少なく、魔法使いはとても少ない。
そして、王国に使える最高峰の魔法使いでも、今ウィリスがやったようなことはできない。
どうやら本当にウィリスは精霊らしいと、レオナルドは納得せざるを得なかった。
「君は、フィアナの夫でしょ?」
「フィアナを知っているのか」
「うん、勿論! 僕はフィアナが大好きなんだ」
「……もしかして、フィアナに加護を与えた精霊?」
「そうだよ」
あっさりとウィリスは頷く。
「そうか……この森に、フィンは置き去りにされていたんだったな」
フィアナは赤ん坊の時に、この森に捨てられた。
魔獣もいる森の中で生き延びることができたのは奇跡だと言われたらしい。森の精霊がフィアナを守ったからの、奇跡だったのだろう。
「僕が見えるんなら丁度いい。君に確認したいことがあったんだ」
「確認?」
「君はフィアナをどう思っているの?」
まさか精霊にそんなことを聞かれるとは思っていなかったレオナルドは、思わず絶句してしまう。
ウィリスは興味深げにレオナルドの顔を見ながら、彼の周りをくるくると回り始めた。
「加護を与えているからと言って、僕はフィアナのすべてを知ってるわけじゃない。僕はいつもこの森にいるしね。でも最近、フィアナはこの森にくるとき、君と一緒じゃなくなった。この前は、君が他の女性と一緒にいることに驚いて怪我をしちゃうし」
「……」
「君はフィアナの敵になったのかなと思ったんだけど、フィアナを追いかけて来た悪い奴らをやっつけたよね。フィアナを守るためにでしょ?」
「そうだ」
ウィリスは小首をかしげ、レオナルドの正面に立つ。
「僕はね、フィアナを守りたいんだ。僕だけじゃない、精霊はみんなフィアナを大切に思ってる。なにしろ、黄色のヴェネラをまた咲かせてくれたからね。でも、精霊は人を傷つけるのを好まない。まあ、悪戯が好きすぎて、とんでもないことをしでかす精霊もいるけど、基本的に僕たちは人に血を流させたくないと思ってるんだ」
腕を組み、ウィリスは困った顔で肩をすくめる。
「最近、森にはフィアナの命を狙っている人間が入り込んでいる。悪戯好きな連中が喜んでちょっかいをかけているけど、数が多すぎてね。君がその面倒な敵を排除してくれるなら、ありがたいと思っているんだよ」
「勿論、俺が排除する」
「でも君は、フィアナが死ぬのを待っているんだろ。あ、僕が盗み聞きしたんじゃないよ。フィアナにいつもくっついてる小さな精霊が教えてくれたんだ。それで君は、フィアナを守りたいの? 死んでほしいの? どっち?」
「守りたい。死んでほしくない。予言について、フィンは誤解をしているんだ」
うーんと唸り、さかんに首をかしげるウィリス。
その様子があまりにも可愛らしくて、レオナルドは思わず微笑んでしまった。
「精霊は人の嘘を見抜くことはできないんだな」
「僕には無理かなぁ。できる精霊もいるとは思うけど。あと、女神ヴェネラも嘘を見抜くよ」
「女神、ヴェネラ……」
「お気に入りの黄色の花を咲かせてくれたフィアナには、女神も感謝をしているんだ。そうだ、君がフィアナに関して嘘を言うと、女神を怒らせるよ。それでも、守りたいって言うの?」
「守りたい。女神はフィアナを守ってくれるだろうか」
「直接には難しいよ。僕たちは基本的に加護を与えることしかできないからね」
「加護、その加護を、俺は必要としている」
レオナルドは真顔になり、ウィリスに迫る。
「フィアナを守ると誓う。だから俺に、加護を貰えないだろうか」
「君が? 僕から?」
ぴょんとウィリスは跳ねて、レオナルドから大きく距離をとる。
「精霊からの加護は一つきりだと決まってる。僕から貰うと、光の剣は手に入らないよ?」
「それでも構わない。俺は一日でも早く加護を」
「あー、それ言っちゃ駄目なやつでしょ」
あきれた顔になったウィリス。
何が駄目なのかわからず、キョトンとするレオナルド。
「!」
次の瞬間、レオナルドの頭上から光の球が降ってきた。
避ける間もなく、レオナルドは眩しい光で全身を覆いつくされる。
「ルーチェスを怒らせちゃったかもね」
あまりの眩しさに強く目を閉ざし、それでも足りなくて手のひらで目を押さえたレオナルドに、ウィリスのどこか呆れたような声だけが聞こえる。
「うまく言い訳しないと光の剣を貰えないかもよ」
何かに捕まれ、ぐっと体を浮き上がるのを感じる。
だというのに、誰かがそばにいるような気配はまるで感じない。そして視力も強い光に奪われ、レオナルドには何が起きているのかわからない。
咄嗟に抵抗しようとしたが、レオナルドが動こうとすればするだけ、捕えてくる何かの力は強まった。
「心配ない、帝国に行くだけだってさ」
ウィリスのその声を最後に、自分の意思とは無関係にとんでもない速度で体を引っ張られ、もみくちゃにされ、さすがのレオナルドも意識を失ってしまった。
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