如何にして賢者は生まれ変わったか。
昔々……とはいってもたった百年前のことだが、勇者と魔王がいたらしい。その勇者と魔王は戦って相打ちになったらしい。よくある話だ。ひとつだけ問題があったとすれば、勇者と魔王がそれぞれ人族と魔族においてそれなりの立場であったがために、些細な諍いが人族と魔族の戦争になってしまったことだろうか。そもそも勇者と魔王に戦う意志はなく、人族と魔族に戦争の御輿に祭り上げられてしまっただけらしいのだが、それは些細なことだ。経緯がどうであれ、戦争が起こったことに変わりはないのだから。
それは別にどうでもいい。ちゃちな陣取り合戦に無為に時間を費やし、疲弊し、挙げ句の果てに成果のひとつも得ずに種族を衰退させるなど、人族にしろ魔族にしろ愚か極まりないとは思うが儂には関わりのないことだ。儂も遥か昔は人族であったとはいえ……いや、人族だったか?どうも記憶が曖昧だ。とうとう痴呆が始まったか。年をとったな。
ともかく、儂も昔は人族かそれに類する者であったとはいえ、今は関係ないのだから。
そう、関係ない。関係ないのだ。確かにここ数百年ほど下界が騒がしいとは思っていたし、大陸全土を巻き込んだ戦いは少し珍しくはあったが、古い種族の壊滅や種族間の戦争などひっきりなしに繰り返されるので今回もそんなものだと思っていた。
なぜだ。儂はここ千年近く前から神族の領域の近くに天空の島を作り、結界を張り、ちょっとした疑似異世界まで創って引きこもっていたのに、なぜ儂が勇者を導き、魔王に力を授け、世界を揺るがす戦争を引き起こした偉大なる賢者にして邪悪なる魔導師になっているのだ。
そもそも、数千年ほど前に人族が妖精狩りを始めて妖精が絶滅したときも、死体を偏執的に愛する狂った魔術師が死に際に残した呪いで死霊種などという新種族を誕生させたときも傍観を貫いていた儂が、なぜたかが二種族の戦争程度に手を出さなければならないのだ。
元より儂はこの島を創ってから千年、下界に接触していない。百年ほど前に人族の少年がきたこともあったがすぐに追い返した。あの少年には多数の神の加護があり、その力を持て余しているようだったから少し力の扱い方を教えたが、それだけだ。神は往々にして物事を引っ掻き回すから、その力を押し付けられた少年が不憫だったので、神々に踊らされず己の目で真実を見るように、と伝えただけで一年もせずに出て行かせた。
そういえば同時期に魔族の少年もいたな。力が欲しい、などと言っていたから少し遊んでやればすっかり大人しくなって、人族の少年と一緒に師匠、師匠と懐いてきて可愛いものだった。最初は二人とも親を殺されただとかで、それぞれ人族、魔族を憎んでいたようだが、すぐに仲良くなっていた。仲良くなるまでは喧嘩ばかりで、結界の一部を破壊したり、島の一部を消滅させたりと少々手を焼かされたが、子供は悪戯が好きだから多少やんちゃでも仕方ないだろう。
いくら記憶を辿っても、儂が下界に関わったのはこれだけだ。それからはずっと研究漬けだった。
なぜだ?
わけがわからない。研究に没頭していた百年のあいだに儂の立場位置は一体どうなったのだ。
以上の事実を、目の前の神々たちに訥々と説明してみた。
なぜ儂がそんなことをしているのかというと、先ほど話した勇者と魔王の決戦にある。
勇者と魔王は本来、お互いを憎み合って殺し合う手筈になっていたらしい。だが、そもそも魔王と勇者は憎み合ってはおらず、魔王はわざと殺されて勇者は聖剣で魔王の後追い自殺をしてしまったと。聖剣が勇者を殺したとは笑えないな。いや、嘘だ。ちょっと笑える。
そして、勇者と魔王がそんな予想外の動きを見せたのは、儂のせいだと神々は言う。
勇者と魔王の戦いは神々のゲームだ。お遊びの邪魔をされて、神々はさぞかし偉大なる賢者すなわち邪悪なる魔導師すなわち儂にお怒りなのだろう。儂は何もしていないが。
『……本当に、身に覚えがないのですか?』
そう言ったのは、三対の大きな翼を背に持った女神だった。飛びにくくないのだろうか。いや、飛びにくくないからそんなにバサバサと羽を生やしているのだろう。そもそもが神なのだから、わざわざ翼で飛ぶ必要もない。目を凝らしてみると、翼ではなく神力で飛んでいるようであるし。では、時折羽を羽ばたかしているのはポーズなのだろう。美しい顔と白く輝く翼は確かに、神々しく荘厳だ。
だが。
だが、それでもだ。いくら神々しくあろうとも、そんな“信じられない”という顔をされても、身に覚えはない。ないものはない。
きっぱりとそう言い切ると、神々がなにやらごちゃごちゃと騒ぎ出した。みなそれぞれに言いたいことがあるようだが、如何せん数が多い。誰が何を言っているのかまったくわからない。
そう。上記に“神々たち”と表したように、儂はさまざまな神に囲まれているのだ。いわゆる悪神、善神と呼ばれる神々がごったがえに、魔力、神力、なんだかよくわからない見ているだけでSAN値が削られていくものなどがひしめいている。その神たちもそれぞれに眷属たちを引き連れており、見渡す限り神とその眷属で埋め尽くされ、もはや収拾がつかなくなっていた。
儂の島は、そこまで多くの人口を収められるようにできていないのだが。
ふむ。
そんな神々の様子を見渡して、ひとつ頷く。
「あー、つまり、あれだ。儂が勇者と魔王を、あー、どうにかしたらしく、それが気にくわなかったあなた方は、儂に討ち入りした、と。」
『討ち入りなどと、そんな俗物的な言葉をわたくしたちに使わないで。わたくしはあなたに天罰をくだすのです。』
先ほどの三対の翼を生やした女神が言った。
「ああ、そうでした。天罰でしたね、女神様。申し訳ありません。年のせいか、最近どうも理解が遅くて。」
神々に何十にも張った結界を破られて侵入され、数え切れないほどの神々に囲まれるそのさまは、まさに絶体絶命。いくら悠久のときを生きた賢者といえど、力ある神々に多対一で挑まれれば生き残る術はない。その命は風前の灯火だった。
そんな過去最大の危機を前にして賢者が考えていたことは。
あれ?これって、今こそ研究の成果を試せるのでは?
今まで永く異世界の研究をしてきた。だが、所詮それは机上の論。実地で異世界というものを感じてみたい。でもなんか最近賢者などと崇められ始めて、異世界へ行くに行けなくなってしまった。勝手に消えるとここ百年でできた信者たちが騒ぎそうだ。どうやら儂の信者は過激派が多いらしく、突然いなくなればまずいことになりそう。そんな折にこの討ち入……天罰。
最高の筋書きではないか?
確かこの翼の女神は、運命の女神などと呼ばれていた気がする。ほかにもどこかで見たことがあるようなのがちらほらいる。さぞや高名な神たちのことだ。きっと儂が消えたあとの身辺整理もしてくれる、素晴らしい方々に違いない(確信)。主に信者たちや信者たちや信者たちなどの。
死ぬのはまあ、多少気分が悪くないわけでもないが、異世界で死産するはずだった赤子にでも転生すればいい。新しい世界だ。いっそ新しい身体で心機一転してみるのもいいだろう。
だから。
「おお!神たちよ!儂はなんと罪なことをしてしまったのか!死して償おう!いや、それでも償いきれない!儂のような罪人が死の安寧を手に入れるなど畏れおおい!この世界の輪廻の輪へ戻れぬ異界へ渡ろう!」
『え?ああ、そうね。償いなさい。』
運命の女神が儂のテンションに若干困惑しているが、まあ、いい。
「はっ!それでは!」
儂は、異世界へ転生する呪文を呟きながら、胸に短刀を突き立てた。
「ああ、そうそう。百年くらい前にここにきた人族と魔族の少年も異世界へ転生させておるからな。」
どさりと倒れ込む賢者。胸から広がる血の跡。賢者の死によって、崩壊が始まった島。
『それ勇者と魔王じゃねーか!!!!』
死んだ賢者の前に、運命の女神の叫びが虚しく響いた。