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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

マリア・フロム・ヘル!

悪役令嬢「地獄から帰ってきたぜ!」
みたいな馬鹿話の悪役令嬢モノを書こうと思ってたんですけど気付いたら悪役令嬢要素ゼロでした。馬鹿な話ではあります。
(この小説は挿絵機能を使用しています。挿絵が苦手な方はお手数ですが挿絵機能をOFFにしてから御覧くださいませ)
 その日、私ことマリアリナ・フル・リヒートは死んだ。それはもう完全に死んだ。ギロチン的なあれでそれして死んだ。
 あっ思い出したらちょっと気持ち悪くなってきた。

「ぅぉおろろろっ」
「お嬢様ぁ!?」

 吐瀉物をぶちまける私に超焦ってる私付きの侍女ネリーの姿にちょっと笑えてきぅおろろろっ。
 ていうか懐かしいわねネリー、久々に顔見た気がするわ。十年ぶりぐらいかしら。

 そう、十年だ。
 国家反逆罪的なあれで斬首刑に処されて死んだはずの私は気がつけば何故か、おそらく十年前の実家で吐いていた。訳が分からん。
 しかしギロチンて。自由気ままに全力で私らしく生きるために戦争中の敵国に国家レベルの機密情報をちょっと横流ししただけなのに国法厳しすぎんよー。

 まぁ済んだことはどうでもいい。いやどうでもよくないのだけれど。

 自身の手をじっと見れば、それは私の記憶にある手よりも小さく愛らしい気がする。つまりおとぎ話よろしく単純に過去に飛んだわけではなく私自身の肉体も十年前に戻っているようだ。
 これ夢じゃねぇかな……死ぬ前に見る走馬灯的な……。
 ただまぁ、これが夢であろうが現実であろうがやることは変わらないのだが。

「お嬢様、落ち着きましたか?」
「ええ、ありがとうネリー」

 私がお礼を言ったことがよっぽど意外だったのかネリーはその目をまんまるにして驚いている。
 いやまぁ、そりゃそうだって反応だよなぁ。端的に言ってこの時期の私はクソガキだったしなぁ。性悪なのは今も変わってないけどこの頃の私は取り繕うとか猫をかぶるってことを知らない全力少女だったから……。
 確かネリーもしばらくして私の癇癪で辞めさせられたんだよね。それからも何度か私付きの侍女は変わったけど今思えばネリーが一番優秀だったからなぁ、今度はクビにしようとも思ってないし逃げられないように多少はいい子にしててやるか。

「お……おっ……」

 なんかネリーがぷるぷる震えてる、と思ってたら泣き出した。

「ど、どうしたのネリー!?」
「お嬢様が、人並みの優しさを発揮する日が来るだなんて……ネリーは、ネリーは嬉しくて……」

 おいこいつ超無礼だぞ。私を何だと思ってんの? お嬢様だよ? 今更になって「やっぱこいつクビで良かったんじゃねぇかなぁ」とか思い始めた私は間違っていないはず。

 とりあえずネリーが泣き止むのを待ちながら今後の展望を考えることにする。
 十年前まで時間が遡るというこの異常事態が夢か幻かなどとはこの際置いておいてだ、私にはやらねばならないことがある。

 そう、ギロチン回避である。

 何が悲しくてやり直してまで死ななければならないのか。こちとら未来の知識持ちじゃい、と。ならば明確に理由が分かっている死刑判決の回避など朝飯前である。さっき吐いたけど。

「も、申し訳ありませんでしたお嬢様。少々取り乱してしまいまして……」
「いえ、いいのよネリー。誰でも泣きたくなる瞬間ってあるもの」
「うわぁああ見てくださいお嬢様。お嬢様が優しすぎてネリーは鳥肌が立ってまいりました!」

 こいついつか死なす。

 ようやく泣き止んだと思えば侍女服の袖をめくってこちらに「ねぇほらみてみて!」と腕を差し出してくるネリーを無視して私はこれからやるべきことを考えていた。とりあえずネリーは機を見て死なす。

 ギロチン回避だけならばそう難しい話ではない。私は押しも押されぬ大貴族であるリヒート家の令嬢であるわけだし、これから猫をかぶって良い子ちゃんで過ごしていけば収まるところに収まって悠々自適に生きていけることだろう。
 誰にでも笑顔を振りまく心優しい少女として幼少期を過ごし、国立学園なんかに通って甘酸っぱい青春時代を送ってみたり、未来の旦那様と貞淑な妻として結ばれたり、子や孫たちに囲まれて穏やかな老後を過ごしたり──

「──クソ食らえですわ」
「やったぁ! いつものお嬢様だぁっ!」

 はっ、いかん。ゆるゆるな未来構想を描いていたらつい無意識の内に本音が漏れたわ。なんかネリーは喜んでるしこいつ本格的に気持ち悪いなぁ。
 まぁキネリー(気持ち悪いネリー)のことは放っておいて、私はクソ食らえな未来構想を脳内から削除する。何が悲しくてあんなゆるふわな一生を終えねばならんのか、このマリアリナ・フル・リヒートを見くびるでないわっ!

 自分で言うのも何だが私は悪女である。浪費家だし、性悪だし、ド淫乱だ。気に入った男がいれば勿論手を出すし、相手が妻帯者だろうが知ったことかと平気で寝取る。気に入りさえすれば相手が女でもどんどんヤッていく所存であり、「マリアリナ・フル・リヒートが町を歩くだけで住人は絶頂し、老人は屹立し、少年は精通した」と語られる吟遊詩人の歌はあまりにも有名である。
 自分のやりたいようにやるのだーい好き! それがマリアリナ・フル・リヒートという女の本質であり、それは十年時を遡ろうが変わるものではない。そんな私が心優しく? 甘酸っぱい青春を? 幸せな老後? 寒気がするわ!
 まぁかと言って、だ。別に自分を取り繕え無いほど私は愚かではない。男を釣るためならば猫もかぶるし、女を誑かすためなら優しくもする。まぁ結局最後はギロチン刑で死ぬ愚か者だったわけだけどねHAHAHA! ちょっと全力で自由すぎたんだな、うん。

 とりあえず、国家反逆罪にならない程度に猫をかぶりつつ自由に生きよう。なぁにこっちは十年先の未来を知っているのだ余裕余裕。勝ったな、ガハハ。



「魔女マリアリナ・フル・リヒートを火刑に処す」

 あっれぇ、どうしてこうなった?
 確かにギロチンは回避したけど何か余計悲惨になってない? しかも本来は敵同士だったはずの両国が協力しての私の処刑とかグレートすぎんよー。

 前回の国家反逆罪ギロチンコースに懲りて政治とか国に関わるのはやめとこうと適当に放蕩生活を送っていたのだが、何がどうしてこうなった。ただちょっと留学生って立場を利用して「色白優男系も、褐色偉丈夫系もどっちも捨てがたいよね!」って両国の王室関係者のイケメン食い散らかして国を巻き込んだドロッドロの愛憎劇を繰り広げただけなのに……。
 まぁその結果マジで悲惨な長ーい戦争が起こっちゃう辺り流石私っていうか、はぁ自分の魅力が怖い……私のために争わないで! 魔性の女マリアって呼んでいいのよ!?

 あやっべ点火されあばー



 はい幼女時代に戻ってきました。
 そっかーまたかー死に戻りしちゃうかー。いやぁしかし火刑って辛いね、何が辛いってもう思い出しただけで

「ぅぉおろろろっ」
「お嬢様ぁ!?」

 やっべまた吐いたわ。そしてネリーもお久しぶり、今度は二年ぶりぐらいかな? 手際よく吐瀉物を片付け私の口元を拭うネリーの顔をぼんやりと眺める。
 件の愛憎劇の最中、国を思う忠臣の方々が「毒婦死すべし」的な感じで刺客を送ってくることがちょくちょくあったのだが、ネリーはその中でも最も手強かった暗殺者の凶弾から私を庇って死んだのだ。私の腕の中で冷たくなっていくネリーのことはいまだに覚えている。
 有能だったからなぁと思って前回の私はネリーをクビにしなかったのだが、ネリーは最期まで本当に気持ち悪かったし馬鹿な女だったし最高に間の抜けた死に様だったわけで、あかん思い出したら笑えてきた堪えろ私。

「うわっ、と。ど、どうしましたお嬢様!?」
「……」

 私は笑いを、そう、笑いを堪えるためにネリーにぎゅっと抱きついた。この頃は私もまだまだ小さいし、私より八つも年上のネリーに抱きつけばその身長差から丁度胸の下辺りに顔を押し付ける形になる。
 柔らかいなぁ、暖かいなぁ。あぁネリーの香りだ生きてるネリーだ。ちっとも冷たくない、血の匂いもしない。お前この馬鹿野郎仕える主人を残して死ぬやつがあるか、あの後私がどんだけ不便を強いられたと思ってんだ。新しく仕える侍女はどいつもこいつも手際が悪い、テンポも悪い、私のなんたるかも理解していない愚図ばっかりだった。

「……お嬢様、泣いているんですか?」
「……なんでもない、なんでもないのよ。ネリー」

 本当、思い出しただけで泣けてくるわ。

「……勝手に、私に断り無く死ぬんじゃないわよ、ネリー」
「えぇっなにそれ突然!? 私死ぬ予定でもあるんですか!?」

 そう言って馬鹿面で大げさに騒ぐネリーが面白くて私も吹き出した。そうそう、お前はそれぐらい間の抜けた表情が身分相応ってやつなのよ。間違っても、あんな満足気な死に顔なんざこれっぽっちも似合っちゃいないわ。

 よっしそれじゃあ今度も気合い入れて極力フリーダムに生きるかぁ!
 火刑回避のためにとりあえず留学は無しで。褐色イケメンは惜しいけど流石に背に腹は代えられんものなぁ。



「……君が、君がいけないんだ、マリア! 何故あんな弄ぶような真似を……僕は、僕は心から君のことを!」

 あっれぇぇええ? どうしてこうなった?
 あれから私は無難に幼少期を乗り切り、うら若き男女がきゃっきゃうふふとその青春時代を過ごす国立学園に入学した。運が良ければ王家の血筋とご学友にもなれる由緒正しき大学校であり、そりゃもう全力で満喫した。
 いやぁ皆基本的に見目麗しいからねぇ、男漁りが捗る捗る。王立学園の淫魔、マリア・ザ・ファッカーとは私のことよ!
 下はお付きの少年から上は王位継承権持ちの青年まで食い散らかしてやったわ! ガハハ!

 したらなんか後ろから刺された。

 まじかー、これだからちょっと優しくしたら勘違いする良い子ちゃんの童貞は! いやしかしおかしいな、前々回のギロチンで終わった回の時も学園で食い散らかしたけどこんな目には合わなかったはず。
 あれか、やっぱ先を知ってるし無意識で優しくしすぎちゃった感じか。それともあれかな、ヒロイン子ちゃん(笑顔が素敵で純朴な感じの一般家庭出身の女の子。何かもうキラッキラしてて大衆娯楽に出てくるヒロインみたいだなぁって思って私が勝手に名付けた名前。私は女の子も全然イケるのでいつか食おうと思ってました。まる)の恋路も含めてしっちゃかめっちゃかにしちゃったせいかな! テヘへ。
 しっかし何が原因で私の死亡スイッチが入るか分からんな。

 あやっべぇ意識が遠のきはじめたあかんやつやこれ。
 えーっと誰くんだっけこれ、私を後ろから刺した彼は相変わらずなんかグダグダ言ってるけど正直もう聞き取れねぇや。
 と、そこへ扉をノックする音が。慌てて窓から逃げ出す犯人A君を霞む視界で見送り、返事がないことを不審に思ったのか「お嬢様!? 開けますよ!?」というネリーの叫び声が遠のく聴覚に響いた。あーまぁもう助からんだろうし、とりあえず最期にネリーのアホ面でも拝んで逝くかぁ。

 そして扉が開く。

「……お嬢様?」

 喪失し始めた意識の中、その声だけがひどく明瞭に聞こえた。抱きかかえられる感触も、必死でこちらを励まし呼びかける声も、何もかもが遠のいていく。そんな消え行く意識の中で、私は最期まで悪態を吐いていた。

 馬鹿野郎お前なんて顔してるんだ。
 私がお前に望んだのは底抜けに幸せそうないつものアホ面だ。
 なんだよそのぐしゃぐしゃに濡れたぶっさいくな顔は。
 なんだよその明るさの欠片もない震えきった声は。
 ああクソ 馬鹿野郎   どこのどいつだ   ネリーを泣かせ    あ   私
  か        クソ



「んんんんっねぇりぃいいいいいいっ!」
「ぎゃあああああっ!?」

 はいただいまー。わたしかえってきたよー。
 再び幼少期に死に戻りした私はとりあえず直ぐ側に控えていたネリーに飛びかかり、その頬を力いっぱい捻り上げて口角を釣り上げてやった。

「ネリー! ネリー! この、馬鹿ネリー! あんたはっ! いっつも! 笑ってれば! いいの! よっ! 次泣いたりしたら許さないわよっ!」
「ぐわぁぁあああああああああっ! お嬢様がいつにも増して理不尽っ!」

 散々上へ上へと引っ張り倒して満足したので頬を離してやる。「でもこれはこれで」としまりのない顔をしているネリーは本当に気持ち悪いなぁ。
 まぁいいや、とりあえず三回死んでみて分かったことは……何事もヤリ過ぎ注意! けど我慢とか私出来ない、どうしよう!

 まぁそんなアホな推測は置いておいて、真面目な話どうしたもんか。このまま何回でも死に戻りするならそれはそれでいいんじゃないかなぁとも思うんだけど、ある日突然この奇跡も終わりを告げてクソみたいな死に様を晒すと考えると大変腹立たしい。
 一応ギロチンで死にたくないと行動すればギロチンは回避できたし、火刑だってそうだ。今回の刺殺もきっとやりようによっては回避できることだろう。つまり、死亡要因を一つずつ丁寧にすり潰していけばいつか私はマリア・ザ・ファッカーとして好き放題絶頂に生きた挙句、後世に名を残す淫魔オブ淫魔として幸せな老衰死を迎えられるというわけだ。

 そうと決まれば話は早い。この先私はきっと何度も死ぬだろう。そしてその度に嘔吐してネリーをこき使うことだろう。だがそれがどうした! そんなことでこのマリアリナ・フル・リヒートが立ち止まるとでも思ったか!

「ネリー、私はやるわよ!」
「えっ。あ、はい。がんばってください?」

 こうして私の地獄のような死出の旅路が始まったのだ。



「ああ、お嬢様が落雷で黒焦げに!」
「ああ、お嬢様が暴れ羊の群れに轢殺されてミンチに!」
「ああ、お嬢様が何故か大海賊になって史上稀に見る懸賞額が付いた挙句賞金稼ぎに八つ裂きにされた!」
「ああ、お嬢様が宇宙からの使者にさらわれて解剖された!」
「ああ、お嬢様がバナナの皮を踏んで滑って転倒死した!」
「ああ、お嬢様が!」
「お嬢様!?」
「ええっ、そんなところまで!?」
「あっすごい! お嬢様!」
「お嬢様ァァー!!」



「ネリー……私疲れちゃった……」
「お嬢様!? 急にどうしたんですか幼女がしちゃまずい枯れっぷりですよ!?」

 どうも、死に戻りしまくったマリアリナ・フル・リヒートです……。

 あれから私は戦った。自身の死の運命という名の敵と戦って戦って戦い続けた。戦って死んで戦って死んで、過ごした時間だけで言えば軽く100年分は超える回数を繰り返し続けた。そして多種多様なバリエーションに富みすぎる死に方を経験してわかったことがある。
 それは、マリアリナ・フル・リヒートという女の人生はこれから十年以内に死亡という避けられぬ運命に帰結するということだ。

 私はもう燃え尽きたよ、ネリー……。きっと今私の金色の髪も燃え尽きた灰のごとく白く染まっていることだろう……。あっでも繰り返しながらも男漁りはやめなかったから性技に磨きがかかったのは僥倖かな。最後の周回とか「マリアリナにイカせられぬものなし」って国レベルで語られてたから。伝説残る勢いだから。色街とか歩くとサインと握手求められてたからね。ちなみに握手したらそれだけで相手は絶頂しました。かーっ有名人は辛いわー!

 いやしかしマジで詰んでるわ。私の人生クソゲーすぎない?

「ねぇネリー……戦っても戦っても勝つことの出来ない強敵に出会った時、人は諦めるべきなのかしら……」
「うわぁ幼女からまさかの質問すぎてネリーはちょっと引いておりますよ」

 気持ち悪いネリーに引かれるとか無いわ。余計へこむわ。

「んー、まぁとりあえず勝てるまで鍛えて殴るしかないんじゃないですかね。旧世にはレベルを上げて物理で殴れなんて言葉もあったらしいですよ!」

 「いい言葉ですよねー」とか笑ってる腐れ脳筋娘のネリーに期待した私が馬鹿だったわ。大体、十年以内に死亡という概念をどうやって殴り飛ばせと……言うの、か……。

 その時、私の脳裏に電流が走った。
 そうか、そうだったのか。なんて簡単な話だ。何故今まで私はこんな単純なことに気づかなかったのか。

「ネリー……」
「ひぇっ! あ、あはは冗談! 冗談ですよお嬢様やだなぁもうっ! ……お嬢様?」

 ギロチンも、火刑も、刺殺も、落雷も。
 暴れ羊の群れも賞金稼ぎも宇宙人もバナナの皮も!

 全てに屈せず国すらも単独で制するほどの『力』があればそれで良かったのよ!

「ネリー!」
「は、はいっ!」


「私、強くなるわ!」



 その時の私はきっと疲れていたのだと思う。







 曇天の空の下を風が吹き抜けていく。その乾いた風は荒野に伏した砂塵を巻き上げ、低い枯れ草を物悲しげに揺らした。そしてそれら物言わぬ大地を、軍馬と軍靴とが荒々しく踏み潰していく。

「マリアリナ様。敵陣が見えてきました」

 軍馬に跨り、敗走した敵軍の殿を望遠鏡で捕捉した青年兵アズレは自身の上官へとそう伝えた。その声に「そうか」とだけ返事が来る。本当に短い一言だというのに、それだけで鼓膜を甘く揺らし脳を痺れさせるような淫靡な声だった。望遠鏡を目から離したアズレはちらりとその声の主を見る。
 アズレが跨るそれよりも一回り大きく、まるで闇その物が形を成したかのような漆黒の軍馬。そしてそれに跨るのは長い金色の髪を揺らし、鎧という無骨な装いにも関わらず見るもの全てを魅了する魔性の女。
 『雷帝』『竜殺し』『国喰らい』『空裂き』。彼女を表す二つ名、逸話はいくつもあり、それは吟遊詩人の語り歌から幼子を寝かしつけるための子守唄にまで登場する。それほどまでに彼女は幾つもの伝説を築き上げ、今も尚その覇道を進み続けているのだ。
 しかしその中でも、我ら或いは彼ら兵士が、彼女に付き従いその行先が例え地獄であろうと喜んで戦を仕掛ける彼女の信奉者達が好んで語る二つ名がある。アズレ自身も彼女を表す時はその名を好み、彼女にこそそれはふさわしいと常に思っている名だ。

 常勝無敗、戦場の王、鮮血の死神、勝利の女神である彼女こそが──『軍神』マリアリナ・フル・リヒートである、と。

「アズレ」
「はっ!」

 尊敬する強者であるマリアリナの言葉にアズレは姿勢を正す。そしてそんなアズレに対して彼女は真面目くさった顔でこう言った。

「時にお前、まだ童貞らしいな」

 アズレは吹き出した。
 何故よりによって今その話なのか、と。ここがじきに血と狂乱で満たされる戦場となることはマリアリナ自身がよく知っていることだろうに、或いはだからこそこんな話を振るのだろうか。軍神の考えは凡人のアズレには理解できなかった。

「あらやだ」「まぁ……」「アズレちゃんったら初心なのね」「可愛いわぁ!」「童貞が許されるのは従騎士までだよねー!」
「うるっせぇぞそのノリやめろやッ!!」

 突然オカマ口調になって身をくねらせだしたむさ苦しいおっさんだらけの同僚にアズレが怒鳴ると、彼らは「おぉ怖ぇ怖ぇ」とゲラゲラ笑いながら離れていった。
 顔を赤くするアズレの様子にくつくつと笑うマリアリナが馬を傍に寄せながら語りかけてくる。

挿絵(By みてみん)

「ネリーが嘆いていたぞ。アズレもいい歳なのに浮いた話の一つもないのです、とな」
「姉さん……! 余計なことを……!」

 ネリーとは歳の離れたアズレの姉の名であり、マリアリナの幼少期から彼女に仕え続ける侍女だ。つい最近まで自分も行き遅れだったくせに結婚した途端余裕ぶりやがって! とは思っても決して口に出さないアズレ。だってそれは負け犬の遠吠えだからであり、夫であるアズレの義兄ともなった男性がぐうの音も出ない程のいい男なので余計に自身が惨めに思えるからだ。

「いやしかしあのアホがあんないい男を捕まえるとはなぁ。今度寝取ってみるか」
「マリアリナ様、ご冗談は程々に……」
「はっはっはっ、分かってる分かってる」

 快活に笑う軍神マリア。彼女には悪癖があるというか、英雄色を好むというか、とにかく色事に関しては破天荒にすぎるのだ。彼女が寝取ると言えば本気でやりかねないのだが、ことネリーに関してだけであればそれは「あり得ない」とマリアリナを知るものたちは口を揃えて言うだろう。
 きっとマリアリナ自身はそれを否定するだろう。いつも通りネリーのことを馬鹿だ阿呆だ気持ち悪いと悪しざまに言うだろう。だが長く彼女の傍におり、マリアリナとネリーの関係とを見ていれば誰でも分かること、それは──『マリアリナはネリーのことを大切にしている』ということ。
 本当に大切に、愛していると言っても過言ではないほどにマリアリナはネリーのことを大事にしている。いくら口で悪く言ってもそれはネリーが笑って流せる程度の、いわば気心の知れた間柄での軽い冗談程度のものであり、ネリーが本当に傷つくようなことは絶対にしないし口にも出さない。

 ある貴族の馬鹿息子がネリーに手を出そうとした時など凄まじかった。
 たまたまその現場に出くわしたマリアリナとアズレだったが、乱れた衣服と涙を流すネリーの姿に今から何が行われようとしていたのか瞬時に理解したアズレは、湧き上がる怒りのままに腰から提げた長剣を抜き放とうとした。だが、出来なかった。する必要がなかったのだ。
 マリアリナとアズレの登場に怯えて逃げようとした馬鹿息子は、立ち上がり駆け出そうとしたその一歩目のところで肉塊に変わったのだから。
 アズレには何も見えなかった。聞こえたのは鞘に納められるマリアリナの長剣の音だけであり、そこでようやく視認すら許さぬ速度で人一人を細切れの肉片に変わるまで切り刻んだのだと理解した。
 そんな人間離れした常識の埒外な剣を振るってみせたマリアリナが、「もう大丈夫」「怖かったろう」そう言ってネリーをあやし抱きしめるかつての『軍神』の後ろ姿こそが、まるで母親に縋る小さな娘のように見えたことを今でもアズレは覚えている。マリアリナは、ネリーが悲しむことも傷つくことも望んではいない、怯えていると言ってもいい。
 それからは馬鹿息子の親だとかマリアリナの足を引っ張りたい貴族連中だとかと一悶着あったが、彼女はそれら有象無象の囀りを権力で、財力で、そして何よりも雄弁なその暴力で尽くねじ伏せた。

「お前のせいで余計な仕事が増えただろうこの馬鹿ネリー」
「痛い痛い痛いっ! ほっぺたが、ほっぺたが千切れる! 千切れちゃう! でもこれはこれで!」
「ネリーは本当に気持ち悪いなぁ!?」

 そんな風に笑い合う二人を傍で見るのがアズレは好きだったし、「まぁ、あの男ならいいか」と寂しげながらもネリーの結婚を祝福するマリアリナの姿も覚えている。もしかすると義兄はこの国で一番『軍神』に認められた男なのかもしれない、それほどまでにマリアリナはネリーのことを大切に思っていた。


 まぁそれとこれとは別の話だけどな!
 なんで弟の童貞事情を職場の上司に相談してんのあの馬鹿姉さん!?


「はっはっはっ! 何、アズレにもじき良い人が見つかるさ! 情事に関してもあれだ、帰ったら良い店に連れて行ってやるよ。私はそういうの詳しいぞぉ」

 ニヤニヤと笑うマリアリナの顔をアズレは最早直視出来なかった。恥ずかしい。いっその事死んでしまいたい。いや今死んだら戦に負けて死んだみたいで悔しいから帰って姉さんに一言言ってから首を括ろうそうしよう。
 こうして童貞(アズレ)が一人悲壮な決意をしているとも露知らず、『軍神』が雄叫びを上げる。

「さぁさぁ、狩りの時間だ! 楽しい楽しい犬追物ぞ! 各方、武器を取れいッ!」

 雷鳴の如き鬨の声に否が応でも全軍の士気が上がる。顔を赤くして俯いていたアズレもその表情を引き締め、戦う者としての威風を纏い背筋を伸ばす。そして隣りにいたマリアリナも先程までとは質の違う、さながら獲物を前にした獰猛な獣のごとく口角を釣り上げた笑みを浮かべて、最後に特大の爆弾を落としていった。

「なんだったら、帰ったら私が相手をしてやるよ。アズレ」

 アズレは再び吹き出した。
 それを尻目にマリアリナはいつもの通り一人駆けしていき「ひゃっほーうマリアリナ・フル・リヒート一番乗りぃ」と楽しげに叫んでいる。全軍を指揮するはずの立場にある彼女が一人駆けなど本来は狂気の沙汰なのだが、「マリアリナ・フル・リヒートだから」でそんな狂行も納得できでしまうのが『軍神』である彼女らしいとも言える。
 そんないつも通りの狂った光景よりも、今は爆弾発言を落とされていったアズレの方がなんかもう色々と大変だった。

 ──私が相手をしてやるよ。相手って何の? そりゃお前ナニって……

 マリアリナの先の発言を脳内で反復し、混乱した頭でグルグルと思考するアズレの顔は先程までの比ではないほどに真っ赤に染まっている。

「あら見てあの子真っ赤だわ」「うふふ、アズレちゃんかわいい」「帰ったらマリア・ザ・ファッカーに食べられちゃうのね」「トラウマにならないかしら」
「てめぇらから真っ先にブチ殺すぞ!?」

 羞恥やら興奮やら怒りやらで限界を超えた鼻の毛細血管から出血させながらアズレが怒鳴ると、周りにいたむさ苦しい同僚たちも「ひぇーアズレちゃんがキレたー」「逃げろ逃げろぉ! 敵をぶっ殺して地の果てまで逃げるぞぉ!」とゲラゲラ笑いながら戦場へと駆けていく。

「ああもう、クソッ!」

 垂れる鼻血をぐいと拭い、アズレも彼らの後を追うようにして軍馬を駆る。この戦い、決して負ける訳にはいかないし、況してや死ぬわけにもいかない。
 必ずや生きて帰って姉に文句の一言も言って、義兄には姉のそういうところを抑えてもらえるようにお願いして、それから……それから……その、マリアリナ、と……。

「……止まんねぇ」

 その日の戦はマリアリナ率いる王国軍の大勝であり、その最中若き騎士アズレはずっと鼻血を流していたとかなんとか。







 いぇーい戦場からお送りしておりますマリアリナ・フル・リヒートでござぁまぁす。テンション高いって? やだなぁ私はいつでも全力全開好き勝手やり放題の女だよ? 低いわけないじゃーん!
 まぁそれでも今日は、っていうか最近は特別高いかなぁ。何せ死んで戻って死んで戻ってのクソみたいな地獄巡りを始めてから初の快挙を成し遂げたからね。

 そう、十年以内に死亡するという運命を遂に打ち倒し、私は人生初の20代まで成長することが出来たのだ! ひゃっほーう!

 いやぁ思えばここまで長かった。
 あの日、ネリーとの会話から天啓を受けた私は強くなるために己を鍛え続けた。肉体は勿論頭脳面でも鍛えた。男漁りをする時間を削り、以前までの私からすれば貞淑とすら言えるほど(一般的な感性からすればド淫乱)な生活を送り己を高めることに専念した。
 すると意外なことに、私はその道の才能があったらしい。鍛えれば鍛えるほど私は強くなり、学べば学ぶほど効率的に敵を打ち倒すことが出来た。
 襲い来る落雷を切り裂き、暴れ羊の群れを踏んで渡り、敵国が私にかけた賞金目当ての阿呆どもをちぎっては投げ、宇宙からの使者が乗った船は空ごと切って捨て、バナナの皮は丁重に処分した。最早人外である。
 そうして他にも竜を殺したり単身小国に乗り込んで制圧したりと無茶苦茶やってたら英雄的な扱いをされるようになり随分と祭り上げられるようになった。はっきり言おう、嫌いじゃないぜそういうの! もっと私を崇めろ!
 元来派手好きな性悪女だからね、私は。そりゃもうテンション爆上げよ。ネリーの歳の離れた弟君の童貞も頂いちゃおうかな! って気分にもなるってもんよ。アズレは初心で可愛いなぁ。
 ネリーには勿体無い出来た旦那を寝取ってしまうのもいいんだが、まぁ勘弁してやろう。死に戻りを繰り返す度に何度も何度も、同じようで少しずつ流れが変わる世界を私は生きてきた。中には親兄弟や友人達が敵に回る世界もあれば、火刑の時のように国その物を敵に回してしまうような世界もあった。

 だがそれでも、どんな世界でも、ネリーだけは決して私を裏切らなかった。ネリーだけはずっと私の傍にいてくれた。最期の瞬間に涙を流してくれるのはいつだってネリーだけだった。
 ネリーだけは、私の……んだからまぁ、寝取るのは勘弁してやらぁ! ガハハ!

「マリアリナ・フル・リヒートとお見受けする! その首、頂戴いたす!」

 おっ、最早完全に勝ち確定で後は逃げ惑う腰抜けどもを追い殺すだけだと適当に考え事をしながら馬を駆っていたのだが、中々どうして骨のある奴もいたものだ。軍馬に跨る敵軍の若武者が飛び出してきた。私もそれに応えるように吠える。

「応ッ! 良いとも掛かってこい! 一騎打ちだ!」

 いいねいいね、絶対的な死から逃げる者ではなくそれに挑み討ち果たそうとする者の熱い目だ。そういう奴は嫌いじゃないぞ! シンパシーすら感じる!
 おう、しかも近くで見れば中々いい男ではないか。これは捕虜にするしかないなうんそうしよう。
 褐色イケメンの名も知らぬ若武者よ、お前も私という絶対的な敵相手に足掻くといい。そうすればいつかは運命とやらに打ち勝つ日も来よう。

 そう! この、マリアリナ・フル・リヒートのようにな!



 それから三年後、何の前触れもなく世界は滅亡した。人類も滅亡した。私も滅亡した。

「世界レベルでクソゲーかよ!」
「ひぇっ!? ど、どうしましたお嬢様!?」

 あらやだ若いネリーだわ、なつかしー。

 十三年ぶりに死に戻りした私は思わず叫び、隣でびっくりしている十代のネリーをとりあえず現実逃避気味に視姦することにした。



 世界を救うその日まで、この私、マリアリナ・フル・リヒートの地獄巡りはもうしばらく続きそうだ。

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