1運命の薬指
俺は骨だった。
「邪魔だ! クソ骨野郎!」
盾で押すように殴りつけられて俺は壁に叩きつけられた。
しょうがない。
軽く押しただけでも吹き飛んでしまいそうな、ただの骨のモンスターが俺だったからだ。
いわゆるスケルトンというやつになる。
この時は本当にただのモンスターだった。
人としての意識はなく、近くにいた誰かをただただ襲う機械のような存在。
盾で殴られて、俺の肋骨が折れた。
骨以外に肉体はないので、折れるとポロリと地面に落ちてしまった。
「チッ! 焦らせやがって、ザコが!」
覚醒者の男は乱雑に額の汗を拭い、荒れた呼吸を整えるように深く息を吐き出す。
「いこう。向こうの部屋は安全だ。怪我の治療をしなきゃ」
男の腕にはモンスターにつけられたような爪痕が刻まれている。
そこから垂れる血は暖かさを持っている。
「ああ、くそっ! 休むために入ったのによ!」
壁に打ち付けられてズルズルと座り込んだ俺を見て、覚醒者の男は侮蔑のような視線を送ってどこかに行ってしまう。
俺はまともにトドメを刺す価値もなかったのだろう。
しばらくして俺はまた動き出す。
顔を上げた俺の前に、骨が落ちていた。
指の骨。
ふと見ると俺の左手の薬指がない。
だから右手を伸ばし、骨を拾う。
ただよく見ればまだほんの少し肉がついていて、自分の指ではないと意識があったら気づいたはずだ。
まあ、意識のない俺はただ目の前の指を手に取って、自分の薬指があったところに嵌めた。
「……うっ!」
その瞬間だった。
鋭い痛みと共に、誰かの記憶が俺の中に流れ込んできた。
『あああ! どうしてこんなこと!』
『お前の力は強すぎる。それにこれは俺のような男が持つにふさわしいんだよ』
俺の記憶じゃない。
ただ知らない男が俺を見下ろしていて、少し視線を下げると俺の薬指が何かに切断されている。
声からして、記憶の主人は女のようだ。
『ぶっ殺してやる……!』
『ふっ、これから死ぬのにどうやって?』
「なんだ……これは…………そして、俺は……」
他者の記憶がまるで塞いでいた堰を切るようにして、俺は、俺だったと思い出す。
俺は人だった。
突如としてゲートが現れ、モンスターが跋扈するようになった世界で覚醒者であった。
「……なんでこんなことに?」
人だったことは思い出した。
だけど、どうして今俺はスケルトンになっているのか、それが分からない。
あやふやで、思い出せるのは飛び飛びの朧げな記憶のみ。
記憶を思い出す直前のスケルトンとしての記憶もあるが、それより前のことは人のもスケルトンのもほとんど思い出せないような状態に頭を振る。
『スキル死者の記憶を簒奪しました』
いつの間にか壁に寄りかかって座っていた俺の目の前に不思議な表示が浮かんでいる。
ホログラムのような半透明の表示は、覚醒者の目の前に時々現れるものであった。
覚醒した時やスキルを手に入れた時など特定の場合に出てきて、覚醒者にとっての重要な情報を通知してくれる。
そう、思い出した俺の記憶の中にあった。
驚きに手を伸ばす。
「あっ……」
触れた瞬間に表示は消えてしまう。
それでも自分は人間だと言われたような気になった。
「……骨」
改めて自分の体を見る。
骨のみの細い体。
記憶では、俺は普通の男だったのにもはや見る影もない腕をしている。
俺の意思とは関係なく手が震える。
モンスターになってしまったなんて聞いたこともない話で、自分はどうしてしまったのか底の見えない恐怖が襲いかかってくる。
何度見ても俺の手は水分も感じられないようなガサガサとした濁った白色の骨だった。
軽く擦り合わせると、指先が欠けてしまうほどに劣化した状態だ。
劣化して白ずんだコンクリートよりも俺の体は小汚い。
「それに……さっきのはなんだ?」
俺は壁に手をついて立ち上がる。
肉体ではない何かで動いている奇妙な感覚。
心臓もないのに胸を締め付けられるような動悸がして、めまいがしてふらついてしまう。
「誰の記憶だ……? この、薬指の?」
俺は自身の左手を見る。
適当にくっつけた薬指は、繋ぎ目もなく何故かちゃんと俺の指となっている。
少しばかり短くて、小指と同じぐらいの長さ。
今となっては何でくっつけてみようと思ったのかすら分からない。
「俺は何者で……どうしたらいい?」
名前を思い出そうとしても、記憶が引っかかったように思い出せない。
喉元まで出かかったような感じ、手を伸ばせば掴めるような霧の向こうに俺の名前がある。
だが、名前に手が届かない。
それに人間だったとしても、今の俺はスケルトンだ。
モンスター、しかもかなり弱い部類の。
自分が何者かも分からないのに、これからの計画など立てられようもない。
「ふぅ、うぅ!」
叫び出しそうなパニックが俺を襲う。
ただこんなところで叫んだら危ないかもしれないというほんのわずかな理性で口を押さえて、嗚咽するように声を漏らす。
生身の体だったら吐いていたかもしれない。
状況が受け入れられず、頭の中がグシャグシャとして気持ち悪い。
深呼吸でもして気を落ち着けたいが、肺もない俺の体は呼吸をしていない。
口を開けても呼吸をどうやっていたのか思い出すことができなかった。
息をしていない。
でも、苦しくもない。
「……ここは…………廃ビルか?」
少し落ち着くまで待って、とりあえず状況の把握から努めようと思った。
周りを見回すとコンクリートで出来た建物の中にいるようだった。
ただし建物はボロボロで、人が使っているような気配はない。
天井は剥がれ落ち、床には割れた窓なんかが広がっている。
部屋の隅に溜まっている埃を見れば、しばらくかなり長いこと放置されているようだった。
壁に大穴が空いていて、外が見えている。
知らない場所だけど、空だけはどこでも変わらない。
俺の胸にも、大穴が空いたような気分。
「……っと!」
穴から外を覗き込むと、先ほど俺のことを盾で殴り飛ばした覚醒者の一行がいた。
俺は慌てて姿が見えないように隠れる。
感情に浸ることすら許されなくて、苛立ちを覚える。
「ん?」
「どうした?」
「いや、何かが動いた気がしたんだが……気のせいだ」
「…………ふぅ」
ギリギリバレなかった。
わざわざスケルトンを倒しに来るとは思わないが、リスクを冒す必要はない。
「そもそもここがどこなのかすら分からないな」
改めて外の様子を確認する。
同じようなボロボロのビルがいくつか立っている。
人の気配は特になく、打ち捨てられた都市のように見えた。
「俺は……」
人のいない町中に、服も肉体もなく、あるいは記憶すらなく俺は独りだった。
どうしようもない寂しさ。
なぜスケルトンになったのか分からない動揺。
記憶もない恐怖。
風すらない静けさが周りを包み込む。
こんな時、人だったなら心臓の鼓動でも聞こえるのだろうけど、今の俺には音を立てるものはない。
穴から差し込む日差しを浴びても暖かさも感じない。
まるで宇宙に一人だけ放り出されたような静寂。
俺は呆然と穴から外を見ていた。
「でも、ここでうちひしがれたってしょうがない」
日が落ちてきて、向かいの廃ビルに隠れてしまう。
時間の感覚もぼんやりとしていたけれど、何もやらないわけにいかない。
俺は自分を鼓舞するように呟いて、適当に廃ビルの中を徘徊する。
どうやらオフィスビルだったらしいということは分かる。
何か音が欲しくて、目に見えるものを全て口に出していく。
「……ひどいもんだな」
トイレに鏡が残っていた。
ヒビ割れているものの、俺の姿を確認することぐらいはできる。
肋骨の骨が何本かない。
身体中の骨はヒビだらけで、確かに倒す価値もないと覚醒者が無視して行ったのも頷けた。
「貧相なスケルトンだな」
よく見ると足の指も何本かなかったりする。
思わず俺は自分の体を嘲笑してしまう。
まだこの廃ビルの方がキレイと言える。
「何もない。誰もいない。何をしたらいい?」
残っていたオフィスデスクに腰掛けて俺は天井を見つめる。
目標が何もない。
スケルトンは別に何かを食べたりする必要もないので、生きるために足掻くこともない。
でもだからといって死にたくもない。
人に戻りたくはあるが、どうやったら戻るのかも皆目見当がつかない。
今こんな状況で目的もなきゃ何の活力も湧いてこない。
このままただスケルトンとして生きていかなきゃいけないなんて気が狂ってしまいそう。
「何故俺は死んだ……? そして何故……スケルトンとして復活した?」
記憶にモヤがかかったように思い出せなくて、苦しい。
ふと胸を触ると、そこには傷がある。
鋭い何かでつけられたかのよう。
「…………刺された」
傷をカリカリと指先でいじっているとふと、何かが記憶の霧の向こうに見えた気がした。
頭の奥がざわつく。
「俺は……刺されて死んだ」
胸を何かに貫かれた。
そんな記憶がフラッシュバックする。
「胸から飛び出した剣の先を見て……何を言った?」
朧げな記憶を思い出そうとしてみるが、肝心なところが思い出せない。
でも何かが引っ掛かる。
「……だが、俺は殺されたんだ」
復讐。
そんな言葉が頭に浮かび、胸の奥に黒い感情が傷を引っ掻く指の力を強める。
指先が欠けてしまい、俺は引っ掻くのを止める。
「何だろう……すごく何かを許せないような気がする」
何もないならそんなものをとりあえず俺のスケルトン人生の旗上げにしてもいいのかもしれない。
胸のざわつきが怒りなのか、悲しみなのかも分からない。
でも成し遂げなければならないことがあると俺の本能が告げていた。
人間らしい感情が湧き起こる気分だった。
まだ相手が誰かも分からないので、とりあえずと言わざるを得ない。
けれども黒い感情は決して忘れてはいけないものな気がした。
人間の感情によってほんの少しだけ、俺の中の狂気が遠ざかってくれる。
「あとは……」
俺は左手を上げる。
少し短い薬指に残っていた肉は、もういつの間にか落ちてしまっている。
俺のものではない誰かの記憶は、この薬指のものではないかと思う。
薬指の持ち主の女のことが気になった。
絶体絶命の状況だったので、生きているのか死んでいるのかも分からないが、なんだかすごく気になってしまう。
「探してみようか……?」
もしかしたらこの状況を脱する手がかりになるかもしれない。
あるいは人肌が恋しかったのかもしれない。
「記憶を取り戻し、復讐する。そしてこの指の女を探す」
何もない無味無臭のスケルトン人生に目標ができた。
もう少しは頑張れそう。
いや、頑張らねば俺はまたスケルトンになってしまうかもしれない。
何でもいい。
目的を持って、人間の心を失わずにいなきゃ俺はモンスターと変わりなくなる。
「俺は……人間、だ」




