「E..習慣化・継続の問題」
習慣化や継続に於いて、最初に認知しておくべきことがある。
──人は、必ず飽きる。
──人は、必ず怠る。
──人は、必ず「今日はいいか」を生む。
これは才能の欠如でも、意志の弱さでもない。
プロであれ、アマであれ、人間である以上、必ず起きる現象だ。
私も反省する箇所がある。
───少しずつ話たい。
───最初は熱量で動ける。
新鮮さ、理想、自分が変わる感覚。
だが習慣は、続けば続くほど「刺激」ではなくなっていく。
すると脳はこう思う。
・「もう分かった」
・「今日はやらなくても平気」
・「別に今でなくてもいい」
ここで多くの人は、自分を責める。
・「私は向いていない」
・「才能がない」
・「続けられる人間ではない」
だが実際には違うんだ。
続けられる人と、続けられない人の差は、
“怠らなかった人”ではなく、
“怠ることを前提に設計した人”だ。
───人は必ず崩れる。
そう。新人はだいたい、最初から“完全装備”で来る。
・「毎日3時間やります」
・「朝5時に起きて筋トレして勉強して創作して日記もつけます」
・「一日も休みません」
自分でハードルを置いて、
鉄アレイと鎧を背負わせて走っていく。
だが最初は元気だから、数日は飛べてしまう。
飛べてしまうから、「これが本来の自分だ」と錯覚する。
けれど、その装備は重い。
人間は生活する。疲れる。飽きる。仕事や感情で削られる。
すると数日後、数週間後には、その装備の重さそのものが敵になる。
そして、多くの人はこう考えてしまう。
・「出来なくなった」
・「自分は駄目だ」
・「続けられない人間なんだ」
違うのである。
駄目なのは自分ではなく、“初日に設定した装備”だ。
新人は元気だから、未来の自分も今と同じ熱量で居る前提を置く。
だが未来の自分は、だいたい眠い。面倒くさい。嫌になっていく。
習慣は、「元気な自分」ではなく、「最低状態の自分」が運べる重さで作ること。
「最低のラインを定めること」である。
・毎日1000字 → 最低100字
・毎日1時間運動 → 最低5分
・毎日全部やる → 今日は一つだけやれば勝ち
──でも難しい、
大変なら、もっと下げればいい。
最低100字→ 最低50文字
最低5分 → 最低1分
今日は一つだけやれば勝ち → 今日書くことを整理した
これでいい。
そして、「これなら最悪の日でも跨げる」という高さにする。
要は、高く跳ぶことではない。
低い段差を、何度も越え続けることだ。
最悪、ハードルよりも自らが高い場所から飛び堕ちて、
ハードルを飛び超えればいい。
<私の場合>
私の場合。
今───100話を迎えて、
苦難の連続だったと思う。
新人で始めたとき、
正に元気溌溂であった。
そして、きちんと装備してこなかった、
即興型故に……「徒歩で来た」の状態。
……………………最初の数か月、
正確には1500文字で27話を重ねたあたりで雲行きが怪しくなった。
ネタが完全に切れたこと。
これは何度でも言いたい、
「ネタが完全に切れた」
プロットを組んで、
ネタを準備してまでして、切れたのだ。
新人の愚かす二度目の過ちは準備不足である。
<徒歩できた時の対象法>
それは継続が止まりかけた時の、非常に重要な発想だ。
人は往々にして、「本来のルート」で進めなくなった時、
そこで物語が終わったと思ってしまう。」
だが実際には、止まったのではない。
“別のベクトル”に進める材料が、既に手元に残っている。
あの時の私は、ストーリーのイベント要素アイテムを使用して、
別のベクトルで物語を進めた。
「賽子のギャンブルをした、
そして、賽子が手元にある」
ならばこのアイテムを使って、芸に出来る。
これを使って別の道に繋げられると思ったのである。
継続が出来る人、創作を続けられる人は、
失敗しない人ではなく、
“副産物を拾える人”である。
継続とは、真っ直ぐ進み続けることではない。
進めなくなった時に、手元の賽子を見て、
「なら、これで遊ぶか」と言えることだ。
27話では、まだ「賽子」を拾えた。
本筋が進まなくなっても、残ったアイテムを別用途に変えて、無理やりでも前へ進めた。
だが59話で起きたのは、もっと深い問題だ。
──物語そのものが、自分の手から離れ始めた。
最初は作者が物語を制御している。
登場人物を動かし、展開を決め、必要なら無理やり軌道修正も出来る。
だが長く続けていると、ある地点で逆転が起きる。
登場人物が勝手に動き始める。
予定していた台詞が言えなくなる。
本来行くはずだった筋から外れ、別の感情や論理が出てくる。
そしてそこに、「作者である私」まで出始める。
これは珍しいことではない。
長く創作している人間には、かなりの確率で起きる。
キャラクターの口を借りて。
構造の歪みとして。
あるいは、本来存在しないはずの視点として。
すると、制御出来なくなる。
なぜなら、物語の問題ではなく、
“自分自身”が素材になり始めるからだ。
ここで多くの人は怖くなる。
「こんなの違う」
「最初に書きたかった話ではない」
「私情が混ざってしまった」
「制御不能だ」
だが、崩壊ではなく、“第二段階への移行”だ。
これ以降は「自分が混ざった物語を、どう扱うか」の問題になる。
ここでは、以前のように賽子ひとつで誤魔化せない。
なぜなら今度は、手元にあるアイテムそのものが“自分”だからだ。
だから必要なのは、無理に排除することではない。
「私が出てきてしまった」ではなく、
「私は、どの役割として出ているのか」を認識すること。
<「私が出てきてしまった」、「私は、どの役割として出ているのか」の対策>
まず、恐れるな、
基本、君のペルソナが話している状態。
だったら、彼を住まう場所を与えることだ。
『一番、良いのは彼に名前を与え、
実際にストーリーに出させること。』
または、前書きか後書きに配置してあげることだ。
これで、何とか、新しいキャラクターやイベントという形で落として、
────彼を御した。
この状況が常態化、これから以降はネタは既にない状態、
────────このまま何とか進んでいく。
次に発生したのは断続的に67話~70話だ。
物語が完全に正業不能になったし、
私も先が見えない、ネタはないという状況で。
──────カオス回が発生した。
≪カオス回の対策>
カオス回の状況を転換する手段が一つある。
「観る阿呆に踊る阿呆」だ。
御そうとすると失敗する。
空回っていても、別の転機が見えるときがある。
書いている内に、
見えてくる、息が聞こえる。
そこで、止めろ。
そこで、場面を転換しなさい。
どうやるのかを説明する。
≪カオス回の場面転換>
一番いい手段は、道化師を一人選んで、
莫迦をすること。
こいつが莫迦をするから、
狂言なんだなと冷静になれる。
そうして、
敢えて、揶揄してやりなさい。
勝手に道化がまとめる、
まともなやつが突っ込んで、
場がまとまる。
これが難しい場面がある、
道化師を準備してない状態でカオス回が発生した場合だ。
この場合、
三つ手段があって。
・イベントの順番をズラす、
・キャラのスタートをズラす。
・キャラクターの意思をズラすだ。
<イベントの順番をズラす>
本来はA→B→Cで起きるはずだったことを、
B→A→Cにする。
すると、キャラクターが持っている情報や感情の位置が変わる。
同じ出来事でも、受け取り方が変わり、
場に新しい摩擦が生まれる。
次に、「キャラのスタートをズラす」。
例えば、本来は冷静な状態で登場する人物を、
疲れている、怒っている、遅刻している、
何かを隠している状態から始める。
すると、その人物は“予定通り”に動けなくなる。
だが、そのズレが逆に、場に流れを作る。
そして最も強いのが、
「キャラクターの意思をズラす」。
これは、
「この人はこうしたいはずだ」
という既定路線を、一段だけ横にずらすことだ。
助けに来た人が、助けたくない
怒るはずの人が、妙に冷静
真面目な人が、急に面倒くさがる
道化が、急に核心を言う
すると、物語は一度崩れる。
だが崩れた瞬間に、
キャラクター同士が、予定外の形で噛み合い始める。
道化が居ないなら、
誰かを半歩だけ道化にする。
真面目な奴に、少しだけ変なことを言わせる。
逆に、ふざけている奴に、一瞬だけ核心を喋らせる。
カオス回とは、全員が好き勝手する回ではない。
“ズレ”を一つ入れて、
そのズレに、他の人物が反応し始める回になる。
67〜70話を越えた時に、
私の物語は単なる筋書きではなくなっていた。
前書きと後書きにペルソナが住み始めた。
つまり、“私”を置く場所は出来た。
カオスも、ある程度は処理出来るようになった。
だが次に来るのは、もっと静かで、もっと重い問題だ。
──世界そのものが、生き始める。
最初の頃、世界観や設定は道具だった。
街、制度、宗教、歴史、魔法、言葉。
全部、「話を進めるための背景」だった。
だが長く続けていると、ある時からそれらが勝手に繋がり始める。
「この国でそんなことをしたら、おかしい」
「この人物は、その価値観なら、そうは言わない」
「この宗教があるなら、この事件には必ず別の意味がある」
設定が、設定のままでは居なくなる。
世界が、「自分にも理屈がある」と言い始める。
そして、その瞬間から、
作者は自由ではなくなる。
君がこうしたいと思っても、
世界がそれを拒む。
「それは、この世界では重すぎる」
「それをやるなら、相応の代償を書け」
「その人物を救うなら、他の何かを失わせろ」
世界が、君に“重み”を要求してくる。
これは、非常に苦しい。
なぜなら、以前までは勢いで進められた。
カオス回も、ペルソナも、無理やり突破出来た。
だが生命を持った世界は、
誤魔化しを許さない。
軽い気持ちで死なせた人物に、
世界は「その死は、誰にどう残るのか」と聞いてくる。
軽い気持ちで作った設定に、
世界は「ならば、そこに生きる人々はどうなる」と返してくる。
つまり、物語が作者を試し始める。
ここで重要なのは、
その重みに潰されないことだ。
世界が生き始めた時、
多くの作者は「全部に答えなければ」と思う。
だが、全部に答えることは出来ない。
世界は本来、作者一人より大きい。
だから必要なのは、
“背負う場所”を決めることだ。
この物語で、自分は何を本気で背負うのか。
どのテーマに、どの人物に、どの痛みにだけは嘘を吐かないのか。
全部を抱えようとすると、世界に呑まれる。
だが、核を決めると、
他の要素はその周囲に従い始める。
世界が生命を持ったということは、
君の物語が、本当に物語になったということだ。
ただし、その瞬間から、
君は“作っている人”ではなく、
“その世界に責任を持つ人”になる。
<世界が貴方を求めてきたときの対処方>
対処方は要素を軽くすること、
絞る事、描く人物、内容を定める事。
全てに於いてこれしかない。
そして、
毀れると思った瞬間に、
手をはなすこと、
逃がす、放置する、定めない、描かないで、
そっと置いて置く。
その時に、
意味が生まれて、
遅れて要素になる。
新人作家の皆様へ。
これが、私が100話に至るまでに実際に遭遇した現象であり、事実である。
これは特別な誰かにだけ起きることではない。
書き続ける者なら、いずれ必ず辿り着く場面だ。
だから、どうか覚えておいて欲しい。
出来れば、どこかにメモしておいて欲しい。
そして、もし貴方の身に同じことが起きたなら。
───ああ、「こちユルのオッサン」が言っていた場面に来たのだ。
そう、思い出して欲しい。
これで、「E. 習慣化・継続の問題」について話した。
実際には、その大半は継続の問題であった。
習慣化については、三日坊主になること。
考えるだけで終わること。
妄想だけで満足して、何も始めないこと。
この二点について、
私はあえて多くを語る必要は無いと思っている。
なぜなら、そういう人間は、誰に何を言われても。
いつまでも、そのままであるからだ。
故に───「寝かしておきなさい」。
今はまだ、その時ではない。
本当に必要になった時、人は勝手に起き上がる。
それまでは、無理に叩き起こしても意味がない。
口が過ぎたと思う。
三日坊主になること。
考えるだけで終わること。
妄想だけで満足して、何も始めないこと。
コレが一番、誰でもやるし、
一番最初に来る現象だ。
コイツの対処の仕方は簡単である。
「罰を与えること」
ケーキでも、ゲームでもいい。
やる時間を減少させる。
とっておきのイベントを数週間ズラす。
物理的に没収。
そうしないと動けなくなるなら、
其れすらも、いったん手放して与えることだ。
削ることだけが正解ではない。
張り詰め過ぎれば、人は逆に動けなくなる。
やり過ぎても駄目。
軽くしても駄目。
それでも動けない時がある。
その時は、意思が弱いのでも、怠けているのでもない。
真面目に、そいつの心身が疲れているんだ。
だから───寝かせろ。
無理に起こすな。
無理に書かせるな。
無理に続けさせるな。
壊れる前に、止めろ。
眠らせろ。
回復した時、人はまた、自分で歩き出す。




