第三十四話 八上城落城
八上城の戦いは、ついに十日目を迎えた。
明智勢の攻めは昼夜を問わず続き、
柵は破られ、土塁は崩れ、
城兵の数は百にも満たなくなっていた。
それでも――
誰一人として退こうとはしなかった。
波多野秀香は、血に濡れた太刀を握りしめ、
城門前に立っていた。
「……ここが、最後だ」
家臣が駆け寄る。
「秀香様!
もはや城内の防衛は限界にございます!
しかし、兵たちは皆、まだ戦えます!」
秀香は静かにうなずいた。
「皆に伝えよ。
“よくここまで戦ってくれた”と」
家臣は涙をこらえながら頭を下げた。
「秀香様……
我ら、最後までお供いたします」
秀香は家臣の肩に手を置いた。
「……感謝する。
だが、ここから先は、各々の意志で戦え。
生き延びる道を選んでもよい」
家臣は首を振った。
「秀香様。
我らは、秀治様・秀尚様の御恩を忘れてはおりませぬ。
そして……
あなた様の背中を見て、ここまで来たのです」
秀香は目を閉じた。
胸の奥に、兄たちの姿が浮かぶ。
――秀治兄上。
――秀尚兄上。
「兄上……
私は、あなた方の弟として……
ここで死ねることを誇りに思います」
その独白は、
静かに空へと溶けていった。
その時、
城内に怒号が響いた。
「敵、突入!
明智勢、城門を突破!」
秀香は太刀を構えた。
「皆、構えよ!
八上は…波多野は最後まで戦う!」
「おおおおおおっ!」
明智勢が雪崩れ込む。
槍が閃き、
矢が飛び、
血が地を染める。
秀香は先頭に立ち、
次々と敵兵を斬り伏せた。
「波多野秀香、ここにあり!
来るなら来い!」
その声は、
戦場の喧騒を突き抜けるほどの強さを持っていた。
しかし、
敵の数はあまりにも多かった。
背後から家臣が叫ぶ。
「秀香様、後ろを!」
振り返る間もなく、
槍の穂先が秀香の脇腹を貫いた。
秀香はよろめきながらも、
太刀を離さなかった。
「……まだだ」
血が滴り落ちる。
視界が揺れる。
それでも、
秀香は前へ進んだ。
「秀治兄上……
秀尚兄上……
私は…私は…」
最後の力を振り絞り、
秀香は太刀を振り抜いた。
敵兵が倒れる。
だが次の瞬間、
背中に深い衝撃が走った。
槍が、
秀香の背を貫いていた。
秀香はゆっくりと膝をついた。
夕陽が差し込み、
八上城の石垣を赤く染めている。
「……兄上。
私は……幸せでした」
その言葉を最後に、
波多野秀香は静かに地へ倒れた。
太刀は、
最後まで手から離れなかった。
その瞬間――
八上城は落ちた。




