第62話 『アルデンテでのぎこちなさ』
カラン、と小さなベルが鳴る。
店の中は、相変わらず静かだった。
木の床。
窓際の光。
ゆっくり流れる時間。
――変わらない。
でも。
「……」
少しだけ、足りない。
星羅は、先に座っていた。
窓際。
あの席。
外の川を、ぼんやり見ている。
「……」
スマホに視線を落とす。
時間は、まだ少し早い。
画面を閉じる。
水に口をつける。
冷たい。
「……」
カラン。
反射的に、顔を上げる。
違う。
知らない客。
「……」
少しだけ、視線を落とす。
マスターが、水を置いた。
コト、と小さな音。
「……今日は一人か」
星羅は、少しだけ間を置いて。
「……うん」
それ以上は、言わない。
メニューを開く。
でも。
目が、動かない。
「……」
閉じる。
キッチンから、音がする。
卵を割る音。
バターの溶ける音。
あの匂い。
「……」
昨日が、少しだけよぎる。
交差点。
人の流れ。
止まったままの背中。
「……」
目を逸らす。
「……気まぐれでいい?」
マスター。
「……うん」
短く。
しばらくして、皿が運ばれてくる。
白い皿。
ふわっとしたオムライス。
湯気が、静かに立ち上る。
「気まぐれだ」
置かれる。
「……いただきます」
スプーンを持つ。
一口。
「……」
味は、同じ。
でも。
「……」
もう一口が、少し遅い。
「………」
スプーンを、少し強く握る。
そのあと。
ゆっくり、力を抜く。
「……ばか」
少しだけ、目を伏せる。
スプーンを置く。
小さな音。
スマホを見る。
何も来ていない。
画面を閉じる。
窓の外。
川の光が揺れている。
「……」
少しだけ、息を吐く。
マスターが、カウンターからちらっと見る。
「……」
何も言わない。
ただ。
少しだけ、目を細めた。
店の中は、静かなまま。
でも。
一つだけ。
来るはずの音が、来なかった。
カラン、という音は。
最後まで、鳴らなかった。




