第1話:『最高のボケと、最低のツッコミ』
人生は理屈じゃ笑えない――でも、笑いの隙間に心は揺れる。
売れないツッコミ・三谷瑛太と、完璧そうで実は少し抜けている女優・相原星羅。
最高のボケが、論理の外から、静かにやって来る――。
夜の居酒屋。
三谷瑛太は、売れない芸人だ。 しかもツッコミ。
――一人で成立しない役割。
氷が、かすかに鳴る。 グラスの中で溶けていく音だけが、やけにはっきりしていた。
相方はいない。 ネタはある。 でも、舞台がない。
「……理屈で笑いをやると、人は疲れるんだよな」
呟いた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが残る。
(ほんまに、それだけか)
考えかけて、やめる。
そのとき。
隣のテーブルから、笑い声が落ちた。
軽い。 高い。 なのに、なぜか耳に残る。
「いや今の間、絶対いらんでしょ。間が寂しがってるわ」
女の声。
瑛太の指が止まる。
(……誰やねん、それ)
視線を向ける。
相原星羅。
事務所で見たことのある女優。
まだ売れていない。 でも、存在だけが少し浮いている。
「ボケは良かったのに、欲張りすぎ。あれ、完全にツッコミ待ちの顔してた」
笑いながら言っているのに、 視線はちゃんと“見ている”。
(……そこまで分かるんか)
その瞬間。
歩道橋の夜が、ふと重なる。
『大丈夫、大丈夫』
あの時の、少しだけズレた笑い声。
(似てる)
理由はないのに、そう思った。
「緊張してるとね、無駄な動き増えるの。自分守ろうとするから」
星羅は続ける。
正しい。 たぶん、全部正しい。
でも――どこかだけ、ズレている。
今の笑いもそうだ。 一拍、早い。 言葉より先に空気が動く。
(この人……)
目が離せない。
面白い。 それだけじゃ、ない。
「……なんやそれ」
気づけば、声が出ていた。
星羅がこちらを見る。
「え?」
「あ、いや……今の分析」
少しだけ視線を逸らす。
「合ってると思います」
星羅は一瞬だけ止まって、それから笑った。
「ありがとうございます。……でも、結構適当ですよ?」
「いや、適当でそこまで言えたら十分バケモンです」
「ひどい言い方」
笑う。
その笑いの奥に、 ほんの少しだけ、さっきと同じ“ズレ”が残る。
瑛太はそれに気づく。
気づいてしまう。
(……やっぱりや)
放っておけばいい。 関係ない。 そう思えば済む話や。
それでも、残る。
直したくなる感じ。
息苦しくなる前の、ほんの手前。
グラスを置く。
立ち上がる。
――関わったら、たぶん同じことになる。
「お先です」
それだけ言って、店を出る。
夜風が頬を撫でる。
歩きながら、ふと足が止まる。
さっきの笑い声が、まだ耳の奥に残っている。
(……誰か、あの人にツッコんだれよ)
“無理して笑ってるやないかい”って。
一瞬、本気でそう思う。
でも。
踏み込まない。
「……関係ないか」
そう言って、歩き出す。
なのに。
頭から離れなかった。
――最高のボケは、だいたい厄介や。
そして。
それに気づいてしまうツッコミは、もっと厄介だ。
第一話をお読みいただきありがとうございました。
「笑う君に恋をした」は、ツッコミとボケだけでなく、二人の微妙な心の揺れも描いていきます。
次回もどうぞお楽しみに。




