第十五話『振り向けば奴のウィンク』
「元気でしたか?」
稽古場へ向かう道すがら、星羅はにっこりと微笑んで聞いてきた。
冬の名残を少しだけ残した風が、二人の間をすり抜けていく。
「元気も元気やけど、暇で元気はつらいもんあるわ」
瑛太は肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
「そうですね、元気の持ち腐れですね」
星羅は小さく「ふふふっ」と笑った。
「そやねん、上手いこと言ったな」
瑛太は素直にそう言って、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。
しばらく歩いたあと、瑛太はふと窓の外に浮かぶ雲へ視線を向ける。
「あの日が忘れられなくてな…」
自分でも驚くほど、素直な声だった。
星羅が、そっと一歩近づく。
その距離に、瑛太は思わず半歩だけ後ずさった。
「そうなんです。あの瑛太さんとの掛け合い」
星羅は胸の前で手を組み、言葉を選ぶように続ける。
「一人じゃない喜び」
「投げた物を、全部拾ってくれる安心感」
瑛太は心の中で思う。
どっかの劇団員か、とツッコミを入れかけて、やめた。
女優やったわ、と。
「しかし、あの日の酒はうまかったな」
「はい、とても」
星羅は迷いなく頷いた。
そのキラキラした目が目に毒で、瑛太は思わず視線を逸らす。
「稽古場終わったら、いっちゃいますぅ〜?」
少しだけ甘えた声に、瑛太の胸がざわつく。
「ちゃんと、稽古ができたらな」
行きたい、とは言えない自分に、瑛太は小さなもどかしさを覚えた。
「やった、約束ですよ」
「よーし、頑張るぞ!」
星羅にとって、稽古後のお酒が明確な目標になったようだった。
「よし、ここだな。稽古場」
瑛太が立ち止まる。
「はい」
星羅が元気よく返事をした、その瞬間。
廊下の陰に、見覚えのある顔があった。
島原マネージャーが、ニヤニヤとこちらを見ている。
なぜかウィンクし、親指を立てていた。
「は、入ろうか」
瑛太は視線を逸らしながら、そう言う。
心の中で、はっきりと思った。
あの人は、要注意だな。




